何度か夕やけ小やけの里へ行っているのに
夕焼け小焼けの碑のある宮尾神社へは行ってなかったので今回行ってみました
足腰の痛みがひどくならない前に行っておけばよかったものを~と思ってみても
もう過ぎた事 今からその当時には戻れません
ここから結構な上り坂
眼下に夕やけ小やけの里を見下ろしながら よいしょ!!
ノルディックのウォキングポールがしっかり支えてくれて大助かりでした
主人がいつも言っていました
「お母さんは精神力と気合だけで登ってしまうんだからなぁ、体力ないのに」
歩きながら本当にこれまでそうだったな、と思い返しました
この九十九折の坂道は愛敬坂と呼ばれ、現在の陣馬街道の裏街道にあたる案下道の名残をとどめている。
坂の途中には武田信玄の息女・松姫が甲州から逃れて来て最初に逗留した金照庵の名が刻まれた石仏や
明治21年に馬方が建てた馬頭観世音の石碑が建つ。
(以上宮尾神社案内書より)
急な石段を上ります
宮尾山の山上にあることから宮尾神社と呼ばれていますが
正式には住吉神社琴平神社合社と言うそうです
神社に向かって左側に夕焼け小焼けの碑が立っていました
雨紅さんは八王子から4里の道のりを歩いて実家に帰ってきたそうです
そんな日の山里の夕暮れを詩にされたのでしょうか
中村雨紅さんは明治30年この宮尾神社の境内で宮司の三男として生まれたそうです
高井家に生まれたのですが、養子に行った先の中村姓となっています
結婚するころだったかはっきりし覚えていませんが、高井姓に戻り教師をされていたそうです
急な坂をまた街道まで下り、高井家のお墓にも寄ってみました
最初にこの地を訪れた時は、八王子の高校で募集していた催しに参加した時で
高校教師を退職された地元の方が山すそ歩きをしながらいろいろ説明して下さいました
矢じりや貝殻などたくさん出土しているので、狩猟民族が住みやすい場所を移動してここにも住んでいたのだろうと
そのような場所でもあったことを知りました
この時、雨紅さんの縁続きの方のお宅にみんなであがらせていただき、
お茶などの接待をうけました。大根のお漬物の美味しかったことをいまでも覚えています
そのお宅は建て替えられたようでむかしの面影は見当たりませんでした。
パンフレットによると宮尾神社の宮司さんが高井さんとおっしゃる方で
この付近にお住まいらしいので、以前おじゃましたのはそのお宅だったのかもしれません。