ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

駄洒落の対処法

2011年02月27日 13時21分16秒 | 雑感
駄洒落はくだらないから駄洒落で、駄洒落から「駄」をとったら単にしゃれ、あるいは皮肉ともなってあまり面白くない。
でもやっぱり駄洒落は駄洒落。
そのほとんどはたいして面白くない。

そこで駄洒落を聞くといつも悩む。
どうしようかなぁ・・・笑ってやろうかなぁ・・・
笑わないとなんか悪いような気もするし・・・
そこでちょっと間をおいて笑うと、
駄洒落人間はますます調子付いて駄洒落を連発する。
こうなると聞いてるほうはかなり疲れる。

そこで駄洒落の対処法だけど、
わからない振りをして説明してもらったらどうだろう?
もともと意味の無い駄洒落を説明するとなるとこれはつらい。
そして最後に一言付け加えよう。
「あぁ、そうか・・・で、それで?」
それで?と聞かれたら駄洒落人間もすっかり困ってしまうだろう。

でもやっぱりいちばんいい対処法は笑わない。
誰かが駄洒落を言ったらみんなしばらくシ~ンとなって、数秒後何も無かったかのようにもとの話を続ける。
このシ~ンという間が大事で少なくとも5秒は間をとりたい。
こんなことを3回も続けるとさすがの駄洒落人間もすっかり落ち込んでしまい、
しばらくは駄洒落を言わなくなるだろう。
少なくとも2~3分は。
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電話

2011年02月27日 04時48分07秒 | 雑感
電話はどうも好きになれない。
携帯も持つ気にもなれない。
どうして外に出てまでも電話に縛られないといけないのか。
電話はこちらの都合に関係なくかかってくる。
特に平日の昼間、碌な電話はかかってこない。
セールスの電話などまったくやりきれない。
それですぐにはとらないで様子を見る。
出ようかな、どうしようかな・・・もうちょっと待つかな・・・
4~5回で切れたら「軟弱なやつだな」と思う。
10回以上もなるときは「しつこいやつだな」と思う。
外にいるときに聞こえる電話はさらにやりきれない。
しばらく様子を見て・・・やっぱり気になって・・・最初はゆっくり、次第に急ぎ足になって、やっと電話にたどり着き取ろうとするときまって切れる。
そのてんメールはいい。
こちらの都合によって見ることができる。
あるいは見てない振りをすることができる。
「あっ、ごめん。見てなかった・・・」

もちろん携帯でもメールを送ることはできるけど、どうもテンキーで文書を入力するという神業を習得する気にはなれない。
それに携帯電話はちいさくて使い辛い。
いっそ昔の黒電話の大きさにしたらどうだろう。
もちろんダイヤル式に。
「あっ、ごめん。なんかうまくかからなかった・・・」
と言い訳することもできる。
この携帯黒電話には大きなキーボードがよく似合う。
電車の中や公園でバックの中から黒電話とキーボードを取り出してメールを打つという光景、とても様になっていると思うのだけどどうだろう?
それから今では公衆電話が少なくなってとっても困る。
そこで携帯公衆電話を作ってほしい。
電車の中や公園でバックの中から赤い電話を取り出して10円玉を入れて電話をするという光景、とても様になっていると思うのだけどどうだろう?

でもやっぱり電話がかかってくるのはいやだ。
それ以上に電話をかけるのはいやだ。
電話をかけるとなると・・・電話をしないといけないと思うと・・・ついつい、おっくうになって明日にしようと思う。
明日になるとさらに明日に・・・
電話をかけるとなると・・・やっぱり相手の都合を考えてしまう。
今かけていいのかなぁ・・・あとにしようかなぁ・・・と。
話している間も気になる。
忙しいんじゃないかな・・・早く切らないといけないんじゃないかな・・・と。

というわけでどうも電話は落ち着かない。居心地が悪い。
こんなものを持ち歩く人間の気が知れない。
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田舎暮らし断想~イベント(1)

