時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

戦後71年をむかえて(慰安婦問題における左翼の右傾化について)

2016-01-04 00:05:54 | 浅学なる道(コラム)

去年は戦後70年だったせいか、歴史・軍事問題について精力的な議論がされた年だったが、
1945年以来、常に日本では戦争を美化する人間とそれに抗う人間のせめぎあいがあったと思う。

70年が過ぎたからといって気を抜かず、今後も歴史の番人として戦わなくてはならないだろうが、
近年の日本では、左派系文化人が右傾化の一途を辿っており、
対抗者として資格を失いつつあり、非常に深刻な状況にあると思われる。


簡単に言えば、右翼も左翼も自国中心に物事を考える点では大差なく、
そのため、自国の体制を揺るがす思想、例えば典型的な共産主義やイスラム原理主義においては
驚くほど同じ反応を示し、反共・反イスラムに奔走し、結果的に西側の軍事行為を肯定する傾向がある。


アラブの春やウクライナ内戦、シリア動乱、中国・北朝鮮に対する左右の見解はまさにそれで、
面白いほど、どちらも同じ見解を述べ、結果的に米英仏の空爆や他国の体制転覆を支持している。

慰安婦問題に目を向けてみれば、
右翼も左翼も日本政府の責任を徹底的に追及するよりも、
安易な「和解」を望み、「対決」を避けようとする姿勢があり、
状況次第では簡単に馴れ合い、反対者を糾弾しさえする。


「右翼と左翼の境界線がなくなりつつある」という指摘は以前からされていることだが、
 それは右翼あるいは左翼というイデオロギーが消滅しているわけではなく、
 左翼が右翼にすりよることで、両者の違いが見えなくなっていることを意味するのだと思う。

例えば、先の慰安婦に訴えられた韓国人研究者、パク・ユハ氏を
日本の保守系学者と革新系学者が一緒になって応援している現象などはまさにそれだ。



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朴裕河氏の起訴に対する抗議声明

『帝国の慰安婦』の著者である朴裕河氏をソウル東部検察庁が
「名誉毀損罪」で起訴したことに、私たちは強い驚きと深い憂慮の念を禁じえません。

昨年11月に日本でも刊行された『帝国の慰安婦』には、「従軍慰安婦問題」について
一面的な見方を排し、その多様性を示すことで事態の複雑さと背景の奥行きをとらえ、
真の解決の可能性を探ろうという強いメッセージが込められていたと判断するからです。

検察庁の起訴文は同書の韓国語版について「虚偽の事実」を記していると断じ、
その具体例を列挙していますが、それは朴氏の意図を虚心に理解しようとせず、
予断と誤解に基づいて下された判断だと考えざるを得ません。

何よりも、この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、
むしろ慰安婦の方々の哀しみの深さと複雑さが、韓国民のみならず
日本の読者にも伝わったと感じています。

~中略~

今回の起訴をきっかけにして、韓国の健全な世論がふたたび動き出すことを、
強く期待したいと思います。日本の民主主義もいま多くの問題にさらされていますが、
日韓の市民社会が共鳴し合うことによって、お互いの民主主義、そして自由な議論を
尊重する空気を永久に持続させることを願ってやみません。

今回の起訴に対しては、民主主義の常識と良識に恥じない裁判所の判断を強く求めるとともに、
両国の言論空間における議論の活発化を切に望むものです。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/26/park-yuha-charge-remonstrance_n_8659272.html
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この声明は櫻井よし子や藤岡信勝、西岡力などの極右の言論人と一緒になってアメリカの教科書から慰安婦の強制連行に関する記述を削除させようとした大沼保昭氏
北朝鮮バッシングを精力的に行っている小此木政夫氏、李相哲氏、平井久志氏、
アメリカのイラク戦争を開戦時から支持し続けてきた田中明彦氏などの保守系言論人、
村山富一氏などのアジア女性基金の関係者も賛同者に混ざっている非常に政治的なものである。


すでに指摘していることだが、中国・ロシア・北朝鮮などのアジアの反米国家に対抗するために、
アメリカはアジア圏において、自国を枢軸国とした軍事同盟の強化を狙っており、
その障害となる従属国間のいざこざ、つまり日韓の歴史問題の「穏便な解決」を望んでいる。

比ゆ的に表現すれば、アメリカという王将は日本と韓国を飛車と銀として利用したいのであり、
どちらが飛車か銀かで揉めている日韓に対しては苛立ちを感じているということだ。

そして、その苛立ちは実のところ、自国の軍拡を進めたい日韓の政治家にも通じるものである。
日米韓いずれの権力者も慰安婦問題をさっさと解決させて、しかる後に軍拡・同盟強化を望んでいる。

慰安婦合意の裏で「均衡外交」の代わりに韓米日同盟強化

声明の中に親米派の田中明彦氏がいること、反米国家である北朝鮮を攻撃する言論人が多くいること、
安倍晋三の腰ぎんちゃくである山田孝男(毎日新聞特別編集委員)がいることは、
そういう日米軍事同盟強化派の意図および国際情勢に反映されたものだと解釈して良いだろう。

ちなみに山田は7月にも『帝国の慰安婦』を弁護する文を毎日新聞に載せている。

逆を言えば『帝国の慰安婦』など、しょせん、その程度の内容だったということである。
現に慰安婦本人からもパク・ユハは非難されていたし、この本が書かれる前から
表面的な和解を期待する同氏の態度には日韓両国から多くの批判がされていたのだ。

特に大金と月並みな謝罪文で水に流そうとしたアジア女性基金プロジェクトに否定的な
元慰安婦女性は当初から否定的だったし、その支援団体も同じ見解を有していた。

韓国の元慰安婦が日韓合意に抗議デモ

慰安婦ハルモニ「最終合意という言葉は私たちを何度も殺すこと」

日韓の合意に抗議、韓国の若者がデモ

今回の日韓合意およびアジア女性基金型の解決に対しても元慰安婦は同様の態度を示している。
他方、元慰安婦の心情を代弁しているかのように語るパク・ユハや彼女を支持する日本の全国紙が
日韓合意に対して好意的な反応を示しているのは何と言うか、笑えるようで笑えない話だ。

日韓三項目「合意」と異論封じ込め「外注」の構造

問題は、そのような政治的な声明の中に日本の代表的左翼が多く名を連ねていることで、
特に成田龍一氏や小森陽一氏などの極右の歴史改竄行為に対抗している中心人物が
こうもあっさりと右翼とつるんで『帝国の慰安婦』を褒め称えるのには恐怖を感じる。

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北朝鮮が、慰安婦問題をめぐる日韓の合意を批判

北朝鮮が、従軍慰安婦をめぐる日本と韓国の合意を「侮辱的だ」としました。

韓国・ヨンハプ通信によりますと、
北朝鮮は29日火曜、慰安婦問題をめぐる日韓の合意を非難しました。

北朝鮮は、この合意を侮辱的だとし、
「この合意によって、日本政府はこうした冷酷な行為の責任を負わなくなるだろう」としました。

こうした中、日本の元慰安婦支援団体の代表は、
「すべての在日朝鮮人の女性が、過去の過ちを永久に水に流すことで、
 日本に屈したとして、韓国を非難した」と語りました。

http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/61120-
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日韓の「進歩的」知識人が極右とつるんで慰安婦問題を無理に解決しようとする一方で、
悪の帝国、人権侵害国家であるはずの北朝鮮が今回の合意を冷静に批判している。


北朝鮮政府のほうが日本の進歩的知識人より
元慰安婦の心情に沿った見解を述べるという凄まじい矛盾を前にして、
私は改めて戦後日本の民主主義とはいったい何だったのだろうか
という激しい疑問を抱かずにはいられない。



思うに、戦後の知識人は表面的な冷戦終結をきっかけに、それまで多少なりとも残していた
アフリカやアジア、東欧などの非欧米圏から自国や欧米の内政・外交を照射し、
比較検討するという手段を自発的に嬉々として捨ててしまったのではないだろうか?

