スターリン主義というと、たいてい読者は、
独裁・暴政・弾圧・飢餓等々のイメージを思い起こすだろう。
私自身は、良くも悪くもソ連が無くなった後の時代に幼少期を過ごしているので、
ソ連に対するマイナスイメージというのは、あまりないまま生きることが出来た。
加えて、ロシア人の女性(当時20代だったと思う)にロシア語を少しだけ習った
こともあり、ロシアに対しての印象は、かなり良いものだと思う。
ある程度、難しい本を読むようになってから、
右も左もソ連批判、ソ連地獄論に執心していることに違和感を覚えたのも、
この時の影響、つまりロシアがそこまで非道い国だとは到底思わなかったことがある。
実際、連中が総括(笑)に夢中になっていたちょうどその時に旧東側、第3諸国への欧米の
軍事・経済干渉が実行されていたわけで、漠然と感じた違和感も強ちウソではなかったのである。
(この軍事・経済干渉は、現在、リビア・アフガン、イエメン、ウクライナ等多岐に渡っている)
さて、今回、取り上げるスターリン主義だが、
私は、この「スターリン主義」という言葉は随分とおかしな言葉だと考えている。
理由は単純明快で、当のスターリンは、いわゆる独裁に反対していたからだ。
スターリンの講演録である『レーニン主義の諸問題によせて』という本を読むと、
彼がソ連の一党独裁や一人のリーダーによる独裁に断固反対していることがわかる。
-------------------------------------------------------
党の独裁という慣用句が、われわれの実践活動のなかで多くの危険と政治的な
マイナスとをひきおこしうるものであるということについては、私はもはやのべない。
保留条件なしでこの慣用句をもちいいることは、つぎのことをほのめかすようなものである。
(a)非党員大衆にむかっては、反対をするな、自分の意見を言うな。
なぜなら、党はなんでもできるのだから、また、わが国には党の独裁があるのだから。
(b)党の幹部にむかっては、もっと思い切って行動せよ、もっとしっかり締め付けよ。
非党員大衆の声に耳をかたむけないでもよいのだ。わが国には党の独裁があるのだから。
(c)党の上層部にむかっては、多少は自己満足のおごりにふけってもかまわない、
すこしぐらいはうぬぼれてもかまわない。なぜなら、わが国には、党の独裁が、
「つまり」首領の独裁があるのだから。
大衆の政治的積極性が高揚しているこのとき、
つまり、党が注意深く大衆の声に耳をかたむけようとする心がまえが
われわれにとって特別にたいせつなことであり、
大衆の要求にたいして敏感であることがわが党の基本的な戒律であり、
政治上の特別な慎重さと特別な柔軟性とが党に要求されており、
そして、うぬぼれという危険が、
大衆をただしく指導するという仕事のなかで、
党の直面しているもっとも重大な危険の一つになっている
というような現在こそ、
これらの危険について注意することは時宜に適している。
(1926年1月25日
スターリン著、田中順二訳『レーニン主義の諸問題に寄せて』)
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以上の発言を読む限り、スターリン主義=個人崇拝、独裁と定義するのはおかしい。
スターリン自身は、その逆のこと(首領崇拝、党の権力濫用の戒め)を主張したのだから。
なるほど、マルクス主義はマルクスが唱えていたこと、あるいは
それを継承・発展させた思想なのだから、これは特に問題はあるまい。
だが、スターリンの意見とはおよそ繋がりのない、正反対の思想を
スターリン主義と呼び、あたかもスターリンが推進したかのように定義するのは変だ。
本来なら、スターリン主義=一党独裁の警戒、批判、自粛と定義すべきなのである。
そして、これは何もスターリンの弁護ではなく、むしろその逆で、
なぜ個人崇拝や党権力の濫用を非難したにも関わらず、結果的に
そのような体制へと移行してしまったのかという重大な問題点が浮き彫りになってくる。
ヒトラーはユダヤ人への差別を露にしており、
大衆がその差別思想に共鳴したことでナチズムは機能した。
翻って、ソ連では一党独裁への批判が他ならぬスターリンがしたにも関わらず、
結果的にはスターリン自身のカリスマは絶大なものへとなっていった。
この違いは大きい。ユダヤ人を殺せと言ってその通りに実行したナチズムと
いわゆる独裁に警鐘を鳴らしたにもかかわらず、その道を歩んだスターリニズム。
後者のほうがより深刻な問題ではないか。
つまり、スターリン主義の再考は
ソ連時代の問題点、欠点を、より深く考察するために避けて通れないと私は思うのである。
また、このスターリン主義と言う言葉を好んで使った新左翼自身が
内ゲバ等の暴力沙汰を起こしたり、議会主義を否定したり、
ブームが過ぎ去った後、我先にと右翼・中道に転向したりしたわけで、
スターリン主義と言う言葉自体が提唱者のイデオロギーの正当化に利用された側面がある。
事実、ハンガリー騒乱においてソ連軍を派遣し民衆を弾圧した1950年代半ば、
その最高責任者であるフルシチョフがスターリン主義を語ったことこそが、
党内のスターリン派へのけん制として、批判を行ったのではないかという疑惑を生ませる。
この辺の追求は本来、ソ連研究者がしなければらならないことなのだが、
どうもしているのかしていないのかよくわからない(恐らくしているとは思う)
日本のロシア研究者は都合よく、自分たちの意見にあった学者の本しか
翻訳しないため、本国の研究動向が把握しづらい。そして、日本人研究者は
冒頭に述べたようにソ連地獄論に奔走し、そのように単純なイメージで
片付けられる問題ではないことに気づかない。これは非常に問題があるのではないだろうか。
