3月16日(月) 3/11℃
3月15日(日) 3/11℃ 晴曇
東海道歩き旅(30)
沼津宿から三島宿へ
3月11日(水)10−21°C 晴
3月10日(火)8/12℃
3月8日(日)9/14℃
東海道歩き旅(26)
府中宿から江尻宿、興津宿へ
朝4時に起床し、8時半には静岡に着き、先週最後に終えた府中宿を出発する。 今日は江尻宿から東海道53次17番宿場の興津宿を目指す。 静岡は雨、しかも終日本降りの雨だ。 時折り横殴りの冷たい雨風が吹き付け折りたたみの傘などは役に立たない。
雨の静岡駅前の徳川家康公之像前にて
清水港を訪れたいものの先ず旧東海道から江尻宿、興津宿を目指すことにする。 手と顔が雨と風の冷たさで感覚が鈍りガチガチとなり自販機の缶コーヒーで温める。 江戸時代の人々はこんな雨の寒い日はどうして体を温めたのかと思う 人もまばらな東海道を進む
旧東海道記念碑の前に立つが、迷いに迷っての到着だった
草薙の一里塚にて 横の狸八相縁起が面白い
江尻宿の江尻とは川の尻、つまり下流と言うこと 江尻宿は巴川が造る砂州上にできた宿場である 宿場の中心は今の清水商店街だが昔の面影はない しかし駿河国内では一番大きな宿場として栄えたようだ
1695年創業の追分羊羮の店を訪ねるも日曜日は休業で残念!
清水商店街の昔、この辺は旅籠屋が軒を連ねていたようだ
稚児橋から江尻城跡へ 今はもう面影もないが、江尻城は1569年、武田信玄の命により作られた城で武田信光、山懸晶景、穴山梅雪などが城主となったとか、しかし関ヶ原戦いの後は廃城となった
巴川に架かる稚児橋は江戸時代に建設された折のエピソードによる河童の童子像が乗る
江尻宿を後にし、興津宿(おきつしゅく)を目指す 雨は益々強くなり靴の中は雨水、服もずぶ濡れ状態だった
興津宿に入る
東海道・興津宿の碑の前にて
興津駅の近くの線路沿いには「撮り鉄」の若者で一杯! 何かラストランがあるかららしいが!? 傘もささずひたすらカメラを構える姿は外から見れば異様だが、自分も人のことは言えないがいろんな趣味があるものだ
雨の日は前回スマホカメラの操作を間違えて当日撮った数百枚の貴重な写真を回復不能としてしまいショックだったが、何かついてないので注意せねばと思っていたのに、今日は宿につき何キロ歩いたかな? と楽しみに見たApple watchが電源0で、連動するスマホも記録ゼロ・・ そんな〜 と天を仰ぐ!
しかし、今までの時間記録は平均3.5〜4.0km/時なので、今日は8時間歩いたが時間3kmとして24.0kmと記録した。 あまり寄り道もせずによく歩いたが冷たい雨と寒さに閉口した。 宿で熱いお風呂に入り、ワインとコンビニ弁当を食べたらもうバタンキューだった。
明日は興津宿から由比宿、そして旧東海道15番宿の蒲原宿へ向かう予定だが、お天気が良ければいいのだが・・
3月7日(土)3/13℃
わざわざ好き好んで~
今朝目覚めると春らしい快晴のお天気! 気持ちのいい澄んだ冷たい空気に深呼吸も一瞬控えるが、でも気持ちがいいーー
目の前の公園では早くから多くの老人方が散歩したり、体操したり、ジョギングしたり、犬の散歩したりと行動的だ。
私より一回り上の信州の叔母から どうしてる? と電話があった。 元気に歩いてる・・と伝えると、まーわざわざ好き好んでそんな遠くまで歩くなんて・・ と開いた口が塞がれないぐらいに呆れられた。
昔の老人は75歳ともなると今頃は畑を一回りしたら朝からこたつに入り、猫を膝に新聞読んだりラジオを聞いたり、野沢菜や信州リンゴを口にお茶を楽しむぐらいだった・・ とか。
健康寿命が延びたのか今の世代は当時の7掛けとか聞いたので75x7で今52.5歳だ。 まだこれからだと元気になる年齢だ。
明日からの歩き旅の荷造りをする。 背負うリュックをできるだけ軽くと思うが、どうしても10数kgとなり、体重と合わせると80数kgとなり両足腰肩体の負担となるが、これもヤドカリみたいな? 歩き旅の醍醐味だから楽しむしかない。 ヤドカリは世帯道具一式を担ぐが? そんな家を担ぐ位の重いものでないので気が楽だが、さてこれで天下の剣、箱根峠越えが出来るのか? 自分の体力と知恵に我ながら楽しみだ。
・わざわざと呆れる叔母の歩き旅
・その昔爺さん居眠り炬燵かな
・いま昔健康寿命7掛けと
・ヤドカリに似てる姿で歩き旅 頑爺
TVを付けると感染した豪華客船が映り、なんだか無残な姿だ。 何年か前にこの絵を描き自室に飾るMSCの豪華客船だが、当時は描きつつも夢がいっぱいあったものだが...
