ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

庭仕事の愉しみ

2021年07月03日 17時32分36秒 | 本の中から
ヘッセの「庭仕事の愉しみ」を読んでいる。
この本、田舎暮らしを始めて間もなくの頃だっただろうか?読んだことある。
そしてつまらなくて途中でやめてしまった。
ソローの「森の生活」もまたつまらなくて途中でやめてしまった。.
どちらもきっと田舎暮らしを始めた人が都会人に送るためのメッセージなのだろう。
だからもう田舎暮らしをしている人には新鮮味が感じられなくて、つまらないと思ってしまうのだ。
つまらないと思ったのはきっとそうだったのだろう。

かって田舎暮らしを始める前は田舎暮らし系の本をたくさん読んだ。
でも田舎暮らしを始めたら途端につまらなくなって、読むのはもっぱら農業関係などの実用本。
そう田舎暮らしを始めると、田舎暮らし系の本はほとんど何の役にも立たなかった。

日本に「田舎」という地名の土地があるわけじゃない。
田舎はみな違う。
住んでる人も環境もみな違う。
それをいっしょくたに「田舎」という言葉でくくられてはかなわない。
そこに暮らすには、住んでみないとわからない。
田舎暮らし系の本はほとんどなんの役にも立たなかった。

とはいえ、とはいえ、近頃再度ガーデニングに目覚めてきたので、再び「庭仕事の愉しみ」を読もうと思った。
きっと、もしかしたら、田舎暮らしを始めた当時とは違った印象を受けるのではないかと・・・そう思って。
それにヘルマン・ヘッセは高校時代夢中になって読んだ本。
普通の作家とは違って心の奥底に入ってる作家。
高校時代のブルーな気持ちを、さらにブルーに生きようと思って、いつもその背景にあった作家。
放浪に憧れ・・・でもやっぱり冬は寒いから無理だな、うんうん、放浪はやっぱり夏に限る!なんてしょうもないことを夢想した高校時代。
その背景にはヘッセがあった。
そんなヘッセ作品なので、「つまらない・・・」という印象だけで終わらせたくはなかった。
そして再度読んでみると・・・やっぱりブルーな気持ちになる。
この本はやっぱり都会人へのメッセージ。
田舎をどうしようかとか、田舎の再生とか、田舎の活性化とか・・・
そんなことはどうでもいい、田舎暮らしっていいよ、どう田舎暮らししない?
・・・そんな感じの、そう根底にはあるのはやっぱり都会人の田舎暮らし。
自給自足、晴耕雨読、
田舎は都会人の安らぎの場。
でもね本当の生産の現場は田舎なんだよ。
衣・食・住の原材料を供給しているのも田舎。
田舎は安らぎの場だけではない、都会暮らしを支えている生産の現場・・・そんな視点が感じられない。
でもまあそんなことどうでもいいや(いつものように、晩酌タイム、だんだん酔ってきた・・・)
「森の生活」も「庭仕事の愉しみ」の著者も田舎に定着したわけじゃない。
ソローの森で暮らしたのも2年ちょっとだけなのだ。
そこで田舎暮らしを始めて20年近くにもなるわが身にとって、
やっぱりこのどちらの作者も、やっぱり田舎暮らしの素人!
と・・・ついつい思う。
そこが「つまらない!」と思った理由でもある。

でもこの手の田舎暮らしやガーデニングの本の中で今でも好きなのは、
愛読書・チャペックの「園芸家365日」
この本は都会暮らしをしてる園芸趣味の人が都会暮らししてる人のために書いた本。
この本を読むときっと誰でも園芸が趣味になるだろう。
都会人だけではなくとっくに現役を引退してるのにやたらと若夫婦に口を出したがり家族からもすっかり粗大ごみ扱いそんな田舎の迷惑な人に特にお勧めしたい本。
チャペックはロボットという言葉の産みの親。
「山椒魚戦争」というSF作者としても知られている。
チャペックも好きな作家のひとりだった。
そうガーデニングをして家族を見返してやろう。
「わ~~~ぁ、きれい!」
そして周りの人も見に来たり・・・
そのうち、集落の・・・町の・・・名所になったりして、
「木を植えた男」のように町の活性化につながったら・・・
その時こそ心の中で大叫びしようね。
ざまぁ~~~みろ!!!
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推理小説