あるいは戦前から主流左翼の中に存在していた反共思想から
ついに脱却することができず、それどころか主軸にして今に至ってしまったのではないだろうか?


そう思わざるを得ないほど、近年の日本の左派系論壇における見解は、
民主主義至上主義で、非西洋型国家への常軌を逸する嫌悪と非難、否定にまみれており、
その言動が結果的に西側諸国の他国への軍事・政治・経済干渉を支持していることに気づいていない。

ロシアや中国、北朝鮮を非民主主義国家として徹底的に糾弾するわりには、
慰安婦問題ひとつを例にしても、こうまでもあっさり右翼とつるんで元慰安婦を傷つける。

どうも彼らの描く世界観と実際の世界には大きな食い違いが生じているのではないだろうか?
そういう疑問は年々増していくし、実際、他国のメディアに接すると、新聞やテレビはもちろん、
書籍や雑誌、つまり左派系論壇においても意図的に語られないものがあるように感じる。

シリアを人権侵害国家として執拗に糾弾する一方で、
文字通りのテロ支援国家であるサウジアラビアについては特に何も非難しない。

仮にも選挙で選ばれたアサド大統領とシリア政府に対しては武装勢力を支援してまでも
その崩壊を望む一方で、王族に支配されるサウジアラビアに対しては
その典型的な文字通りの独裁体制を非難したりは決してせず、場合によっては擁護すらする。

こういう実に西側寄りの見解が空気を吸うかのように当たり前に示されるために、
特定の意見が最初から疎外されているのは言うまでもない。言論の自由は彼ら自身が侵している。

こういう状況を目の前にして、その対策として個人ができることは、
非常に微弱ながら、彼らがはじき出してしまった情報や主張をもう一度拾いなおすこと、
それらをヒントにしながら、国際情勢を捉えなおすことだと私は思う。

そのような小さな運動は組織を必要としないし、エドワード・サイードや
ノーム・チョムスキーのような先駆者を見る限り、むしろ個人によって行われてきた感すらする。

このサイトも日本語で読めるものを中心に、外国のニュースサイトを紹介し、
あわせて私の見解と解説を列挙するスタイルをとってきたが、
こういう運動は今後も続ける意義はあるのではないかなと思う次第である。

そこまで大したことを書いているサイトではないが、
今年もまた、ささやかな抵抗としてブログの運営を続けてゆきたい。

一発ネタ

2015-12-22 22:02:13 | 浅学なる道(コラム)
人気ユーチューバー・はじめしゃちょーが謝罪 
「ニベアクリームでお風呂作ってみた」動画に批判殺到



ユーチューバーのはじめしゃちょーが12月17日、
炎上していた「ニベア風呂」動画について、自身のチャンネル内で謝罪しました。

【炎上していた「ニベア風呂」動画】


●「ニベアクリーム100個で風呂」で炎上

はじめしゃちょーと言えば、YouTubeのテレビCM
「好きなことで、生きていく」シリーズにも出演していた人気ユーチューバー。

しかし、12月15日に投稿した「ニベアクリームでお風呂作ってみた Nivea creme bath」
という動画が炎上。「これはふざけすぎ」「ニベアの無駄使い」など、
多くの批判が寄せられる形となっていました。

動画の内容は、「肌荒れがひどいので、ニベアクリームを100個使った
“ニベア風呂”に入ってみた」というもの。動画内ではニベアクリーム100個を順に開封し、
浴槽へ叩きつけたり、口に入れる、全身に塗りたくるといった様子が収められていました。

結局、動画は2日間で140万回以上再生されたものの、
コメント欄は「不快派」と「擁護派」が入り乱れて大荒れ状態に。


●「今後もスタンスは変えない」と宣言

こうした流れを受けて、はじめしゃちょーは12月17日、
「ニベア風呂と今後について」と題した動画を投稿。「ニベア風呂」動画について
振り返りつつ「不快に思った人はいると思うのでそこは謝ります」と謝罪しました。


ただ、「昔から大量買いはやってた」「コーラ風呂を作った時はこんなに批判されなかった」と、
なぜ今回に限って荒れたのか、逆に視聴者に質問を投げかける場面も。
「もったいない」という意見については、「ニベア風呂を作りたかったからやった」
「目的がちゃんとあってやっているから、それは無駄遣いではない」と反論しました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151217-00000118-it_nlab-sci













日本人に向けた人種差別は許されるのだろうか?

2015-10-22 23:05:42 | 浅学なる道(コラム)
南京事件が記憶遺産に登録されたことについてネットの反応を調べていたら、こんな記事が。



世界記憶遺産に南京事件関係資料が登録されたことに対して、いまさら日本南京学会に期待する意見を見かけて失笑した - 法華狼の日記


コメント欄に凄まじい人種差別者がいる。


「日本物には二種類の物しかいない。自覚している差別主義者と、無自覚な差別主義者と」

「間違いなく、ここにいる面々は日本物では良識的な部類だろう。しかし、それでもこの体たらく。
 あるブログの記事タイトルを拝借すれば、まさに腐った土壌で育ったせいか
 自分が中立を装っているウヨだと気付きもせずウヨ菌を撒き散らす性悪な偽善者たちだ。
 
 異常な民族と言われるに値することをしているのは、貴方たち自身だろ。
 こっちに責任転嫁するんじゃないよ。私の思考もその書き込みも、
 あらゆることが全て、貴方たち日本物のせいで起こっていることだ。」

「日本物には解らんだろうな。心底腐りきった蛆虫民族。醜悪な腐れ民族。
 ネットでちょこちょこ書かれたぐらいで差別差別と喧しいゴミ民族。
 アタマわいてんのか?お前らの血は何色だ?
 臭く濁りきってるのに、自分では気付かないのは、脳味噌も腐りきってるからか?」


どうです、香ばしいでしょう?

私は中国や北朝鮮、韓国に住む人間に対する人種差別、例えば
「万引きなんて朝鮮人みたいなことやるんじゃありません」といった発言に対しては
 断固として反対する立場だが、その逆もしかりで日本人に対する差別にも反対である。

コメント欄に書き込んでいる左翼も同じ考えらしく、厳しく非難しているが、
その中でちょっと浮いているのが、自称在日コリアンの方々。

日本政府(というより極右政治家)の南京事件否定論には敏感に反応するくせに、
ここまで露骨な日本人に対する人種差別発言に対しては一言も批判しない。

差別発言をしている人間も擁護している人間も「在日コリアン」を自称している。
コメント欄には「本当にコリアンなのか」と疑い証拠を要求する人間もいるが、
まぁ、私は一応、この連中が在日朝鮮人なのだという情報を信じることにする。

そこで彼らに言いたいのが
あなた達は日本人拉致を口実に日ごろ、散々差別発言を受けているのに、
 なぜ自分たちが行う差別を黙認するのですか?
」ということだ。

この擁護者によると、日本社会は在日コリアンを差別しているから
一連の差別発言も「一理ある」ことになるらしい。理由があれば何を言っても良いわけがない


また、コメント後半で、在日コリアンである証拠を要求する日本人が二名いるが、
彼らに対しても「証拠を要求することは差別に値する」らしい。


「あなたは「差別」とは何だと思っていますか?
 あなたが「ある在日」さんに反感を持つのは勝手ですが、
 同じことを繰り返すのはあまりに見苦しいし、その繰り言は極めて差別的です。
 もう少し考えましょう。」