(* 歩き旅の間はいつもバタンキューでBlogを書く時間も余裕もないのでいつも休みとなるが、今回は新しいiPadをリュックに入れたので少し挑戦してみようかな!?)
3月6日(金)3/13℃
すべてキャンセル!
新型コロナウイルスの影響で、ここ数日で参加を予定していたいろんなイベントや催しが次々と全てキャンセルとなった。 少人数のサロン的な絵の教室も予防策からしばし休みとなり、友人は楽しみにしていた海外旅行も全てキャンセルになったと憤慨していたが、この時期子供から老人まで総国民がこの蔓延を防ぐためにはしばらくは堪えないといけないようだ。
そんな時だが予定がなくなり、自分はやはり東海道歩き旅を完遂させようと、また明後日の8日から歩き始めることにした。 一人歩き旅なので宿が開いていさえすれば日中は多くの人と出会うことも殆ないため影響はないように思う。
先週区切りとした旧東海道53次の19番宿場、静岡・府中宿から江戸・日本橋を目指し、更に二人の曾孫に会うために孫夫婦のいる千葉の浦安まで歩き、その望みを叶えられたらと夢見ながら歩く。
旧東海道は天下の剣、箱根峠を歩いて超えるのがプレッシャーだが、ゆっくりノンビリのマイペースだが頑張ってみよう・・
75歳に感謝し記念にと歩き旅に出た。 大阪・箕面(みのお)から高麗橋・大坂城を起点に京街道の57次を歩き、京都三条大橋から弥次・喜多さんに見送られて旧東海道53次を歩き始め23日目、静岡・府中宿へ着き、再び弥次・喜多さんと出会ったのだが、この間の総距離はapplewatchとスマホのアプリから 579.4km(一日平均25・19km) 790.365歩(一日平均34.363歩) で、ドン亀歩きにしては今のところ上々だと自分の足腰肩体に感謝する
・コロナだが世界を動かす力持つ
・人々の生活脅すコロナかな
・予定消え歩く旅路をまた探す
・ウイルスは大気に弱いと歩き旅 頑爺
先週、府中宿・駿府城の弥次・喜多さんと一緒に写真を撮ったが、頑張れよ!! と励まされ、またここから次の宿、江尻宿、興津宿、由比宿・・ へと歩き旅を始める。
(* 先週までの旧東海道一人歩き旅は<23日目>まで、ブログに遡ってUPした)
3月5日(木)5/10℃
桜の季節へ
先ほど東海道歩き旅の掛川宿を書きつつ、資料を整理していたら掛川城で2月25日に撮った桜があり、考えたら早かったんだな~ と思い出した。
掛川桜というらしいが、早咲きなのかな? 旅の途中で時折り満開の桜を見て感激したものだが、どうやらそれは早咲きの河津桜らしい。
2月25日小雨振る掛川城にて
大阪での桜の開花は今月下旬らしいが、圧倒的にソメイヨシノが多くどこも均一的だ。 しかし一歩近郊の箕面の山などへ入るとヤマザクラ、エドヒガン、大島桜やウワミズザクラなどなどいろんな種類の桜が次々と咲き、これから山は新緑と共にいい季節だ。 それにしても各地で種類の違う桜が次々と咲き始め、各地を歩く歩き旅にはもってこいの季節が始まる。
一つ難点はこの季節、歩き旅をしつつもクシャミ、涙目、鼻水と花粉症には迷惑な季節だ。
・歩き旅 各地の桜垣間見る
・歩き旅 違いが分かる人模様
・井の中の蛙といえど世界あり
・不思議なり歩かなければ足痛い 頑爺
この桜も2月25日の東海道・袋井宿にて 桜の名称は!?
3月4日(水)7/10℃
歩き旅の準備は?