2021年06月25日 18時41分05秒 | 本の中から
毎日早寝早起きの良いこの暮らしをしている。
良い子過ぎる暮らしをしている。
だって晩は6時前には食事を終わって、7時ころにはもう眠る。
すると12時前には目が覚めて、それから夜明けまで長い長い読書タイムとうたた寝タイムが始まる。
最初はちょっと起きては本を読み、すぐにうたた寝しては、また起きては本を読む。
そのうち本を読む時間が長くなり夜明けを迎える。
このように毎日毎日良い子過ぎる時間を過ごしている。

読書はきっと乱読なのだろう・・・
でも読むのは古典が多い。
最近の作品とか芥川賞受賞作なんかほとんど読んでいない。
それからもう一つ苦手なのは戦争物や推理小説。
なんせ人殺し作品は好きじゃないので、もっぱら避けてきた。
特に推理小説なんて推理を追うのがなんとも面倒、なんとも億劫。
それでも昔はホームズものとかブラウン神父ものとか、エラリー・クイーン
とかヴァンダインとかよく読んだものだけど、最近はなんとも面倒くさい。
それで本格的な推理小説はもっぱら避けてきた。
でも最近、ふと推理小説を読みだした。

・「死神の棋譜」(奥泉光)・・・推理小説というか、ハリーポッター風な冒険小説の趣もありとても面白く読んだ。
・「medium 霊媒探偵城塚翡翠」(相沢 沙呼)・・・アニメ風な作品。ちょっと文章が固い、気負い過ぎ、と感じたものの、これもとっても面白い作品で退屈しない。それに最後の奇想天外などんでん返し!他の作品も読みたいと思った。
・「ワトソン力」(大山誠一郎)・・・無能な刑事、でもこの人といる周りの人が俄然推理力を発揮して事件を解決していく。
こんな設定はユニークでとっても面白いのだけど、でもこんな設定だと、もっとユーモアが欲しい。推理もちょっと甘いと感じた。

そして、ホロヴィッツの「メインテーマは殺人」と「メインテーマは殺人」
どちらも本格的な推理小説だけど、刑事上がりの探偵を含め登場人物がどれもこれもいやぁ~な奴ばかりという、面白い設定。
「その裁きは死」では日本人の女性が登場するけど、これまたいやぁ~な女。そしてその女性の俳句の本の“182”番目の俳句が謎解きの重要なテーマとなる。

今まで西洋文学に日本が取り上げられることはよくあったけど、それは北斎などの浮世絵とか陶磁器とか主に芸術分野でのこと、プルーストの「失われた時を迎えて」でも日本の水中花が効果的に取り上げたれている。
このジャポニスムを通しての日本理解から、日本人が西洋人の暮らしに普通に入ってきていることについて今風な興味を覚えた。
まあそれはそれとして、「メインテーマは殺人」よりも「メインテーマは殺人」の方により本格的な推理小説しての興味をもった。




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「紅衛兵とモンゴル人大虐殺」

2021年05月18日 03時40分54秒 | 本の中から
「紅衛兵とモンゴル人大虐殺」楊海英・著(筑摩書房)を読んだ。
今まであまりに知らされていなかった文化大革命の頃、内モンゴルで起きたモンゴル人大虐殺の記録だ。
主に紅衛兵新聞など、加害者側の資料を基にして書かれた本なので、実情はさらに悲惨だったことは容易に想像できる。
まったく中国にはうんざりさせられる。
中共だけでなく中国の歴史が大量殺戮の歴史だったのだから。
そしてそれは今も続いている。
毛沢東を習近平に内モンゴルを新疆ウィグル置き換えたら、今と全く同じ構造なのだ。
それどころか、さらに悲惨だ。
新疆ウィグルでは生体臓器移植や強制避妊などが普通に行われている。
さらに内モンゴルでも再び弾圧が行われている。
これが中国の歴史だ。
尖閣が中国に侵略されたら次は間違いなく沖縄の島々が、さらには沖縄本島が侵略される。
その時反日教育を受けて育った中国人により、
沖縄で新疆ウィグル以上のジェノサイドが間違いなく行われるだろう。


 

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古代エジプト人の24時間

2021年04月05日 18時46分15秒 | 本の中から
毎晩毎晩本を読んでいる。
読書は狭い狭い現実から、遠い遠い世界に、広い広い世界に、
果てしない時空の旅に導いてくれる。
もし読書の趣味がなかったら実に実につまらない、
もっともっと閉塞的な人生を送ったと思う。

