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前記事の続き。
文字数がオーバーしたため分割して
掲載した。未読の方は上のリンクから
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ほしい。
にも関わらず、2月の上旬には
EUと日本は合衆国に追従した。
1月26日には
再選挙を行わなければ
グアイド政権を承認すると英仏独西蘭が
約束していたのである。
こうした動きに対して日本のメディアは
現在のウクライナ紛争に対するような
姿勢は全く見せなかった。
内政干渉だの侵略だの
主権の尊重だのといった綺麗事は
全て2022年2月24日以降に生まれた嘘である。
この時期、ベネズエラは制裁によって
国営企業の銀行を凍結され、深刻な経済危機が
起きていた。
米国の対ベネズエラ制裁により数万名が死亡したことが報告書で明らかに(経済政 策研究センター(CEPR)プレスリリース) | ベネズエラ
同年5月に発表された調査書は、
制裁によって4万人のベネズエラ国民が
死亡したことを指摘している。
にも関わらず、朝日新聞は
この件には一切、非難の色を見せず、
逆にマドゥロ政権を攻撃している。
「武力介入の可能性も否定しない
トランプ米政権の言動は危うい。
一方、現政権の強権を黙認する中ロも無責任である。」
という言葉は4万人の死を前にして
なんと虚しく響くのだろうか。
マドゥロ政権が高圧的なのは
あくまでグアイド派限定である。
過激派を全国民代表であるかのように
表現し、制裁を正当化させる。
これは香港や新疆に関わる問題でも
メディアが好んで使っている手法だが、
こうした応援によって最も得をするのは
ベネズエラ人4万人を殺害した連中である
ことは疑いようがない。
こうした愛と正義のリベラル原理主義者達の
陰ながらの支援によって、アメリカは好きなだけ
他国を脅すことが出来るようになった。
その責任は今の所、誰も取っていない。
「民主主義の危機」という言葉が
バカのように連呼されるさまを見て
静かな怒りを感じるのは
この時の連中の態度を
私が覚えているからである。
グアイドの米軍侵攻支持、
アメリカの制裁、EU日本の異常な速さでの
反体制派支持、これらに対する責めを一言
二言で済ませ、マドゥロを諸悪の元凶とする。
こうしたプロセスのもと、
アメリカの文字通りのジェノサイドは
民主的に免罪された。
皮肉にもこの蛮行を非難したのは
ロシアと中国、イランといった
独裁国家と呼ばれる国々だった。
中国は
国連憲章順守の立場から
アメリカを毅然とした態度で非難したが、
これは日本の人道主義者と対極的なものである。
(なお、中国はウクライナ紛争においても
ウクライナに人道支援を続ける一方で
一切の武器支援をせず、制裁に抗議し、
協議による解決を主張している)
今年になって、ロシアへの制裁によって
原油不足に陥った合衆国は
ベネズエラに対して制裁緩和と引き換えに
石油を分けてくれるよう交渉した。
制裁というものは科した側の都合によって
どうにでもなるのである。
当然、ベネズエラは、この要請を無視、
バイデンの試みは失敗に終わった。
以上、ベネズエラ情勢を簡単に
振り返ってみたが、改めてこの制裁という
最凶の破壊プロセスに対して全くもって
涼しい顔で静観していた連中が
安倍晋三が死んだぐらいで
がなりたてるのは不可解にすぎる。
政治的意図はないと
犯人が断言しているにも関わらず、
民主主義と無理やり絡めてテロ視するのは
我田引水にすぎるだろう。
安倍の死が民主主義の死であるかのように
喧伝していた人々が今ごろになって、
国葬を非難するのは矛盾している。
ガソリンをまいてライターを
放火魔に渡した人間が、いざ火災が起きた
途端に絶叫しだすような不可解さを感じる。
実のところ、こういう動きは
別の問題においても見られるものである。
ウクライナ問題においても
一つの解釈を絶対視し、異論を紙面から
締め出した結果、日本の言説空間は
どの論者も同じ見解しか言わないという
ある種の異様さを呈している。
矛盾を指摘されても
結論を修正することが出来ない。
同じ言葉をグルグルと繰り返して、
会話が成り立たないのである。
思考を停止したゾンビのごとく
予めセットされた言動しか取れない
陳腐なヒューマニズムこそ
民主主義崩壊の予兆と知れと言いたい。
本来の民主主義というものは
一人ひとりの熟慮があって初めて
成り立つものである。
誰かが言い始めたことを復唱するだけで
なんとなく自分たちが
正しいことをしているような気分に
浸るのは民主主義でも何でも無い。
強く非難するが、招待状を要人に送り、
すでにキャンセル不可能となった
直前のタイミングで国葬を批判するのは
アリバイ作り以外の何物でもない。
私自身、国葬には否定的だが、
それは安倍の神格化につながるから
であり、国葬でなく自民党主催のものなら
問題ないということにはならない。
ところが、実際に見てみると
合同葬なら良いとか党葬なら良いと
いった意見も散見されるのである。
安倍晋三の美化につながるから
反対しているわけではなく、
単に金銭が惜しいから反対している
のであれば、そんな民主主義は滅べば
良いとさえ私は思う。
私達が目指すべきは権威主義に抗う
民主主義であるはずだ。
国葬それ自体は問題だが
それ以上に大問題なのは、
相手に応じて出したり引っ込めたり
することが出来てしまう
戦後民主主義の有り様なのである。