自分の受けた差別行為を語らないのはなどという思考は根本的に差別を理解していません。

的外れな批判は「根本的に差別を理解していない」だけではなく、
 自らの(差別を語る側の)差別性が鮮明になるだけです。

 差別を語るというのは、ある意味容易ではありません。自らの差別性と常に向き合い、
 その差別社会の構成員としての責任を自覚していなければいけません。」

私が読む限りでは、証拠を要求する人間はどちらも、
異民族に対して極めて友好的な態度をとっているように見える。
(批判者の中の一人は私が日ごろ語っている反共左翼の問題や池上彰氏批判にも
 言及していて、少しだけシンパシーを感じる。まぁ、コメントを読む限りの話だが)

批判者の中には、左翼に対して罵倒する一方で、
別の記事に出現しているネトウヨに対しては文句を一言も言わないのは変だ

と発言している者もいる。これは私も感じていたことだ。

この人種差別者は自称在日コリアンで、
在日コリアンを虐める日本人が許せないらしいのだが、
なぜか右翼を絶対に攻撃しないで、かわりに左翼を罵倒している。


何というべきか・・・「俺はお前をぜってーにゆるせねー!」と言いつつ、
味方を攻撃しているような意味不明な言動。何がしたいのだろうか?

正体を疑われるのも仕方ないだろう。

差別だ何だのと怒るほど、この人物に同情すべき点が見当たらない。

どう見ても自業自得である。

とまぁ、あれこれ語ったが、私はこのコメント欄のやりとりを見て、
ナショナリズムというものは実にくだらないものだなと感じた。

人種差別や民族差別、女性差別、年齢差別、宗教への差別といったものには色がない。

黒人に対する差別はノーだが、日本人に対するそれはイエスだとか、
北朝鮮に対する差別はイエスだが、韓国に対するそれはノーだとか言うのは絶対におかしい。

おそらく、この在日コリアンの連中は日ごろ、それなりに非道い目にあっているのだろう。
だが、悲しいかな、彼らが受けた苦しみは、まさに彼らが与える苦しみで無化されている。

仮に彼らが私たちに対して謝罪を要求しても、それは決して叶えられないだろう。
人種差別者が何を言っても、決して同情されはしないのである。

彼らは私たちと本質的に違う存在なのだから。

こういう連中に在日コリアンの代表を気取られて、他のマイノリティが気の毒だ。
私たち日本人も一部右翼のせいで、やたらとイメージを悪くされているような気がするが、
そういう事情は、どこの民族も同じなのか?

ネットで日本人あるいは在日コリアンといった民族性を過度に強調し、
そのことをもって自己正当化を図ろうとする人たちは十分気をつけたほうがいい。

そのことが逆に自分たち民族のイメージを悪化させるからだ。

国連総会での反植民地主義闘争

2015-09-29 00:31:48 | 浅学なる道(コラム)
国連総会70年 印象深い演説を振り返って
(続きを読む http://jp.sputniknews.com/photo/20150926/953188.html#ixzz3n2oolsa8)


戦後70年と言う言葉があまりにも便利に使われ、戦争特集が各メディアで展開される一方で、
第二次世界大戦終結後、イギリスやアメリカ、フランスが途上国に対して
一体何をしてきたのか
ということについての反省や批判が積極的にされることはない。



このあたりを踏まえると、結局、自虐史観(by右翼)も自尊史観も
日本のことしか考えていないということをよく表しているような気がする。


左翼も右翼も日本の戦争のことしか考えない。

第二次世界大戦が終結してからも米英仏侵略トリオの植民地主義、
アフリカ・中東・南米に対する抑圧が変わらなかったという指摘が少ない。


そういう状況を思えば、上のスプートニクの記事は大変優れた記事であると言えよう。
以下、何箇所かピックアップしてみようと思う。


「国連総会で最も長い演説をしたのは、キューバの指導者フィデル・カストロ議長だ。
 それは4時間29分に及んだ。1960年9月26日の事だった。
 カストロ議長は、キューバ革命の真の意味、彼が率いる政府が始めた改革の本質を説明し、
 さらに米国に対し、一人前になろうとしている国を攻撃しないよう警告し
 米国とキューバの関係が悪化した真の原因を明らかにした。」


攻撃するなと演説した翌年、アメリカはCIAの主導の下、
反体制派のキューバ人を訓練、彼らと共にキューバに侵攻し、
返り討ちにあった。
(ピッグス湾事件)

恐らく米国史上、もっともみっともない事件だと思うが、
当時のケネディもCIAになぜ失敗したのだと激怒したと言う。


なぜ侵攻したのだではなく、なぜ失敗したのだと激怒する。
さすがはケネディである(※皮肉)



「1974年11月13日、パレスチナのリーダー、ヤセル・アラファト議長は、
 非同盟諸国の要請により国連総会に初めて招かれ演説した。
 その中で、議長は「シオニズムは人種差別の一形態だ」と明言した。
 そして1年後、国連総会は決議を採択し、
 シオニズムを人種差別と認める決議を採択したのだった。

 しかし、1991年、東欧で相次いで共産主義政権が崩壊した後、
 米国とイスラエルの要求により、この決議は取り消されてしまった。



冷戦終結時、右も左も浮かれ顔で共産主義を攻撃していたが、その暇があったなら、
 少しでも眼前の悪行を監視するべきだったのではないだろうか?



戦後70年とは、戦争が終わってから私たちが何をしてきたのかを
反省するためのものにしなければならなかった
のに、それが出来なかった。

それが残念で仕方が無い。



「国連総会の演説の中で最も印象が鮮烈だったものの一つに、
 ベネズエラのウゴ・チャベス大統領の2006年の演説がある。
 大統領は登壇し「ここには悪魔がやってきた」と述べた。
 その後彼は、その悪魔とは米国大統領のジョージ・ブッシュ・ジュニアであると説明した。

 米国大統領は、チャベス大統領が登場する前日演説し、
 檀上から自国の政策を正当化したばかりだった。
 発言時間は15分だが、チャベス大統領は約1時間、演説を続け、
 自分に靴を投げないよう頼みながら、最後まで話をさせてくれるよう求めた。」


国連総会では、時折、途上国の元首が先進国に対して
その植民地主義、横暴な干渉政策に対して怒りをダイレクトに伝える場面がある。



「2009年9月23日、リビア革命の指導者ムアマル・カダフィ大佐は「政治的封建制」に反対し、
 国連安全保障理事会の常任理事国だけでなく、すべての理事国に拒否権を付与するよう求めた。


 彼は又「リビアは、国連決議に従う義務はない」と述べ、
 国連憲章の冊子を投げ捨てるパフォーマンスをした。

 カダフィ大佐は、カストロ議長には劣るものの、2時間以上も演説を続けた。
 そのためリビア人通訳は耐え切れずに、1時間ほどで意識を失い昏倒する騒ぎとなり
 国連本部のアラブ語通訳グループのチーフが、急遽通訳を受け継ぐというハプニングが起きた。」


常任理事国(米英仏露中)に強力な権限が与えられている現状への批判。
先日紹介した移民問題への見解といい、
カダフィは途上国の立場から国際政治の現況を結構的確に批判しているのだけれども、
悲しいかな、日本では二時間もアメリカ批判をしたという大雑把な報道で済まされてしまった。


繰り返すが、国連総会という場は、アフリカや中東、南米の指導者が
自分たちがいかに西側陣営に非道い目にあっているのかを訴える場としても機能してきた。


ところが、そのせっかくの貴重な訴えに対して日本のメディアや著名なジャーナリストは
演説の内容よりも時間の長さを強調する素晴らしいリアクションを返してきた。

例えば、池上彰氏とか。


安保法案が強行採決された途端、メディアが全く議事堂前のデモを
取り上げなくなったとリテラが怒りを露にしているが、
池上氏に至っては強行採決後の初のニュース解説番組の内容が
苗字と姓はどう違う?だった。
どうでもええがな


