中国は共産党が独裁体制を敷いていて、言論の自由がない。
こういう言説は耳にタコができるほど聞かされてきた。
しかるに、これが事実かと問われると実際は、そこまでガチガチに規制されているわけでもない。
北京大学のユ・ビン氏や清華大学のワン・フイ氏の著作を読んでいると、
中国も鄧小平政権以降の市場主義かによって、だいぶ西洋化していることがわかる。
ふるまいよしこ氏の『中国メディア戦争』を読んでも、まぁこの本は多分に要注意な本ではあるが、
それでも、地方の新聞は政府に対してきちんと批判的な記事を書いていることが伺える。
同書は、厳しい情報統制の網の目をかいくぐってと言う風に書かれてはいるものの、
先述のユ・ビン氏やワン・フイ氏のそれを読む限り、中国にも論争をする権利があり、
特にユ・ビン氏に至っては新自由主義的な政策を主張する国内の論者に対して明確な反論を行っている。
私は中国には言論の自由が確立されていると主張しているわけではない。
私が言いたいのは、中国には確かに言論の自由がない。日本やアメリカと同様にと言いたいだけである。
あるいは中国には言論の自由がある。政府にとって致命的な批判を行わない限りはといったところか。
例えば、中国が南シナ海で軍事施設を敷設しようとしている行為に対して
軍事的な挑発と捉え、帝国主義国家中国を印象付けようとする記事が当たり前のように書かれているが、
実はフィリピンやベトナムがそれ以前から同様の行為を行っていたことには誰も触れない。
軍事施設を敷設した→武力をもって南沙諸島を奪略という公式はただちに導けないはずだし、
実際に中国はアメリカを主とした欧米の影響を抜きにして、
ASEAN各国と領土問題について対話による解決を再三主張している。
さらに言えば、フィリピンやベトナムに対して米軍が基地を敷設しようとしている件、
日本が両国と合同軍事演習をしている件、これらの国に武器を輸出する件などは少しも語られない。
中国にしてみれば目と鼻の先で軍事演習がされているわけであり、
それも領土問題とは直接関係のないはずの日米が干渉しているのであるから危機感を抱かないはずがない。
しかし、こういう向こう側の恐怖心は完全に無視され、「怖い中国」だけが喧伝される。
先日、私のもとに届いたある学会誌には
中国は経済力、軍事力、ともに世界第二位であり、表面的には華々しいパフォーマンスをしているが、
中国にはクール・チャイナというようおな世界の人々を惹きつける魅力がないと書かれていた。
アメリカには永住する移民が多くいるが、中国に移民しようとする人間がいるだろうかと。
(学会誌の文章である。そのへんの右翼雑誌の文章ではなくて)
その根本的理由は共産党統治下での自由の欠如らしいが、
アメリカにしたところで、ムスリムや黒人はおよそ本当の意味での自由は享受していないのが実情である。
理系の研究者が海外の機関に就職してしまい、人材が育っていないのが大分前から問題視されているが、
それは別に日本よりアメリカのほうが自由があるからではなくて、単純に待遇や設備の問題だろう。
中国への留学生はそれなりにいるけれども、それは何も中国をリスペクトしているわけではなくて、
研究上、向こうの大学で学んだほうが都合がよいからに他ならない。
なんというか、こういう非常に単純な中国に対するビジョンというものが
教授レベルでも当たり前のように共有されていて、こういう人物が語る反戦論や
反自民党論というのがどれほど弱々しいものであるかは容易に想像できるのではないかと思う。
私がそれなりに苦労して得た中国の実情に対する書誌の数々も、
市場全体にあふれている中国バッシングを目的としたそれと比べれば微々たるものでしかない。
それは中国も同じで、ある見解を促す情報は山のようにある一方で、
別視点から語られたものは極端に少ないのだろう。直接行ったわけではないので断言はできないが。
だが、間違っても中国より日本やアメリカのほうが自由があると勘違いしてはいけないと私は思う。
仮にだが、新聞やテレビ番組で北朝鮮や中国の言い分にも一理あると語ることは出来るだろうか?
もちろん、法律上は可能だが、実際の問題として、それをやるマスメディアは存在しているだろうか?
むしろ逆に政府の見解にそって中国の悪印象を強調する記事が大半を占めているのではないか?
