何とも過激なタイトルを付けてしまいました。
内容も少し過激なんで、不謹慎に、また不愉快に思われる方もいらっしゃるかと思います。
先に謝っておきます。
すみませんm(__)m
で、何が“ストリッパー”で、何が“遊女”かと言うと、私の中の“ユーミン”と“みゆきさん”のイメージです。
創作や表現って言うのは、人様に肌をさらすのと同じなんじゃないかと思うのです。
匿名で好き勝手なことを書いている私も、自分の胸の内をさらけ出すことに、快感と羞恥が入り交じります。
まあ、だからと言って、極端な例えだとは思いますがね。
不愉快に思われる方には、本当に陳謝します。m(__)m
何故ユーミンが“ストリッパー”でみゆきさんが“遊女”かと言うと、肌に触れさせてくれるか否かという差なんですね。
(あくまで、イメージです)
私のユーミンに対するイメージは、色とりどりのライトに照らされて、大勢のお客さんを相手に、舞台上を華麗に舞うストリッパー。
それも、「決して踊り子さんには触れないでください」というアナウンス付の。
対して、みゆきさんは触れさせてくれ、添い寝してくれるような幻想を抱かせてくれる遊女。
あくまで幻想ね。(笑)
昔から「中島みゆきはひとりで聞く」、「中島みゆきの歌はまるで私の(俺の)ことを歌っている」なんぞと言われ、一体一の関係で聞いてる人が多くて、そういう幻想を抱いている人も多いように思うのです。
なんせ、コンサート評で、「みゆきはぼくらひとりひとりを見た」(満月みゆき御殿)と書かれたぐらいですから。(笑)
私も、その幻想に浸る一人です。
みゆきさんの場合、「歌暦」の緋い襦袢を着崩したジャケ写を見るかぎり、ご自身でそうイメージを作っているのですから、戦略にまんまと嵌ってるだけで、ここで偉そうに書くことでもないんだろうとは思うのですがね。
しかし、遊女や娼婦をモチーフにする女性のソングライターは珍しいと、ずっと思っていたので続けますね。
たぶん、デビュー曲の「アザミ嬢のララバイ」からそういうイメージはあったんじゃないかなと思うのです。
「エレーン」(生きていてもいいですか)、「毒をんな」、「白鳥の歌が聴こえる」(36.5℃)、「新曽根崎心中」(夜を往け)、「ふたりは」(夜を往け、10WINGS)、「女という商売」(月‐WINGS)などはストレートに歌われてます。
“夜会”「問う女」の2万6千円も街娼ですよね。
それ以外でも「やまねこ」(シングル、36.5℃)の「女衒」なんて言葉や「あぶな坂」(私のの声が聞こえますか、いまのきもち)、「春までなんぼ」(はじめまして)などなど、そういう匂いのする曲が何曲かあります。
みゆきさんの著作「女歌」の外国人娼婦ヘレン(街の女)が、「エレーン」のモチーフになっていることは、みゆきさん自身コンサートの時に語られていました。
また、別の著書「この空を飛べたら」にもホームレスの街娼(寒雀)が出てきます。
余談ですが、「この空を飛べたら」は、私の大好きな小説です。
みゆきさんの眼差しが愛おしくなります。
文章もお上手ですよ。
絶版なんで、古本でしか入手できませんが、興味がある方にはお奨めです。
具体的にはヘレンの事件しかわかりませんが、それ以前からテーマとして、モチーフとして持っておられたんじゃないかと思うのです。
ご実家が産婦人科だったことも影響しているのかもしれませんが、そのことを詮索するよりも、若い頃から目線の先、思いの先に、“娼婦”と言われる人々があることが、凄いと思うのです。
高村薫女史が、初期作品に同性愛的描写が多いことについて、「差別が嫌いで、差別されている同性愛者を後押ししたかったのかも」というようなことを述べられています。
違うと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は、高村女史のこういうところと、みゆきさんの目線が、同じように感じるんです。
“夜会”と高村作品で書いた、マイノリティ(社会的少数派)への眼差しと、メジャー(世間)への懐疑と反発という共通の“匂い”を。
ストレートな表現の作品は見かけなくなりましたが、最近の舞台は、「白鳥の歌が聴こえる」の風情が強くなってきているように思います。
「♪やさしさだけしかあげられるものがない
こんな最後の夜というのに♪」
という、切ないやさしさがあるような気がします。
お土産言葉や客席への拍手がそんな気にさせてくれます。
また、最近は“遊女”よりも、ほとんどの方が“女神”のイメージでみゆきさんを見てらっしゃるんでしょうね。
私的には、“女神”というより“マグダラのマリア”という感じなんですが。
(宗教的に無知なので、俗説として流布している“娼婦から聖女になった”というイメージだけなんです。信仰をお持ちの方には不愉快かもしれません。すみませんm(__)m)
「♪この人間たちの吹きだまりには
蓮の花も咲きはせぬ
この人間たちの吹きだまりには
毒のをんなが咲くばかり♪」
(毒をんな)
今日でブログを始めてひと月になったと言うのに、またわけのわからない、妄想を爆発させてしまいました。(笑)
読んで下さった方に、感謝します。
ありがとうございます。(^^)
もし、このひと月通して読んで下さっている方がいらっしゃったら、本当にただただ感謝いたします。
本当にありがとうございます。(^^)
