昨日は「ふるさと信州のつどい」に行ってきました。
場所は地図にある日比谷公会堂です。
三田線の日比谷で降りて行きましたが、内幸町の方が
ずっと近かったようで、失敗しました。
12:30の開会5分前ぐらいに着きました。
全員で県歌「信濃の国」の斉唱です。
信州人の集まる会では必ず歌われるものですが、歌の歴史は古く
明治三十年代に生まれた歌だそうです。
私たちの世代は子供の頃からおりに触れては歌っていて、
特別の歌ではなかったような気がします。
我が家の旦那さんはもぐりの信州人ですが、この歌の
メロディーが変わるところもちゃんと歌えます。が、
普通はなかなかこの部分は歌われないのでさびしいです
尋ねまほしき園原(そのはら)や
旅のやどりの寝覚めの床(とこ)
木曽の桟(かけはし)かけし世も
心してゆけ久米路橋(くめじばし)
くる人多き筑摩(つかま)の湯
月の名に立つ姨捨山(おばすてやま)
しるき名所と風雅士(みやびお)が
詩歌に詠みてぞ伝えたる
神田明神の将門太鼓の演奏。素晴らしい日本の音色!
アメリカなどへも遠征していて、大変な反響だったそうです。
是非、これからの若い人達に引継いで行ってほしいと、
解説して下さった方が願って語られました。
その方は駒ヶ根出身で、ここの太鼓を四十年近くやって来られているとか。
江戸小唄・市若さんの舞台です。
二代目ミカド天風として活躍されているそうで、初めて知りました。
信州出身の市丸さんに師事して、今、こうして歌っていられるのは
市丸さんのお陰、と、感謝して話されました。
鳥羽一郎さんのショーです。
海の男、鳥羽さんが海の無い信州人の集いに、海の匂いを
いっぱい運んできてくれました。
「兄弟船」しか知りませんでしたが、他にもたくさんの
また聴きたいと思う歌を歌ってくださいました。
彼のご両親、お父上は83歳?だったかと・・。
お母さんは76歳とのこと。
70歳まで海女さんとしてもぐっていたお母さんですが、
今は入院中だそうです。
「見舞いに行った時、帰ろうとして声を掛けるんですよ。そうすると
俺の顔など分からないのに、寂しそうな顔をするんです。
おふくろ、分からない振りしているだけで、全部分かって
いるのじゃないかって思います」
目頭が熱くなる語りでした。
努力して、認められて、いろんな所への貢献も続けている・・・
そのような人にも神様は平等に哀しみを与えるのですね。
こころに哀しみを携えて歌う人の歌は、素直にこころに入ってきます。
窓から見た日比谷公園。
寄せ植えやハンギングの展示がしてある様子。
後で見たいなぁ~。
~初めて参加してみましたが、見ず知らずの隣の席の方とも
打ち解けて話す事ができたのは、“同郷”と言う心安さなのでしょうか。
締めくくりはやはり「ふるさと」の大合唱。
先人、高野辰之をしのびつつ、ふるさとはまさに
遠くにありて思うもの・・・~
ここまで来て、記し忘れた事が・・・。
この長野県人会連合会の会長さんは、かの、羽田 孜さんでして
挨拶などもされました。お元気そうでしたが、
ずいぶんとお歳を召されて・・・。としつきの経過を感じました。
場所は地図にある日比谷公会堂です。
三田線の日比谷で降りて行きましたが、内幸町の方が
ずっと近かったようで、失敗しました。
12:30の開会5分前ぐらいに着きました。
全員で県歌「信濃の国」の斉唱です。
信州人の集まる会では必ず歌われるものですが、歌の歴史は古く
明治三十年代に生まれた歌だそうです。
私たちの世代は子供の頃からおりに触れては歌っていて、
特別の歌ではなかったような気がします。
我が家の旦那さんはもぐりの信州人ですが、この歌の
メロディーが変わるところもちゃんと歌えます。が、
普通はなかなかこの部分は歌われないのでさびしいです
尋ねまほしき園原(そのはら)や
旅のやどりの寝覚めの床(とこ)
木曽の桟(かけはし)かけし世も
心してゆけ久米路橋(くめじばし)
くる人多き筑摩(つかま)の湯
月の名に立つ姨捨山(おばすてやま)
しるき名所と風雅士(みやびお)が
詩歌に詠みてぞ伝えたる
神田明神の将門太鼓の演奏。素晴らしい日本の音色!
アメリカなどへも遠征していて、大変な反響だったそうです。
是非、これからの若い人達に引継いで行ってほしいと、
解説して下さった方が願って語られました。
その方は駒ヶ根出身で、ここの太鼓を四十年近くやって来られているとか。
江戸小唄・市若さんの舞台です。
二代目ミカド天風として活躍されているそうで、初めて知りました。
信州出身の市丸さんに師事して、今、こうして歌っていられるのは
市丸さんのお陰、と、感謝して話されました。
鳥羽一郎さんのショーです。
海の男、鳥羽さんが海の無い信州人の集いに、海の匂いを
いっぱい運んできてくれました。
「兄弟船」しか知りませんでしたが、他にもたくさんの
また聴きたいと思う歌を歌ってくださいました。
彼のご両親、お父上は83歳?だったかと・・。
お母さんは76歳とのこと。
70歳まで海女さんとしてもぐっていたお母さんですが、
今は入院中だそうです。
「見舞いに行った時、帰ろうとして声を掛けるんですよ。そうすると
俺の顔など分からないのに、寂しそうな顔をするんです。
おふくろ、分からない振りしているだけで、全部分かって
いるのじゃないかって思います」
目頭が熱くなる語りでした。
努力して、認められて、いろんな所への貢献も続けている・・・
そのような人にも神様は平等に哀しみを与えるのですね。
こころに哀しみを携えて歌う人の歌は、素直にこころに入ってきます。
窓から見た日比谷公園。
寄せ植えやハンギングの展示がしてある様子。
後で見たいなぁ~。
~初めて参加してみましたが、見ず知らずの隣の席の方とも
打ち解けて話す事ができたのは、“同郷”と言う心安さなのでしょうか。
締めくくりはやはり「ふるさと」の大合唱。
先人、高野辰之をしのびつつ、ふるさとはまさに
遠くにありて思うもの・・・~
ここまで来て、記し忘れた事が・・・。
この長野県人会連合会の会長さんは、かの、羽田 孜さんでして
挨拶などもされました。お元気そうでしたが、
ずいぶんとお歳を召されて・・・。としつきの経過を感じました。