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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

手塚治虫少年と箕面の森

2020年08月15日 | 夏・八十路の青春賦

8月15日(土)27/37℃ 

今日から3日間は 別のmyブログ 「箕面の森の小さなできごと」 より、箕面(みのお)の人模様を再掲し箕面の森に浸ることとする。

手塚治虫少年と箕面の森

 阪急電車・箕面(みのお)駅前から滝道の昆虫館の近くには、捕虫網とカゴを持った子供が多く見られます。  前の箕面渓流の岩場には、裸になった少年二人が網を持って、川トンボを追いかけています。

 それにしても昆虫少年なんてしばらく目にしませんでしたが、最近はブームになってきているのでしょうか?

 私共の子供の頃は、夏休みの宿題・課題にといえば、遊びをかねて当たり前のように山、川、森、畑など野山を駆け巡って、セミや蝶々、トンボ、それにクワガタなどのいろんな昆虫採集や植物採集に精を出したものでしたね。

 この箕面の森には約3500種類の昆虫がいる日本有数の生息地とか・・ その資料、標本展示、観察、飼育、相談などができる昆虫館(大阪府営箕面公園昆虫館)が、この地にあることは何ともありがたい事です。

 付設の放蝶園では年間4000頭の蝶を飼育し放蝶しているとか、常に数10頭の珍しい蝶々が年中園内を飛んでいますよ・・

 私は冬の寒い時期に、ここは常に室温23度位に保たれているので、温かさを求めて? ときどき立ち寄ります・・ 肩や手のひらにとまった蝶々を見ていると、心が和みます。

 今日は、久しぶりに紅葉橋から化石谷を登り、望海展望台から才が原林道・谷山・勝尾寺南山へ向かいます。

 少し、山道が荒れていますが、ここは瀧安寺の南裏山にあたるので、鎮守の森のごとく樹林が保護されてきた為に大木が多く、ヒノキ、ケヤキ、クス、ヤマザクラ、アラカシ、モミジ・・ などで鬱蒼とした森です。  しかし、この暑い日差しの中では太陽が遮られて、ありがたい涼しさを運んでくれます。

  登りきったところで・・ 一台の四輪駆動車が止まっています。  歩きながら何気なく覗いてみると・・ なんだ?  それはまさに昆虫採集車? の様子で、いろんな捕虫網が見え、採集道具なのか? カゴや箱などが見えます・・  かなりのマニアなのか、年季の入った本格的なものです。  どんな人なんだろうか?  この辺で何が採集できるのかな? 

  私がそのマニア? の方を気にしながら、才が原渓谷を覗いた時です・・ 下の遠くのほうで網を振って何かを追いかけているおじさん? を見つけました・・  白い帽子が後ろに飛んだのか?  紐が首にかかり、それが為に白髪がよく目立っています・・  一見 大学の教授タイプの風貌です。  その姿は、まるで好奇心いっぱいの少年のようで、私はクスクスと笑ってしまいました。  やがて樹木の陰に隠れて見えなくなってしまいましたが、何とも羨ましい気持ちになってしまいました。

  話は変りますが・・ 昨日、いつもの古本屋で、また1ドルで見つけた本を読み終えました・・ 手塚治虫著 「昆虫つれづれ草」(小学館文庫) 復刻版ですが、私が子供のころよく読んだ 「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「新宝島」「ブラックジャック」など、漫画の神様と言われた手塚治虫が、まさか医学博士で、しかも昆虫少年だったとは知りませんでした・・  更に、この箕面の森で蝶を追いかけていた・・ とは驚きです。  

 日本がまだ戦争していた時代の話ですがね。  さきほど見かけた大学教授少年? が、蝶を追いかけていたのを見たついでに、ご紹介致しましょう。

  この本は、昭和19年3月、手塚治虫 が大阪府立北野中学(旧制)の3年生の春休みにまとめた随筆集で、発行所 治虫堂 とあり、自筆のガリ版ものです。

 その昆虫、生物に対する観察記録や細密な描写、またその研究や表現画力は仰天する物があります・・  蝶に関する記述だけで200余ページもあり、とても旧制中学生の文章とは思えませんが、それだけにその後のあの「鉄腕アトム」などの、とてつもない発想が生まれてくるのでしょうね。  ここでは、その手塚少年と箕面の森との関わりが書かれたエッセーの部分を転記してみましょう・・・

 「・・・目の前を黒い大きな影が横切った。  ”ハッ” と 網を取り直して身構えると、その黒影は悠々と崖下へ下りて行く。  ”オオムラサキだ!”  私はとっさに思い浮かべると、顔中熱くなった。  興奮したのである。

 オオムラサキ目当てにきた今日の箕面採集、目前にその目的物が悠々と通り過ぎるのに、一体貴様は何をボーッとしていたのだ!