今日読み終えたのは、「古代エジプト人の24時間」ドナルド・P・ライアン(著)という本。
これは3500年前の古代エジプトのいろんな職種の人たちの記録。
一人1時間でつなぐ24人の日常。
墓泥棒やミイラ職人、農夫や主婦、王や王妃や神官、踊り子や泣き女・・・
そんな日常で綴る1日。
これを読むと3500年も前のエジプトの暮らしが生き生きと蘇ってくる。

こんな手法を使うと、平安時代や奈良時代の庶民の暮らしがもっと身近に感じられるだろう。
古代エジプトだと墓に刻まれた文字によって埋葬者の暮らしをある程度知ることができる。
日本の場合、墓にそれを求めるのは無理だろうけど、奈良時代だったら万葉集を通して、平安時代だったら今昔物語を通して、ある程度想像することができるだろう。
「奈良時代人の24時間」
「平安時代人の24時間」
こんな作品がもしできたら、
もっともっと奈良時代や平安時代の庶民の暮らしを身近に感じることができるだろう。

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「大鏡」

2021年02月01日 18時03分12秒 | 本の中から
失われた時を取り戻そうと、
毎日、日本の古典を読んでいる。
高校の国語の授業の呪縛から解き放された今、
日本の古典を思いっきり楽しんでいる。

もっともっと早くこんなことに気づいてたら・・・
日本の古典をもっともっといっぱい楽しんでたのに!
高校の国語の古典の授業の最大の目的は、
きっときっと日本の古典はつまらない!と思わせることだったのだろう。
国語の授業は無駄な無駄な時間、居眠り時間、失われた時・・・だった。
そして今この失われた時を取り戻そうと、
日本の古典を読み続けている。
西洋の古典は西洋史の授業が面白かったこともありよく読んだ。
そしてその分日本の古典は避けてきた。
でも、今、国語の授業の呪縛から解き放された今、
そんな気持ちで読むと、とっても面白い!
西洋の古典には、いくら読んでもやっぱりどこか違和感を覚えた。
でも日本の古典には当時の習俗を表す言葉がなかなかわからないものの、
同じ日本語、より近い親しみを感じる。
そうそう、きっとここが自分の居場所ではなかったか、と思えてくる。
「源氏物語」にまだまだ距離を感じるものの、「枕草子」は平安時代のブログ。
これはまず現代語訳で読むことをおすすめしたい。
「桃尻言訳枕草紙」みたいな訳で。
すると「なぁ~~~んだ!普通のブログじゃない」と思えて来るだろう。
今こんなブログを投稿してもきっと本にまでなることはないだろう。
でも1000年も前にこんなブログがあった!
なぁ~~~んだ、今と同じじゃん!
そう思わせる・・・
そこが「枕草子」の魅力だ。

今まで避けて通ってきた軍記物もいろいろ読んだ。
御伽草子や浮世草子、仮名草子や洒落本、滑稽本・・・失われた時を取り戻そうと、室町~江戸時代の庶民の夢に浸りつつ、
いろいろ読んでいる。

そして今、ちょっと目先を変えて、読んでいるのは「大鏡」。
これもまたまた面白い。
きょうもまた、うとうと酔いに任せて「大鏡」を読み、
紫式部や清少納言と同時代の平安時代の夢に浸りながら眠りにつく・・・

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もう一つの物語

2020年12月01日 17時36分28秒 | 本の中から
西洋の文学の原点は『イーリアス』と『オデュッセイア』
共に盲目の吟遊詩人ホメロスの作とされている。
『イーリアス』きっと西洋文学の主流。
そして『オデュッセイア』は西洋文学の傍流。
そしてこの傍流が西洋文学を豊かに楽しくしている。
なんせ主流よりも傍流にいつも魅かれている人間。
いつも主流になれなくてあっちにふらふらこっちにふらふら生きてきた。
でも今ではそれでよかったと思っている。
そうそう自分なりに楽しい人生を送ってきたのだ。