こういう意図的に特定の情報を伝えまい、伝えまいとしているのが
見え見えな合法詐欺報道が闊歩している現状、
『世界』や『週刊金曜日』などの一応左翼の雑誌が応えるべきだろう。

『金曜日』はたまにお手柄を挙げることがあるが『世界』に関してはさっぱりだ。
 毒にも薬にもならない論評しか掲載されない。『リテラ』のほうが読む価値がある。


訴えている人がいるのに、その人に目もくれない。
左翼の論壇がそういう状態(一種のサークルと化している)である限り、
いつまで経っても、右翼に決定打を与えられないのではないかと思う今日この頃である。

ネトウヨの特徴を挙げてみる (議論ができない人々)

2015-09-20 00:06:55 | 浅学なる道(コラム)
別に右翼に限らず、左翼にもクレーマー気質の面倒くさい奴がいるので、
あくまで討論という行為ができない連中の特徴だと思って欲しい。

予備知識として、次の文章を引用する。

-------------------------------------------
首相は、「集団的自衛権は日本人の命を守るためにどうしても必要」として、
日本人母子のイラストまで掲げて「邦人輸送の米艦防護」を繰り返しました。

しかし、最近になって「日本人が乗っていなくても集団的自衛権の発動はありうる」と言い出しました。

首相があれほど繰り返した「ホルムズ海峡の機雷掃海」についても、
イラン政府が「機雷敷設などありえない」と表明するなかで、
最近になって「現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではない」と言い出しました。

「日本人の命を守る」としてあれだけ繰り返した二つの事例がどちらも破たんした。
立法事実が示せない。結局、集団的自衛権行使の目的は「日本人の命を守る」ことではなく、
世界のどこであれ米軍とともに戦争をすることにあることが、はっきりしたではありませんか。


http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-09-19/2015091903_01_1.html
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こういう文章を仮に私が書いたとして、
その場合、ネトウヨが寄せてくるコメントの特徴は大体次のようなものだと思われる。



①自分の主張が正しいことを前提にして話す。


普通の人間は、仮に安保法案に賛成していたとしても、
ホルムズ海峡の機雷敷設は起こりえないと知れば、素直に自分の見解を修正する。


ところが、ネトウヨは自分の主張を訂正することが出来ないため、

②すでに破綻した理論に固執する


例えば、次のようなコメントを送ってくる、

「ホルムズ海峡付近は日本にとって重要な地点ですが、
 仮にここに機雷が敷設されても今の日本では何も出来ません。
 安保法案は通すべきです(ドヤァ)」


これに対して「その機雷敷設が現実的に起こらない、それは首相も認めていると
書いているでしょう、あなたは首相の見解にも反対するのですか」と私がコメントしたとする。

その場合、ネトウヨは

③こちらの反論をウソ、歪曲とレッテルを貼り、無視をする。

「あなたはそのような些細な部分にケチをつけ、事実をねじまげていますね(ドヤァ)
 もう一度説明します。ホルムズ海峡は日本にとって生命線です。
 これは現状の日本では守ることができません。だから必要なのです。

 あなたが何を言おうとこの事実は変わりません(ドヤァ)」


もしくは
④反論に対してコメントせず、別の理由を持ち出す

「ホルムズ海峡がどうだろうと、中国や北朝鮮の脅威に対して
 今の日本は対策を練ることが出来ません。だから安保法案は可決されるべきです(ドヤァ)」


こんな風に、こちらの反論を取るに足らない意見として片付けるか、
あるいは別の理由をいきなり持ち出して自分の結論は正しいのだと言い張る。



ホルムズ海峡に機雷が敷設されているという前提が絶対に正しいと思い込んでいるので、
それが違うと指摘されても「こいつはウソをついている」と解釈する。

あるいは安保法案は可決されるべきだという自分の意見が正しいと思い込んでいるので、
機雷敷設のウソを指摘されても「どうでもいい話を持ち出してケチをつけている」と考える。


ここで
「安保法案の是非を語るさいに、その前提条件が正しいかどうかを検討することは
 とても重要なことだと思いませんか?機雷が敷設される可能性が高いというならば、
 その根拠を示してください」と私が書いたとする。


この場合、

⑤ネットの知識で武装しているので専門的な話をすることができない


ので、

⑥個人攻撃を始める


「何度も説明させないでください」とか
「小学生レベルでも理解できることです」と言ったふうに

⑦反論されるのは向こうの頭が悪いからだと決め付ける


これに比例して

⑧自分は論理的な思考が出来るのだと思い込む

その結果、
⑨自画自賛を始める

「あなたの意見は論理的に破綻しています」とか
「こちらは言い逃れできない証拠を提示しています」と言ったふうに

⑩都合の良い解釈をし始める。「お前が言うな」を言い始める


しかし、上の具体例を見ればわかるように
⑪表現があいまいで具体性がない


仮にこちらが「どのへんが論理的でないのか論じてみろ」と語ってみても、
もう後は罵詈雑言と初めの主張と根拠を狂ったレコードのごとく繰り返すだけだ。


このように、専門的な知識もなくイメージで物事を語るため、
屁理屈でこちらの意見に対応せざるを得なくなるので、自然と
⑫矛盾した発言を平然としてくる。

それを指摘しても自分は正しいと思っているので
⑬反論されてもまったく気にしない


大体、これぐらいの特徴があるように思う。

重要なのは、
①根拠を崩されても結論に固執する
②専門知識がない
③にも関わらず自分が正しいと思うため
④向こうが屁理屈をいっているorウソをついていると考える

点だ。

議論ができないヤツはこの①~④に確実に当てはまると思う。
もちろん、これも印象論&経験論なので、絶対の法則ではないが、
少なくとも、自分が相手をした人間に限っては、大体このパターンだった。



最後に言っておくと、別にこれはネトウヨに限った話ではない。
安倍首相の答弁などは、まさに「反論せずに別の理由を持ち出す」の行為に該当する。
(そもそも、ネトウヨとリアウヨに本質的な違いなどない)


左翼にも「核は絶対に許せないマン」がいて、
こういう人たちに「北朝鮮の非核化にはまず米韓軍事演習の中止が必要だ」と話しても
「あなたは北朝鮮の核は持っても良いんですか!」と返されてしまう。


「いや、なくすための具体的な手段を話していますよね?」と答えても
「北朝鮮の核保有を支持する。それは平和主義に反します!」とまるで話を聞かない。


なんというか
⑭非常に思い込みが激しい
ために、こちらの言うことを全く聞こうとしない。

こういう人たちに限って議論をしたがるのだから本当に困った話である。

Amazonのコメント機能は不要

2015-09-19 21:37:53 | 浅学なる道(コラム)
Amazonにはレビュー記事が投稿できるようになっているが、
このレビューにさらにコメントがつけられるようになっている。


これ、下手すればAmazonが2ちゃんのスレ化するので絶対にやめたほうがいいと思う。
というか、実際にそうなった。

さる学術書へのレビューに対し、ネトウヨからお決まりの攻撃を受け返事をしたところ、
数度のやり取りの末、なぜかこちらのコメントだけがAmazonに消された。なぜ?


他人に不快感や嫌悪感を与える投稿が削除の対象らしいのだが、
詳しくは載せないが、向こうはこちらのことを「小学生並みの低脳」だとか
「ウソばかりついて逃げている」とか書いていたのだが…わけがわからん。

向こうがAmazonに苦情でも入れたのだろうか?
それとも自主的にAmazonが削除したのだろうか?


