色々な意味で衝撃的な本だった。
欧米社会を理解するには、同社会で
歴史的に継続してきたイスラム差別から避けて通ることは出来ない。
特に近年はNATO加盟国による中東・アフリカ・中央アジア諸国への軍事干渉、
イスラム過激派への支援と衝突が同国におけるムスリムへの差別とリンクするようになった。
シリアやリビアにおけるイスラム過激派への支援やフランス軍による空爆が内乱を激化させ、
移民を流出させる一方で、EU地域内の排外主義的な気運が過激派を産み、中東へと向かわせている。
フランスの新聞ル・フィガロは、ダーイシュ(IS、イスラム国)のテロリストの
少なくとも3分の1がヨーロッパの出身者だと報じている。別のメディアでは、
ダーイシュに加盟するヨーロッパ人は3000人、多くて数万人と見積もっている。
シャルリエブド襲撃事件にせよ、先日のパリ同時多発テロにせよ、
その背景にはフランス社会のイスラモフォビア(イスラム嫌悪症)と
旧フランス領植民地シリアに対する軍事干渉が存在することは言うまでもない。
このことについて私は過去、再三、繰り返して主張してきた。
改めて以下に記事をリンクしよう。
フランス・テロ事件の背景(マスコミが伝えないヨーロッパのムスリム差別について)
フランステロ事件について2(各紙の社説を比較する)
シャルリーを自称した人々はどこへ行ったのか?(フランス・テロ事件のその後)
イランでの反仏・反シャルリー運動について
世界中で焼かれるフランス国旗とシャルリエブド
オランド、各地のシャルリー抗議デモを非難する
ローマ法王、反シャルリーデモに理解を示す
イラン最高指導者からの欧米のイスラム差別に対する抗議メッセージその1
日本の上映の自由について
シャルリーエブド事件再考
酒井教授批判その1(シャルリエブドとは何か)
シャルリエブド紙のルソフォビア(ロシア嫌悪)
米のイスラモフォビア・憎悪犯罪を是認する欧米メディア
パリ同時多発テロ事件の背景
パリ同時多発テロ事件の背景2
パリ同時多発テロ事件の背景3(サウジの影)
よくこんなに書いたなと我ながらあきれる。
欧米のイスラモフォビアに関する資料は、その気になれば、いくらでも入手できる。
(例えばこことかこことか。私の記事を読んでも良いよ)
決してトッドの専売特許ではない。私が思うにイスラモフォビアについて本格的に論じたものは、
エドワード・サイードの『オリエンタリズム』および『イスラム報道』である。
特に『イスラム報道』はメディアや知識人によるイスラムへの偏見が
いかに展開されていったのかについて詳しく論じており、必読の書とも言える。
クドクドと前置きが長かったが、要するに私は
欧米社会のイスラム差別は決して無視されてきたトピックではなかったはずなのに、
よりによって日本でシャルリエブド事件とイスラモフォビアを関連付けて論じた初の本が
あのトッドの著作だったことに驚きを隠せないのである。
よりによってトッドかという気分だ。
評論集の形なら『現代思想 2015年3月臨時増刊号』ですでに出版されているが、
岩波書店や藤原書店などの左派系出版社は何をやっていたんだという話だ。
まぁ、藤原書店や大月書店、新評論などの中小出版社は予算の都合上、
出版できないのは仕方ないような気がするが、岩波書店と平凡社は本当に意味不明。
「本来ならお前の所で売らなきゃいけないような内容の本が
文芸春秋で売られるのかよ」という憤り。伝わってくるだろうか?