そう、主流の『イーリアス』のことは置いといて、傍流の話。
『イーリアス』の世界の話。
『イーリアス』の世界だけでなく『オデュッセイア』の世界も受け継がれてきた。『オデュッセイア』
アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの(正統派の)ギリシャ3大悲劇詩人だけでなく、異端の喜劇詩人アリストファネスを産んだ。
あの空想の世界!鳥の国やソクラテスが雲に乗ったり、
長年続く戦乱に業を煮やした女性たちが立ち上がり、セックスレスを実行してたちまち世の男たちは降参し平和が実現する。
こんな空想の世界、それがどれほど、古代ギリシャを魅力的にしただろう。
さらにはルキアノスの「本当の話」!
ギリシャの魅力は尽きない。
その後西洋ではルネサンス期に入りラブレーの『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』やスウィフトの『ガリヴァー旅行記』の世界。
さらには「指輪物語」や「ハリス・ポッター」の世界。
こんな楽しい世界が日本文学にはない?
それがとっても寂しかった。
最近日本の戦記物語をいろいろ読んで特にそのさみしさを感じた。
確かに日本の戦記物語の頂点、「平家物語」はとっても素晴らしい!
きっとホメロスに匹敵する作者はいたのだろう。
でもその後多くの盲目の琵琶法師によって語り継がれ洗練されてきた平家物語。
この日本の『イーリアス』だけでなく、
日本の『オデュッセイア』はないのだろうか?!
それがとっても残念だった。
ところが軍記物語をいろいろ読んだ後、ふと気になって御伽草子の「御曹子島渡」を読んだら、これこそまさに日本の『オデュッセイア』。
義経が衣川の戦を逃れ北の島々を逃避行する。
小人島、大人島、裸人の島、アマゾネス・女人だけに女護ヶ島・・・
この島々のイメージは北ではなく、南の島々。
でもこの御伽草子ができたころは室町時代、義経人気にあやかってこの草紙を書いたのだろう。
これじゃ衣川の北、北しか行くほかないよね。
この「御曹子島渡」、とっても面白いと思ったけど、
残念ながら短編。
もっと力量のある作者がこの数十倍の枚数で書いたら・・・
『オデュッセイア』に匹敵する小説になったのに・・・と残念でたまらない。
さらには同じ御伽草子の中で、「梵天国」これはさらに面白い!
そうそう日本にもあったんだよ『オデュッセイア』が。
そしてそれは今も続いている。
パソコンゲームの「ドラゴン・クエスト」や「ファイナル・ファンタジー」に。

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軍記物を・・・

2020年11月08日 18時12分07秒 | 本の中から
軍記物を続けて読んでいる。
将門記、陸奥話記・・・
そして今は保元物語を読んでいる。
将門記と陸奥話記は現本は漢文、
保元物語は和文。
将門・・・陸奥話・・・保元・・・平治・・・
そして平家・・・となるにつれて漢文から和文、そして和漢混交文となるにつれて、軍記物の形が出来上がった、こんな歴史を見るのは楽しい。
将門記はまだ軍記物の形を成していない。
これは軍記物語ではなく将門の反乱の記録。
これを軍記物にするにはこの5~10倍の紙数が必要だろう。
ここには人間が描かれていない。
同じく漢文で書かれた陸奥話記でも同じことがいえる。
漢文は、とりわけ四六駢儷体は話の筋を無視して対句を使い美辞麗句に走る。
これは文章に溺れて物語を正しく伝えるのにはまったく無能な文体だ。
そう、四六駢儷体ってどうしようもない悪文!
自分ではそう思っている。
この四六駢儷体を今でも今でも讃えている人が、もしかしたら今の日本にいたら・・・一言いいたい「あほか!」
まあそんなことは置いといて、
日本の物語の歴史を、軍記物を通して、知りたいと思っている。

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平家物語を・・・

2020年10月27日 17時27分12秒 | 本の中から
平家物語を読み終えたので、その次は当然のように、横溝正史の探偵小説を読んでいる。
「えっ、当然のように?・・・はて?どんな関連があるの?」
「う~~~ん、そういえばそうだね。何の関連もないね」
たまたまもらった横溝正史の探偵小説があったので骨休みに読んでるだけなのだ。
でも読んでみると、面白い。
もっと昔に読んでたら、自分でも書いてみようかぁ~という気に、書けそうな気になってくる。
筋立てはそのままに時代を変え舞台を変え自分なりの文章で書くとまったく違ったユーモアのある作品ができそうだ。
愚図で呑んだくれて、いつも寝転んで推理でなく空想ばかりの金田一耕助。
でもなぜか最後にはその空想がことごとく当たって真犯人を見つけてしまう。
・・・なんて作品をついつい想像する。
でもまあ無理だね、ちまちま書くより、ちまちま呑むほうがずっといい。