削除された理由を知らされていないし、
そもそも削除したとのメールももらっていない。


これでは、仮にこちらに落ち度があったとしても、
今後、どう改めていけば良いのかわからないではないか?

いずれにせよ、ネトウヨに甘い会社であることはよくわかった。
冷静に考えれば、Amazonランキングの上位には結構右翼本が並んでいるわけで、
お得意様を怒らせたくないのかもしれない。考えすぎ?

しかしまぁ、冷静に考えてみれば、あのまま延々と口論しあっていても
しょうがないので、結果オーライと言えば結果オーライかもしれない。

無視が一番ですからね。


そのネトウヨ、コメントの通知を自動受信していたので、
ずっと粘着してきたのかも?そーいう馬鹿の味方、Amazonドットコム。

実際、上位レビュアーにはかなりネトウヨがいるのだが、
そーいう合法詐欺師のコメントは問題がないのだろうか?

さすが本家アメリカでは従業員を奴隷労働させているだけある。

「若い頃はウェイトレス・清掃作業員・引っ越し作業員として
 働いた経験があったマクリーランド氏でしたが、31歳になった彼女にとって
 Amazon倉庫内で過酷な10時間半の労働を毎日続けるのは人生をすり減らすようなもので、
 継続困難なことだと感じたとのこと。」
http://gigazine.net/news/20140415-amazon-quitting-program/

洋書や古書を簡単に買える場を提供してくれるのは有難いが、
管理人としてまともに働けない以上、レビュー機能など全廃しろという話。

安倍談話を絶賛する不思議な人たち

2015-08-17 00:00:55 | 浅学なる道(コラム)
あまり長々とは書かないが、この談話は
ポツダム宣言と東京裁判の内容を受け入れる形で書かれている。


-------------------------------------------------------
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。
歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。

一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。
この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。


(中略)


我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、
痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。


その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ
東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が
歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。


こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。


ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、
戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、
これからも、決して癒えることはないでしょう。


ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、
日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い
日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。


米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、
長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。


戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、
日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、
それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

-------------------------------------------------------------

安倍の普段の主張とは真逆の内容になっているわけで、
すなわち、日ごろから誇り高き日本人の皆様が反日と認定し、
攻撃し続けている自虐史観を同談話では肯定しているのだが、なぜか絶賛されている。



特に「戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや~思いを致さなければなりません」
などは、安倍をはじめとした右翼どもの行いを戒める発言なのだが、
なぜか日常的に反日だの自虐だの日本人だの文化だのとゴチャゴチャと
小うるさくわめいている連中が総じて称えているのは変だ。



例えば、次のような記事がある。


「安倍晋三首相が発表した戦後70年談話について、インドネシア外務省は14日、
 公式ツイッターで「高く評価する。インドネシアはアジアのすべての国に
 平和維持への貢献を果たすよう求める」とコメントした。
 
 安倍首相の談話はインドネシアの国名も挙げた上で、
「アジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、
 その平和と繁栄のために力を尽くしてきた」と言及している。 」

(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150814-00000162-jij-asia)


これを一部掲示板や動画サイトが取り上げ、
誇り高き日本人がインドネシア偉い!最高!と喜んでいるが、
彼らは次の記事を読んでいないのだろうか?



「シンガポールメディアの聯合早報網は5日、
 インドネシアのユスフ・カラ副大統領が4日(8月)、
 日本の安倍晋三首相に対して、
 第2次大戦の被害者に謝罪するよう呼びかけたと報じた。


中央社の報道によると、副大統領は4日、

「日本―東南アジア国家協会メディアフォーラム」の出席者らと会った後、

「安倍首相が戦争の被害国に謝罪できればいいと思う」と語った。
 日本軍は戦時中、オランダ領だったインドネシアを占領し、軍政を敷いた。

副大統領は先ごろも、「日本が大戦の被害者に謝罪するのか、
それとも遺憾を表明するだけなのか、それを決めるのは安倍首相だ」と発言しており、

「安倍首相が被害者に謝罪することができれば、
戦時中に日本から被害を受けた人々の感情はずいぶんと改善される」、との考えだという。

(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150806-00000030-xinhua-cn)


要するに、インドネシアも誇り高き日本人が言うところの
自虐史観に則ってコメントを述べているし、
上のユスフ・カラ氏の謝罪要求発言は、
右翼からすれば反日発言に他ならないはずなのだが、なぜか褒め称えている。



連中が危惧する反日史観とやらは、何も中韓だけが所有しているものではない。

正しい歴史とやらを伝えた気持ちになっているが、
実際には政治家やメディアの手のひらで踊らされている一部のアホを除いては
日本の侵略戦争は世界の常識であり、現に、今回の談話、市民レベルでは
ヨーロッパのメディアも批判的な見解(内容が不十分だという見解)を示している


ついでに言えば、誇り高き日本人には真実の友と認定されている台湾も、
日本政府に対して、第二次世界大戦時の侵略行為について調査を行い、
歴史から教訓を得よと語っている。


「歴史上の過ちは忘れることができるかもしれないが、
 歴史的な真実は忘れることはできない」とまでコメントしている。




連中の基準からすれば、台湾は恐ろしい反日国家になるはずだし、
実際、近年の台湾は歴史認識に関していえば、
少しずつ日本政府に対して厳しい態度を取りつつある。



いずれにせよ、どの国も自虐史観を前提に話をしているのであって、
誇り高き日本人にとってみれば、どいつもこいつも許しがたい反日だ。


このような世界の常識に対して「仰るとおりでございます」と
受け入れたのが今回の談話なのだが、右翼はどの辺が凄いと勘違いしたのだろう?


わかりやすく言えば、甘口カレー(安倍談話)を前にして、
「辛口カレーはないの?」と文句をつける客もいれば、
「まぁ、カレーなら別にいいよ」とコメントする客もいる中、

日ごろは「カレーなど邪道!人が食うものにあらず!」とほざいている連中が
「カレーなら別にいいと言ってくれた!大勝利ぃいいい!!!」とわめいているのが今の状態。




こういうちょっと危ない連中が、模範的日本人に相当するらしい。マジか?
最大限、フォローすれば安倍の二枚舌を権謀術数と評価しているのかもしれない。

あるいは「したたか」と褒めているのかもしれない。

まぁ、その場合も相手国は連中いわく間違った歴史観を改めることはないし、
むしろその歴史観を日本が受け止めたことを前提に今後、話を進めるのだから
いずれにせよ褒めるどころか叱るべきだと思うのだが……


あまり言いたくはないが、やっぱり安倍を崇拝するカルト教団にしか見えない。
困ったもんだ。

感想・安倍談話 (右からの批判)

2015-08-15 23:47:04 | 浅学なる道(コラム)
あちこちで文句をつけられている安倍談話。

全文を読んだ感想としては、これは右翼も左翼も不満が残る内容だったのではと感じた。




……と思っていたら、保守速報を見る限り、これで満足しちゃったのね(汗
すっげーな、誇り高き日本人。安倍の言うことなら何でも褒めるのか…


私は一応、レフトの人間だと思うが、
ここはあえて極右になったつもりで安倍談話にケチをつけてみようと思う。




-------------------------------------------------------------------
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、
それまでの植民地化にブレーキがかかりました。


この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。
人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。


戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。


しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、
経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。

その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、
力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、
その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。

日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした
「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。

進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

そして七十年前。日本は、敗戦しました。
--------------------------------------------------------

ここで重要なのは、「戦争自体が違法だ」という発言である。


右翼が日ごろからブーたれている東京裁判は、
まさにこの戦争を仕掛けた罪を問うものだった。




一応、欧米諸国のせいにしてはいるが、安倍談話は
日本が当時でも違法とみなされた戦争を他国にもたらしたと語られている。


つまり、東京裁判の内容を受け入れた形式を取っているのだが、
これは東京裁判・勝者の裁き!ぜってー許せねーマンにとっては不快な内容ではないのか?