どうも私には巷にあふれる中国論は、相対的にアメリカや日本には
自由があると再確認したいという願望が含まれているような気がするのである。
こういう言説は耳にタコができるほど聞かされてきた。
しかるに、これが事実かと問われると実際は、そこまでガチガチに規制されているわけでもない。
北京大学のユ・ビン氏や清華大学のワン・フイ氏の著作を読んでいると、
中国も鄧小平政権以降の市場主義かによって、だいぶ西洋化していることがわかる。
ふるまいよしこ氏の『中国メディア戦争』を読んでも、まぁこの本は多分に要注意な本ではあるが、
それでも、地方の新聞は政府に対してきちんと批判的な記事を書いていることが伺える。
同書は、厳しい情報統制の網の目をかいくぐってと言う風に書かれてはいるものの、
先述のユ・ビン氏やワン・フイ氏のそれを読む限り、中国にも論争をする権利があり、
特にユ・ビン氏に至っては新自由主義的な政策を主張する国内の論者に対して明確な反論を行っている。
私は中国には言論の自由が確立されていると主張しているわけではない。
私が言いたいのは、中国には確かに言論の自由がない。日本やアメリカと同様にと言いたいだけである。
あるいは中国には言論の自由がある。政府にとって致命的な批判を行わない限りはといったところか。
例えば、中国が南シナ海で軍事施設を敷設しようとしている行為に対して
軍事的な挑発と捉え、帝国主義国家中国を印象付けようとする記事が当たり前のように書かれているが、
実はフィリピンやベトナムがそれ以前から同様の行為を行っていたことには誰も触れない。
軍事施設を敷設した→武力をもって南沙諸島を奪略という公式はただちに導けないはずだし、
実際に中国はアメリカを主とした欧米の影響を抜きにして、
ASEAN各国と領土問題について対話による解決を再三主張している。
さらに言えば、フィリピンやベトナムに対して米軍が基地を敷設しようとしている件、
日本が両国と合同軍事演習をしている件、これらの国に武器を輸出する件などは少しも語られない。
中国にしてみれば目と鼻の先で軍事演習がされているわけであり、
それも領土問題とは直接関係のないはずの日米が干渉しているのであるから危機感を抱かないはずがない。
しかし、こういう向こう側の恐怖心は完全に無視され、「怖い中国」だけが喧伝される。
先日、私のもとに届いたある学会誌には
中国は経済力、軍事力、ともに世界第二位であり、表面的には華々しいパフォーマンスをしているが、
中国にはクール・チャイナというようおな世界の人々を惹きつける魅力がないと書かれていた。
アメリカには永住する移民が多くいるが、中国に移民しようとする人間がいるだろうかと。
(学会誌の文章である。そのへんの右翼雑誌の文章ではなくて)
その根本的理由は共産党統治下での自由の欠如らしいが、
アメリカにしたところで、ムスリムや黒人はおよそ本当の意味での自由は享受していないのが実情である。
理系の研究者が海外の機関に就職してしまい、人材が育っていないのが大分前から問題視されているが、
それは別に日本よりアメリカのほうが自由があるからではなくて、単純に待遇や設備の問題だろう。
中国への留学生はそれなりにいるけれども、それは何も中国をリスペクトしているわけではなくて、
研究上、向こうの大学で学んだほうが都合がよいからに他ならない。
なんというか、こういう非常に単純な中国に対するビジョンというものが
教授レベルでも当たり前のように共有されていて、こういう人物が語る反戦論や
反自民党論というのがどれほど弱々しいものであるかは容易に想像できるのではないかと思う。
私がそれなりに苦労して得た中国の実情に対する書誌の数々も、
市場全体にあふれている中国バッシングを目的としたそれと比べれば微々たるものでしかない。
それは中国も同じで、ある見解を促す情報は山のようにある一方で、
別視点から語られたものは極端に少ないのだろう。直接行ったわけではないので断言はできないが。
だが、間違っても中国より日本やアメリカのほうが自由があると勘違いしてはいけないと私は思う。
仮にだが、新聞やテレビ番組で北朝鮮や中国の言い分にも一理あると語ることは出来るだろうか?
もちろん、法律上は可能だが、実際の問題として、それをやるマスメディアは存在しているだろうか?
むしろ逆に政府の見解にそって中国の悪印象を強調する記事が大半を占めているのではないか?
どうも私には巷にあふれる中国論は、相対的にアメリカや日本には
自由があると再確認したいという願望が含まれているような気がするのである。