横溝正史の作品、これから数冊読んだ後で、きっと「やぁ~~~めた!」と途中で投げ出すだろうな。
江戸川乱歩全集をあと少しで読み終えるところだったのに、投げ出したように・・・

さて次は何を読もうかな?
読みたい本はいっぱい!
せっかく太平記・義経記・平家物語などの軍記物を読んだので、保元・平治、将門記・・・軍記物語ではないかもしれないけど、今まであまり読む気になれなかった「大鏡」なども読んでみたいもの。
とにかく読みたい本がいっぱい!
ゴーゴリの短編「イワン・・・とイワン・・・が喧嘩した話」の最後の言葉、
「諸君、この世は退屈だ!」にちなんで、
「諸君、この世は忙しい!」


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平家物語

2020年10月25日 19時07分17秒 | 本の中から
平家物語を読み終えた。
とっても読みごたえのある読み物だった。
中学の時だったか、読んだ時とはとっても違った感じだった。
やっぱりいい作品は2度読みしないといけないね。
今まで2度読みする余裕はまったくなかったけど、
今では時間はたっぷりある。
2度読みしたい作品はいっぱいある。
今までに読み残した作品、
2度読みしたい作品、
そんな作品いっぱいある!
この世はとっても忙しい!

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平家物語

2020年10月10日 18時04分05秒 | 本の中から
平家物語の上巻を読み終えて、今下巻を読んでいる。
とっても読みごたえがある。
やっぱり軍記物では平家物語だね。
もっと早く再読してたら良かったね。
太平記後半は冗長、蛇足と言ってもいい。
義経記は軍記物というよりも物語としての魅力はある。
でも軍記物としてはやっぱり平家物語。

軍記物はあまり好きでなかったので今まで避けてきたけど、
読んでみるととっても魅力的。
保元・平治や将門記・・・気になる本はいっぱいある。
戦になったとき人間性がもろに出る。
それを描いてる軍記物を通して平常ではない別の面を見ることができる。

それはSFの手法かもしれない。
究極の状態に人を追い込むことによって、別の、あるいは本当の人間性が描かれるかもしれない。

そんな意味でも軍記物に、今とっても魅力を感じて読んでいる。

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義経記

2020年09月20日 17時57分16秒 | 本の中から
義経記を読んだ。
思ってたのとは違って、
華々しい戦の描写、一の谷や八島・壇之浦などのことはほんの数行。
生い立ちと讒言によって頼朝との仲たがい、
そして落ち武者となり平泉へ落ちていく・・・
そんな侘しい義経の姿。
軍記物の平家物語や太平記とは違った世界に、とっても惹かれた。
それに哀愁だけでなく、あちこちユーモアがあるのがこの本の魅力。
静御前のことや藤原忠信の活躍など、魅力的な話がいっぱい。
義経事態の魅力というか、人間性というかそんなことはこの本では直接にはあまり感じられないけど、弁慶などを通して感じることができる。
そしてそのためか、とりわけこの舞台となっている東北地方の人たちは義経が大好き。
それで義経とは何の関係もない忠臣蔵などの芝居にも無理やり義経を登場させて、
 かかるところへ義経公、いち間のうちより出で給い、
 さしたる用事もあらざれば、再び奥へと入り給う。
そうそう、こんなのだい好き人間だ!
まあ確かに軍記物としては平家物語や太平記より評価は落ちるかもしれないけど、大いに楽しめることは確か。
そもそも軍記物や戦記物はたいてい、講談になってしまう。
文学にまで昇華できた小説がどれほどあるだろう?
もともと戦争物は嫌いなのであんまり読んでいないけど、
今まで読んだ限りではトルストイの「戦争と平和」くらいしか思い当たらない。

それはまあ置いといて、今度は平家物語を読もうと思っている。
平家物語は昔し昔のそのまた昔、中学の時に原文で読んだきりだ。
あのころは注釈もしっかり読んでいたので、原文でもわかりやすかった。
でも最近は面倒くさくなって、注釈はとばし、原文だけで、あるいは現代語訳分だけですます。
それでしばしば言葉がわからないことがある。
江戸の戯作、洒落本や滑稽本にはうんざりさせられた。
だって解説付きで洒落を聞いても少しも面白くない。
ああそうか、そうなんだ、きっと面白いのだろうな・・・
なんて白けるだけ。
でもまあそれはそれとして、今度は平家物語を再読しようと思っている。
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コロナ読書