日本の左派系論壇は総じてシャルリエブド事件を言論の自由に挑戦するテロだとみなしてきた。
そのため、むしろシャルリエブドこそが差別の実行者であり、ヘイト・アートを継続して掲載してきた
同社の編集方針を追求せず、逆に英雄であるかのように称えるのはおかしいという発想が浮かばなかった。
単純に「テロとの戦い」、「言論の自由との戦い」という文脈で語り、
この問題の裏側に潜むフランス社会の移民・ムスリムなどのマイノリティへの差別問題に踏み込まなかった。
結果的にそれはフランス社会を無批判に称揚するという如何ともしがたい
ヨーロッパ幻想を生み出したとすら思える。それほどこの事件に対する左翼の態度は妙だった。
本来なら、ヨーロッパにおける民主主義の病理は
左翼にこそ指摘されるべきであり、左翼にこそ指摘して欲しかった。
それがトッドか、文春かという悔しさ。
例えるならば、ヘイト・スピーチに反対する本が岩波や新日本出版社ではなく、
真っ先に文芸春秋や新潮社、WACなどの日常的に差別を助長する出版社から出てしまったようなものなのだ。
ヘイト・スピーチは良くないという発想が平和や平等を掲げる左翼からではなく
日ごろから差別やデマに興じる右翼が所有し、発信してきたようなものなのだ。
この本の出版ほど日本の主流左翼の情けなさを痛感したことはない。
本書は、シャルリエブド事件、特にその後のフランス社会の同事件の反応を批判的に扱ったもので、
類書と比べると統計や地図を駆使して科学的に説明している点が特徴的である。
但し、先述したようにシャルリエブド事件後の「私はシャルリー」運動が欺瞞的だという考えは
多くの人間が抱いていたもので、トッドが言うように彼一人が孤立していたわけではない。
本書の担当編集者は、同書を「仏国内のメディアをすべて敵に回わす危険を顧みずに書かれた」と
評価しているが、それは誇張である。詳しくは前述の現代思想の特別号を読めばわかると思う。
フランスの移民差別は歴史的に継続して行われてきたもので、
それを知るにはフランソワーズ=ギャスパール『外国人労働者のフランス』を推薦する。
また、移民に対する差別は根本の部分ではフランスの民主主義システム(国会・メディアなど)が
機能不全に陥り、本来の役目を果たせていないことに起因するが、これを知るには、哲学書だが
アラン=バディウ『サルコジとは誰か?』が有益な情報を与えてくれるだろう。
本書を一言で表現すれば、不味くはないが美味くもないラーメンといったところ。
激戦区に立地していないために「ここの飯は美味い」ともてはやされそうなラーメン屋といったところ。
何せエマニュエル・トッドという人物は本人は中道左派を自称しているが、
その主張内容を拾えば、中国をけん制するために日本に核武装を薦めたり、
過去の歴史に対する反省行為を修正(つまり安倍的な姿勢に)しろと主張したり、
リビアに対するNATOの空爆を「認めざるを得ない」と黙認してしまったり随分と右的なのである。
本書も企画に読売と日経が関わっているようで、出版元が文春と
見事に保守系新聞社、出版社からプロデュースされたものである。
まぁ、改憲や非核に固執する割には北朝鮮に対しては与党とつるんで攻撃的になる左翼は
腐るほど日本にもいるわけだから、そういう輩の一人と見ることも可能だが、
正直言って、「あんたがイスラモフォビアを語るか」と突っ込みを入れたくなってくる。
日本で言えば、散々北朝鮮をバッシングして同国に対するイメージを貶めておきながら、
いざ国内で朝鮮学校が無償化対象から除外されると途端に反差別の旗を振り始め
あたかも自分に責任がないかのように演出した有田芳生参院議員のような・・・
(有田議員は救う会の講演会にも参加していた)
嘘出鱈目を語っているわけではないが、あんたの口からは聞きたくないというような……
逆を言えば、その点が気にならなければ良書だと思う(まぁ手放しには誉めたくないが)
売られたばかりだが、恐らくランキングでも上位に食い込むのではないだろうか?
