時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

カストロよ、安らかに眠れ

2016-11-26 23:15:14 | キューバ・ベネズエラ
私は自問します。
たとえば相対性理論の創始者アインシュタインが、いわゆる欧州の文明国ではなく、
ヘクター・ピーターソンのようにソウェトで生まれ育っていたら、どうだろうと。

アインシュタインはナチに迫害されました。
ナチの強制収容所では数百万のユダヤ人の大虐殺が行われました。

技術文明が人間的感情に欠け、いかに多くの問題を抱えているかの好例であります。

それにしても、もしソウェトに生まれ育っていたら、
アインシュタインはアインシュタインにはなれなかった。


恐らく、ヘクターと同じようなことになり、相対性理論を発見することもなく、
いや、6年生にも上がれず、中学校を卒業することもできなかったのではないかと。

(1998年、南アフリカでの演説から引用)


ヘクター・ピーターソンは1976年、アパルトヘイト反対のデモの最中に銃殺された少年。享年13歳だった。


キューバは20世紀後半、アフリカの反植民地主義に尽力した国だった。
軍事的支援もさながら、医師団を派遣し、現地の医療に貢献した国として尊敬されている。

その典型的人物が、かの有名なネルソン・マンデラだった。


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マンデラは、キューバ人は"白人圧政者の無敵神話を破壊した…
そして南アフリカの大衆に闘うきっかけをもたらした"と言います。

歴史家のPiero Gleijesesは、南ア政府にナミビアを自由にするのを余儀なくさせて
南アのアパルトヘイトの後ろ盾を乱すのを助けたのは、
アンゴラ人民解放運動を支援したキューバが1988年アンゴラで勝利したことだったと主張します。



NERMEEN SHAIKH:

バラク・オバマ大統領がキューバのラウル・カストロ議長と
握手した火曜の歴史的瞬間に注意を向けます。どちらも
南アの反アパルトヘイト指導者ネルソン・マンデラの追悼式に参加しました。


握手は予定外だったとホワイトハウスは言いました。
アメリカの大統領がキューバの指導者と握手したことでは2000年以来はじめてと記録されます。
ワシントンでは共和党議員らがこのやりとりについて非道と表現しました。


エイミー・グッドマン(番組司会者)
:オバマ大統領とラウル・カストロ議長の握手に関する騒動が
南アの反アパルトヘイト運動とキューバとの緊密な関係に人の注意を引きました。

1991年にネルソン・マンデラは
当時フィデル・カストロが議長のキューバを訪れました。
これは二人がはじめて会ったときのクリップです。



ネルソン・マンデラ:

私たちがなにか言う前に、
あなたがいつ南アフリカに来るのか、私に教えなければなりません。
ほら、ダメです、ちょっと待って、ちょっと待って。


フィデル・カストロ議長:なるべく早く。


ネルソン・マンデラ:

私たちの友人、キューバ、我らの民を鍛えることで私たちを助けてくれた、
時の流れが私たちの苦闘に賛同する算段を私たちに与えてくれた、
医師やSWAPO(ナミビアの独立をめざした黒人の解放組織)として我らの民を訓練してくれた、
あなたは私たちの国に来ていません。いつ来るんですか?


フィデル・カストロ議長:

私はまだ祖国南アを訪問していない。
訪問したい、あなたと南アフリカの人々を愛するようにホームランドとして私は南アを愛している。


エイミー・グッドマン:

さて、南アのアパルトヘイトを終わらせるための苦闘での
キューバの欠かせない役割についてさらに詳細を知るために
ジョーンズホプキンス大学先進国際研究学校
アメリカ外交政策教授のPiero Gleijeses に加わっていただきます。

Piero Gleijeses教授、ようこそデモクラシーナウ!に

この欠かせない関係について、
なぜキューバが反アパルトヘイト運動にとってそれほど根本だったのか、話してください。



Piero Gleijeses:

キューバは、アパルトヘイトの軍隊に立ち向かわせて
アパルトヘイトの軍隊、南アフリカ軍をくじくために1975年、1976年、
そして1988年と二度にわたり自国兵士を送った世界で唯一の国です。


そして1991年6月、訪問先のハバナでネルソン・マンデラは、
1988年のアンゴラでの南アに対するキューバの勝利について言及しています。

アンゴラでのキューバ人の勝利、Cuito Cuanavaleが、
私たちの大陸とわが国民のアパルトヘイトの災いからの解放のターニングポイントであると言いました。


エイミー・グッドマン:

ごくわずかしか知られていない国のために、
キューバの経験、アンゴラでの軍事介入について説明してもらえますか?


PIERO GLEIJESES:


はい。アンゴラの植民地脱却があります、
ポルトガルの植民地は1975年11月に独立国になるはずでした。

キューバが支援する運動組織
(キューバ人はポルトガル人との闘いにおいて何年にもおよび支援しました)と
南アフリカとアメリカが支援する他の2つの運動組織とのあいだに内戦があります。


そしてキューバが支援する運動組織、自由な選挙で勝利して
今日アンゴラで政権を握るMPLAは、内戦に勝利する寸前でした。

当時アンゴラのCIA局長が私に話したことをわかりやすく言い換えると、
最高の指導者と最高の計画を有する最も明確な政治意識を持った運動組織だったので、内戦に勝つ寸前でした。

そしてMPLAの勝利を妨げるために
1975年10月、ワシントンに駆り立てられて南アフリカが侵略しました。

そして南ア軍はルアンダに向かって進軍しました、
もしもフィデル・カストロが介入を決めなかったなら、
彼らはルアンダを占領してMPLAを壊滅させていたことでしょう。


1975年11月から76年4月の間に3万6000人のキューバ兵が
アンゴラに殺到して当時南アフリカが支配したナミビアに彼らを押し戻したのです。


そして、これには南アについて話す
南アの白人と黒人の双方に計り知れない精神的インパクトがありました。


そして主要な南アの黒人の新聞 The Worldが、
まだ南アの軍隊がアンゴラにいた1976年2月の社説に
キューバ人が彼らを後退させている、南ア軍が中心のアンゴラを撤退したと書きました。

彼らはアンゴラ南部にいました。書かれた記事は壁に貼られました。

そしてこの新聞 The Worldは、
「ブラックアフリカはアンゴラでのキューバの勝利によって生じる波に乗っている。
 ブラックアフリカは完全な解放を成し遂げる可能性という酔わせるワインを味わっている」と書きました。


そしてアンゴラにキューバの軍隊が到着したのを知った1975年に彼は刑務所にいたとマンデラは書きました、
そして何かを取り上げるのためではなくて、アフリカ人がその自由を成し遂げるのを助けるために
国が他の大陸からやってきたのはそのときが初めてだと書きました。


これは南アの解放へのキューバの最初の本当の貢献でした。
白人の巨人、アパルトヘイト軍隊が撤退を余儀なくされたのは
今でも人の記憶に残るはじめてのことでした。

そして白人ではない軍のために彼らは撤退したのです。
国内の植民地主義という情況においてこれはきわめて重要です。

そしてそのあとキューバ人らは南ア軍からアンゴラを守るためにアンゴラに残りました。
キューバ人たちがアンゴラの独立の引受人だったのをCIAでさえ認めました。

そしてアンゴラで彼らはマンデラのANC(アフリカ民族会議)を訓練しました。

両者のあいだに非常に緊密な関係が創り出されました。
このまま続けますか、それともなにか質問で中断したいですか。

http://www.fair-port.com/tama/No-411.html
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大月書店から発行されているフィデル・カストロの評伝を読むと、
かなり無理をしていたようで、必ずしも英雄的行為ではなかったことが知れるのだが、
少なくとも、アパルトヘイトに抗議するポーズを見せながら実際には友軍だった某国とは全く違うものだった。


アインシュタインがアフリカ人(植民地国の黒人)だったら、アインシュタインになれなかった。
カストロの訃報を知り、真っ先に思いだしたのが上の言葉だった。


いわゆる「非民主主義国家」の「独裁者」の演説にありがちなことだが、
カストロの言葉は「国際社会」の欺瞞を怒りを持って糾弾するもので、文字通り、レベルが違うものだった。


安倍晋三やヒラリー・クリントンやドナルド・トランプに果たして上のような演説が出来るものか。
甚だ疑問である。


アンゴラ内戦でキューバと戦ったアパルトヘイト陣営の中にはアメリカ・イギリス・フランスがいた。
それらの国は、現在、シリアで現地の武装勢力を「穏健派」とみなして支援を行っている。



