「あなたはシャルリーか?」
表現の自由を盾にレイシズムを正当化してはいないか?
言論の自由を掲げながら、自国の弾圧を看過してはいないか?
あなたは差別者と被差別者、どちらに味方するのか?
このような意味を込め、私は上のフレーズを使っている。
さて、先日、サウジアラビアの建国を批判的に描く映画「砂の王」が
なぜか無視される一方で、反イスラム映画として批判を受けている
「アメリカン・スナイパー」が映画不況の今、わざわざ公開することを述べた。
これに関連して、日本ではある映画が公開禁止になっていることを指摘しよう。
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アンジェリーナ・ジョリー監督の映画「アンブロークン」の日本公開が禁止
アンジェリーナ・ジョリー監督による、
旧日本軍の捕虜となった米国人を描いた映画「アンブロークン」の日本での公開が禁止されました。
この映画は、アメリカで昨年12月25日から公開され、
4730万ドルの興行収入を挙げていますが、日本では公開が見送りとなる見込みです。
アメリカの大手映画会社・ユニバーサルピクチャーズが制作した、
この映画の日本公開は、日本の配給会社・東宝東和が請け負うことになっていましたが、
東宝東和は今回の日本公開中止の理由については発表していません。
インターネットによる日本の独立系右翼は、
様々なブログやサイト上で、大々的にこの映画への反対を示しています。
この映画は、第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となり虐待を受けた元五輪選手で、
アメリカ軍のパイロットだった、ルイス・ザンペリーニ氏の生涯を描いた映画です。
外国の配給元企業はおそらく、日本における映画館での
この映画の公開権や家庭用映画としての販売権を買い取ることになると思われますが、
これまでに日本国内でこの映画の公開に名乗りを上げた企業はありません。
これ以前にも、複数の映画が日本の右翼の怒りを煽り、
日本での公開に際して問題に直面しています。
例えば、2009年に公開されたアメリカのドキュメンタリー映画
「The Cove」(ザ・コーヴ、入り江の意)は、
和歌山県で行われているイルカの追い込み漁について描いていますが、
これは日本の右翼の大規模な抗議を招きました。
日本の映画作家の想田和弘氏も、
『上映禁止が懸念されるドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」を論じる』
という討論会を行っており、日本国民から批判され、
左翼、韓国と中国の諜報員として非難されています。
こうした過激な反応により、
日本では映画産業における自己検閲という現象が生じています。
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/
51390-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA
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「ザ・コーヴ」について一言、付け加えるならば、
この映画のDVD盤には捕鯨を擁護する東海大の教授の「解説」が特典として付いている。
これは、アンネの日記の巻末にホロコースト否定説が添えられているようなもので、
このような「両論併記」がない限り、日本では販売すら危ういことを物語っている。
このような露骨な社会的抑圧に対して怒りを露わにする現象が日本では見られない。
一部の左翼が抗議しているだけで、むしろコーヴに関して言えば、
このような言論抑圧をどのメディアも文化を盾に推し進めていた。
吉田松陰の妹が主役の低視聴率大河ドラマや
特攻隊を美化して描く極右作家の小説が映画化・ドラマ化する今、
その反対の立場で描く映画は、徹底的に阻害されているのが今の映画界だ。
このような抑圧は国家ではなく、社会の手によって、
誰かに強制されるのではなく、各人が空気を読み自粛することによって成り立っている。
では、この空気を作り上げたのは誰なのか?
もちろん、NHK、朝日、文春、新潮などのメディアの言論と、
それを支持し拡散する大衆によって築かれたものである。
そこで、改めて冒頭の質問を反芻することになる。
「あなたはシャルリーか?」
表現の自由を盾にレイシズムを正当化してはいないか?
言論の自由を掲げながら、自国の弾圧を看過してはいないか?
あなたは差別者と被差別者、どちらに味方するのか?
このような意味を込め、私は上のフレーズを使っている。
さて、先日、サウジアラビアの建国を批判的に描く映画「砂の王」が
なぜか無視される一方で、反イスラム映画として批判を受けている
「アメリカン・スナイパー」が映画不況の今、わざわざ公開することを述べた。
これに関連して、日本ではある映画が公開禁止になっていることを指摘しよう。
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アンジェリーナ・ジョリー監督の映画「アンブロークン」の日本公開が禁止
アンジェリーナ・ジョリー監督による、
旧日本軍の捕虜となった米国人を描いた映画「アンブロークン」の日本での公開が禁止されました。
この映画は、アメリカで昨年12月25日から公開され、
4730万ドルの興行収入を挙げていますが、日本では公開が見送りとなる見込みです。
アメリカの大手映画会社・ユニバーサルピクチャーズが制作した、
この映画の日本公開は、日本の配給会社・東宝東和が請け負うことになっていましたが、
東宝東和は今回の日本公開中止の理由については発表していません。
インターネットによる日本の独立系右翼は、
様々なブログやサイト上で、大々的にこの映画への反対を示しています。
この映画は、第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となり虐待を受けた元五輪選手で、
アメリカ軍のパイロットだった、ルイス・ザンペリーニ氏の生涯を描いた映画です。
外国の配給元企業はおそらく、日本における映画館での
この映画の公開権や家庭用映画としての販売権を買い取ることになると思われますが、
これまでに日本国内でこの映画の公開に名乗りを上げた企業はありません。
これ以前にも、複数の映画が日本の右翼の怒りを煽り、
日本での公開に際して問題に直面しています。
例えば、2009年に公開されたアメリカのドキュメンタリー映画
「The Cove」(ザ・コーヴ、入り江の意)は、
和歌山県で行われているイルカの追い込み漁について描いていますが、
これは日本の右翼の大規模な抗議を招きました。
日本の映画作家の想田和弘氏も、
『上映禁止が懸念されるドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」を論じる』
という討論会を行っており、日本国民から批判され、
左翼、韓国と中国の諜報員として非難されています。
こうした過激な反応により、
日本では映画産業における自己検閲という現象が生じています。
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/
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「ザ・コーヴ」について一言、付け加えるならば、
この映画のDVD盤には捕鯨を擁護する東海大の教授の「解説」が特典として付いている。
これは、アンネの日記の巻末にホロコースト否定説が添えられているようなもので、
このような「両論併記」がない限り、日本では販売すら危ういことを物語っている。
このような露骨な社会的抑圧に対して怒りを露わにする現象が日本では見られない。
一部の左翼が抗議しているだけで、むしろコーヴに関して言えば、
このような言論抑圧をどのメディアも文化を盾に推し進めていた。
吉田松陰の妹が主役の低視聴率大河ドラマや
特攻隊を美化して描く極右作家の小説が映画化・ドラマ化する今、
その反対の立場で描く映画は、徹底的に阻害されているのが今の映画界だ。
このような抑圧は国家ではなく、社会の手によって、
誰かに強制されるのではなく、各人が空気を読み自粛することによって成り立っている。
では、この空気を作り上げたのは誰なのか?
もちろん、NHK、朝日、文春、新潮などのメディアの言論と、
それを支持し拡散する大衆によって築かれたものである。
そこで、改めて冒頭の質問を反芻することになる。
「あなたはシャルリーか?」