幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

東海道歩き旅(35) 平塚宿から藤沢宿、戸塚宿へ

2020年03月19日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月19日(木)  7/21℃  晴

東海道歩き旅(35)
平塚宿から藤沢宿、戸塚宿へ
 
 昨日の箱根旧街道、何キロにもわたる石畳を下り、もう両足とも昨夜からガクガクで今朝からも悲鳴をあげている。 珍しく両足の太ももはパンパンになっている。
 休ませてくれー と言わんばかりに足を引きずる...   家にいる時なら同調するのだが、今は江戸まで歩かねばならんのだから頑張れと言うしかない。 両足をしっかり揉みながらがんばれがんばれと声をかける。
しかしいつもの靴に足が入らないが、何とか無理矢理押し込んで1歩1歩とゆっくり歩き始める。
 
平塚宿を歩く 江戸日本橋から15番目の馬入りの一里塚へ
大正の架橋記念碑から 馬入橋を渡る
 
史跡 旧相模川橋脚碑
 
 
国道の激しく車が行き交う路肩に咲くスミレの花 しばし見とれる
鳥井戸橋の左富士之碑
その向かい前に見る鶴峯神社
やがて茅ケ崎一里塚前から松並木道を進む 
 
 
牡丹餅茶屋跡から
東海道沿いには歴史を感じる
 
必死に祈る人が・・ 女性の願い事なら何でも叶えるとか?
 
 
藤沢宿へ入る。  藤沢は鎌倉時代から遊行寺の門前町として栄え、藤沢宿場の成立で更に大きな発展を遂げたという。  門前町としては江の島が約一里と近くにあり、弁財天参拝や大山参りの分かれ道でもあったので参詣時期にはより賑わったようだ
 
白旗神社に入る  義経首洗いの井戸などどうも生々しいのは苦手だが、歴史遺産をみる
 
 
 
藤沢宿の史跡が随所に見られる
 
 
 
藤沢宿の歴史を学ぶ
 
 
 
境川の遊行橋を渡り遊行寺へ  ちなみに武蔵の国と相模の国との境目なので境川という  なお遊行寺は正式名を「藤沢山無量光院清浄光寺」といい、宗祖一遍上人は踊り念仏で往来安楽の境地へ至れると説き全国を遊行したので「遊行寺」と俗称されているという
 
遊行坂をふーふー生き弾ませながら上る 
 
 
 
やがて戸塚宿場へ入る  江戸から丁度10里にあり、保土ヶ谷宿と藤沢宿間が長いことから作られたとか  戸塚宿は大山道、鎌倉往還との分岐点でもあり、大山参拝客や鎌倉古寺を訪れる人々に人気があったようだ
諏訪神社を経て進む  
 
陽光桜という名前とか
 
原宿一里塚跡前の坂道を上る
松並木から藤沢の長いパイパスを経て丘の上にでる  昔はこの辺から富士山が眺められたというが見えない
 あの「仮名手本忠臣蔵」の有名な場面で、戸塚山中のお軽勘平道行きの場面がこの辺りという由縁からか? お軽勘平道行きの碑が建つ
 
 
 
随所に史跡などを見ながら大坂道を下る
 
 
戸塚の地名の起源となった神社、富塚八幡をみる
 
門前に芭蕉の句碑が立つ
八坂神社をみる
戸塚宿の史跡を巡りながら歩く
 
 
 
ヨコハマザクラという名前とか  初めて見たが、各地で桜が咲き始めた
 
戸塚宿はヨコハマなんだと、改めて知る
戸塚一里塚跡
 
 
今日はまだ歩き足らないのか?  足は東戸塚へ向かう
 
 
今日もよく歩いたが、昨日の今日なのに両足が予想外に元気なのにびっくりだ。  体の方が逆に付いていくのに必死だったが、宿に着き熱い風呂につかり足膝腰肩に声掛けをしながら揉んだりして労う。 
 
コメント
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