All Japan

北京での日々は??

可否茶館

2010-05-29 08:57:07 | Weblog
さて今朝は可否のお話。
そう、コーヒーなんです。
日本人とコーヒーとのお付き合いは江戸時代にオランダ人が持ち込んだのが始まりだとか。そして日本最初のコーヒー店は二説があり、一つは明治19年に日本橋小網町の洗愁亭、他方は明治21年に上野に開業らしいです。はてさてどちらが正解かは不明です。
ところで、この漢字にもびっくり、今は珈琲ですね。
もう一つの疑問は、現在日本はアメリカ、ブラジル、ドイツに次いで世界で4番目のコーヒー消費国だそうですが、一人当たりの消費量は年間338杯、、世界で26番目。
このギャップは?いったい何に消費しているのでしょうか?
もしかして?

ホテルの業績についての再考

2010-05-09 13:29:24 | Weblog
ジャンルを経済にするなんて少しおこがましいが、最近の考えを!!!

一昨年のリーマンショック以来、その影響は殆どの企業に大きな影響を与えている。でもその経済状況は低迷している中にも勝ち組はいるわけだし、其のあたりのことを考えてみたいと思い徒然なるままに、書いてみたい。
特にここではホテル産業についての事柄を記述してみたい。
昔からホテル産業に対する経済低迷の影響は半年遅れで襲ってくるといわれているが、このリーマンショックは半年後のインフルエンザの影響とともに大きくホテル産業を揺さぶった。
振り返ってみると、リーマンショック後の経済の落ち込み、それとインフルエンザによる企業の出張抑制、これらがまともにダブルパンチとなり多くのホテル産業に大きくのしかかってきた訳である。もちろん所謂シティホテルは宿泊部門のみならず料飲・宴会部門の大きな落ち込み(宴会部門は特に今回の影響のみではなく、バブル崩壊後からであるが)が続いているが、もっと大きく影響を受けているのは多くのビジネスホテルといっていいだろう。
そこには、シティホテルの低価格路線も多大なる影響力を持っている。
多くのビジネスホテルは客室稼働率の落ち込みと、さらにダブルパンチで低価格路線の大きな渦に巻き込まれている。まさに悪循環。麻薬状態??
いまだに殆どのホテルは(シティ・ビジネスともに)客室単価についてはリーマンショック前に戻ってはいない。
殆どのビジネスホテルが値下げを繰り返しながらもはや瀕死の状態なのだ。こんな状況に追い打ちをかけているのが商業ネットの各企画ものかもしれない。いろんな特典を付加価値と称して付け加えさせパイの取り合いに拍車をかけているわけである。
そこでこのような状況から脱するにおはどうしたらよいのか?を考えてみたい。
冒頭に述べたようにこれらのビジネスホテルは企業の出張抑制をもろに受けていると書いたが、まさにこの出張に依存した状況を変更する時期かもしれない。すなわちマーケットの拡大というのかもう一度マーケットを見直す時期かもしれないと考えるこの頃なのである。ではどこに魚はいるのか?
どちらかというと多くのビジネスホテルはシングル中心で出張客が大きな市場になっているわけだが、これを根本から見直すことから販路が広がる可能性がある。
ビジネスホテルというから何となく出張と結び付くわけだが、それを宿泊施設だと再度考えなおす時期ではないだろうか?となると、自然に販路は拡大するのではないだろうか?そんなことわかっている、それでも駄目なんだと言わないで、ここで冷静にマーケットを見直したいものである。
では、具体的には?
(続く)












入院そして翌日は手術

2010-05-09 09:43:27 | Weblog
前日に起こった事柄はまたのちに書くことにして、さて今日はいよいよ入院の日。しかも祝日。
朝からは雨です。でも時々は少し小止みになるその間隙を縫ってのお出かけと云うのか、自宅を出たのでありました。でも気分はブルーーーー。
祭日と云うこともあり、入口は病院正面ではなく、一回りしたところにある防災センターの入り口。ここで来意を告げて、担当のナースセンターがある5階へ。
そしてそのまま、病室へと案内され端っこにあるカーテンで区切られたこれからしばらくの我が部屋へ。

