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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

東海道歩き旅(32) 箱根宿から箱根湯本へ

2020年03月18日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月18日(水) 6/18℃ 

東海道歩き旅(32)
箱根宿から箱根湯本へ
 
 今日 箱根の車道は雪が溶けて歩道も歩けそうな情報。 でも旧東海道の石畳は行ってみないと分からない?
 早朝のバスを調べたら小田原を8時に出て箱根関所跡へ向かうバスがあり、再度先日雪で歩いて下れなかった箱根宿へ向かうことにする。
 
 一昨日箱根の宿の主人は、4月中旬ごろ雪が溶けて良い季節にまた来て下さいとの事だったが、せっかちでこだわりの性分からバスに乗った区間はぜひとも戻って歩かなければ東海道の歩き旅にならないと拘る。
箱根のバス道と旧東海道の道とは別々だが、箱根関所跡に8時50分に到着。
 
芦ノ湖から凛としたきれいな富士が望めるのはラッキーだ!
 ところが箱根の山は思った以上に寒く冷たい これでは旧東海道の石畳の上など滑って危なくてとても歩いて下る事は難しいかな??
 
 様子を見るためしばらく箱根宿周辺の名所旧跡を訪ねる。 先日突然の大雪で遭難寸前状態? で辿り着いた箱根宿と様変わりでビックリ!  
 
 
 
 
 
 
 
江戸の杉並木を通り芦ノ湖・元箱根へ向かう
 
 
 
芦ノ湖は見事に晴れて富士山も見える
 
 
 
 
 
ここまで来て、ここは爺の山歩きの勘で下れそうだと判断し、元箱根前から旧東海道に入る  いよいよ箱根旧街道の下りだ
 
 
 
 
元禄年間に医師として来日したドイツ人シリルモンタギューバーニーが「日本誌」で箱根の美しさを紹介し、自然保護の精神を訴えかけたと言うがその記念碑をみる
 
 
 やがて江戸時代から続く街道の石畳、旧東海道の中でもこの箱根にはその名残り豊かだ  しかし現代人の我々にはこの道は最悪だ  平な石は少なくほとんどが玉石のため、雨や雪でなくても苔むした石に足を滑らせ何度転びかけたかわからない    以前山の中で苔石に足を滑らせ頭の額を破り、救急病院で何針か縫った事があるので余計に慎重で、足元ばかり見て一歩一歩と慎重に足をかけて下るので疲れることこの上もない
 
 
 
残雪は思ったより大したことはなく、下山するまで大丈夫のようだ
 
 
 
 
 
 それにしてもこの何キロにも及ぶ街道を石畳として埋めるには数百万個もの大きな石が必要なので当時の作業は大変だったと思うが、当時は国と国との争いが激しく大軍の進軍を阻止するために意図して凹凸に作られたとも言われるが、旅人は相当苦労したと実感する
 
 江戸時代から続く甘酒茶屋に着く  今はもうこの一軒しかないとか  名物の甘酒と田楽をいただくが、その藁葺きの家屋が当時のままのような雰囲気で趣があった  外人さんが一人、正座して庭を眺めていた
 
 
 
 
 一息ついた後再び旧東海道の石畳を慎重に下り畑宿に向かう  
 
 追込み坂、猿滑坂といった旧坂をくだるが、足が思うように上がらなく、滑るし転ぶし緊張するし景色どころではない
 
 
 
 
小田原の街が見えてきたが・・
 
 
雲助への誤解があったが納得
 
玉石の急坂が続き、足は神経も使うしもう棒状態だ
 
 
 
 やっと畑宿に着く 畑宿は小田原と箱根の間にある間宿だが、江戸後期に土産物として寄木細工が始められその中心となった
 
 
 
畑宿では一休みしただけで先に進む
 
 街道を進むと鎖雲寺 飯沼勝五郎 初花の墓とある  芝居でも有名な箱根での仇討ちだそうだが見たことがないのでわからない
 
 
  やがて山の中には不釣り合いなような金ピカピカのお寺があったが素通りし、猿橋を経て箱根湯本の街へと下った
 
箱根湯本に着いた  やったー!!  
やっと念願の箱根峠を登り降りできた。  14日の雨と雪で登りは遭難するかのように散々だったけど無事下山でき、これは人にはわからない自分だけの満足感だ。
東海道五十三次1番の難所、箱根峠を自分の足で登り下りできたのだから...
 
咲き始めた桜の花が労ってくれてるようだった。
 
今日は17.5km、24366歩だった。 短いようだが、今日の石畳の箱根下り坂は足膝腰肩の疲労は昨日30km近く歩いたよりも3倍以上の疲れが残った。 
 でもこの達成感は人にはわからない自分の喜びと嬉しさで、熱い湯船の中で両足膝腰肩と体全身をゆっくりと感謝しつつ労わった。
1人で乾杯するビールが旨い‼️
コメント
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