では、またよろしく(^-^)
内容も少し過激なんで、不謹慎に、また不愉快に思われる方もいらっしゃるかと思います。
先に謝っておきます。
すみませんm(__)m
で、何が“ストリッパー”で、何が“遊女”かと言うと、私の中の“ユーミン”と“みゆきさん”のイメージです。
創作や表現って言うのは、人様に肌をさらすのと同じなんじゃないかと思うのです。
匿名で好き勝手なことを書いている私も、自分の胸の内をさらけ出すことに、快感と羞恥が入り交じります。
まあ、だからと言って、極端な例えだとは思いますがね。
不愉快に思われる方には、本当に陳謝します。m(__)m
何故ユーミンが“ストリッパー”でみゆきさんが“遊女”かと言うと、肌に触れさせてくれるか否かという差なんですね。
(あくまで、イメージです)
私のユーミンに対するイメージは、色とりどりのライトに照らされて、大勢のお客さんを相手に、舞台上を華麗に舞うストリッパー。
それも、「決して踊り子さんには触れないでください」というアナウンス付の。
対して、みゆきさんは触れさせてくれ、添い寝してくれるような幻想を抱かせてくれる遊女。
あくまで幻想ね。(笑)
昔から「中島みゆきはひとりで聞く」、「中島みゆきの歌はまるで私の(俺の)ことを歌っている」なんぞと言われ、一体一の関係で聞いてる人が多くて、そういう幻想を抱いている人も多いように思うのです。
なんせ、コンサート評で、「みゆきはぼくらひとりひとりを見た」(満月みゆき御殿)と書かれたぐらいですから。(笑)
私も、その幻想に浸る一人です。
みゆきさんの場合、「歌暦」の緋い襦袢を着崩したジャケ写を見るかぎり、ご自身でそうイメージを作っているのですから、戦略にまんまと嵌ってるだけで、ここで偉そうに書くことでもないんだろうとは思うのですがね。
しかし、遊女や娼婦をモチーフにする女性のソングライターは珍しいと、ずっと思っていたので続けますね。
たぶん、デビュー曲の「アザミ嬢のララバイ」からそういうイメージはあったんじゃないかなと思うのです。
「エレーン」(生きていてもいいですか)、「毒をんな」、「白鳥の歌が聴こえる」(36.5℃)、「新曽根崎心中」(夜を往け)、「ふたりは」(夜を往け、10WINGS)、「女という商売」(月‐WINGS)などはストレートに歌われてます。
“夜会”「問う女」の2万6千円も街娼ですよね。
それ以外でも「やまねこ」(シングル、36.5℃)の「女衒」なんて言葉や「あぶな坂」(私のの声が聞こえますか、いまのきもち)、「春までなんぼ」(はじめまして)などなど、そういう匂いのする曲が何曲かあります。
みゆきさんの著作「女歌」の外国人娼婦ヘレン(街の女)が、「エレーン」のモチーフになっていることは、みゆきさん自身コンサートの時に語られていました。
また、別の著書「この空を飛べたら」にもホームレスの街娼(寒雀)が出てきます。
余談ですが、「この空を飛べたら」は、私の大好きな小説です。
みゆきさんの眼差しが愛おしくなります。
文章もお上手ですよ。
絶版なんで、古本でしか入手できませんが、興味がある方にはお奨めです。
具体的にはヘレンの事件しかわかりませんが、それ以前からテーマとして、モチーフとして持っておられたんじゃないかと思うのです。
ご実家が産婦人科だったことも影響しているのかもしれませんが、そのことを詮索するよりも、若い頃から目線の先、思いの先に、“娼婦”と言われる人々があることが、凄いと思うのです。
高村薫女史が、初期作品に同性愛的描写が多いことについて、「差別が嫌いで、差別されている同性愛者を後押ししたかったのかも」というようなことを述べられています。
違うと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は、高村女史のこういうところと、みゆきさんの目線が、同じように感じるんです。
“夜会”と高村作品で書いた、マイノリティ(社会的少数派)への眼差しと、メジャー(世間)への懐疑と反発という共通の“匂い”を。
ストレートな表現の作品は見かけなくなりましたが、最近の舞台は、「白鳥の歌が聴こえる」の風情が強くなってきているように思います。
「♪やさしさだけしかあげられるものがない
こんな最後の夜というのに♪」
という、切ないやさしさがあるような気がします。
お土産言葉や客席への拍手がそんな気にさせてくれます。
また、最近は“遊女”よりも、ほとんどの方が“女神”のイメージでみゆきさんを見てらっしゃるんでしょうね。
私的には、“女神”というより“マグダラのマリア”という感じなんですが。
(宗教的に無知なので、俗説として流布している“娼婦から聖女になった”というイメージだけなんです。信仰をお持ちの方には不愉快かもしれません。すみませんm(__)m)
「♪この人間たちの吹きだまりには
蓮の花も咲きはせぬ
この人間たちの吹きだまりには
毒のをんなが咲くばかり♪」
(毒をんな)
今日でブログを始めてひと月になったと言うのに、またわけのわからない、妄想を爆発させてしまいました。(笑)
読んで下さった方に、感謝します。
ありがとうございます。(^^)
もし、このひと月通して読んで下さっている方がいらっしゃったら、本当にただただ感謝いたします。
本当にありがとうございます。(^^)
では、またよろしく(^-^)