2020年06月13日 17時20分24秒 | 本の中から
きょうも終日、またまた、真面目に雨。
まるで梅雨みたいだね。
えっ、あっ、そうかぁ~もう梅雨なんだ。

田舎で雨となると、晴耕雨読。
雨が降ったら、昼間も読書に明け暮れる。
・・・なんて思うのはきっと都会人の幻想だよ。
たいていの百姓は雨の昼間は、ただただ所在無げに、おろおろ過ごす。
そしてやり残した仕事が頭をめぐり、
あれもしなければ!
これもしてなかったなぁ~!
まったく何時まで降ってるんだ!!
早くやまないかなぁ~~~

そしてさらに雨が強くなると、もう気が気ではない。
ネットや柵は大丈夫かなぁ~
畑が水浸しになってないかなぁ~
というわけでほぼ現役を退いた今でさえ雨読はほとんどしたことはない。

というわけで読書はもっぱら夜。
早寝早起き、良い子過ぎる毎日、
晩の8時にはもう寝て、夜中の12時~1時にはごそごそおきて、布団の中で読書が始まる。
読んで疲れてはまた眠り、また起きては読んでまた眠る。
これが朝まで続く。

コロナで自宅でやることもなく読書を始めた人も多いだろうけどこちらは年中コロナ読者みたいなもの。
なんせ子供のころからの、根っからの怠け者、
それで体を動かさないでも、寝転んでてもできる、読書と音楽鑑賞が趣味だった。
他の趣味、陶芸や竹細工や園芸やカメラや・・・などは体を動かさないといけないので、趣味としては今一つかなぁ~
もちろんこのほかに飲酒があるけど、これは趣味というより、もう「特技」のレベルだ。
いえいえ、そんな話ではなかった。
そうそう読書の話。
コロナがあろうとなかろうと、毎晩、読書に明け暮れている。
読書は時空を乗り越えて旅ができるもっとも安上がりな貧乏人の楽しみだ。
学生時代、サラリーマンになりたての頃・・・貧しいときほど、たくさん本を買っては乱読した。
そして今も乱読に明け暮れている。
最近読んだ本、

江戸時代の戯作、洒落本や滑稽本の数本~とっても魅力的だ。
 ただ洒落は当時の言葉や風俗がわからないと通じない。
 なんせ本文よりも注釈が数倍の分量。
 洒落を注釈付きで読んでも少しも面白くない。
 (拓婦人伝・遊子方言・甲駅新話・古契三娼・傾城買四十八手・繁千話・
 傾城買二筋道・・・などを読んだのだけど)
 まして当時の吉原などや風俗や江戸の地名などにはまったく疎い人間なので、
 面白そうだな・・・ということはわかるものの、ちゃんと読むのは結構つらかった。
 滑稽本の代表はきっと十返舎一九の「東海道中膝栗毛」と、
 式亭三馬の「浮世床」や「浮世風呂」だろう。
 「東海道中膝栗毛」は昔読んでたので、
 今度は式亭三馬の「浮世床」と「酩酊気質」を読んでみた。
 これは、落語だね。
 すんなり読めたけど、でも落語は見るもの、読むものではない。
 やっぱりそんな気になった。
 でも「酩酊気質」~酔っぱらいの習性を描いたこの本、
 小言上戸や泣き上戸、しゃべり上戸や悪態上戸、ねち上戸に騒ぎ上戸、
 かつぎ上戸に理屈上戸・・・まるでテオフラストスの「人さまざま」のよう。
 同じ酔っぱらいとしては身に沁みる。

逆説の世界史(3)~ギリシャ神話と多神教文明の衝突(井沢元彦・著)
 このシリーズ、正直「逆説の日本史」ほどには面白くない。
 ギリシャ・アレクサンダーの記述など、
 やっぱり西洋史観から逃れていないのではないだろうか?
 もっと東洋の立場で考えてほしかった。
 もし著者がペルシャ人の一般の男、同じ立場で書いたなら、
 そこには屈辱しかない。もっと他の書き方があったはず。
 ギリシャの兵士とペルシャの女性との集団見合いを「東西文化の交流」などと
 言ってられるだろうか?
 こうして結婚したペルシャの女性たちはギリシャ人の夫と
 ギリシャに一緒に帰ることは禁じられていた。
 そう単に「現地妻」でしかなかったのだ。
 そう単にセックスのはけ口でしかなかったのだ。
 こんなことは幕末の長崎でもよくおこったこと。
 お菊さんや、マダムバタフライの悲劇がペルシャでも起きただろう。
 これを「東西文化の交流」?