外は雨・・ 見ると公園の東屋で母子が遊んでいる。 学校が新型コロナの影響で休校となり、低学年の子供たちは家の中で退屈なのだろうな・・ お母さんも大変だろうな・・ とお察しします。
こんな質問を頂いた・・
「65歳となり退職したものの何をしていいのかわからず、自分も東海道を歩いてみようかな? ついてはどんな準備をしたらいいのか?」と。
私の答えは簡単です
「先ず東海道53次ならその西の起点、京都三条大橋の弥次喜多像の前から一歩踏み出すこと。 何の準備も要りません。 とにかく旧東海道の道を一歩一歩と歩いてみてください。 旧東海道は本屋でも図書館でもnetでも沢山の資料がありますからルートを調べるのは簡単です。
次に体調は個々に差があるものの、自分の場合はほとんど何の前準備もなくのスタートでした。 一日10kmも歩けたらとの思いも今は平均25km以上も歩け意外です。 持ち物も考えだすときりがなく、最低限でいいです。 できるだけ物は持たず軽いほうが歩き旅は楽です。 歩く度に本当に歩き旅に自分が必要なものと不必要なものが分かってきますから・・ 当初は一日歩いて帰宅してもいいじゃないですか・・
綿密に計画を立ててもその通りにはいきません。 宿や食事は今の時代当日でも何とかなるものの、自分はケセラセラの気持ちで人様に迷惑をかけない限り何とかなるさ! であるがままに自分らしく日々過ごしてます。 でも行動するには目標や目的意識は大切です。
要するに歩き旅は楽しく、興味津々に見て回り、体調に合わせ臨機応変に歩けばいい・・ 自分は歩いている間はほとんど自然と何かしらの歌を口づさんでます。 歩くリズムはいつものクラシックやジャズ、好きなブルーグラスなどでなく、偶然に聴いたEXILEの曲やリズムがピッタリだと発見し、そのATSUSHIの歌詞にも涙し青春を回顧したりと爺じいの自分でも気分一新で楽しい毎日です。
旅の途中でたまに挨拶して会話する老人の話は面白いものの、ほとんどが自分より年下で萎れてました。 まだ私より10年も若い貴方ならすぐにでも歩き旅は始められると思いますよ・・」
岡部宿から丸子宿へ向かう宇津之谷・明治のトンネルを抜ける
・歩き旅お勧め旅は一人旅
・お一人はあるがままの贅沢旅
・準備するその時間すぐ旅立てる
・現代は情報豊か歩き旅 頑爺
人さまに偉そうに言える経験はまだないものの、自分は青春時代のやり残し症候群? 当時は小田実著「何でも見てやろう」に触発された多くの若者と同じに世界一周無銭旅行や、日本一周歩き旅、アメリカ大陸横断など・・ 綿密に計画してたのに全て夢・・ その万分の一でも人生の最後に悔いなくやってみたいだけです。
岡部宿から東海道・宇津の谷峠越え 丸子宿へ向かう
所属する自然学校や自然保護団体の予定イベントもことごとく中止となったので、また8日頃から歩き旅にでる予定。 次は先週最後となった静岡の府中宿から箱根の麓まで、出来れば東海道最大の難所 箱根の峠越えをしたいもののどうかな~??
今日<*2月20日の東海道歩き旅(15)知立宿から岡崎宿、藤川宿へ> 2月21日の東海道歩き旅(16)藤川宿から赤坂宿、御油宿、吉田宿へ>を遡ってブログUP!
3月3日(火)6/15℃
ひな祭り回顧!
昔々 自分に女の子が誕生した時は神様の恵みだと真から感謝し喜び幸せに震えた。 あの日からもう幾年過ぎたことだろうか?
幼い頃は豪華なお雛様を一緒に飾った。 部屋いっぱいに並べその組み立てには数日かかったものだ。 自分は男3人兄弟だったし、子供も当初は男ばかりで全く色気も何もなかったので、女の子の誕生に大喜びだった。 しかし不器用でその扱いには全く不慣れでぎこちなかったと思うが自分では夢中だった。
アメリカに住む長男の孫娘も今年はもう大学生になる。 年月の速さに自分の頭が付いていけない・・ トホホ! 今日はひな祭りなのか・・・
・よちよちと歩く娘のひな祭り
・幼き娘(こ)共に並べた内裏様
・伴歩きバージンロードの夢をみた
・ひな祭り膝の娘は今いずこ 頑爺
今日は先日の総合健診結果を聞きに病院へ 大きな問題はなく一安心! スーパーで買い物をし、夕暮れの南公園を歩きながら帰路へ
夕暮れのパークカフェの灯りが嬉しい・・
3月2日(月)8/16℃
コロナを知らず
今回の東海道一人歩き旅の間はTVや新聞を見なかったので、帰宅しその情報を知るほどに新型コロナウイルスの広範囲な影響に驚嘆している。
歩き旅から一旦帰宅したのも今週に予定されていた自然学校の合宿で地方へみんなと出かける計画があったからだが、直前にその地域で感染者が出てしばし外出自粛などもあって中止となった。 残念だがこの現状ではそれが妥当だと納得!