2011年02月26日 13時45分05秒 | 田舎暮らし
田舎を活性化しよう!というとすぐにみんなが思い浮かべるのはイベント。
そこであちこち似たようなイベントが始まる。
役人は横並びが大好き。
他所ではやるとすぐに同じものをやりたがる。
田んぼの学校がはやるとあちこちで同じようなものをやりだして子供の奪い合いになる。
コスモス祭りが一箇所ではやると、あちこちでコスモスを植えて客の奪い合いになる。
どうして他所でやってるからここでは別のことをしようと考えないのか。
「横並び」は民間人の言葉では「ぱくり」という。
人のアイデアをぱくってはいけない。

確かにイベントをするとその日は都会からもたくさんの人がやってきて村は賑わう。
きっと都会から来た人は思うだろう。
自分たちも村の活性化に役立ったのだと。
そんな人に言いたい。イベントが終ってからもう一度村に来てください、と。
するとイベントのときとはまったく違った光景が・・・ひっそりとした村、そしてイベントで疲れきった村の人たちに出会うだろう。
そこで思ってほしい。
あのイベントっていったい何だったのだろう?
本来村の人に落ちるはずの補助金を自分たちが使い、村の人たちの無償奉仕で自分たちが楽しんだだけではなかったか?と。

もちろんイベントが悪いといっているのではない。
たくさんの人が来てくれて村の人も喜んでいる。
でもイベントにはそんな一面があることもわかってほしい。

田舎の活性化とは何だろう。
田舎が自活できること。
人の金を当てにするのでなく、一部の人が儲かることでもなく、みんなが儲かることではないだろうか。
補助金を当てにしたイベントなんか止めたほうがいい。
同じ無償奉仕でもまず自分たちが楽しむ無償奉仕でありたい。

しかし一番大切なことはもっと地道な活動だ。
過疎の問題は人口問題だ。
人さえ増えたらほとんどのことは解決する。
そのためには一時的なイベントよりも地道に定住者を増やすことだ。
たしかにイベントをするとその日は参加者は金を田舎に落としてくれるだろう。
でもそれは365日のわずか1日。
定住者は毎日何らかの形で金を使う。
一人の定住者は365人分のイベントに相当する。
田舎暮らしの人はたいてい夫婦、さらには子供連れで来る。
としたら田舎暮らしの人が来ただけでその倍以上、730人分以上のイベントと同じ経済効果があるだろう。
730人のイベントというと多くの補助金と村の人やスタッフの無償奉仕がないとやっていけない。
ところが田舎暮らしの人は自分たちの金でやってくる。
補助金もいらない。

ここにはJRの姫新線が通っている。
昼間は2時間に1本しか通らなかった。
でも今はテストケースとして1時間に1本通るようになった。
でも乗客が増えなかったらまたもとの2時間に1本になるらしい。
というわけで各地で乗客を増やそうとイベントをやっている。
確かにそれによって乗客は増えるだろう・・・その日だけは。
補助金とスタッフの無償奉仕によって。

そこで、もし・・・と想像してほしい。
高校生と中学生がいるサラリーマンの家庭が引っ越してきたら・・・と。
ここからは姫路くらいまでなら充分に通勤できる。
姫路まで1時間もかからない。
そこで1家で3人はほぼ毎日通勤と 通学でJRを使うことになる。
仮に年間300往復利用するとしたら一家で900往復利用することになる。
イベントで900人の乗車を見込むとなるといったいどれくらいの金と人手をかけないといけないのか想像してほしい。
イベントに金をかけるよりもこんな一家を呼び寄せたほうがはるかに効率がいいのだ。

100のイベントよりも一人の移住者を!
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消し炭

2011年02月23日 21時17分48秒 | 田舎暮らし
我が家ではほぼ毎日のように薪をつかう。
達磨ストーブや七輪で。
これは都会ではなかなかできない(わびしい)贅沢。
なんせ薪はタダで手に入るので毎日ちょっぴり得した気分になれる。

薪に火をつけるときはもちろん着火材などは使わない。
新聞紙も使わない。
あれは素人のやることだ。
プロともなると杉の枯れ葉と小枝があればいい。
するとマッチ一本で火を起こすことができる。
もちろん雨の日、湿った日などはマッチ1本では点かないこともあるけど、掟破りのマッチ2本同時点けをすることもあるけど、そこはまあ、知らんふりをして着火材なんていう軟弱なものは使わないでマッチ1本で点けるのがこの道のプロというものだ。
でも正直雨に日にはなかなか火をつけるのは難しい。
そこで着火材の変わりに使うのがけ消し炭。
これがなかなかの優れものなのだ。
今時消し炭を使う人はめったにいないだろうけど、これがなかなかいいものでとっても重宝している。
これを使うとすぐに火が起きる。
着火材なんて目じゃないよ。
それにタダでできるのがうれしい。
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ほだ木つくり