さて翌日は朝一番でのオペとのことで、朝から何故か緊張気味。
時間前にナースが来てそのまま歩きでオペのお部屋へのご案内。
さてこれから手術室。ところが思いもかけずきれいな部屋であることに感激、そのまま促されるままに手術台?と云うのか細長い固いベッドの上に何となく固定され、同時進行で医師たちがてきぱきと準備。
左上には4台のモニター、正面にはライト、そして右側にはオペレーションルームらしきガラス張りの小部屋?
全てが機械的に行われ、さていよいよ開始。右腕は昨夜来の点滴の管、そして今日は左手首からカテーテルを挿入とのこと。「チクッと痛いかもしれませんが、麻酔をします」と同時に、左手首に麻酔注射の針が。でも固定されているので逃れることもできないままそのまま進行。(続く)

偶然に、そして突然に!!(1)

2010-05-05 00:27:33 | Weblog
まさに人との触れ合いそのものだといっても良いだろう。
金曜日の夜の、その人とのちょっとした会話から、そしてそのことについて背中を押してくれた人がいなかったら、今回の事は実現しなかったであろうし、人生観も特に変わらなかったかもしれない。
次の日、そこに行くこと、そして結果を聞くことが躊躇する気持ちもある中で、その病院に行き、一般的な検診をした。レントゲンを撮り、心電図をとるといった一般的な検診。
レントゲンとか心電図では、特に何もないようだし、と云いながらその場で次の検査の日時と次の検診の日を告げられ帰途についたのだった。つまりは、大したことはなかった検診だったが、病院に行くこと事態が滅多にないことでもあり、何だかかなりお疲れモードの週末の始まりでした。
(もちろん前夜は、インターネットでその病院の事を調べたり、その他関係しそうな病名を見たり、遅くまで起きており、翌日は、つまり病院に行く日はかなり早めに起きたのであったのですが)
そして週末が終わり、次の月曜日、午前中に事務所に行き、お昼前に事務所を出ていったん自宅に戻り、着替えて再度、病院へ午後の検査へ。
今回はかなり精密な検診、これにはかなりの時間を要したのだがそれも無事に終わり、その結果が出るのが明後日の水曜日。
その日は朝から、というよりは深夜から珍しく関東地域は春の嵐の一日の始まりでした。
土砂降りの中をどのような結果が待っているのか、その検査結果の内容とその後の事態を知る由もなく病院へ。
土砂降りの中を何となく重い気持ちと、反対に何とかなるさ、ぐらいの軽い気持ちで再度、病院へ向かったのだが、土砂降りの午前中とはいえ、院内は相変わらずの多くの患者さんたちで一杯の状態。(世の中にはこんなに多くの医者を必要としている人たちがいるんですね。)
そして自分の番が来たのだが、担当医はその後どうですかと聞きながら、当方としては、特に変わったことは無いのですがと答えながら、ただやはり少し早く歩いたり、上りがあるとなどと云いだすと、典型的な、、、、、、と、やはり想像はしていた病名が耳に聞こえた。
そして、その次には先日の検査で撮った心臓部分の3D写真。そこにはいつも写真で見るような自分の心臓部分とそれを取り囲んでいる血管の様子が鮮明に映し出されている。その一つの血管を差しながら、この部分が狭くなっているので、そのような状況があるのです、との説明。原因は何ですか?と一番気になる事を聞くと、家族の方にこのような症状の方はいますか?いません。そして、特にコレステロール値も高くないし、タバコも吸わないし、う――んだって。ストレスは関係あるのでしょうか?と聞くとそれはありますね、だって。
そして、治療しましょうと次の言葉、それも淡々と。連休も始まるし、その前にしますか?そして次の瞬間には、後ろを振り返り「明日からベッドはあいている?」と担当者に聞いている次第。
全てが彼のペースで進み、次にはオペの手順を話し始めた。
その次には、また淡々と、これから、手術の準備と入院の説明を受けるように云われ、これまた長い時間をかけて院内でその手続きや事前の検査。終わったらとっくにお昼の時間も過ぎ、3時過ぎ。お腹は減るし、明日からの事、オペの内容、その成功の確率?全てがいろいろと頭の中を駆け巡り落ち着かない前夜が始まったのでありました。(続く)