出かける前も新型コロナの件は気にしてはいたものの、TVであるコメンテーターが 毎年のインフルエンザでさえ年間4000人も亡くなる人がいるので、数人の方が亡くなったぐらいで過度に大騒ぎしすぎだ・・ と言っていたのでそうなのか・・!? と安易に気にもせず旅をしていた。
2月19日 鳴海宿から知立宿へ向かう途中の桶狭間の古戦場で歴史に浸る頃、世間では新型コロナのニュースが飛び交っていたんだな・・
情報は今の時代瞬時に世界に広がりその対策も世界的だが、情報は個人がTVやネットなど自らが自主的に収集しなければその行動が促されない事、それに人は人との交わりの中でそれを知ることが多く、やはり情報も人との交わりも全く無ければ一人では生きた情報が伝わらない事も知った。 と言うのも、この歩き旅の間は江戸時代の旧東海道を一人歩きつつ当時の旅人の心境も思いながら歴史を学び、また自分の人生を回顧しながらや、足腰肩など体調や重いリュックのことなど自分の事で精いっぱいだったので他の事は気にもならなかったのだが自省している
2月27日の丸子宿では有名なとろろ汁を一度味わってみようかと初の店食に入ろうとしたら一時間も開店前で、しかも小雪降る寒さに待つのも諦めた
この旅の間は人との交わりもほとんどなく、挨拶して立ち話をしても旅の事ばかりで何ら世情を知らないできた。 それがいいのか悪いのかは別にして、今は世界的な流行期で情報不足で何も知らずは今回の大きな反省点だな~
・この時代 浦島太郎は生きている
・情報は意識しないと危機知らず
・知らずとも生きていけるが孤立也
・現代は有難いことTVあり 頑爺
今日は暖かく、歩き旅でへこんだ腹を撫でながらラーメンでも・・ と南千里の駅前に出かけたものの、済生会病院の前でPONTA像を見て考え、結局自分の腹を触りながら家に引き返した これ以上腹がでたら江戸城まで歩けないぞ!?
3月1日(日)5/15℃
緊張と緩和!?
一昨日迄 宿で朝は5時に起きて旅の準備をし、歩く用意をして心を整え、朝食をしっかりと取り体調も確認し、7時過ぎから遅くても8時前には出発して一日のスタートをきった。
今日歩く目標とその間の旧東海道の歴史や名所旧跡を大まかに調べてコースを決め、Googleナビを活用しては時間と距離を測りつつ一日をフルに活用した。 勿論体調、天候、状況による変更は多々あるものの、歩ける楽しさや感謝と共に常に緊張感があった。
というのも全て初めての土地で地理もよく分からず、特に人の気配の全くない山中や田舎道では何もなくても慎重になり緊張感もあったので、目的地に着きそして暗くなる前に定めた宿に着いたときは正直ホッとする。
足や腰、肩や頭など体中の痛み疲れを熱い風呂に浸り、ゆっくりと癒すひと時が心底一日に感謝する時だ。 昼食もほとんど抜きで歩き続け、夕食も地元の地酒や料理を味わう余裕もなく、事前にコンビニなどで買った弁当やビールを飲みながら一日を回顧するも心身ともに疲れてすぐにバタンキューの毎日だった。 (次回からはもう少し余裕を持って歩きたい)
2月26日の島田宿で東海道金谷坂を上り下りの石畳は、雨の影響もあり滑りまくり緊張の連続で両足腰が悲鳴を上げていた
2月28日の府中宿、その駿府城で弥次・喜多さんに出会い、あの京都三条大橋の出会い以来で嬉しかった
そんな日々を10日ほど過ごして一昨日一旦帰宅したものの、翌日からのこの緊張緩和? のグータラ体たらくぶりに我ながら呆れてる。 朝寝坊、朝食を作るのも面倒、風呂はまたでいいや、掃除洗濯はまあ後で、ベットでゴロゴロ、起きても何もする気なく旅の整理や後片付けもそのままにとにかく何もやる気なし!
でも2日目の今日は食べるものなく仕方なくスーパーへ食材を買いに出る。 あれだけ毎日歩いてきた足腰までが、そのスーパーへの少しの時間と距離さえもしんどい、疲れたと訴える。 なんだこの落差は!? 我ながらそのグータラぶりに改めて呆れてる。
・老いお前 ホンマにあそこ歩いたか
・グータラは家に居る時 本音が出
・ありのままそれでいいのさこの爺は
・緊張と緩和の落差ありすぎや 頑爺
と言うことでまだ2月19日からの旧東海道57次一人歩き旅の続きブログを書けてない・・ トホホ!!
スーパーの帰り道、久しぶりの千里南公園で・・
絵を楽しむ人 そうだ来週は絵の教室だ
石碑には「日々是好日 道元」とある まさに今の心境だ!