それら「穏健派」の中で問題を起こすグループが表れると、
それはダーイシュ(IS,イスラム国)なりヌスラ戦線なり、固有名を与えられて「敵」にされる。


去年の11月にパリで同時多発テロが起きた際に、シリアのアサド大統領は
「今回の事件はシリアでは何年も前から起きていたものだった」とコメントした。


アンゴラでテロを支援していたアパルトヘイト陣営は、現在、シリアで同じことをしている。

マンデラもカストロも亡くなった今、シリアはどこへ向かうのだろうか。



テレビを見て腹立たしく感じたのが、あのオバマを善玉として描いたことだ。
曰く、歴史的な和解をもって、オバマはキューバに「民主化」の波を云々。


一緒にテレビを見ていた知人は「オバマさんは本当に平和のために働いているんだなぁ~」とつぶやいていた。


キューバは、かつてアメリカの保護の下、民主化された国だった。
そこでは医療も教育もろくに受けることが出来ず、宗主国とつながりのあるエリートだけが恩恵を受ける
凄まじい格差社会だったのだが、今、「民主化」の名の下に過度な経済主義を導入させようとしている
バラク・オバマのどこが偉大だというのか。私はキューバが鄧小平の頃の中国のようになるのではないか、

つまり、市場主義を急激に取り入れることで、
それまで保護されていた民衆の生存権が脅かされるのではないかと危惧している。



健康で文化的な最低限度の生活。
成功の度合いはともかく、生存権の獲得を模索し続けたのがカストロ政権だった。


今、民主化することでキューバが模索することすらやめるのではないかと心配でならない。
(年金カット法案を強行採決した国の人間が何を言っているのだという話ではあるが)



いい加減、バラク・オバマの崇拝から脱するべきだと私は思う。

日本は一時はジョージ・ブッシュという悪漢の登場のおかげで
アメリカの精神的奴隷から解放される寸前まで行ったはずだったのだが、
結局、聖者オバマの登場によって、それまで以上にアメリカに依存するようになってしまった。


繰り返し主張するが、今、アンゴラと同じことをしているのはバラク・オバマの軍である。
そして、オバマの外交政策を継承・強化しようとしていたのがヒラリー・クリントンである。



カストロが生涯、貫いた植民地主義に対する明確なNOの二文字を
私たちは受け継ぐべきではないだろうか。



国民レベルで中国は怖い、北朝鮮は危険だ、アメリカがいないと誰が日本を守る?といった感情に
支配されている限り、日本でカストロは生まれない。

アメリカ、グアンタナモ基地を閉鎖しない意思を表明

2015-07-22 00:09:15 | キューバ・ベネズエラ
米国のケリー国務長官は、
「米国には現在、キューバのグアンタナモ米海軍基地に関する合意を見直す意向はない」と述べた。

ケリー長官はキューバのブルーノ・ロドリゲス外相との合同会見で次のように述べた。

「現時点では米国側から賃貸に関する法的合意を見直すという議論や意向は存在しない」
「今後のことはわからない。現時点では米国側は議題にしていない」


一方のロドリゲス外相は、キューバの主権を完全に尊重する必要がある、と指摘した上、
「違法に選挙されたグアンタナモの土地を返還する」よう求めた。

また外相は、米国による対キューバ禁輸を解除し、
禁輸による人道的・経済的損害に対する補償を行うよう求めた。

続きを読む http://jp.sputniknews.com/politics/20150721/616084.html#ixzz3gXTy4UYA

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オバマは2008年、捕虜あるいはテロ容疑者を拷問していることで
国際的に悪名高いグアンタナモ米海軍基地を閉鎖すると公約した。


それがどうだ、キューバに土地を返還するどころか基地の閉鎖すらしない。


キューバしかり、イランしかり、和平の条件として経済制裁の解除を求めているが、
アメリカは、端(はな)っから自分の要求をゴリ押ししているだけで、
相手国の希望を聞こうとする態度すら持っていない。



カストロの悪い予感は的中したようだ。

キューバの有機農業⑤

2015-05-08 00:34:40 | キューバ・ベネズエラ
教育も駄目!医療も駄目!農業も駄目!
自分たちが悪いのにアメリカの経済制裁のせいにする!国民は金の亡者!

これが新藤氏の見解なのだが、これだけを読むと、氏は
さぞかしガチガチの反共の右翼学者なのだろうなと思うに違いない。

否。彼は赤旗にも書評を載せるぐらい、わりと左翼的な研究者なのである。
その証拠にキューバ研究室ではベネズエラへのアメリカの制裁を非難する記事もある。


私は2年ほど前から、日本の右傾化は左翼が右傾化しているのだと主張してきた。
意外かも知れないが、日本の右翼は中立派にも支持されるように近年左傾化すらしているのである。

キューバを絶賛する本が、あの新潮社から発売されているのも、その証左の一つだ。
(同社は、新書から在日コリアンや日本共産党を攻撃する本を売りだしている)


遠藤氏をはじめとして、今の左翼・リベラルの東側へ対する態度は、
かつてのフルシチョフやゴルバチョフ、エリツィンに向けたそれと同じものだと思う。


スターリン時代は最悪だった、でもこれからはフルシチョフをはじめとする
国内の改革者が良い方向へと導いてくれるだろうし、導いていかなければならない。


これがスターリン批判直後のほとんどの左翼の態度だったが、
それが次第にブレジネフ政権までソ連は最悪だった、しかし~から
共産主義時代のロシアは最悪だった、しかし~へと変化したのである。


ソ連が自発的に改革を行うことを望む連中が今では、どういう態度を示しているのか。
これは言うまでもあるまい。ウクライナ問題しかり、ばっちりロシアの敵になっている。


こういう連中が東欧やソ連が欧米化した(新自由主義の餌食となった)ことによる
甚大なる人的・経済的被害について真剣に語っているかどうかはすこぶる怪しいものだ。


この種の国内の改革派による自発的な民主化を望む連中が
アラブの春やウクライナのクーデターを支持・絶賛したのは何ら不思議なことではない。

イスラム国が問題視されるまで、シリアを徹底的に攻撃していたのも当然の反応だ。
それだけに、彼ら研究者の意見は批判的に読まなければならないのだろう。


欧米による中東・アフリカのモンスター化(蔑視)をいち早く指摘したのが、
政治学者でも歴史学者でもなく、悲しいことに文学者だったというのはあまりにも皮肉だ。
(エドワード・サイードの『オリエンタリズム』)


真っ先に先進諸国の欺瞞を告発しなければならないはずの地域研究者が、
逆に先進諸国が喜ぶであろう言説を声高に叫ぶという凄まじい現象はよくある。

悪い点も知っているだけに、余計にそうなるのかもしれない。
だからこそ、サイードしかりチョムスキーしかり、そして藤永茂しかり、
研究者ではなく、評論家がこの問題に対処する必要性が生じてくるのだろう。


以上、5回にわけて語ってきたが、少なくとも一部の研究者は
アレイダ・ゲバラと一緒になり、キューバの味方として戦えはしないと思う。
次のような記事を読めば、「アレイダは体制派の人間だから信じるな」とでも言うだろう。

http://www.jca.apc.org/stopUSwar/latin_america/viva_cuba_osaka.htm
http://www.liveinpeace925.com/latin_america/aleida101018.htm


そういう国内の反体制派を支持して先進諸国に都合の良い政府が民主的に樹立されるのを望むのは、
アメリカの考えと全く同じなのだが、それに気づかない限り、研究者は評論家にはなれない気がする。

最後に、キューバの有機農業に関する最近の英語記事を紹介したい。
機会があれば、翻訳なり要約文を書くなりするが、とりあえず今回はここで筆を置きたいと思う。

The Paradox of Cuban Agriculture

Cuban Urban Agriculture as a Strategy for Food Sovereignty

キューバの有機農業④

2015-05-07 23:24:06 | キューバ・ベネズエラ
今まで、キューバ研究所の新藤氏のおかしな部分について指摘してきたが、
簡潔に述べれば、無知か故意かは知らないが事実とは異なる指摘があり、
また、その引用する情報も恣意的だということが言えよう。


特にキューバの有機農業を高く評価するものを
有機農業への幻想的な願望によるキューバ訪問とその報告記」とみなすのは如何なものか。


大変申し訳ないが、都合の悪いエピソードは「体制派の人間の言葉だ」
「上手くいっているところにしか案内されないのだ」と延べ、都合の悪い統計は「捏造だ」で
すます一方で、自分にとって都合の良いエピソードは逐一紹介するのは学者としてどうよと思う。


もちろん、キューバ社会は問題が山積みされており、そういう負の部分はあまり語られないので、
その点では氏の様な批判的意見は貴重であり、傾聴に値する。有機農業もしかりだ。


有機農業はキューバの食糧事情を解決する万能薬ではない。
しかし、キューバの食糧事情(特に都市部における)に貢献するものである。


この点から、ハバナ農業大学をはじめとして、国内でも農業研究が行われている。

氏のように何でもかんでも否定的に捉えるスタンスは、
結果としてアメリカのキューバ制裁を正当化させてしまうのではないか?