2011年02月22日 03時17分54秒 | 田舎暮らし
日曜日に「近畿中国田舎暮らし交流会」のほだ木つくりに岡山・勝央町まで行ってきた。
今回は2回目。
前回はちょっとゆるくて70本くらいしか切れなかったけど、今回はハード。
240本ほど切った。
メンバーにはプロ、セミプロもいてとってもはかどった。
ハードだけどこれくらいのほうがいい。
生木は我が家でやる木よりも太いのが多くかなり思い。
なるべく重いのを避けて車まで運び出す。
もちろん今回も隠れ酒(?)パワーで調子よくいけた。
もっとも約1名に飲んでるところを見つかったけど・・・
もっと隠れ酒の技術を磨かねば。
なんてことはどうでもいいのだけど、これでほだ木つくりも終わり、来月は菌打ち。
さらに「麹作り」「ロケットストーブ作り」などのイベントが続く。
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田舎暮らし断想~食料自給率(3)

2011年02月20日 03時44分52秒 | 田舎暮らし
食料自給率が40%だといってことさらに騒がなくてもいいじゃない。
もともとこれは故意に低く抑えた数字。
食糧危機や戦争などで輸入が途絶えたら・・・という非常自体のための数字だ。
役人が予算獲得のために作り出した数字に乗せられることは無い。

日本は他国と戦争するような状況ではない。
他国が日本に経済封鎖する状況でもない。
それにナポレオンを例に取るまでもなく経済封鎖がうまくいったためしがない。
北朝鮮は経済封鎖ですぐにもつぶれるなんていわれながらまだ生きながらえているじゃないか。
経済原理は政治の外で動く。
物は金の無いところから金のあるところに動く。
世界的な食糧危機になるとまず困るのは経済的に貧しい国。
日本が輸入している食品は小麦や主に飼料となる穀物とうもろこしや大豆など以外はたいていぜいたく品。
海老やマグロやバナナなどの果物やワインが無くても生きていける。
アジやサンマやサバを食べればいい。
牛肉も食べなくてもかまわない。
里には鹿も猪もいっぱいいる。
それでも足りなかったら山羊を増やして食用に提供したらいい。
(うちの山羊は提供しないけどね)
山羊には輸入穀物はいらない。
草さえ食べさせとけばいい。
日本には草はふんだんにある!!
ワインを飲まなくても日本酒がある。焼酎がある。酒飲みも少しも困らない。

自給率はカロリーベースで考えるのではなく金額ベースで考えよう。
今一番の農業国はどこかというとアメリカではない、オランダなのだ。
輸入と輸出の差額、農業で一番儲かっている国はオランダなのだ。
そのオランダの穀物自給率は14%しかない。
日本でさえ32%あるのに。
オランダのように人口密度が高くて狭い国では広大な畑を持つことは日本と同じく無理なのだ。
それではどうして農業で儲かっているかというとそれは加工品を輸出して儲けているからだ。
日本でもそうだけど米や野菜で儲けるのは難しい。
一番利益があるのは加工品だ。
タイやアメリカの8倍もする日本の米が外国で売れるわけは無い。
物好きな金持ちの中国人がせいぜいステータスシンボルとしてすずめの涙ほど買うくらいのことだろう。
それなら日本酒を売ればいい。焼酎を売ればいい。
せめてワインを輸入しているのと同じくらい日本酒や焼酎を売ったらどうだ。
日本の大使館も地下の倉庫にワインを溜め込むのではなく日本酒を溜め込んで外国人にのませたらどうだ。
どうせ日本の大使館は無駄遣いしかできないのだから同じ無駄遣いでももっとましな無駄使いをしたらどうだ。

安全保障上、米など最低限の生産は保護して、いざとなったら米と野菜と近海魚ですごす。
そして安い穀類は輸入すればよい。
その代わり加工品を輸出して儲かる。
これが日本の農業の生き残る道。
もっと酒を輸出しよう!
そしたら農家も喜ぶ、酒造も喜ぶ。
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トイの掃除