 私は我と我とが胸にしかりつけて、すぐ飛んでいこうとしたが、どういうものか、足がいうことをきかない。  心ばかり焦っても、足が前に進まないのである。  諸君もこんな時があったに違いないが、のぼせあがったせいか、とても苦しいものである。

 その内に蝶はどんどん先へ飛んでいってしまって、ハラハラしているうちに谷川に舞いおりた。 そして付近の岩の上にハタとハネを広げた様子をみると、まさにオオムラサキだ!

 サア捕るんだ、と思ったら足がやっと自由になった。  が、あたりを見回した私は再び愕然となった。  杉の茶屋のあたりから、ぞろぞろと来る子供の一連、中には生意気に、胴乱と捕虫網を携えているではないか。

 私が何かを狙っている事がしれたら、きっと邪魔するか、横取りに向かうだろう、否、そうでなくてもここへ来たが最後、方々を荒らし回って、必ず獲物をにがしてしまうにきまっている。

 そう一人考えた私は驚き、かつ心配したが、やがて気を取り直して谷へそろそろ下りていった。  谷を下りきるまで、オオムラサキは時々 ビクッ ビクッ とハネを動かして私をドキドキさせたが、マア何事もなくして川辺へ下りきれた。

 後ろではもうガヤガヤ子供の笑いや話し声が聞えてくる。  ”早く早く” と心ではあせりながらも、一歩一歩慎重に足を運ばせて岩に進み寄る。  他人が見たらその時の私の格好は、あたかも空き巣ねらいが廊下を忍ぶ時の姿に似ていたと言うに違いない。

 遂に岩のすぐ前に来た。  オオムラサキはハネをいつの間にか閉じてジッとうごかずにいる。  さあしめた、もうおれのもんだとばかり、網をそろそろ持ち上げると突然一陣の風! 私は逃げられると思うとドキッ! として思わず叫び声を上げんとした。

 しかし、神はまだ吾を見捨てなかった。  オオムラサキは平然と、確かに我が目の前にいるのである。  いよいよ決心を固めた私は、とうとう網を、上げて、それから思い切って伏せた。 「カシャッ」 と鳴って、捕れた!  ああ旧来の望みは遂に報われたのだ。

 網の中でオオムラサキはカサカサ暴れている。  後で三角紙に収めて歩き出し私は、一人で邪魔が入りはせぬかと気をもんだのを、笑いたくなった 」 と。

  あのダルマメガネにハンチング帽をかぶったかつての手塚少年が、箕面大滝の上流にある 「杉の茶屋」 あたりで蝶々を追いかけている姿が目に浮かび、私は一人クスクスと笑ってしまいました。  まだ、ドライブウエイができる戦前のことですから、きっと深い谷間の事だったでしょうね。

  「箕面は山岳地帯で多くの昆虫学者を育てた昆虫相が豊かな場所・・」  「箕面ではオオクワガタを子供が虫かごに入れて50円から100円で売って小遣い稼ぎをしている・・」と、「虫聖と言われる偉大な昆虫学者、江崎悌三博士の本 ”誰が箕面で初めて採集したか?” (思索社刊) に、箕面の虫事情が書いてあり、手塚治虫も文中に名が出ている・・」 と解説にありました。

  暑い夏ですが、昆虫館や箕面の森の博物館&図書館(箕面ビジターセンター内)で、セミ合唱隊のコンサートでも聞きながら、こんな調べものをしてみるのも楽しいかもしれませんね。

 でも、宝塚市立手塚治虫記念館には、その少年時代に描いたという昆虫のリアルな絵などが展示されているとかですから、一度見に行ってみたいものです。

  私も森の中で珍しい蝶々に出会うことがあります・・ 写真を見るとオオムラサキにも出会っていそうですが・?  何でも国蝶とか、更にあの手塚少年が箕面の森で追いかけていた貴重な蝶々だと知ると、これからは他の蝶々も含めて見る目も違ってきそうです。

  もっとも、見た端から忘れていくようでは、図鑑にたどり着くまでには、もう何だったか思い出せないかもしれませんがね・・・ トホホ! 

コメント
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