反日種族の常識~室谷克己
 正直この手の本にはすっかり食傷気味。
 だってここに書いてあることは、もうすでに常識なのだから。
 こんなことさえわかっていない日本人がまだ生息していることの方が問題。
 税金は「ただ!」だと思い、税金を飯の種にしている人間、
 日本を卑しめ自分たちの飯の種にしている卑しい人間たち。
 そう卑しい、とっても卑しい!
 「慰安婦」や「徴用工」に同情するなら、
 まず税金をたかるのでなく自分たちの金をだせ。
 「慰安婦」や「徴用工」に寄付をしろ!

夏の騎士~百田尚樹・著
 これはとってもいい本だった。
 これはみんなに読んでほしい。特に中学・.高校生に、読んでほしい。
 百田尚樹氏はきっと根が正直、子供のような人なのだろう。
 それでついついネットで言わなくてもいいようなことまで言ってしまう。
 そのため多くの誤解や反発を生む。
 でもね、ことさらに百田氏を悪く言う、
 そんなあんた達こそ実は変、じつはとっても卑しいのだよ。
 そんなあんたたちこそぜひこの本を読んでほしい。
 初心に帰り、子どものような気持になって、この本を読んでほしい。

ガルガンチュアとパンタグリュエル~ラブレー(著)
 今、第4の書まで読み終えた。
 昔、第1か第2を読んだ記憶はあるものの通して読むのは今が初めて。
 そしてこれから読むのは第5の書。
 このきっと馬琴のような、ヨーロッパの衒学趣味にあふれる有名な戯作。
 訳が分からないながらもとっても魅力的な本だ。
 この本については第5の書を読んだ後でもう少し書きたい。

ともあれ毎晩コロナ読書。
充実しつつも、あほな時間を楽しんでいる。
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「南総里見八犬伝」

2019年12月15日 17時48分32秒 | 本の中から
「南総里見八犬伝」全10冊、やっと読み終えた。
さすがに最後はうんざりした。
10冊目は蛇足、8冊か9冊くらいの所で終わってたら良かったのに・・・
それに馬琴の衒学趣味にはうんざりさせられた。
これがなかったら小説はもっとしまってたのに・・・
それから、これはある程度仕方ないことなのかもしれないけど、
不要な話の繰り返し。
何十年にわたって書き続けた作品なので、今までの粗筋を忘れている読者のためにも八犬士の一人が自分がやって来たことを他の七犬士に語る、という形で話を繰り返す。
それが何ともわずらわしい。
原稿の枚数稼ぎでしかない。
もっと要約したらいい。
それから登場人物がやたら多いけど、話には関係なく名前だけしか出てこない人の、フルネームでの羅列。
これも枚数稼ぎだとしか思えない。

・・・とまあ、現代の感覚で読むとこの小説はいろいろ難はあると思えるけど、
それは「今」だから言えること。
当時、よくこれだけ書いたな、と思う。

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「諸君、この世は退屈だ!」~ぐうたらの効用

2019年11月28日 06時33分31秒 | 本の中から
ゴーゴリの小説に「イワン・イワノウィッチとイワン・ニキフォロウィッチが喧嘩した話」という長い題名の短編がある。
ずいぶん昔に読んだので内容はすっかり忘れたけど、この題名と最後の言葉は今でも覚えている。
それが「諸君、この世は退屈だ!」。...
そして自分自身もこの言葉のようにこの世を感じて生きてきた。
この世は退屈だ!と思う人にはどうやら2種類あるらしい。
一つはオブローモフ的にぐうたらに生きる人。
(このぐうたら百姓のように・・・)
もう一つは、「面白きこともなき世を 面白く・・・」と、
 高杉晋作のように活動的にすごす人。
 前者は怠け者、後者は革命家。
革命家は革命を成し遂げてもそれに満足することはない。
革命後に樹立した政権に入ってもすぐに退屈して、新たに革命を求めたり、内乱を起こす。
チェ・ゲバラのように、あるいは西郷隆盛のように。
もし革命家が政権に固執して権力の座にとどまったら、さらに不幸だ。
独裁者となって内部革命を粛清を繰り返す。
毛沢東やスターリンのように。
もし高杉晋作や坂本龍馬が長生きしたら、きっと明治政府の中に自分たちの居所を見つけることはできなかっただろう。
そして明治政府には(卑しい?)実務派だけが残った。
これが革命家や武闘派の運命かもしれない。
 豊臣政権の末期、官僚の石田三成が重用され福島正則や加藤清正が駆逐されていったように。
いえいえ、こんな話ではなく、「この世は退屈だ!」の話だった。
革命家は新しい時代をもたらすがそれ以上に大きな犠牲をもたらす。
 革命家がいる世界よりもぐうたら人間ばかりの世界の方がよほど人々は幸せだ。
そう、
 「諸君、この世は退屈だ!」
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古生物食堂