新藤氏の言葉を読むと、我が国の中国や北朝鮮に対するそれと似たものを感じる。

例えば、北朝鮮では食糧事情を解決するために国が総力を挙げており、
結果的にここ数年で少しずつ生産量がアップし、かつ市場の部分的導入により、
余った収穫物は各農家が好きに売っても良いという風に変化した。

ところが、ほとんどの論者はこの点に全く触れずに、やれ飢餓だ、やれ餓死だと囃し立てている。


新藤氏はこれとよく似ており、農業のほかにも医療や教育についても、
ここも悪い、ここも腐敗している、これも問題だと一生懸命だ。


それも、どちらかというと、手放しの礼賛者と同様に、一部分を極端に強調している。
これは悪い点を知るにはある程度参考になる(誇張されている面も否定できない)


だが、大変申し訳ないが、私は90年代の冷戦終結以降、
キューバ人が金を求めることしか考えない連中になったと主張する彼の主張は受け入れられない。


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80年代のキューバでは、普通、家族は3,000~4,000ペソ貯蓄がありました。
それぞれが、職場を定時に終わり、友人や家族と談笑したり、映画や音楽会に行ったり、
ゆっくりと生活を楽しみました。バケーションは年間1カ月とって、海水浴場に行き、
リフレッシュしました。ないものは融通し合い、助け合い、市民の間に連帯感がありました。
「黄金の時代」と言われるゆえんです。

しかし、ソ連・東欧の経済が急激に悪化し、これらの国々からの資材の輸入が激減し始め
たキューバでは、1990年8月「平和時の非常時」が宣言されました。各種の生産が低下し、
食糧生産が減少するとともに、インフレが急上昇し、20年間で実質賃金は、
かつての5分の1に低下しました。つまり、普通の賃金だけでは、生活できなくなったのです。

あるものは、海外からの家族送金に頼り、あるものは観光関係の職業で得られるチップでカバーし、
あるものは、外国企業に勤めて正規以外の賃金を取得し、あるものは、特技を生かして
家庭教師や修繕サービスで副収入を得たり、あるものは、勤め先でモノを横流しする、
レジで売り上げをごまかす、賄賂を得たり、便宜を供与してもらったりして対処しています。

横流ししたり、国のものを盗んで手に入れたりすることを、
「解決する」という言い方で表現するようになりました。

一方、政府は、こうした社会現象を見て、1993年から自営業を大幅に認める政策を打ち出し、
現在、自営業者は、20年で20倍増加して42万人に達し、
経済活動人口510万人の10%近くになろうとしています。

実際、ハバナ市では、各地にパラダール(民間のレストラン)、
露天商、各種修理店が目につくようになりました。

外国人観光客は、1990年の30万人から10倍の300万に達し、
観光客向けのいろいろな商売が目につきます。
観光客のもっている日用品をキューバ人も見て、羨望心がかきたてられます。

自営農は、この5年間で5万人から22万人に増え、未利用地の使用権を取得した
新たな農民の中にニューリッチ層が生まれつつあります。

こうして、キューバは、残念ながら、それぞれが、
カネ、カネ、カネとより多くの収入を追い求める時代になってしまいました。
思いやり、連帯が忘れられ、何よりも自分と家族の問題を解決することが最優先の社会となりました。

(ラウル議長も嘆くキューバ社会の実態より)
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重要なのは、前回の記事で紹介したように、この増えつつあるニューリッチな自営農が
実は新藤氏が批判している都市の有機農業者である
という点である。

こういう都合の悪い部分をサラッと流すのは絶賛者と大差ない態度だろう。


今のキューバ社会は徐々にだが市場化されている社会であり、
自由経済の中で淘汰された人間に対するケアが不十分だという意見なら納得できる。
(それも、この不十分さは長年の経済制裁と金融制裁、国際政治からの迫害に大きく起因する)

だが、「キューバは、残念ながら、それぞれが、カネ、カネ、カネと
より多くの収入を追い求める時代になってしまいました。思いやり、連帯が忘れられ、
何よりも自分と家族の問題を解決することが最優先の社会となりました。」と断言するのはおかしい。


例えば、日本でイジメを黙認したり、時には率先してイジメる教師がいたからといって、
日本の教育は最悪なレベルにまで堕落したと結論付けられるだろうか?

新藤氏の言葉は、それと同じで極端なのである。

(そういう無茶な主張をするため、氏はキューバの市場の導入が社会の悪化を招いたと
 主張する一方で、さらなる市場化を望むという矛盾した態度を取っている)


教育も駄目!医療も駄目!農業も駄目!
自分たちが悪いのにアメリカの経済制裁のせいにする!国民は金の亡者!


こういう主張を聞いて喜ぶのはどこの国だろうか?
問うまでもない。


次回、キューバ批判者の致命的な問題点について語ろうと思う。

キューバの有機農業③

2015-05-07 23:15:21 | キューバ・ベネズエラ
キューバ研究者の新藤通弘氏いわく、日本人しか注目していないキューバの有機農業。


今回は、アメリカの農業NPO、ロデール研究所からの記事を紹介したい。


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キューバ革命から約30年後の1991年、ソ連が崩壊し、
キューバはほぼ一夜にして絶望的な食糧危機に陥りました

~(中略)~

この危機を緩和する主要な戦略の一つとして、都市に住む人たちが、都市農業を実施しました

――人々は裏庭を耕したり、放棄された土地や、閉鎖された製糖工場の敷地を、
持続可能な野菜生産や林業などの用途に解放することによって新しい命を吹き込んだのです。


政府が危機的な状況への対応策として自由市場を刺激したために、
今ではハバナ市内で十分な量のオーガニック農産物が育てられ、
250万人の市民一人ひとりに、毎日最低300グラムの果物と野菜が供給されています


私たちが会った都市農家の中には、
とても安定した職を離れ、初めて農業に従事することになった人もいました。

例えば、私たちは「チュチョ」という人に会いました。チュチョは、以前は獣医だったのです。
彼は、当初、自分の子供たちを食べさせるために農業に転向しました。

彼が言うには「1日に卵1個しかとれなくて、それを子供2人で分け合うという状況に気づいた時、
手遅れになる前に何かを変えようと決意したのです。」とのことです。

彼と以前化学者だった彼の奥さんは、今では2つの農場を経営していて、
前の職業で得ていたよりもずっと多くの収入を得ています。



もう一つの戦略というのは、大規模国営農場を小規模の協同組合に分割してきたことです。
それは協同生産基礎単位(UBPC)と呼ばれているものです。


私たちは55軒の農家を雇っているUBPCの一つを訪ねました。

彼らは合計約3.2ヘクタールの土地を耕作していて、
それぞれの農家の収入は、国民の平均月収の約4倍です。

彼らは食物を一般の市場で販売する前に、社会義務の一端としてまず地域の学校、
病院、老人ホームに供給しなければならないという事情があるにもかかわらず、
こういった成果をあげているのです。


キューバにおける都市農業成功の鍵は、農場が生産物を買う顧客の家の近所にあるということです。

例えば、私たちが会ったもう一人の「アメリカ」という名前の農家は、
自宅近くの土地を隣人の助けを得て耕作しています。
彼女は社会義務を果たしたあとで、改装した鉄道車両で農産物を売っています。
かつての鉄道車輌も、今や道沿いで、野菜直売所として活躍しているのです。

ハバナ内外のあちこちにあるこのような野菜の販売所が、
毎日、数百、数千というお客さんを引き寄せているのです。



都市農業成功のもう一つの鍵として、この国が大学の学外教育活動の改革と活性化に取り組み、
現在にまで至ったことがあげられます。この国のいたる所で、学外教育者と呼ばれる人たちが、
本来は「解放」と称される「民間教育」のモデルを厳格に守っているのです。