着眼点の勝利と言おうか、文春はやっぱり商売がうまいなと感心する。
ところで、同じ文春新書から、また朝日新聞が著した本が売られていた。(『ルポ 老人地獄』)
朝日にはプライドというものがないのだろうか?まぁ、ないのだろうけれど。
去年の吉田証言に対する騒動はやはり朝日が「俺たちはもう左じゃない」と宣言するための
降参セレモニーだったのではないだろうか?そう思うほど朝日と文春の最近の協力は気持ち悪い。
同書は新聞連載の内容をまとめたものらしいが、逆を言えば、
今の朝日の記事のレベルは文春から出版しても違和感がないほど右だということだろう。
右翼にとって痛くもかゆくもない、むしろ共有できる主張と姿勢。そういう気がする。
欧米社会を理解するには、同社会で
歴史的に継続してきたイスラム差別から避けて通ることは出来ない。
特に近年はNATO加盟国による中東・アフリカ・中央アジア諸国への軍事干渉、
イスラム過激派への支援と衝突が同国におけるムスリムへの差別とリンクするようになった。
シリアやリビアにおけるイスラム過激派への支援やフランス軍による空爆が内乱を激化させ、
移民を流出させる一方で、EU地域内の排外主義的な気運が過激派を産み、中東へと向かわせている。
フランスの新聞ル・フィガロは、ダーイシュ(IS、イスラム国)のテロリストの
少なくとも3分の1がヨーロッパの出身者だと報じている。別のメディアでは、
ダーイシュに加盟するヨーロッパ人は3000人、多くて数万人と見積もっている。
シャルリエブド襲撃事件にせよ、先日のパリ同時多発テロにせよ、
その背景にはフランス社会のイスラモフォビア(イスラム嫌悪症)と
旧フランス領植民地シリアに対する軍事干渉が存在することは言うまでもない。
このことについて私は過去、再三、繰り返して主張してきた。
改めて以下に記事をリンクしよう。
フランス・テロ事件の背景(マスコミが伝えないヨーロッパのムスリム差別について)
フランステロ事件について2(各紙の社説を比較する)
シャルリーを自称した人々はどこへ行ったのか?(フランス・テロ事件のその後)
イランでの反仏・反シャルリー運動について
世界中で焼かれるフランス国旗とシャルリエブド
オランド、各地のシャルリー抗議デモを非難する
ローマ法王、反シャルリーデモに理解を示す
イラン最高指導者からの欧米のイスラム差別に対する抗議メッセージその1
日本の上映の自由について
シャルリーエブド事件再考
酒井教授批判その1(シャルリエブドとは何か)
シャルリエブド紙のルソフォビア(ロシア嫌悪)
米のイスラモフォビア・憎悪犯罪を是認する欧米メディア
パリ同時多発テロ事件の背景
パリ同時多発テロ事件の背景2
パリ同時多発テロ事件の背景3(サウジの影)
よくこんなに書いたなと我ながらあきれる。
欧米のイスラモフォビアに関する資料は、その気になれば、いくらでも入手できる。
(例えばこことかこことか。私の記事を読んでも良いよ)
決してトッドの専売特許ではない。私が思うにイスラモフォビアについて本格的に論じたものは、
エドワード・サイードの『オリエンタリズム』および『イスラム報道』である。
特に『イスラム報道』はメディアや知識人によるイスラムへの偏見が
いかに展開されていったのかについて詳しく論じており、必読の書とも言える。
クドクドと前置きが長かったが、要するに私は
欧米社会のイスラム差別は決して無視されてきたトピックではなかったはずなのに、
よりによって日本でシャルリエブド事件とイスラモフォビアを関連付けて論じた初の本が
あのトッドの著作だったことに驚きを隠せないのである。
よりによってトッドかという気分だ。
評論集の形なら『現代思想 2015年3月臨時増刊号』ですでに出版されているが、
岩波書店や藤原書店などの左派系出版社は何をやっていたんだという話だ。
まぁ、藤原書店や大月書店、新評論などの中小出版社は予算の都合上、
出版できないのは仕方ないような気がするが、岩波書店と平凡社は本当に意味不明。
「本来ならお前の所で売らなきゃいけないような内容の本が
文芸春秋で売られるのかよ」という憤り。伝わってくるだろうか?