2011年02月19日 13時13分05秒 | 田舎暮らし
落ち葉がいっぱいたまって雨水があふれ出した屋根のトイ。
ながいことほったらかしにしていたけど、
家内に責められ続けてやっと掃除をした。
もちろん雨水があふれたからといっても悪いのは落ち葉のほうであって、こちらの責任ではない。
それなのに責められるのはまったく道理に合わないと思うのだけど、
不思議なことに家内にはこの道理が通じない。
こちらをまるで加害者と思っているらしい。
というわけでやむなくトイの掃除をした。

やはり予想したとおり落ち葉や苔がいっぱい詰まってて雨水が流れない。
それで泥まみれになりながら掃除をした。
これで水はみんな流れるはず・・・だけど・・・あれれ・・・流れない!
ふつうトイって落ち口のところまでわずかな下り勾配になってるはず。
ところが逆に反対側が低い。
反対側を下げてどないすんねん!!!
これじゃ落ちるわけないじゃないか。
欠陥工事だ。
そういえばトイはまっすぐつながってるのでなくやけにでこぼこしている。
これは素人仕事。金をケチってトイ職人に頼まないで大工がやったに違いない。
でもまあ、まったく流れないわけでもない。
少しくらい水がたまったからといってどうってことは無い。
それにここは知らん振りをしておかないと、家内から直せといわれるだろう。
これはもちろんトイが悪いのであってこちらはちっとも悪くない。
それなのにまた責められてはかなわない。
そう、ここは知らん顔しておくに限る。

というわけでやっとトイの掃除を終った。
こうなると雨が待ち遠しい。
どれくらい流れるようになっただろうか。
もしそれでも流れないようなら・・・そのときは知らん!
まあ努力はしたのだから、その気持ちだけでも受け取ってほしい。
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田舎暮らし断想~食料自給率(2)

2011年02月19日 09時28分49秒 | 田舎暮らし
食料自給率を高めるには日本の農業をもっと強くする必要がある。
そのためには田舎の過疎化をすすめて、大規模化には不向きな中山間地を切り捨てて、一人当たりの耕作面積を広げる。
さらに中山間地の切捨てによって減った田畑を長崎の諫早干拓のような大規模な干拓によって広げる。
それだけではまだ不十分で日本は国土の割りに人口が多すぎるのでもっと人口を減らす。
ところが今の政府のやってることはまるでめちゃくちゃで目先のことだけを考えて長期ビジョンが無い。
営農組合運動は農業の大規模化と中山間地の切捨てにつながる。
農業の大規模化を目指すのならば諫早干拓を、さらにはもっと大規模な干拓を推進しないといけない。
目先の人気取り、目先の反対運動に流されて10年20年後の日本を見据えていない。
もともと市民運動というものはそんなもので、物の見方は近視眼的だ。
いつも目先のことに反対してそれを飯の種にする。長期的な視線が無いのだ。
そしてそのなれの果ての姿が管さんだ。
いつも思いつきと人気取りで行動する。