このモデルでは、教師が生徒より重要だと考えられることは決してなく、
教師も生徒もその過程で共に学び、経験を共有するのです。


キューバにおける学外教育の本質的な目標は、
伝統的な生産体系に新たな技術を織り込んでいくことです。

農家というのは何をどのように生産すべきかについて一番正しく判断できる人だと考えられています。
ある学外教育者が言ったように、「農家は自分が食べないようなものは育てるべきではない」のです。

キューバの持続可能な畜産生産の達成率は、野菜と果物のそれに比べると遅れています。
もっとも、豚肉と鶏肉の生産が、今では小規模農家のより多様化した農業体系で実施され始めていて、
キューバ危機以前の水準に達しているというのは目を見張ることです。

その頃はすべての家畜が従来通りの柵で囲われた施設で育てられていました。
キューバで実施された大学の調査によると、牛20頭で行う酪農が
最大の効率を上げると結論づけられました(なお、この調査は
彼らが開発した持続可能性指標を用いて行われたものです)。

http://newfarm.rodaleinstitute.org/japan/features/200304/200304052Cuba/SJ_cuba.shtml
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前回、新藤氏の主張におかしな点がいくつかあると述べ、
その1つとして「キューバの有機農業に注目しているのは日本だけ!」を挙げた。


氏の奇妙な主張は他にもあり、例えば、上にもあるように
キューバ農業を支持する人間は、都市での自給が可能であることに触れているのに、
新藤氏は国全体の自給率に言及して、自給率100%など神話に過ぎないと述べている。



他にも、キューバを実際に視察して高い評価を下した人間には
上手くできている所だけ案内してもらっているのだ」と述べ、
キューバの食糧自給率が上昇したという統計結果については
捏造されたデータだ」と述べている。


その一方で、自分と話した学者や農家や議員の話を持ち出して、
「キューバの農業は上手く言ってないと現地の人も言っている」と主張する。


こういう都合の悪い証言や統計を嘘だの捏造だのと言って無視をし、
他方、自分に都合の良い意見は事細かに取り上げる態度は、
中国政府の批判者の声をピックアップして
「ほらね、中国の人も自分の国がおかしいって思ってるんだよ」と語る右翼によく似ている。



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筆者(新藤)は、キューバ現代史研究を専門としていますが、結論からいいますと、
「世界の視線が熱くキューバ(の有機農業)に集まっている」という実情はありません。


ここ5年間キューバ国内も含めて発行された研究書(英語・スペイン語)の中で、
キューバの有機農業を専門的に論じた本も、論文も見たことはありません。

http://estudio-cuba.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-c21a.html
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ところが、この記事が書かれた2011年の12月に
フロリダ大学から研究書が出ちゃったのだ。



もちろん、「記事が書かれたのは7月だろ」と反論することも可能だが、
研究書がないから注目されていないというのは論理が飛躍しているだろう。


キューバの有機農業が日本に紹介され始めたのは2003年ごろだが、
この時期には英語論文でもキューバの有機農業に着目したものが多く執筆されている。
(Googleスカラーで検索をかければ、容易に気がつくことだ。)

新藤氏が批判している吉田太郎氏の著作はちょうどこの時期に執筆されたもので、
「キューバの有機農業が世界で注目されている」という主張はこの意味において正しい。


新藤氏の反論は吉田氏の発言された当時の状況を無視したものだ。


さて、件のフロリダ大学からの研究書(Sustainable Urban Agriculture in Cuba)だが、
この本は、著者のSinan Koont氏が数年をかけて
キューバの都市農業をフィールドワークした研究結果をまとめたもので、
新藤氏が語る「有機農業への幻想的な願望によるキューバ訪問とその報告記」とは
レベルそのものが違うものである。

次のサイトでPDF形式で入手できる。英語に自身がある人はイントロダクションだけでも読んで欲しい。
(http://muse.jhu.edu/books/9780813040431/)


この学術書は、新藤氏がキューバの農業事情を知るための
参考文献リストに書かれていない
ものなので、その意味でも読む意義はあるだろう。
意図的にリストからはずしたかどうかは不明。本人のみぞ知る)

学者だけでなく、アメリカのジャーナリストたちも有機農業に注目している(2013年時点)
http://pulitzercenter.org/projects/cuba-agricultural-sustainability-government-economy-organoponico-vivero-alamar

アメリカという国は実に不思議な国で、
政府は侵略主義丸出しのくせに、個人は参考になる意見を提言する人がそれなりにいる。
実際、サイードやチョムスキーもアメリカの知識人だ(問題は彼らの意見が無視されていることだ)


ちなみに、新藤氏はハバナ大学のリカルド・トレス教授の話を取り上げて、
自説の正しさを主張している
が、ハバナ農業大学の持続農業研究センターのルイス・ガルシア教授の
話は載せていない。同じハバナ市内に大学があるのだから、足を運んで話を聞けば良いのに。


ガルシア教授は「キューバ式持続農業」と題し、次の提案を行っている。

・総合的病害虫管理(IPM)・有機肥料およびバイオ肥料
・土壌の保全および回復 ・馬や牛など動物を耕耘に活用
・間作および輪作 ・作物生産と牧畜とを組み合わせた混合農業
・代替となる機械化 ・都市農業、および地域の参加
・地域の事情に合った代替の獣医学 ・土地の協同利用の促進
・農業研究の改善 ・農業教育の改革


新藤氏の最もおかしな点は、キューバの農業学者……というか、
キューバ政府が予算を下ろして持続可能な農業研究をわざわざしているにも関わらず、
まるでキューバ政府が有機農業を軽視しているかのような論調を示していることだ。


もちろん、立場によって取り上げたい人物は自ずと選択されるので、それ自体はおかしくないのだが、
できるだけ客観的な資料にもとづいてキューバの真実をお届けしたいというサイトの説明は
一体どこに行ってしまったのかなと思わなくも無かったりする。

キューバの有機農業②

2015-05-07 21:50:25 | キューバ・ベネズエラ
恐らく、日本語で読める最も「バランスの良い」キューバ情報サイトは、
「キューバ研究室」だろう(http://estudio-cuba.cocolog-nifty.com/blog/)。


このサイトは現役のキューバ研究者が何人かで運営しているブログで、
キューバに関する最新情報を読むことができる。講演会の情報も掲載されている。


しかし、このサイトは参考になる情報も多い一方で、首を傾げたくなる主張も散見される。
例えば、キューバの有機農業に関する説明は、一面的というか極端に感じた。


キューバの有機農業は「世界的に」有名で、
日本でもキューバといえば有機農業として紹介されることが多い。


この場合、キューバの農業政策を褒める意味合いで語られるのだが、
同サイト執筆者の新藤氏によると、キューバの有機農業が凄いというイメージはゲバラに憧れ、
社会主義政権に夢を見たい左翼の願望から来たもので、実際には惨憺たる状況であるらしい


実際、キューバの有機農業はソ連崩壊後に同国からの支援が得られなくなり、
同時にアメリカからの経済制裁によりキューバの貿易能力が極端に制限されたために、
やむを得ず始めたものであり、悪く言えばその場しのぎのものでしかない。

有機農業といえば聞こえは良いが、大量生産するにはコストがかかり、
品質も劣るので商品作物としては不十分だし、作物の種類も限られているので、
これだけで国内の食糧事情を万事解決できるかといえば、そんなことはない。


その意味では、新藤氏の説明はその通りなのだが、言葉の端々に違和感を覚える。

例えば、同氏によると、実際にキューバ農業を視察して高い評価を下している人物は、
キューバのイメージアップのために良く出来ている農場だけを案内されていることになり、
キューバの農業に注目しているのは日本ぐらいなもので、世界的に有名なわけではなく、
キューバの学者は、自国の農業が最悪のものだと告白しているということになる。



ところが、実際には、キューバの農業は国連にも評価されている。
http://www.unep.org/greeneconomy/SuccessStories/OrganicAgricultureinCuba/tabid/29890/Default.aspx

それどころか、食糧保障運動に携わるアメリカ人たちにも理想視されている。
http://civileats.com/2010/04/21/the-exceptional-nature-of-cuban-urban-agriculture/

もちろん、この礼賛はキューバとアメリカのシステムの違いを無視したものであるのだが、
少なくとも「キューバの有機農業をベタ褒めするのは日本だけ!」という主張は間違っている。


そればかりでなく、新藤氏はアメリカの経済制裁を軽視しており、
それは政府によるプロパガンダの一種として無視を決め込んでいる。


実際にはどうか?