-------------------------------------------------------
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。


中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、
戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。

戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

-------------------------------------------------------


ここの記述で、韓国に言及されていないことで
「安倍首相、すげー!」とほざいているアホが結構いるが、
当時の韓国は併合されて日本の国土になっているのだから、書かなくて当然である。



むしろ、ここの記述では太平洋戦争で日本が侵攻した地域全域において、
現地の民間人に犠牲をもたらしたこと、特に慰安婦の存在を認めたことが重要だろう。


婉曲的とはいえ、慰安婦をはじめ、日本軍が現地人を苦しめたことが記されている。
これも、日本の戦争、絶対正しいマンにしてみれば、気に入らない文面だ。



前の箇所とあわせて読めば、
日本は国際秩序に逆らって戦争を仕掛け、相手国の民を死なせた」と述べているのである。


これは右翼にとっては噴飯モノのはずだ。



------------------------------------------------
何の罪もない人々に、
計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。



歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。

一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。
この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

------------------------------------------------


つくる会やWAC、文春、草思社、PHP等々が涙ぐましく続けている
無駄な努力正しい歴史を教える運動(笑)を否定する言葉だ。

これは、右翼としては許すわけにはいくまい。



---------------------------------------------
事変、侵略、戦争。

いかなる武力の威嚇や行使も、
国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。

植民地支配から永遠に訣別し
すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
---------------------------------------------


「もう二度と」ということは、以前は行ったということ。
「訣別」ということは、以前は訣別していなかったということ。


文脈上、「いかなる武力の威嚇や行使」の具体例として挙げられている
事変、侵略、戦争を日本が行ったことを認めている箇所である。




-----------------------------------------------
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、
日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、
それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、
いかほどの努力が必要であったか。

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。


-----------------------------------------------


もはや決定的である。安部は我が誇り高き日本人(笑)が
捕虜虐待をしたという中国の主張を受け入れてしまったと言えよう。




----------------------------------------------
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。


あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、
そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。


しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、
過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。

謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

----------------------------------------------


保守速報では、「あの戦争~背負わせてはなりません」の箇所を
赤文字で表記し、安倍首相、すげー!と褒めちぎっているのだが、

すぐ後ろに過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません
と書かれているのを無視している。



つまり、日ごろから自虐史観だの何だのとぬかして現実逃避をしている
連中に注意をしているのだが、これはネトウヨにとっては、
許しがたい屈辱的な発言ではないだろうか?私がネトウヨならキレる。




-----------------------------------------------------
私たちの親、そのまた親の世代が、
戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。
そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。


それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、
米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、
恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

-----------------------------------------------------

ここからは真面目に語ることにしたいと思う。

この談話は日本がアメリカに向けて語られたものだろう。


言うまでもなく、ここ数年の安倍をはじめとする日本の右翼どもの言動は、
欧米諸国に不信感と反発を抱かせた。特にアメリカの非難は顕著だった。



アメリカとしては日本が軍拡を進めるためにも、周辺諸国に警戒されないように、
先の大戦で大日本帝国が侵略戦争をしたという自覚と反省をきちんとしてほしいのである。


この意思は大使をはじめとして、色々な形で日本に伝えられたが、
今回の談話は、そのアメリカの意向を汲んで書かれたのではないかと思う。



談話では慰安婦に関する言及も多くされているが、
これはアメリカ下院議会で可決された慰安婦に対する決議を意識したものだろう。



--------------------------------------------------
私たちは、二十世紀において、
戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。


だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。
二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、
世界をリードしてまいります。

--------------------------------------------------


問題の決議(アメリカ合衆国下院121号決議)の一部を抜粋すると、



「1930年代から第2次世界大戦までの間、
 日本政府は、「慰安婦」と呼ばれる若い女性たちを
 日本軍に性的サービスを提供する目的で動員させた。

 日本政府による強制的な軍隊売春制度慰安婦は、
 集団強姦や強制流産、恥辱、身体切断、死亡、自殺を招いた性的暴行など、
 残虐性と規模において前例のない20世紀最大規模の人身売買のひとつである。

日本の学校で使われている新しい教科書は、
こうした慰安婦の悲劇や太平洋戦争中の 日本の戦争犯罪を矮小化している。

また、最近日本には、慰安婦の苦痛に対する政府の真摯な謝罪を含む
河野洋平官房長官による1993年の「慰安婦関連談話」を弱めようとしたり、
撤回させようとしている者がいる。」


「以下は米下院の共通した意見である。

 1・日本政府は1930年代から第2次世界大戦終戦に至るまで
   アジア諸国と太平洋諸島を植民地化したり戦時占領する過程で、
   日本軍が強制的に若い女性を「慰安婦」と呼ばれる性の奴隷にした事実を、
   明確な態度で公式に認めて謝罪し、歴史的な責任を負わなければならない。

 2・日本の首相が公式声明によって謝罪するなら、これまで発表した声明の真実性と
   水準に対し繰り返されている疑惑を解消するのに役立つだろう。


 3・日本政府は「日本軍が慰安婦を性の奴隷にし、人身売買した事実は絶対にない」
   といういかなる主張に対しても、明確かつ公式に反論しなければならない。

 4・日本政府は、国際社会が提示した慰安婦に関する勧告に従い、
   現世代と未来世代を対象に残酷な犯罪について教育をしなければならない。」


とまぁ、談話が見事に
この決議の内容(特に要求2の部分)に反映されたものである
ことがわかる。



東京裁判で日本を裁いたアメリカとしては、
東京裁判&ポツダム宣言の内容を認めさせ、かつ、日米同盟の強化を進めたい。


そのため、「太平洋戦争は間違っていたけれど、
この間違いを償うために積極的平和主義(米国との軍事作戦への参加)に取り組むね!」
というメッセージは喉から手が出るほど欲しかったはずだ。


実際、アメリカ政府は安倍談話を肯定的に評価している。


-------------------------------------------------
米ホワイトハウスは14日、安倍晋三首相が発表した
戦後70年談話が痛切な反省の念を表明したとして歓迎する声明を発表した。


安倍首相が、戦後50年の村山富市首相談話、
60年の小泉純一郎首相談話などの歴代内閣の立場を
「今後も揺るぎない」としたことについても歓迎した


声明は、米国家安全保障会議(NSC)のプライス報道官が発表。
安倍首相が今後、世界の平和と繁栄に貢献すると述べたことを「評価する」とし、
日本が戦後70年、平和、民主主義、法の支配を尊重してきたことは「他国の模範となる」と強調した。


http://www.sankei.com/world/news/150815/wor1508150006-n1.html
-------------------------------------------------

NSCは名前の通り、アメリカの戦争に深く関わる……というより、
最高決定権を持つ機関であり、悪名高いCIAはNSCの直轄機関だ。




アメリカの外交や戦争を決定する機関から褒められた。
それも、「国際貢献」(安倍が言うところの積極的平和主義)の箇所が歓迎された。

このことが何を意味するかは問うまでもない。



冷静に読み返せば、アメリカの原爆投下や東京大空襲について、
一言も言及していない
ことに気がつくだろう。



安倍談話は、あくまでもアメリカの歴史観を認め、アメリカに対して謝罪し、
今後はアメリカの陣営につき、尽力するという表明だった。




アメリカが第一次世界大戦後に主導して構築した国際秩序を乱し、
愚かな日本が太平洋戦争をしかけてしまいました、すみません、もうしません、
アメリカの戦争は正義の戦争でした、日本は悪い国でした、
これからはアメリカに逆らわずアメリカ側について働きます。