しかしこのようなことはほとんどの人は望んではいないだろう。
田舎が過疎化することはもしかしたら田舎が疲弊することではなく田舎が豊かになるかもしれない、とはだれも考えない。
そこにあるのは里山への郷愁。やっぱり里山は残ってほしい。
かといってもうこれ以上補助金をつぎ込むわけにも行かないだろう。
じゃぁどうしたらいいかというと、そこを埋めるのが田舎暮らしだ。
高齢化して里の田畑を維持できない人たちに代わって耕作放棄地を開墾してほしい。
小規模な農業では暮らしていけない?
でもいけるのだ。年金をもらいながらなら充分に農業で暮らしていける。
都会では暮らしていけないような少ない年金でも田舎なら、自給自足的な生活なら暮らしていけるのだ。
そして米と野菜それに大豆、そして小麦を作ってほしい。
さらに鶏を10~20羽ほど飼おう。山羊を飼うとミルクも取れる。
これくらいだったら餌は自前でできる。
山羊は草さえあったらいい。
これだけで生きていける。
余った野菜は都会の子供や友人に送ってやったらいい、あるいは宅配や地元の直販店で売ったらいい。
これだけで食料自給率は大幅に改善されるだろう。
それで定年退職した人、定年退職間近の人はどんどん田舎に来て農的暮らしを始めてほしい。
たいていのサラリーマンは40を過ぎると先が見える。
一流会社を出て一流企業に入って・・・その先は?
もうあんたは要らないよ、とばかり出向させられる。
それがエリートサラリーマンの成れの果ての姿。
会社に残ることができる人間は仕事ができるかどうかということよりも、上司に取り入り同僚を蹴落とす人間ばかり・・・
そんな生活もういいじゃないか。
希望退職、肩たたき・・・そんな時はいかにも困ったという顔をして、会社からより有利な条件を引き出して、その実大喜びで退職しよう。
そして前もって準備をしておいて、退職の翌日さっさと田舎暮らしを始めよう。
これこそもっともスマートな生き方だ。
不満鬱積しながら会社勤めをすることは無い。
人のために貴重な自分の時間を切り売りするのでなく、
自分の時間は自分で使おう。
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田舎暮らし断想~田舎へのお誘い(1)

2011年02月17日 14時03分40秒 | 田舎暮らし
田舎に来てほしい、とりわけ若い人に来てほしい!
・・・というその切実な気持ちはわかるけど、
その裏に年取った人は来てほしくない、という気持ちがあるとしたらそれはいかがなものか?
よそ者を拒む人と五十歩百歩ではないだろうか?
田舎暮らし志望が一番多い定年退職前後の人たちにももっと来てほしいと思っているのだけど、そう言うと、
将来介護の負担がかかるだけだという、答えが返ってくる。
でもそれは単式簿記的ないかにも役人的な考え方で相手勘定を見ていない。
小学生の小遣い帳レベルの発想だ。
介護に負担がかかるというならその費用はどう使われるのかということを考えないといけない。
・福祉関係者の給与。
・福祉施設の備品・維持費。
・被介護者の食費・日用品費・・・などなど
福祉関係者はたいてい地元かその周辺の人で地元に給与として金が落ちる。
何よりも要介護者が増えると雇用につながり若い人の職場が増える。
福祉施設の備品・維持費も全部ではないにしても地元に金が落ちる。
被介護者の食費・日用品費もおなじく地元に金が落ちる。
そしてなるべく地元の店で買うようにしたらそこの店員の給与にも還元される。
一番よくないのは「介護の負担がかかるだけだ」といって来る人を拒んでなにもしないことだ。
それでは田舎にはまったく金が落ちないで寂れるばかりではないか。

しかし果たして「介護の負担がかかるだけ」なのだろうか?
たいていの田舎暮らしの人は思っている。
将来介護が必要になったら、あるいは車を運転できなくなったら、都会に戻ろうと。
都会で暮らしたことのある人は都会の便利さを知っているし、都会暮らしにそんなに抵抗は無い。
最も介護に負担がかかる人はむしろ地元の人だ。
都会に知り合いの無い人はもちろん、知り合いのある人でも・・・都会に出た子供たちが一緒に暮らそうと都会に出てくるように進めても・・・自力ではどうしようもなくなるまで都会暮らしには踏み切れない。
それも当然のことだ。
知らない土地には誰だって住みたくは無い。
というわけで介護に負担がかかる人はむしろ地元の人なのだ。

もっと大きな目で金の流れを見てみよう。
田舎暮らしをするということは、都会から田舎に金が流れるということでもある。
都会で何十年も働いてためた金を田舎で使うということでもある。
田舎にとってこんないいことは無い。
もしも田舎暮らしをしなかったらその金は都会に、あるいは海外旅行で外国に流れる。
それでみんな田舎に来て金をどんどん使ってほしい。
それが田舎の活性化につながるのだ。
ただ将来に対して不安があるなら金はあまり使わないでためておくだろう。
そしていずれ遺産となって都会暮らしの子供たちにその金は流れていく。
それで将来に対しても安心して暮らしていける社会であってほしい。
老後の不安を抱えながら生きていくのでなく、自分で稼いだ金は安心して自分で使ってしまえる社会であってほしい。
政治家に望むことは目先のことではなく将来に対するビジョンなのだ。