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しかし、キューバ革命から約30年後の1991年、ソ連が崩壊し、
キューバはほぼ一夜にして絶望的な食糧危機に陥りました

――が、それは、農業改革の速度を劇的に加速しました。

アメリカは、東欧、ソ連に続き、キューバでも
新たに資本主義反革命を引き起こす絶好の機会だと察知し、
1992年にトリチェリ法を、さらには1996年にヘルムズ・バートン法を成立させました。

アメリカがこれらの法規制によって、キューバの輸出入禁止を強化したので、
キューバ国民にとって事態はさらに悪化したのです。


今回の視察旅行を通じて我々はたくさんの人たちに出会いました。
行く先々で皆、口々にかなりの感情をこめて対ソ貿易の消滅と
アメリカの法規制という歴史的なワンツーパンチの衝撃について話していました。

ところが、どういうわけか誰もがそれぞれふりかえって
恨みがましい言い方にならないようにしようとしていました。

それどころか、押しつぶされそうな状況に直面しながらも、
自分たちが成し遂げてきたことについて誇りをもって語っていました。

それまで輸入によってもたらされていた濃縮飼料、肥料、殺虫剤や
その他の農薬が不足したために、この社会に暮らす人々は政府や大学の援助を得て
オーガニック農業が広範囲で多様でよく普及することを実現するようにと、
キャンペーンを大々的に展開したのです。まだ完全ではないまでも、
その成果は驚くべきもので、キューバ文化に依然として現存する、
革命の精神がもつ不朽の力というものを証明しています。

http://newfarm.rodaleinstitute.org/japan/features/200304/200304052Cuba/SJ_cuba.shtml
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このヘルムズ・バートン法というのは全4章で構成されており、

①キューバへの投資の禁止とキューバの国際金融機関への加盟反対
②暫定政権の樹立とその後の選挙による民主政権の樹立の支援
③国内の亡命者の資産を取引に使っている他国の法人、個人に対し訴訟を起こす権利を認める
④上記に該当する第三国企業の幹部社員と株主、その家族の入国拒否を認可

というもので、要はキューバに資金が入らないように圧力をかけたのである。


社会主義国であっても、資金は必要だ。資金がなければ輸入ができない。
輸入ができなければ原料がない。原料がなければ商品が作れない。

この法律の効果は絶大で90年代のキューバは他の共産主義国同様、甚大な被害を受けた。

ところが、キューバ研究室には、この制裁の詳細に関する記事がない。
1つぐらいはあるのかもしれないが、キューバを考える上で重要な問題が軽く扱われている。


次回、新藤氏いわく、日本人しか注目していないはずのキューバの有機農業について、
アメリカのNGOであるロデール研究所(ペンシルヴァニア州)の翻訳記事を紹介しよう。

キューバの有機農業①

2015-05-07 21:31:52 | キューバ・ベネズエラ
先月から藤永茂氏のサイト「私の闇の奥」でキューバについての記事がアップされている。


キューバ、小さな大国
キューバに対する経済戦争
キューバの医療改革(1)

氏の感心する(などと言っては失礼だが)ところは、反対派の意見も載せるところで、
1番下の「キューバの医療改革」には、キューバについて否定的な日本人の意見も紹介されている。

2番目の「キューバに対する経済戦争」は、現在のキューバ経済を知る上でも必読だろう。
ラムラニの『アメリカのキューバ経済戦争』を紹介した点でも同記事の意義は高い。
(Salim Lamrani,THE ECONOMIC WAR AGAINST CUBA, A Historical and Legal Perspective on the U. S. Blockade

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「保健衛生の領域も決して免れない。この分野での損失は3000万ドルになると評価されている。
 こうして、キューバ眼科研究所「Ramón Pando Ferrer」は
 ハンフリー・ツァイスによって商品化されている網膜検査機器の取得を拒否されただけでなく、
 多国籍企業ノヴァルティスによって供給されている医薬品Visudyne
(ビスダイン、加齢黄斑変性症の光化学療法に使用される薬)の取得も拒否された。

 同じ方法で、アボット研究所は小児向け麻酔薬Sevorane
(セボフルレン、日本での商品名はセボフレン)の販売を拒否した。

 アメリカ財務省はまた、特に心臓不整脈(訳注:不整脈ではなく、心臓弁膜症と思われる)
 に冒された小児向けの人工心臓弁の販売を禁止した。」

キューバに対する経済戦争より
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アメリカの経済制裁の影響を具体的に示した良い文章だと思う。

アメリカのキューバの交渉を好意的に受け止める人間が実に多いが、
それは、時にはカストロの暗殺計画すら実行するアメリカの干渉政策に言及した上ですべきだろう。


さて、藤永氏は元来、理系の先生で、
チョムスキーやサイード同様、政治学や歴史学とは別の畑からアプローチしている論客だ。

本来なら、彼の評論は素人のたわ言として読み流してよかろう存在である。

だが、中東研究者と同様に、キューバの研究者にも
微妙な発言をする者が少なからずいるため、相対的に傾聴に値するものとなっている。


この点について、次回、詳しく語って生きたいと思う。

キューバの体制崩壊を望むゲバラの甥(『世界』2015年4月号感想)

2015-04-12 00:28:29 | キューバ・ベネズエラ
我が国にも明治天皇の玄孫という微妙な血縁関係以外にセールスポイントがない二股男が
皇族を気取って極右活動を続けているが、キューバにも似たような人物がいたらしい。


最近、『週刊金曜日』や『世界』でチェ・ゲバラの甥へのインタビュー記事が掲載されている。

竹田某同様、ゲバラの甥という微妙な血縁関係を利用して原稿料を頂いているくせに、
叔父が苦労して作った国が滅ぼされるのを願っている物凄い男である。


アメリカとキューバの関係が変わりかかっているこの時期に
反体制派の言い分をそっくりそのまま掲載させる岩波って一体何なんだろうか?



まぁ、とりあえず、この男の言い分を聞くとしよう。


この男、10歳の頃に母国のアルゼンチンからキューバに亡命したのだが、
その際にゲバラの親族ということで優遇されたことについて疑問を感じたらしい。


「学校に通い始めると、伯父の理想とは裏腹に、自分がほかのキューバ人よりも
 ずっと良い生活をしていることに大きな疑問を感じるようになりました」


ところが、その後、中学に進学した後に、他の生徒同様に
午前中は農作業に従事し、午後から勉強に勤しんだことに不満をもらしている。



「農村部にある学校で、朝は畑で働き、午後は勉強をしました。
 農作業は厳しく、生徒たちは冷ややかで、まるで刑務所のようなところでした。
 チェは革命を通して、労働を喜びとし自己犠牲をいとわない「新しい人間」を
 育てることを目指しましたが、その理想とはほど遠い状況でした」


ごらんの有様である。
自分だけ特別扱いされるのはおかしいと言いながら、
いざ他の生徒と同じ扱いを受けたら、まるで刑務所だとブーたれている。

労働を喜びとし自己犠牲をいとわないのが「新しい人間」だと言いながら、
自分は他の学生と共に畑で働くことが大嫌いというわけだ。何と言う矛盾。

(大体、1日中ならいざ知らず、朝だけの農作業がそこまで苦痛なのか?)


