台風13号が過ぎ去った2008年9月18_19日
仕事での沖縄訪問でしたが、翌19日は沖縄を観光させていただきました。
初めての平和祈念公園で戦没者の石碑をみて少しこみ上げるものがありました。
その後、ひめゆりの塔では館内の説明員の方からの説明を聞いて
思わず涙が出てしまいました。
資料館の展示品の中に実際に使用していたという防空頭巾がありました。
ある記者が「こんなにきれいな状態の防空頭巾は不自然だ」と言われたそうです。
でもその頭巾の本人はこう言ったそうです。
「頭巾に穴が空いたりしていたら本人も生きてはいない」と・・・
何と心ない記者の質問か、と思いましたが・・・それも教育の違い?
時代の違いなのでしょうか?
当時の教育の怖さ、そして今の平和への感謝・・・
軍神、神風・・・当時の教育が、世相がどうであったかは知る由もありませんが
戦争とは殺し合うこと。この意味をどう捉えていたのでしょう
そしてどう教育されていたのでしょう。
戦争って残酷ですね。
最後は首里城へ行ってきました。
修学旅行の団体と一緒になってしまってゆっくり落ち着いて
観ることができなかったのが残念でしたが、随分と復興も進み規模が
拡大されているのに驚きました。
その殆どを焼失してしまっってからの復興作業には時間を要するもの
なのでしょう。
仕事での沖縄訪問でしたが、翌19日は沖縄を観光させていただきました。
初めての平和祈念公園で戦没者の石碑をみて少しこみ上げるものがありました。
その後、ひめゆりの塔では館内の説明員の方からの説明を聞いて
思わず涙が出てしまいました。
資料館の展示品の中に実際に使用していたという防空頭巾がありました。
ある記者が「こんなにきれいな状態の防空頭巾は不自然だ」と言われたそうです。
でもその頭巾の本人はこう言ったそうです。
「頭巾に穴が空いたりしていたら本人も生きてはいない」と・・・
何と心ない記者の質問か、と思いましたが・・・それも教育の違い?
時代の違いなのでしょうか?
当時の教育の怖さ、そして今の平和への感謝・・・
軍神、神風・・・当時の教育が、世相がどうであったかは知る由もありませんが
戦争とは殺し合うこと。この意味をどう捉えていたのでしょう
そしてどう教育されていたのでしょう。
戦争って残酷ですね。
最後は首里城へ行ってきました。
修学旅行の団体と一緒になってしまってゆっくり落ち着いて
観ることができなかったのが残念でしたが、随分と復興も進み規模が
拡大されているのに驚きました。
その殆どを焼失してしまっってからの復興作業には時間を要するもの
なのでしょう。