というわけで若い人もお年よりもみな田舎に来てほしい。
お年寄り拒むような田舎が理想的な田舎と言えるだろうか?
そんな田舎に住みたいだろうか?
来る人を拒まない、そんなおおらかな田舎であってほしい。
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鳥インフルエンザ

2011年02月17日 03時49分45秒 | 田舎暮らし
各地で鳥インフルエンザが発生している。
そして各地で大量に鶏が殺されている。
今度はかなりやっかいだ。
インフルエンザにかかったからといって殺すのには反対だけど、
それでも口蹄疫のときと違って人間にも感染するとなると、
なかなか反対とは言いづらくなる。

鹿児島のマナヅルがインフルエンザに感染した。
どうするんだろうと思ったら、やっぱりね。
天然記念物だったら殺されないで済む。
殺さなかったら絶滅するかというとそんなことは無い。
死んだのは一部のツルだけ。
ほとんどのツルは元気にシベリアに帰っていった。
こうして野生の鳥はインフルエンザに対して抵抗力を持つようになる。
ところがインフルエンザにかかったらすぐに殺されてしまう鶏はいつまでたっても抵抗力はつかずに、大量殺戮の運命から逃れられない。
鶏も天然記念物だったらよかったのにね。
確か天然記念物の尾長鶏がインフルエンザにかかったらどうなるのだろう?

ともあれ遅ればせながら鶏小屋と山羊小屋の前に石灰をまいた。
こんなんで効くのかなと疑問に思いつつも、まあしないよりもましだろう。
石灰を頭からばさっとかぶったらいいのかもしれないけど、もちろんそんなことしたくない。
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吉野屋

2011年02月15日 01時52分18秒 | 食の話
吉野家に行った。
いったい何年ぶりだろう?
10数年ぶり・・・?
昔はよく行った。
吉野家で昼食代を浮かせて呑み代にまわした。

今は昼はほとんど外で食べることは無い。
それに近くに吉野家は無い。
それでながいこと吉野家には行ってなかった。

でも最近困ったことに市の中心部に吉野家ができた。
これは挨拶しなければなるまい。
というわけで吉野家に行った。

吉野屋に入るといつも鶏舎が頭に浮かぶ
並んで餌を突っつく鶏を。
ここでは食事を楽しむのでなく並んで牛丼を胃の中に流し込む。
ゆっくり食べてはいけない。
さっと食べてさっさと引き上げる。
それが吉野家のプロというものだ。

店は昼時混んでいた。
ちょっと待って座った。
うんうん吉野家はこうでないといけない。
でもなんか雰囲気が違う。
店員はみな女性。大きな声を出してはいるもののもうひとつ雰囲気が・・・
いかにもバイトという風な男の店員がいないと・・・

牛丼と豚汁を食べた。
吉野家は他の牛丼チェーン店よりもやっぱり美味い・・・と思ってたけど、なんか昔と味が違う。
こってり感がない。
豚汁もこってりしてなくて素人っぽい。
あれこんなんだったかな?
店によって味が違うのだろうか?
でも大阪で食べてたころはどの店も同じ味だった。
地域によって味が違うのだろうか?
それとも10数年の間に味が変わったのだろうか?
それはあるかもしれない。
他のチェーン店との値引き競争で次第に味が落ちて行ったのかも・・・
あるいは変わったのはこっちの舌のほうかもしれない。
ここに住んで食事は菜食中心に変わったから・・・
それもあるかもしれない。
ともあれ、これでもう一生吉野家に行かなくても後悔することは無いだろう。
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チョコレート

2011年02月14日 18時36分40秒 | 食の話
チョコレートは偉い!
今ではチョコレートはそんなに高くはないけど、とっても高いのもあるけど、でもみんななんか高価に見える。
駄菓子の中に混じっててもひときわ目立っている。
「あたし、あんたたちとは違うんだからね」

駄菓子のイメージは「地場産」チョコレートのイメージは今では死語となった「舶来品」。
森永のミルクチョコレート、グリコのアーモンドチョコレート・・・子供のころはわくわくしながら食べた。
今ではめったに食べることはないけど、それでも食べるとなんかわくわくする。