その後、高校を中退し酒びたりになったらしいのだが、
18歳ごろから反体制派になったのだそうな。1983年にアルゼンチンが民政移管すると、
帰国したが、それをきっかけに完全に資本主義国の申し子に目覚めたらしい。


「私にとってアルゼンチンは、キューバとはまったく違う世界でした。
 キューバでは、資本主義国には多くの問題があると聞かされていましたが、
 そうしたものは見当たりませんでした。」


これ以降は、キューバに対する恨みつらみをこれでもかと書いているのだが、
やはり、家族や親族との関係を損ねるかもしれないという不安もあるらしい。

ただ、本人は舌の根も乾かないうちに、
「その過程で、私は伯父にこう言われた気がします。「おまえ自身に語りかけることで
 わかった真実を、私にも聞かせてくれ」と。」とほざいているのであまり気にしてないのだろう。



私がこの甥について腹立たしく思うのは、偉そうなことを言う割りに、
常にゲバラの名を挙げて自分の意見を正当化させていることだ。

自分が正しいと思うのなら、いちいち会ったこともない伯父の霊を妄想し、
「ゲバラが言うから俺正しい」と言うのではなく、ゲバラが間違っていると言っても、
自分は正しいと信じるから、告発を続けるとはっきり言ってやれば良いのだ。
(こういう女々しさが、このインタビュー記事の全体を覆っている)


アメリカによる経済封鎖がキューバの革命の進行を妨げたのではないか
という質問に関しては次のように述べている。

「全体主義的政権にとって外敵というのは、都合の良い存在です。
 その敵に全責任を押し付けられますからね。
 そうやって国民に陳腐な愛国精神を抱かせ、団結させる。
 スペインにとっての英領ジブラルタル、
 アルゼンチンにとってのフォークランドも、
 キューバにとっての米国と同様です。しかも、これは非常にうまく機能します」



ここで、ゲバラの実子であるアレイダ・ゲバラの言葉を引用しよう。

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米国が最初にとった行動は経済封鎖です。

キューバは世界屈指のニッケル資源国です。
1940年代、米国はニッケルに注目し、「キューバのために」と言って、
ニッケル工場建設に協力しました。しかし、ここに罠があったのです。


国際市場で売れるニッケルの純度は98%前後。

しかし、米国の協力のもと、つくられた工場では純度85%前後のニッケルしかつくれません。
こんな純度では世界中のどの国も見向きしませんでした。

しかし、一カ国だけ積極的にキューバのニッケルを購入した国があります。
それが米国企業だったんです。米国企業は安価のニッケルを購入して合金することで利益を得ました。


キューバにとって不利な貿易でしたが、それでもいくらかの外資獲得を果たしたのも事実です。
その状況が変わったのが1960年代から。

米国による経済封鎖が始まり、米国企業はもちろんのこと、
日本など諸外国の企業もキューバのニッケルを買えなくなりました。


米国がそれを許さなかったからです。
経済封鎖のため、米国内では厳しい罰則が設けられました。
キューバと売買した企業は500万~1000万ドルの罰金、または企業資本の没収されるというのです。

ここで強調したいのが、たとえ国家間で問題があったとしても、
人道的に食品や薬品などの輸出入は禁止されるべきではありません。

キューバ国内で流通する薬品のうち、8割は米国製でした。
食品も多くを輸入に頼っています。いま日本が経済封鎖をされたならば、どうなりますか?

子どもや貧しい人たちが犠牲になるのです。

http://www.futoko.org/special/special-40/page0912-1743.html
---------------------------------------------------

ボンクラの甥と、このアレイダ・ゲバラの発言、
どちらがキューバの国民のためになるだろうか?


少なくとも私は、アメリカの対外政策がキューバに与えた甚大な被害を
「全体主義国家」のスケープ・ゴートと一蹴して無視する輩を信用しはしない。


ちなみに、アレイダ・ゲバラは父と同じ医者となり、
主に途上国を中心に、医療チームの一員として海外で患者を診ている。

先日、エボラ熱がアフリカで発生した際にも、発生地域にかけつけ患者を治療した。


どこぞのゲバラの名前だけ借りて
金稼ぎをしている元不良と
天と地ほどの差がないだろうか?



私は、この甥が
「キューバには、人々が自由で平和な国であってほしい」と、
 30~40年も前の個人的体験をもとにキッパリ言ってしまうのも恐ろしいと思うが、
それを真摯に受け止めて記事として掲載してしまう岩波書店も恐ろしく思う。


このインタビュー記事だけを読めば、キューバはオーウェルが描くような
全体主義国家で、民主化が必要な地獄の国だと錯覚するのではないだろうか?


こういうプロパガンダは東ウクライナやリビアやベネズエラでも行われていることだが、
岩波(『世界』編集部)は、これら国家に対してもキューバと同様、アメリカの思い描く
虚像を「これが!!!真実です!!!」と宣伝して回るのではないだろうか?


ペレストロイカにせよ、冷戦終結後にせよ、日本のほとんどの左翼は
東側「に」歩み寄るというよりは、東側「が」歩み寄ることを強要しながら、
いかに東側が悪魔が支配する国であるかをギャンギャン叫んでいたような気がする。

今、それと同じことを岩波がまた繰り返しているように思えてならないのである。


無論、こういう行為をして喜ぶのはアメリカをはじめとした支配国である。
つまり、岩波は「アメリカの横暴をゆるすなー!帝国めー!」と言っておきながら、
実際に、その手のアメリカ帝国論の本を多く出版しておきながら、いざ具体的な話になると、
「へへっ、おっしゃるとおりでございやす!こらしめてくだせぇっ!」とゴマをすっているのである。

これはアラブの春やイラク戦争直前の折に最も強く現れた。

こういう出版社がオピニオン・リーダーであるかのように振舞っているあたりからも、
今の左翼が相当にヤバイレベルに陥っていることがそれとなくわかるのである。


・追記

現在の日本の言論状況でもっとも危惧されるのが、
ほとんどの左翼(団体・出版社)が、この「見えない支持者」に陥っていることだ。


彼らはアメリカの対外政策が沖縄に向けられると、なかなか良い意見を言う。
だが、これがいざ東側(東欧、中東、アフリカ)に向けられると、とたんに
プロパガンダの片棒を担ぎ、積極的に現地の国家体制の崩壊を果敢に主張する。


そして、案の定、崩壊後に訪れる内戦で多くの人間が傷つくと、
「こんなはずではなかった!」「真の民主主義を!」と自分の責任をはぐらかすのである。


これは人種差別はよくないと言いながら、在日コリアンや中国・韓国人を
徹底的にこき下ろす右翼や一般市民と同じものだ。

理屈や一般論では賛同するが、具体的な問題になると簡単に反動的になる。

独裁国家では国によってプロパガンダが遂行されるが、
真の独裁国家では、国よりも民間団体が積極的に扇動に勤しむ。


9.11直後の報復主義に基づくアフガン侵攻を忘れてはいけない。
(大多数のアメリカ市民とメディアの扇動に基づいて実行された)



レオポルド・ロペスとは何者なのか

2015-03-19 21:42:10 | キューバ・ベネズエラ
こうしてプロパガンダは作られる ベネズエラ編

前の記事です。



ユートピアでもない限り、政府は必ず失敗を犯し、民衆の不満がたまるものですが、
その場合、その抗議の手段は正当なものでなければならないはずです。


少なくとも私は、①暴力、②虚偽、③欧米政府との協力をもとにした
抵抗運動は、いかなる理由があろうとも断固拒否すべきだと思います。


というよりも、この3点は得てしてセットになりがちです。
今回もベネズエラの反政府メディアの記事を実例に説明していきましょう。


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レオポルド・ロペスって誰?

レオポルド・ロペスはハーバード大学ケネディスクール出身の
カリスマ性を持つ若いベネズエラの経済学者で政治家です。


彼はカラカスのチャカオ市の前市長です。
彼は全く身に覚えのない汚職の申し立てにより、2008年選挙に参加することを禁じられました。


2011年には、ロペスの有罪が証明されなかったので、
米州機構がベネズエラ政府に対しロペスの禁止を取り下げるよう指示を出しました。


そして彼は野党「民衆の意志」Voluntad Popularを結成しました。
彼はこの抗議運動の主要な支援者でした。

しかしマドゥーロがテレビの生放送で
ロペスは殺人とテロリズムの罪を犯したので逮捕されなければならないと発言。


それに応じて彼は自ら出頭しました。
彼は野党の中でもより急進的な立場とみなされており、
路上での抗議活動が民主主義への移行に向うためには鍵となるポイントだと見ています。

http://venezuelainjapanese.com/2014/02/24/faq/
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米州機構はアメリカの中南米支配の道具として現在まで君臨する機関です。

米国、カナダと中南米33カ国でつくる南北米州の地域機構。1951年発足。
民主主義促進や貧困削減を掲げる一方、47年結成の米州相互援助条約(リオ条約)と連動し、
軍事干渉の正当化やキューバ封鎖など米国の中南米支配の道具にされてきました。

(赤旗の記事より http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-02-15/2010021507_01_1.html)


上の記事では説明されていませんが、
ロペスはベネズエラ初代大統領のひ孫で、正真正銘の支配者階級出身の人間です。


彼は71年生まれですが、国の財産がアメリカによって搾り取られた
新自由主義の時代、支配者の特権としてアメリカに留学し、博士号を取得しました。

この時代、ベネズエラが教育後進国であり、成人の識字率が40%だったことを踏まえれば、
ハーバード大学に留学するということが如何に至難の技だったかが想像できるでしょう。

(ちなみに現大統領のマドゥロは元バスの運転手で労働者の家庭の生まれです。
 背景からして、エリートと庶民との激突であることがわかるかと思います。)



このように、アメリカお抱えの政治家であり、
その主張も石油企業の民営化、規制緩和、IMFとの協力という
80年代~90年代のベネズエラの時代と全く同じ政策を主張していること。

(参照:http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-ef24.html)


これは是非とも押さえておかなければならない点です。

引用分だけを読むと、如何にも不当な理由で逮捕されたかのように見えますが、
実際には、彼はどのような経緯で出頭するに至ったのでしょうか?