独裁・暴政・弾圧・飢餓等々のイメージを思い起こすだろう。
私自身は、良くも悪くもソ連が無くなった後の時代に幼少期を過ごしているので、
ソ連に対するマイナスイメージというのは、あまりないまま生きることが出来た。
加えて、ロシア人の女性(当時20代だったと思う)にロシア語を少しだけ習った
こともあり、ロシアに対しての印象は、かなり良いものだと思う。
ある程度、難しい本を読むようになってから、
右も左もソ連批判、ソ連地獄論に執心していることに違和感を覚えたのも、
この時の影響、つまりロシアがそこまで非道い国だとは到底思わなかったことがある。
実際、連中が総括(笑)に夢中になっていたちょうどその時に旧東側、第3諸国への欧米の
軍事・経済干渉が実行されていたわけで、漠然と感じた違和感も強ちウソではなかったのである。
(この軍事・経済干渉は、現在、リビア・アフガン、イエメン、ウクライナ等多岐に渡っている)
さて、今回、取り上げるスターリン主義だが、
私は、この「スターリン主義」という言葉は随分とおかしな言葉だと考えている。
理由は単純明快で、当のスターリンは、いわゆる独裁に反対していたからだ。
スターリンの講演録である『レーニン主義の諸問題によせて』という本を読むと、
彼がソ連の一党独裁や一人のリーダーによる独裁に断固反対していることがわかる。
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党の独裁という慣用句が、われわれの実践活動のなかで多くの危険と政治的な
マイナスとをひきおこしうるものであるということについては、私はもはやのべない。
保留条件なしでこの慣用句をもちいいることは、つぎのことをほのめかすようなものである。
(a)非党員大衆にむかっては、反対をするな、自分の意見を言うな。
なぜなら、党はなんでもできるのだから、また、わが国には党の独裁があるのだから。
(b)党の幹部にむかっては、もっと思い切って行動せよ、もっとしっかり締め付けよ。
非党員大衆の声に耳をかたむけないでもよいのだ。わが国には党の独裁があるのだから。
(c)党の上層部にむかっては、多少は自己満足のおごりにふけってもかまわない、
すこしぐらいはうぬぼれてもかまわない。なぜなら、わが国には、党の独裁が、
「つまり」首領の独裁があるのだから。
大衆の政治的積極性が高揚しているこのとき、
つまり、党が注意深く大衆の声に耳をかたむけようとする心がまえが
われわれにとって特別にたいせつなことであり、
大衆の要求にたいして敏感であることがわが党の基本的な戒律であり、
政治上の特別な慎重さと特別な柔軟性とが党に要求されており、
そして、うぬぼれという危険が、
大衆をただしく指導するという仕事のなかで、
党の直面しているもっとも重大な危険の一つになっている
というような現在こそ、
これらの危険について注意することは時宜に適している。
(1926年1月25日
スターリン著、田中順二訳『レーニン主義の諸問題に寄せて』)
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以上の発言を読む限り、スターリン主義=個人崇拝、独裁と定義するのはおかしい。
スターリン自身は、その逆のこと(首領崇拝、党の権力濫用の戒め)を主張したのだから。
なるほど、マルクス主義はマルクスが唱えていたこと、あるいは
それを継承・発展させた思想なのだから、これは特に問題はあるまい。
だが、スターリンの意見とはおよそ繋がりのない、正反対の思想を
スターリン主義と呼び、あたかもスターリンが推進したかのように定義するのは変だ。
本来なら、スターリン主義=一党独裁の警戒、批判、自粛と定義すべきなのである。
そして、これは何もスターリンの弁護ではなく、むしろその逆で、
なぜ個人崇拝や党権力の濫用を非難したにも関わらず、結果的に
そのような体制へと移行してしまったのかという重大な問題点が浮き彫りになってくる。
ヒトラーはユダヤ人への差別を露にしており、
大衆がその差別思想に共鳴したことでナチズムは機能した。
翻って、ソ連では一党独裁への批判が他ならぬスターリンがしたにも関わらず、
結果的にはスターリン自身のカリスマは絶大なものへとなっていった。
この違いは大きい。ユダヤ人を殺せと言ってその通りに実行したナチズムと
いわゆる独裁に警鐘を鳴らしたにもかかわらず、その道を歩んだスターリニズム。
後者のほうがより深刻な問題ではないか。
つまり、スターリン主義の再考は
ソ連時代の問題点、欠点を、より深く考察するために避けて通れないと私は思うのである。
また、このスターリン主義と言う言葉を好んで使った新左翼自身が
内ゲバ等の暴力沙汰を起こしたり、議会主義を否定したり、
ブームが過ぎ去った後、我先にと右翼・中道に転向したりしたわけで、
スターリン主義と言う言葉自体が提唱者のイデオロギーの正当化に利用された側面がある。
事実、ハンガリー騒乱においてソ連軍を派遣し民衆を弾圧した1950年代半ば、
その最高責任者であるフルシチョフがスターリン主義を語ったことこそが、
党内のスターリン派へのけん制として、批判を行ったのではないかという疑惑を生ませる。
この辺の追求は本来、ソ連研究者がしなければらならないことなのだが、
どうもしているのかしていないのかよくわからない(恐らくしているとは思う)
日本のロシア研究者は都合よく、自分たちの意見にあった学者の本しか
翻訳しないため、本国の研究動向が把握しづらい。そして、日本人研究者は
冒頭に述べたようにソ連地獄論に奔走し、そのように単純なイメージで
片付けられる問題ではないことに気づかない。これは非常に問題があるのではないだろうか。