2019年10月30日 18時29分41秒 | 本の中から
今日は午前中は竹細工教室と陶芸の本焼き。
それなりに適当に二つとも掛け持ちでこなし、
昼前に終わって図書館に行った。
と言っても今図書館は耐震構造の改造工事中。
それで工事が終わるまで同じ公民館の一室で細々と営業(?)を始めている。
でもこちらにとっては都合がいい。
半日で陶芸と竹細工と図書館をこなしたのだから。

毎日一番時間を割いている趣味は読書。
昼間はほとんど読まないけど、晩の8時~9時ころには寝て、3時間~6時間後には目を覚まして(この時間の差は酔い方による、たくさん飲んだらやっぱり目覚めは遅い)
夜中から夜明けまで毎日、本を読み、疲れたら、転寝をして、また目覚めたら本を読む。
こんなしょうもない暮らしを毎日送っている。

趣味はいろいろあるけど、きっと、やっぱり、最後まで残るのは、読書と酒だけだろう。
飲酒はもはやここまでくると職業と言うべきだろう。
あるいは慈善事業ともボランティアともいえるだろう。
だって今まで人一倍飲酒税を払ってきたのだから。
諸費税が2%上がったからと言って、お国のためには、2%なんてどうってことはない。
それどころか、この金が福祉に回るのならこんなにうれしいことはない。
2%分の残額が、いえいえ全額が回るのならこんなにうれしいことはない。

一方、読書はと言うと(飲酒はお国のためだけど)個人のため。
根がぐうたらな人間なので竹細工も陶芸も園芸も写真も音楽鑑賞さえも、体を動かさないとできない、これが何とも面倒だ。
えっ、音楽鑑賞は読書と同じじゃない?
なんていう人がいるかもしれないけど、
ステレオは壊れてとっくに処分した。
今、パソコンで聞くか車で聞くか、コンサートに行くか、それ以外には選択肢はない。
車とコンサートは別としても寝転んでパソコンなんて気楽にできるわけはない。
えっ、そんじゃ酒は?
うむ!つくなぁ~。
でも酒は別。
昔は酒のためなら、自分の時間も心も命までも売る!と思ってたけど・・・
最近とっても軟弱になった。
呑みに外に出るのもなんとも煩わしい。
そんな時間があるのなら、往復する時間があるのなら、その間呑んでた方がずっといい。
でもやっぱり酒は別。
確かに寝転んで酒は飲めない。
消費税が上がって、それに耐え、ひたすら耐え続けて、お国のために尽くす。
これこそ愛国者!
死んだら靖国に祭ってほしい!

いえいえそんなことじゃない!
ますます酔いが回ってきた。
いえいえそんなことじゃない!!
ほんの話だった。
毎日毎晩夜中から明け方まで、ずっ~と、うつらうつら読書をしている。
いつも数冊同時に読んでいる、蔵書や図書館で借りた本を読みまくっている。
そして(実は蔵書の肩苦しい本よりも)たまたま借りた図書館の本の方がずっと面白い。
そして今日たまたま借りた本、「古生物食堂」(技術評論社)
古生物の料理のレシピ。
これがとっても面白い!
この本を読むと古生物を食べたくなる。
カンブリア紀のアノマロカリスのしんじょう揚げから始まって、
今読んでるのはペルム紀のヘリコプリオンの中華風餡かけ。
そして間もなく中世代の恐竜やその巨大な卵を食べられる。
さらには巨大な哺乳類の祖先たち。
とっても丁寧なレシピ、料理法。
今では、とってもぐうたら、とってもものぐさになったけど、こんな食堂があったら、
今すぐにでも食べに行きたい!
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