アメリカ・南米関係を研究するサリーム・ラムラニ助教授の寄稿文を読んでみましょう。


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ベネズエラ反政府抗議行動の25の真実

サリーム・ラムラニ
Opera Mundi (Rebelion 2014/02/25)



選挙によって政権をとることができない急進的な反チャベス派勢力は、
2002年と同様、憲法秩序を破壊するために、抗議行動を増大させている。



1.
2013年4月以降、選挙で合法的に選ばれた
ベネズエラのニコラス・マドゥーロ大統領は、強力な野党勢力と対決している。
野党勢力は、米国の支援を受けて、1998年に失った政権を再び取ることを狙っている。


2.
野党勢力は、2013年4月の大統領選挙において、1.59%の差で敗れたため、
当初は選挙の結果を否定した。しかし、その選挙結果は、欧州連合や米州機構、
カーター・センターなど、最も重要な国際機関によって保証された結果であった。

そして、野党勢力は、その怒りを暴力的な行為で示し、チャベス派の11人の命を奪ったのである。

3. 
しかしながら、当選したニコラス・マドゥーロ大統領と、
野党で右派のエンリケ・カプリーレス候補の票差が僅差であったことで、右派は活気づき、
政権奪還の期待で奮い立った。そこで2013年12月の地方選挙を戦略目標としたのである。

4.  
あらゆる予想とは反対に、地方選挙はチャベス派の政権を信任する国民投票を意味するものとなった。
というのは、チャベス派が基礎行政区の76% (256区)を獲得したのに対し、
全野党が集まった反チャベス派同盟の民主団結会議(MUD)は23%(76区)しか
獲得できなかったからである。

5.  
この重大な敗北に士気をくじかれ、民主主義的な手段で政権を奪還する見通しが
再び遠ざかるのを見て(次の選挙は2015年12月の国会議員選挙である)、
野党はウゴ・チャベス大統領に対するメディアと軍によるクーデターに至った
2002年4月のシナリオを繰り返すことを決定した。


6.  

2014年1月以降、野党の急進的な党派が、行動を起こすことを決定した。



「人民の意志」党の指導者で、
2002年4月のクーデターにも参加したレオポ ルド・ロペスは、
2014年1月2日から、抗議行動の呼びかけを開始した。


「われわれは、ベネズエラのみなさんに対して、(…)決起を呼びかける。
 ベネズ エラ国民が「もうたくさんだ」と声を上げることを呼びかける
(…)目的は、“解決策”について議論することだ。何が、この惨状の解決策となるのか?」




7. 

2014年2月2日の抗議行動において、レオポルド・ロペスは、
すべての悪はマドゥーロ政権に責任があると非難した。

「ここ最近の物資不足は、誰のせいか。それは、政府のせいである」



8. 

2014年2月2日、野党の大物で、
首都カラカスの市長であるアントニオ・レデスマも変化への呼びかけを開始した。

「現在まで15年連続で続いているこの体制は、対立を引き起こしている。
 今、全ベネズエラの街頭がひとつになる」

9.  

野党議員のマリア・コリーナ・マチャドは“圧政”を終わらせるための呼びかけを開始した。

「ベネズエラ国民の答えは“反逆”だ。選挙まであと数年、待つべきだという人たちもいる。
 子供たちのための食料を入手できない人々は、待つことができるだろうか? 
 働く権利や所有権を奪われている公務員、農民、商店主は、待つことができるだろうか? 
 ベネズエラは、もう待つことができない」

10.
 
2014年2月6日、反チャベス派の抗議行動の後、
100人あまりの覆面をした学生の集団が、タチラ県の知事公邸を攻撃し警察官10人が負傷した。

11. 

同じ週、反チャベス派の抗議行動が、いくつもの県で相次いで起こり、
それらの抗議行動のすべてが暴力行為で終わった。

12.  
2014年2月12日、反チャベス派が検察庁前に大々的に組織した抗議行動は、
挑発行為を行うために組織された私立大学の学生たちで構成されたものであった。


この抗議行動は、それまでにないほどの暴力的な事件となり、
3人の死亡者、約100人の負傷者と、数えきれないほどの物的損害を出した。


13. 
2002年4月のクーデターと同様、3人の死亡者は、頭部に1発の銃弾を受けて死亡した。

14. 
3人の中には、チャベス派のフアン・モントーヤと、
反チャベス派のバジル・ダ・アコスタと呼ばれる人物が含まれていた。
弾丸を調査した結果、二人とも、同じ武器を使用して殺害されたことがわかった。

15. 
この抗議行動後の数日間で、参加した学生たちは、
“インフレと治安の悪さに抗議するために”正式に組織され、
カラカスの富裕地区にあるアルタミラ広場に結集した。

16. 


数カ月前から、ベネズエラは、反チャベス派が仕掛けた経済戦争に苦しめられている。
反チャベス派は、いまだ広範な産業分野を支配しており、
物資不足を人為的に作り出したり、生活必需品を買い占めたり、投機的行為を倍増させたりしている


17. 
そのような状況の中、2014年2月5日、当局は、タチラ県において、
倉庫に隠されていた1000トン近くの必需食料品(米、砂糖、油、コーヒーなど)を押収した。
2013年1月以降、当局は、5万トン以上の食料品を押収している。

18.  
ベネズエラ政府は取り締まりを開始し、買占めや投機を行う人々を処罰することを決定した。
2013年11月、政府は、家電製品チェーンのダカに介入し、 価格統制を行うことを決定した。
ダカは、家電製品に1000%以上の利益を上乗せして販売していたため、
ベネズエラの大部分の人々は、購入することができ ない状態であった。

19. 現在は、企業の売買差益は、30%を上回ることができなくなっている。

20. 
ニコラス・マドゥーロ大統領は、クーデターの企てを非難し、
“ファシズム”と対決することを国民に呼びかけ、
「われわれを祖国と民主主義の道から引き離すことは、誰にもできない」と断言した。

21. 
米国人外交官3人が、流血の惨事となった抗議行動とかかわっていたため、
2014年2月17日、国外退去となった。ベネズエラ政府によると、
3人は、抗議行動について連携するため、私立大学の学生たちと会っていた。

22. 
2014年2月18日、レオポルド・ロペスは、
暴力的な抗議行動における政治的責任を問われて
逮捕され、起訴された。


23. 
オバマ政権は、クーデターを企てた反チャベス派の責任をまったく指摘することなく、
ベネズエラ政府の暴力を非難した。それどころか、米国の国務省は、
この悲劇的な事件の主要な扇動者であるレオポルド・ロペスを、即時に釈放することを要求した。

24. 
西側メディアは、武装した急進的な党派による暴力的な行為
地下鉄や公共建築物における略奪、
 人民の店メルカル ―国民が食料を購入する店である!― の焼き討ち
)や、
国営テレビのベネソラーナ・デ・テレビシオンが銃撃されたことを、隠蔽した。

25.  
西側メディアは、ベネズエラで起こった悲劇的な事件を、
厳密な客観性をもって報道するどころか、クーデター主義者の反チャベス派の肩を持ち、
選挙で選ばれたニコラス・マドゥーロの民主主義政権を敵視した。


また、ためらうことなく世論を操作し、現在の状況を政府に対する大衆蜂起として報道している。
現実には、ボリーバル革命に賛同する非常に大規模な行進が示しているように、
マドゥーロ大統領は、大方のベネズエラ国民の非常に広範な支持を得ているのである。


http://emexico.web.fc2.com/articulos1/manifestacionesenvenezuela.html
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このように学生を扇動し暴動を起こした張本人がロペスだったのです。

しかも、ロペス達は暴動を扇動する直前に、
ベネズエラの石油の民営化、経済の規制緩和、国際通貨基金(IMF)との協力を発表していました。
(参照:http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-ef24.html)


