昇仙峡の下りの続きです
載せ忘れていたのですが、ずっと上の方でしたが昇仙峡を切り開いた
長田円右衛門の碑がありました
独特の渓谷美を誇る御岳昇仙峡が観光地となったのは、江戸時代のこと。
荒川上流にあった猪狩村の長田円右衛門が渓谷沿いに新道を開拓し、
その景観の美しさを世に送り出したことが始まりであった。
今でこそ観光地として多くの人々が訪れる昇仙峡だが、
かつてこの辺りの道は非常に険しい山道のみで、昇仙峡一帯の村落の人々は
薪炭を背負い一日がかりで甲府城下との道を往復したという。
その昇仙峡に九年もの歳月をかけ新道を拓いたのが長田円右衛門である。
彼は一介のお百姓であったにもかかわらず、工事のために周辺の村の名主を説得し
人足をだしてもらったり、天保の大飢饉などで工事中断の危機が訪れた際は
三十もの村々に呼びかけ寄付金を募ったりと、この工事に尽力し、
また、この地域の観光開発の礎を築いた人物である
(円右衛門伝承館の紹介文より)
覚円峰
この山上で覚円禅師が修行なさったとのこと
茶店
覚円峰と天狗岩
傍らにこんなかわいい黄葉が
葉の形から ボタンヅル の花後と思います
この日は風が強くて飛ばされてしまうのではないかと思うほどでした
そんな日ならばこそ飛ばされた木の葉が荒れ狂ったように谷を舞う光景も見られ
何が幸いするかわからないものです
そして谷から離れバス停に向かう手前では
さよならと見おくってくれた猫様がいたり
名前はわかりませんがこんな蝶に出会うこともできました
イロハモミジ
御岳昇仙峡は今年日本遺産に認定されました