日本の左派系論壇は総じてシャルリエブド事件を言論の自由に挑戦するテロだとみなしてきた。
そのため、むしろシャルリエブドこそが差別の実行者であり、ヘイト・アートを継続して掲載してきた
同社の編集方針を追求せず、逆に英雄であるかのように称えるのはおかしいという発想が浮かばなかった。
単純に「テロとの戦い」、「言論の自由との戦い」という文脈で語り、
この問題の裏側に潜むフランス社会の移民・ムスリムなどのマイノリティへの差別問題に踏み込まなかった。
結果的にそれはフランス社会を無批判に称揚するという如何ともしがたい
ヨーロッパ幻想を生み出したとすら思える。それほどこの事件に対する左翼の態度は妙だった。
本来なら、ヨーロッパにおける民主主義の病理は
左翼にこそ指摘されるべきであり、左翼にこそ指摘して欲しかった。
それがトッドか、文春かという悔しさ。
例えるならば、ヘイト・スピーチに反対する本が岩波や新日本出版社ではなく、
真っ先に文芸春秋や新潮社、WACなどの日常的に差別を助長する出版社から出てしまったようなものなのだ。
ヘイト・スピーチは良くないという発想が平和や平等を掲げる左翼からではなく
日ごろから差別やデマに興じる右翼が所有し、発信してきたようなものなのだ。
この本の出版ほど日本の主流左翼の情けなさを痛感したことはない。
本書は、シャルリエブド事件、特にその後のフランス社会の同事件の反応を批判的に扱ったもので、
類書と比べると統計や地図を駆使して科学的に説明している点が特徴的である。
但し、先述したようにシャルリエブド事件後の「私はシャルリー」運動が欺瞞的だという考えは
多くの人間が抱いていたもので、トッドが言うように彼一人が孤立していたわけではない。
本書の担当編集者は、同書を「仏国内のメディアをすべて敵に回わす危険を顧みずに書かれた」と
評価しているが、それは誇張である。詳しくは前述の現代思想の特別号を読めばわかると思う。
フランスの移民差別は歴史的に継続して行われてきたもので、
それを知るにはフランソワーズ=ギャスパール『外国人労働者のフランス』を推薦する。
また、移民に対する差別は根本の部分ではフランスの民主主義システム(国会・メディアなど)が
機能不全に陥り、本来の役目を果たせていないことに起因するが、これを知るには、哲学書だが
アラン=バディウ『サルコジとは誰か?』が有益な情報を与えてくれるだろう。
本書を一言で表現すれば、不味くはないが美味くもないラーメンといったところ。
激戦区に立地していないために「ここの飯は美味い」ともてはやされそうなラーメン屋といったところ。
何せエマニュエル・トッドという人物は本人は中道左派を自称しているが、
その主張内容を拾えば、中国をけん制するために日本に核武装を薦めたり、
過去の歴史に対する反省行為を修正(つまり安倍的な姿勢に)しろと主張したり、
リビアに対するNATOの空爆を「認めざるを得ない」と黙認してしまったり随分と右的なのである。
本書も企画に読売と日経が関わっているようで、出版元が文春と
見事に保守系新聞社、出版社からプロデュースされたものである。
まぁ、改憲や非核に固執する割には北朝鮮に対しては与党とつるんで攻撃的になる左翼は
腐るほど日本にもいるわけだから、そういう輩の一人と見ることも可能だが、
正直言って、「あんたがイスラモフォビアを語るか」と突っ込みを入れたくなってくる。
日本で言えば、散々北朝鮮をバッシングして同国に対するイメージを貶めておきながら、
いざ国内で朝鮮学校が無償化対象から除外されると途端に反差別の旗を振り始め
あたかも自分に責任がないかのように演出した有田芳生参院議員のような・・・
(有田議員は救う会の講演会にも参加していた)
嘘出鱈目を語っているわけではないが、あんたの口からは聞きたくないというような……
逆を言えば、その点が気にならなければ良書だと思う(まぁ手放しには誉めたくないが)
売られたばかりだが、恐らくランキングでも上位に食い込むのではないだろうか?
着眼点の勝利と言おうか、文春はやっぱり商売がうまいなと感心する。
ところで、同じ文春新書から、また朝日新聞が著した本が売られていた。(『ルポ 老人地獄』)
朝日にはプライドというものがないのだろうか?まぁ、ないのだろうけれど。
去年の吉田証言に対する騒動はやはり朝日が「俺たちはもう左じゃない」と宣言するための
降参セレモニーだったのではないだろうか?そう思うほど朝日と文春の最近の協力は気持ち悪い。
同書は新聞連載の内容をまとめたものらしいが、逆を言えば、
今の朝日の記事のレベルは文春から出版しても違和感がないほど右だということだろう。
右翼にとって痛くもかゆくもない、むしろ共有できる主張と姿勢。そういう気がする。