こういうものである。


これだけアメリカの戦争犯罪を無視し、日本が全面的に悪かったと
ひたすらペコペコしている談話は、誇りとやらを気にしているつもりに
なっている者どもにしてみれば、さぞかし屈辱的なものになるはずだ。


ここまでアメリカにナメられて良いのか、安倍しっかりしろとキレてもいいはずである。



ところが、我が誇り高き日本人は、安倍の言うことなら何でもかんでも絶賛である。

「さっと読んだが、予想外に結構いい文章だな。 」
「読んだけどいい文章だった 中身もよいと思う 」
「全文(・∀・)イイネ!! 」
「お、いいこと言ってんじゃん100点! 」
「これ作ったの誰?こんだけのもん作れる官僚がまだ日本に残ってたことに驚愕したわ
 まだまだ捨てたもんじゃないわ」

「先日のアメリカでの講演も今回の談話も日本人として、とても誇らしく感じました。
 この談話に恥じない国民でありたいと思います。 」



どんだけ信者なんだよwwwとツッコミを入れさせて頂こう。




反米を自称する小林よしのりあたりの右翼が
私の期待に応えてくれるものだと思っていたが、微妙な意見を言っている。
安倍談話のわしの評価


私としては「なぜアメリカの戦争犯罪を問わないのだ!ウキー!」と
暴れて欲しかったのだが、所詮は信者が離れてしまった元教祖様といったところか。


他にもネットでたまたま見つけた
「行動保守の最右翼 尊皇攘夷派 『侍蟻 SamuraiAri』」というサイトでも
 安倍談話において、アメリカの歴史観を受忍させられたことについて
 なーんにも文句が言われていない。それでも保守かっつー話だ。



前々から気になっていたのだが、連中にとっての誇りと言うやつは
中国人や韓国人に対して俺のほうが上だと威張りくさるためにだけ存在するもので、
アメリカの言いようにこき使われている現状に対して
怒りを覚えるためのものになっていないんじゃないだろうか?




オバマ大統領が来日したときの歓迎ムードが物凄かった時にも
薄ら寒い何かを感じたが、このままアメリカのペットとして
可愛がられる国家にし続けるのが誇りある日本人の態度というものなのか?


だとしたら、その誇りとやらは
俗に言う奴隷の鎖自慢というものだろう。



本当の美談とは何か (戦前日本の美談は何故こうもしょっぱいのか?)

2015-08-13 22:26:04 | 浅学なる道(コラム)
今夜放送の「奇跡体験!アンビリーバボー」で、
日本人スパイと中国人妻の「感動秘話」とやらが取り上げられていた。


物凄い美談であるかのように語っているのだが、正直、それはどうよと思った。

VTRが語るには、、
この日本人スパイの男性は、表向きは、さる工場の経営者だったが、
裏では偽札を大量に印刷し、それをもって得た軍事物資を日本に横流ししていたらしい。


普通に犯罪だと思うのだが・・・(汗




「お国のために信念を貫き通した!偉い!」みたいに語られているが、
彼が捧げた軍事物資(というより兵器)でアジアの人々が殺されたわけで……



百歩譲って「命令だから仕方なかった」とか「スパイにも人権がある」とか言って、
中国当局の取調べ(映像を見る限りでは拷問)を非難するならまだわかるが、
ヒーローであるかのように美化するのは正直「うわぁ……」と引いてしまった。


まぁ、このスパイについて何も知らないので何とも言えないが、
中国が拷問をしていたとするならば、それはやりすぎであり、訴えもされよう。


とはいえ、偽金づくりと軍事物資の不正売買(というより密輸出?)は
どう考えたって犯罪行為の何物でもなく、美談にするにはちと厳しいと思う。


以前も、戦後右翼の重鎮とも言える瀬島龍三氏をやたらと美化した話を流していたが、
TVタックルの司会であるビートたけし氏の番組だからだろうか?ずいぶんと保守的なことだ。


テレビ東京はテレビ東京で、あの『永遠のゼロ』を再放送していたし、
映画版は先日、日テレが流していた。安倍史観のバーゲンセールである。


安倍とメディアが懇意の仲であることは以前から内外から非難されていたが、
最近のバラエティ番組の質の劣化はちょっと目に余るものがある。


もはや愛国ポルノ!?
空疎な“日本人はスゴい”論連発で大ブームの日本礼賛本トンデモランキング



リテラでも、近年の日本メディアの度を越した自画自賛が批判されている。

そのほうが売れるからと言えばそれまでだが、
単なる商売目的を超えて、売る側のイデオロギーを感じるのは気のせいか?



戦時の日本人の美談と言えば、戦前は中国で反戦活動を行い、
戦後には冤罪でGHQに拘束・拷問を受けた鹿地亘氏を思い出す。


彼が主役のテレビ番組が作られることは絶対にないだろう

本当に勇敢な行為というのは、決して権力層に評価されるものではないのだから。



私としては、本当に偉いのは、
弾圧を受けるのを承知で当時反戦活動を行った人間だと思うのだが、
日本の右翼の中では加地氏は売国奴よばわりされている。



加地氏に限ったことではなく、日本には昔から戦争に反対する人間がいて、
その中には、戦時中にも反戦活動を行い、そのために迫害された人間もいた。


これは国会議事堂の前のデモとはレベルそのものが違う
まさに命がけの反戦運動だった(死亡した人間も多い)。




こうした人たちの多くは共産党党員だったということもあり、
日本の右翼ばかりでなく戦後の主流左翼も半ば自動的に否定的に評価している。


(意外に思われるかも知れないが、戦後の主流左翼に
 神のごとく崇められている丸山眞男などは、その典型だったりする)



これら反戦運動の中には
世界的に有名な人物もメンバーになっているケースもある。


例えば、1932年に開かれたアムステルダム世界反戦大会がそれで、
同大会ではロマン・ロラン、アインシュタイン、宋慶齢、片山潜らが、
日本の中国侵略に反対する極東反戦会議を33年に上海で設けることを提案している。

(宋慶齢=孫文の奥さん
 アインシュタインは翌年、ナチスの迫害から逃れて亡命・渡米する)



片山潜は、当時の日本人の中でもかなり国際的に有名な人物だったが、
この人もやはり共産党党員ということで、大きく取り上げられることは無い。



冷静に考えれば、当時のヨーロッパで最も活躍した文化人の一人である
ロマン・ロランやアルベルト・アインシュタインと協力して満州支配に抵抗した
日本人がいたというのは、相当な美談だと思えるのだが、アカはノーサンキューらしい。



日本の美談に無理がある理由として、
治安維持法で締め付けられていた戦前に、あえて法を破ってまで
反戦運動を行った人間が共産主義者か、それに準じる人しかいなかったというのが大きい。



あるいはクリスチャンか?いずれにせよ売国奴と呼ばれた人物である。
こういう人たちを取り上げると、遠まわしに日本政府の批判をしてしまうことになる。

(というのも、戦後70年、彼ら「売国奴」を逮捕、ひどい場合は
 投獄・拷問、処刑したことに対する賠償を日本政府は行っていないから)


そこで、今日のような微妙なエピソードを美談にするか、
あるいはシベリア抑留やBC級裁判のように日本兵を被害者にできる話にするか、
はたまた戦後まもなく経済を復興させた民間人を取り上げるかのいずれかが選ばれるわけだ。


まぁ、所詮はテレビ番組だから、もはや仕方あるまいで済まされる話でもあるのだけれど、
それならそれで、わざわざバラエティで取り上げたり再放送することもないでしょうという話で、
どうも、作り手側のモラルというか歴史認識も薄れているんじゃないかと心配になってくる次第である。

反核よりも大切なこと

2015-08-10 00:21:35 | 浅学なる道(コラム)
8月9日日曜、長崎で開かれた原爆投下70周年記念式典で、
次の国連総会で核兵器廃絶決議案を提出する意向であることが伝えられた。


恐らく、これは大多数の人間によって好意的に迎えられるニュースになるだろう。

しかし、安倍が言うところの核兵器は北朝鮮や中国の核兵器であり、
決してアメリカやイギリス、フランスの核兵器を意味してはいないだろう。



私は、

日本の反核運動は、これまで「何が悪いか」を問う言及に留まり、
そこから一歩踏み込んだ「誰が悪いか」の追及を控えてきたのではないだろうか?