板チョコは大人のチョコレート、子供のころはやっぱりアーモンドチョコレートが好きだった。
歯にやわらかいチョコレートの中に固いアーモンドが入っているその食感が好きだった。
パンを買いにいくとすぐチョコレートパンを選んだ。中にいっぱいチョコレートが入っているのが好きだった。
中に洋酒が入っているのはもっと好きだった。バッカスチョコレートやウィスキーぼんぼん。大好きだったけどちょっと高かったのであまり食べられなかった。

今日はバレンタインデー。
年に一度男が「あれっ、俺って意外ともてるんだなぁ・・・」と錯覚する日。
最近はさすがにほとんどもらうことはなくなったけど、といって昔だって義理チョコ以外は対してもらうことも無かったけど、それでもやっぱりもらったらうれしい。
誰からももらえなかったら「あんなのみんな業者の陰謀にのせられてるだけじゃないか・・・」とひがみのひとつも言いたくなるけど、でもまあそこはおおらかに楽しんだらいい。
いっそ1年の中の1日だけとけちなことを言わないで、1年中バレンタインデーにしたらどうだろう。
もし毎日チョコレートを、それも酒入りのチョコレートをもらえたらうれしい。
なんなら中身の酒だけでもよい。

ただホワイトデーはよくない。
これこそ業者の陰謀。バレンタインデーの2番煎じでまたまた儲けてやろうという意図が見え見えだ。
というわけで1年中バレンタインデー。ホワイトデーは無し。というのはどうだろう。
そしてチョコレートは酒入りに限る。それも中身が多いほどいい、という線で決めたいのだけど・・・

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田舎暮らし断想~食料自給率

2011年02月13日 19時10分53秒 | 田舎暮らし
みんな食料自給率が40%しかないと聞いてことさらに騒いでいる・・・ように思う。
でも危機感をあおる裏にはたいていそれを飯の種にしようという人間がいる。
地球温暖化を飯の種にする人間。
鯨を守れ!といって、それを飯の種にする人間・・・
大切なのはそんなことに振り回されないでしっかりとした自分の目を持つこと。
そのためにはいつも別の立場からものを見る訓練が必要だ。

食料自給率が40%・・・この数字はとても意図的だ。
世界でも類の無いこのカロリーベースの数字をわざわざ出すのはことさらに自給率の数字を下げようという意図を感じる。
もっと自給率を上げよう!もっと補助金を出せ!!もっと予算を増やせ!!!という役人の意図を。
生産現場から見ると40%はうそだ。
いったいどれほどの野菜が形が悪いというだけで無駄になっていることか。
売る手間が面倒だといったいどれほどの野菜を畑で腐らせていることか。
米も野菜も金にならないといったいどれほど田畑を遊ばせていることか。
消費者現場から見ると40%はうそだ。
「賞味期限」のためにいったいどれほどの料理や食材が無駄になっていることか。
食べられるかどうかは自分で判断したらいいじゃないか。

たしかに食料自給率を上げるためにはもっと補助金を上げるか、日本の農業がもっと強くなるほか無いだろう。
しかし補助金は日本の財政事情を考えるともうあまり出せないのは明らかだろう。
そしたら日本の農業をもっと強くするほか無い。
農業の生産性は土地の広さできまる。
どうしてフランスが農業大国なのかというと、農村の人口密度が日本の1/10、つまり畑の広さが日本の10倍あるから大規模な農業ができるのだ。
ちなみにアメリカは日本の100倍。これではいくらがんばっても日本の農業はアメリカはもちろんフランスにもかなわない。
そう考えると田舎の過疎化が問題になっているけど、過疎化はむしろいいことのように思える。
逆にもっと過疎化を進めて田舎の人口を今の1/10にしたらよい。
そして大規模農業をするとフランスに対抗できるようになるだろう。
政府が進めている営農組合による大規模農業も農業人口の減少につながる。
自治体が進める若い就農者への就農支援も農村の人口を減らすことにつながる。
なぜなら農業で暮らしていくにはもっと広い土地が必要になってくるからだ。
1ヘクタールの土地で米を作っても売り上げは100万円にもならない。
大規模化しないと暮らしていけないのだ。
営農組合も若い就農者を呼び入れることも田舎の過疎化を前提とすることでもある
そうなると自給率を上げるためには大規模化に不向きな中山間地の切捨てと少子化対策の逆、もっと人口を減らすことが必要になってくる。
もちろん少子化対策をしなければ高齢化してくるだろう。
しかしそれも後20~30年の話。
そのうち団塊の世代はみな死んでしまって、人口のバランスはよくなってくる。
ただ人が減ったからといって大規模農業ができるとは限らない。
農家は土地を売りたがらない。
そのためそのままでは耕作しない田畑が増えるだけだ。
そこで休耕田に金を出すのではなく逆に宅地並みの課税をすればいい。
すると売るか人に貸さざるをえなくなるだろう。
こうして田畑は広がり大規模化する。
農業の生産性は上がり逆に人口は減る。
これで長期的には日本の農業は強くなり食料自給率も上がるだろう。

