秋の非公開文化財特別公開が10/30から始まった。その日の行き先は、新聞で「初公開」とあった大蓮寺。川端通を南へ進み、冷泉通を東へ。東大路通の一本手前で南へ下がって、二条通から西寺町通を下りてすぐのところだった。この辺り、戦時中のお寺の疎開場所だったらしく、その名の通り、お寺が多い。その上、通りの名前が独特だ。川端通すぐ東の「新丸太町通」は南北の道。なぜか東西の道の名に「新」をつけて南北の道の名にしている。その東の数本は、川向こうの麩屋町通から高倉通までの南北の道の名に「新」をつけて東西反対に並んでいる。
大蓮寺は、もと五条西洞院にあったという。先日行った西本願寺のすぐ北だ。山号を引接山、院号を極楽院といい、浄土宗の寺である。深誉和尚により、1600年に開山された。
蓮の花鉢が境内に沢山並んでいる。蓮の季節は夏。6月末から7月にかけては、極楽浄土のシンボルである蓮が、参拝者を迎えてくれるのだろう。本堂前の長い松葉を持つ大王松は、平成18年に京都市保存樹に指定されたというが、枝先が枯れていて痛々しい。リーフレットにあった写真は、たっぷりと緑濃い堂々たる大木なのに。
さて、この寺の本尊の縁起は複雑である。本尊は、阿弥陀如来像。比叡山の慈覚大師は、夢告げにより彫った像を真如堂に安置したが、応仁の乱で像は行方不明に。一方、深誉上人は、伏見の荒廃したお堂で見つけた阿弥陀如来を本尊として、1600年に大蓮寺を建立。元禄時代に真如堂は復興し、失った阿弥陀如来が大蓮寺にあると分かる。幕府の命令で阿弥陀如来を返還することになり、上人が21日間念仏を唱え続けると、成満の朝、阿弥陀如来が二体になっていた。そこで大蓮寺と真如堂とで一体ずつ安置することになった。・・・・・・
本当にそっくりなのか気になる。真如堂の阿弥陀如来は11/15のみ公開なのだそうだ。見てこなければ。それにしても、真如堂関連のHPを読んでも、全くこの話は出てこない。
お寺の歴史も、複雑である。京都のお寺は、大抵場所が変わっていたり、寺域が狭まっていたりいろいろあるものだが、合併というのは珍しい。大蓮寺は、強制疎開で五条西洞院から現在地に移転してきた。この場所には常念寺という寺があり、住職の戦死という事情もあって、昭和40年代に合併した。また、それ以前、祇園社にあった観慶寺が廃仏毀釈で廃寺となった際には、仏像・仏具が大蓮寺に移されている。本堂に足を踏み入れて「仏像のなんと多いこと」と思ったのも道理で、三寺分の仏像があるのだ。
新聞に写真が掲載されていた薬師如来像(伝教大師作・重要文化財)、これは観慶寺にあったもの。『群書類従』にある「観慶寺・・・(略)・・・安置薬師像一躰。脇士菩薩像二躰。観音像一躰。(『中世京都と祇園祭』)」のうちの薬師像であろう。本堂の中では写真を撮ることができなかったので、寺の外にあったポスターから。
姿もよく、優しいお顔立ち。新聞の写真では明るかったし、このポスターもきれいに撮れているけれど、実際の堂内は明るくはなく、お顔を拝見するのに苦労した。たまたま同じ時間に来られた方が懐中電灯を照らす許可を取り、照らしてくださったので、なんとか見ることができた。この薬師如来は秘仏で、今回「頼まれて」公開に踏み切ったとのこと。
頭上には天蓋もあって、格調高い。左手には万病を治す薬の入った薬壺を持つ。脇には金色の日光菩薩・月光菩薩。これは、さきの「脇士菩薩像」ではないか。また、周囲には12神将が控えている。12神将は薬師如来の元で衆生を守る夜叉神将であり、子から亥までの12時を守る時の守護神である。厳しい表情で、額の辺りに十二支の動物の彫刻がある。腕が失われているものもあり、あまり状態が良いとは言えず、少し残念。
さきの引用の最後にある「観音像」、祇園社から移された十一面観音菩薩は、本堂脇檀に安置されており、いつでも拝観できる。この観音像により、洛陽三十三所観音霊場第八番札所(平成5年)となっている。常念寺にあったご本尊も、同様に、いつでも拝観できる。そこには後光明天皇(在位1643~1654年)のご位牌と、皇女のご位牌とがあった。皇女が剃髪した際に、その髪で織られた「南無阿弥陀佛」の掛け軸も。後光明天皇は、儒教を重んじ仏教を退けた天皇らしいが、皇后懐妊の際、この寺に安産祈願の勅命を下している。11歳で即位して18歳で第一子。皇后と生まれてくる子を思う優しさを感じる。また、それ以降有栖川宮家が念仏道場として厚く信仰したということだ。だから、提灯や飾り瓦に有栖川宮家菊紋。
大蓮寺HPには、「当寺の仏様は、あくまでも信仰で拝む為に祀られておりますので、美術品としての興味でのみの見学にお見えになる方には参拝をお断りする場合もございます(「安産祈願の寺・大蓮寺」HPhttp://www.anzan-no-tera.jp/info/index.html)」とあるが、念仏だけで極楽往生できると言った法然上人なら、美しい仏像を見に来るだけでも、受け容れてくださると思う・・・。