という意見を先日、述べた。


それは現実ではアメリカや日本、イギリスの指導者層は明らかに、
「世界には良い戦争と悪い戦争、あるいは良い核と悪い核の2種類が存在し、
 自国のそれは前者に値し、敵国のそれは後者に値するのだ」と考えているのに対して、
私たちレフトが単に「核の脅威」や「戦争の残酷さ」を強調し、
一般論のレベルで抗議するだけで終わっていることを危惧しているからである。




長崎の原爆投下に関して言えば、非常に面白い話がある。


広島の原爆がウラニウム爆弾、長崎の原爆がプルトニウム爆弾であることは
ちょっと勉強した人なら誰でも知っていることだろう。


だが「なぜ、わざわざ違うタイプの爆弾が同時期に使われたのか?
ということを知る人はそういないと思う(もしかしたらいるかもしれないけど)。


ネタ晴らしをすると、当時のアメリカは自国が開発した
ウラニウム爆弾とプルトニウム爆弾のどちらが将来の生産対象として
ふさわしいのかを知るために実験も兼ねて二種類の原爆を使用したのである。



長崎の原爆投下作戦を一任されたレスリー・グローヴス将軍は、
開発に4千億ドルもかかった爆縮型爆弾が広島の引き金型爆弾と
同等の効果があることを示したがっていた。


実際の戦闘で新兵器の実験を行うというのは別に特異な発想ではなく、
例えば、一部左翼にも敬愛されている山本五十六も海軍の戦闘機開発の予算を
増やすために、上海空爆を計画・実行し、戦闘機の威力をアピールしたことがある。



今、私はアピールという言葉を書いたが、
まさに近代の科学兵器はアピールと一対のものだった。


哲学者のレイ・チョウは、
「近代科学は表象のテクノロジーだった」と述べている。


非常に大雑把に説明すると、近代の科学は、
小難しい専門知識や理論を知らなくても、
その威力の凄さが大衆に伝わるようにすることが優先されてきた。


コンピュータ・ゲームを例にすれば、わかりやすいと思う。

YouTubeあたりで昔のゲームと今のゲームの映像を比較するだけで、
現在のコンピュータ言語の技術の発展を実感することができるだろう。


同様に、兵器もまた、継続的に生産・使用されるために
その威力が誰にでも伝わるようにすることが求められ、
開発者・軍人たちが特に視覚効果に訴えるよう気にかけるようになった。


ある兵器を実演することで、その兵器の存在意義をアピールするようになった。



ちょっと小難しい話になってしまったが、要するに、
軍がプルトニウム爆弾の威力を証明し、
予算を確保するために長崎にあの原子力爆弾が落とされたのである。



試すだけならまだ良い。長崎の原爆投下は他者に対するアピール、
つまり開発チームの有能さなり兵器の有効さなりを訴えるためのものであった。


プレゼンで報告者がパワーポイントで
いかに自分の主張が正しいのかを説明するあの作業と同じ感覚で
アメリカは日本に原子力爆弾を投下した。



この「誰が悪いか」がハッキリとわかるエピソードを前にして、
キノコ雲の写真や、皮膚がただれた群集の絵をイメージして欲しい。


実験やアピールのために爆弾を都市に落とす、
しかも効果が高いことを期待して落とすという
落とした側の非人間性、人を人とも思わない思想が
あれらの資料からは伝わってこないのである。




それらから伝わってくるのは、「原子爆弾」に対するマイナスイメージであり
「原子爆弾を落とした理由」に対するマイナスイメージではない。



私が、わざわざこのような細かいことを執拗に気にかけるのは、

現在の反核運動に多く見られる傾向が、
原子爆弾を持つこと」に対する反射的な嫌悪感であり、
原子爆弾をなぜ持つのか」に対するものになっていないからである。



以前、ある反核活動家に
「北朝鮮は、米韓の軍事演習の中止を条件に核保有の放棄を提案している。
 逆に言えば、米韓の軍事演習が如何に北朝鮮に軍事的脅威を与えているのかということだ」
と述べたところ、お前は核兵器の保有を正当化するつもりなのかと言われたことがある。


それに対して私は
「アメリカの標的にされる国が核を持つのは自国が侵略される恐れがあるからだ。

 実際、アメリカはベトナム、イラクと嘘の理由で他国の土地を荒らしたにも
 関わらず、非難を受けただけで戦争犯罪で裁かれたことなど一度足りともない。

 このようにアメリカやNATOが野放しになっている状況を変え、
 北朝鮮が核兵器を持たなくても済むようにすることこそが、
 核兵器廃絶のために最も近く、効果が見込まれる手段であるはずだ
」と答えた。


「それは政府がすべきことだ!」という謎の回答で否定されたわけだが、
 ある国が核兵器を持つには、それなりの理由があること、
 その理由に正当性がある場合、持たざるを得なかった原因を解消すること、
 つまり、NATOの中東・アフリカ・アジアに対する軍事干渉に抵抗することが
 核の廃絶につながるという認識を持つことが大事なのだという意見は今も変わらない。
 

「誰が悪いのか」に深く言及しない反核は、結局のところ、
 冒頭で安倍が述べたような軍拡を許す反核、
 北朝鮮や中国、ロシアへの敵視を助長させる反核になってしまうだろう。



少なくとも、核を持った→許されない悪だ!という単純な認識は
核に反対した→この人は正義だ!という単純な認識と表裏一体のものである。


あのキッシンジャーやオバマが反核を唱えただけで好意的に評価されたことは、
反核というものが非常に使い勝手のいいアクセサリーであることを証明したものだと言えよう。


核廃絶を主張するオバマと核の使用準備を表明したプーチンとを対置すれば、
いかにアメリカがロシアに対して意地の悪い攻撃をしていようと、
いかにアメリカがウクライナを事実上の植民地にしていようと、
問答無用で前者が正義で後者が悪ということになってしまう。



実際、全体を見ずに核に対する発言だけを見て、
どちらが悪者かを決める反核・反戦団体は少なくない。


嘘だと思えば、「北朝鮮 反核」あるいは「プーチン 反核」とでも検索をかけると良い。



このような原理主義とでも言うべき人間や団体が、
いかに特定の国に対する軍事的・経済的干渉の正当化に貢献しているかを知るといい。


長々と書いたが、私たちは「核を持つことは悪いことだ」という単純なテーゼではなく、
「なぜこの国は核を持たなければならなかったのか」という疑問を持つべきだ。


それすら、今の日本の言論状況では
「それはロシアが悪だからじゃ!北朝鮮が独裁国家だからじゃ!」といった理解しか
 されないようが気がするが、単純な正義ほど力強い軍拡へのエールはない。


知らず知らずのうちに右翼(というか安倍やオバマ)に都合が良い
アクションをとらないようにするために変わることが今、必要とされている。
そのことに変わりはあるまい。