政府は何もしなくてもよい。
少子化対策などする必要は無い。
田舎の過疎化対策も要らない。
田舎に補助金をつぎ込むことも無い。
ただ休耕田に宅地並み課税をするだけでよい。

そして里山から人が消えて中山間地は荒れて自然に戻る。
ところでこんな田舎に住みたいですか?
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2011年02月12日 16時27分23秒 | 田舎暮らし
雪が降った。
雪が積もった。
東京でも雪が積もったといってニュースになった。
でもうっすら積もっただけ。
あんなものはここでは雪が積もったとは言わない。
せめて5センチは積もらなぁ!
するとここからちょっと北に住んでる人はきっと言うだろう。
「えっ、5センチ?そんなの雪が積もったとは言わないよ、せめて20センチは積もらないとね」
するとさらに北の山奥に住んでる人は言うだろう。
「えっ、20センチ?それで雪が積もったって?1メートルも積もらないと、ここでは雪が積もったなんて言わないよ」

雪を自慢しても仕方が無い。
うれしいのは初雪だけ。
いつにもまして明るい日光に新雪がとってもまぶしい。
真っ白な雪に長靴の足跡をつけるのが楽しい。
キュキュと踏みつける雪の音も心地よい。
でもすぐにうんざりしてくる。
雪をうれしがるのは子供だけ。
おじさんたちが雪だるまを作ったり雪合戦をして喜ぶ光景はあまり想像したくない。
ましてこの冬何度目かの雪ともなるともううんざり。
早く春が来ないかなぁと思う。
でもまだそれはもう少し先の話。
蝋梅の花芽はまだ固い。
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地球温暖化と寒冷化

2011年02月11日 22時02分25秒 | 雑感
久しぶりに雪。
うっすらと積もった。
今年の冬の寒さはこたえる。
地球はもっと温暖化してほしいと思う。
地球温暖化をことさらに騒いでいる人間にはシベリアで暮らすことをお勧めしたい。
いったい温暖化と寒冷化のどちらがいいか。
答えはきまっている。
誰もシベリアや南極で暮らしたいとは思わないだろう。
温暖化で困ることがあるだろうか?
まったく思い浮かばない。
海面が上昇して日本の大部分の都会が海に沈む・・・なんて本気にしてる人がいるだろうか?
30年後の人は足首まで水に使って暮らしているだろうか?
100年後の人は膝まで水に浸かって暮らしているだろうか?
それは漫画の世界。
水があふれそうになったら誰だって堤防をあげるだろう。
オランダ人は何百年も前から水面下で暮らしているじゃないか。
困るのは温暖化ではなく寒冷化。
過去地球では寒冷化によって多くの生命が絶滅した。
巨大隕石の衝突、あるいは巨大火山の噴火・・・これだけで地球は寒冷化して多くの生物が絶滅した。
怖いのは寒冷化のほうだ。
縄文時代は今よりもずっと暖かく、海面は高かった。
縄文時代は車も石油製品も無かった。
としたら温暖化の主たる要因は人工的な2酸化炭素の問題ではない。
太陽の黒点など自然の要因なのだ。
100年後の太陽の黒点の動きなんて誰もわかるものか。
ことさらに地球温暖化を騒ぎ立てる人間はきっと温暖化を飯の種にして一儲けしようと思っているのだろう。
日本がシベリヤになるよりも熱帯地方になるほうがずっと楽しいじゃないか。

今年の冬は寒い。
もっと地球が温暖化してほしいと思う。
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