加えて、アメリカの役人と裕福な人間が通う私立大学の学生との連携の疑い、
反チャベス派の生活必需品の買占め、そして反政府派の暴力行為。


これだけの汚点がありながら、ロペスを正当化することはかなり厳しいでしょう。


この反政府メディアの主張、叩けば叩くほどホコリが出てくるのですが、
特に非道いのがベネズエラのここ20~30年の状況についての説明。



簡単に説明すると、ウゴ・チャベスが大統領に当選する前の20年間は、
レーガン・サッチャー両陣営にサポートされた新自由主義政権の時代で、
IMFの指導の下、極端な緊縮経済と石油の民営化、経済の規制緩和を行った結果、
国民の80%(1900万人)が貧困、うち46%が極貧の生活を送り、
1975年から1997年にかけて中産階級の割合が56.9%から31.3%に減少し、
労働者の4分の1しか社会保障を受けられない状況に陥った地獄の時代でした。


以下、次の説明文を紹介します。

「【ベネズエラって?】

 面積は日本の2.4倍、人口2550万人、人種は混血66%と白人22%他。
 石油輸出量世界第4位という富裕国。しかし富は一部の金持ちのものだった。

 1980年代、90年代に強力にすすめられた新自由主義グローバリゼーション
 (市場原理を最優先する経済の世界化)で、国民経済は壊滅的打撃を受けた。

 IMF(国際通貨基金)から財政再建のための福祉予算の削減、
 規制緩和、公共 サービス部門の民営化、貿易自由化などが押しつけられ、
 貧困人口が増えた上に、所得格差が開いた。
 
 98年、チャベス氏が国民の圧倒的多数の支持を得て大統領に当選。

 旧体制にしがみつく資本家・大土地所有者、
 特権高級公務員・労働組合幹部、メディア支配層は、
 軍事クーデター、全国的な経済スト、大統領罷免国民投票などで
 政権転覆をはかったが、すべて失敗している。

(http://www.min-iren.gr.jp/?p=3462)



反政府メディアのサイトでは、この時代を次のように説明しています。

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チャベスが政権につくまでは、べネズエラの中流階級の人には、
世界の中流の人と同様に、頑張って働けば良い暮らしができ、
頑張って勉強すればより良い仕事につける可能性がありました。


確かに、発展途上国によくある汚職や政治の不正、
圧倒的な貧富の差という不平等の問題は昔からありました。

とはいえ、それとは別に中流層には頑張ればより良い生活をつかめるチャンスがあったのです。


ところが、チャベスが大統領になりベネズエラが社会主義の国になったことで、
その中流層の可能性はどんどん狭くなっていきました。

http://venezuelainjapanese.com/2014/06/03/whyprotest/
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これは史実を完全に無視した手前勝手な大嘘です。


実際には、前述したようにミドルクラスを含めた庶民が貧窮し、
頑張ればどうにかなると言えるような社会ではありませんでした。


データを見ても、中産階級が占める比率は
70年代から90年代にかけて現象の一途を辿っていっています。


(なお、この努力次第で幸福になれるという理屈は、
 新自由主義を推進する人間の決まり文句のようになっている)


要するに、ロペスをはじめとした反政府の先導者たちは
新自由主義の時代への回帰を求めているのです。



米国の関与の下で。


このことが反政府サイトでは一切触れられていません。



(ベネズエラ現大統領、ニコラス・マドゥロ)


最後に、この反政府派の活動を語る際に、絶対に外せないことについて説明します。

それは「スォーミング」です。

アメリカの防衛機関のシンクタンク、ランド社の研究員が考案したもので
ネットでつながった若者を蜂の群れ(スォーム)のように動かし、
アメリカにとって不都合な国に住む現地住民の抗議運動を
人為的に発生させようとするものでした。


要するに、アメリカのペンタゴンの研究機関が、
現地の学生を訓練し、抗議デモ・暴動を発生させてきた歴史があるのです。


その始まりは天安門と言われていますが、近年ではエジプトのキファーヤ運動が挙げられます。
このキファーヤとは現地の言葉で「もうたくさんだ」を意味します。



ここで、ロペスの暴動を呼び掛けた時の演説をもう一度読んでみてください。

「われわれは、ベネズエラのみなさんに対して、(…)決起を呼びかける。
 ベネズ エラ国民が「もうたくさんだ」と声を上げることを呼びかける。」


初代大統領の血をひく支配者層の人間が、
ハーバード大学に留学し、新自由主義への逆行を主張しながら、
スォーミング(学生を中心とする若者を動員し学生運動を誘導させる)を実行している。


このことで最も得をするのはどこの国かは、あえて書くまでもありません。


確かにベネズエラの経済状況は芳しくないですが、
その改善は選挙によって選ばれた人間が他国の指図なしに取り組むべきことです。


暴力と嘘と外国勢力との癒着に基づいた政権転覆運動は、
いかなる理由があろうと正当化できるものではない。それだけは確かではないでしょうか?

こうしてプロパガンダは作られる ベネズエラ編

2015-03-18 00:06:25 | キューバ・ベネズエラ
ベネズエラは世界でも有数の反米・反新自由主義国家ですが、
その経済状況は決して良いものとは言えません。

国家収入のほとんどを石油の利益に依存するため、
石油の原価が値下がりすれば、それだけで大打撃を受けることになります。

これを利用して、アメリカやサウジアラビアは原油価格を操作し、
去年、ロシアやベネズエラなどの反米国家に対して強力な制裁を加えました。

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ベネズエラのマドゥロ大統領が改めて、
「アメリカは、石油を道具として利用している」として非難しました。


プレスTVによりますと、マドゥロ大統領は17日土曜、中国、ロシア、
OPEC・石油輸出国機構の5つの加盟国への歴訪を終えた後、ベネズエラの首都カラカスにおいて、
「アメリカは、石油を政治的な武器として悪用している」と語りました。



また、アメリカが石油を政治的な道具として利用することで、
政治的に対抗しようとしている国として、ロシア、イラン、ベネズエラを挙げ、
「アメリカは石油を道具として利用している」としました。


マドゥロ大統領のOPEC加盟国の歴訪の主な目的は、
原油価格を受容可能な価格に戻すことだったとされています。


ベネズエラはこの6ヶ月間、原油価格の下落が原因で国家収入の55%を失っていました。
昨年の6月以来、原油価格は50%以上下落しています。
なお、OPECは世界の産油量全体のおよそ40%を占めています。

http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/
51403-%E3%83%99%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%82%A8%E3
%83%A9%E3%80%81%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%
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なお、この原油価格の下落はサウジアラビア政府によるものである。
これに関する解説は次のようなものがある。

原油市場におけるサウジアラビアの政治的動き
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「イランとベネズエラの敵は、石油を政治の道具にしている」



イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師が、
「ベネズエラとの全面的な協力の継続と拡大、それはイランの変わらぬ決意だ」と語りました。


ハーメネイー師は、10日土曜、テヘランで、ベネズエラのマドゥロ大統領と会談し、
シオニスト政権イスラエルに対抗するベネズエラの立場や行動を称賛し、
覇権主義陣営がベネズエラに敵対しているのは、ベネズエラがそのような勇敢な立場を続け、
中南米地域で戦略的な影響力を持っているためだとしました。


ハーメネイー師はまた、
短期間で原油価格が急激に下落したのは、経済ではなく、政治的な動きによるものだとし、

「イランとベネズエラの敵は、石油を政治的な道具として利用しており、
 間違いなく、この原油価格の下落に関与している」と語りました。

~中略~

さらに、原油価格の国際的な下落に触れ、
「我々はOPEC石油輸出国機構の加盟国や、ロシアなどの産油国との間で、
 原油価格をコントロールするための一致を作り出し、協力と新たな制度により、
 原油価格を容認できるレベルに戻す努力を行っている」と述べました。


マドゥロ大統領はまた、パレスチナ問題に触れ、
「パレスチナは人類の重要な理想であり、ベネズエラの国民と政府はパレスチナの理想に負っている。
 いつの日か、パレスチナが解放されると信じている」と強調しました。


さらに、「パレスチナは、アメリカの覇権主義的な政策や破壊行動の犠牲になった。
アメリカ政府は、いくつもの顔の裏側に、非人道的で覇権主義的な自らの本来の姿を隠している」
と述べています。

http://japanese.irib.ir/news/leader/item/51198
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このような状況の中、国内では
かつての新自由主義の時代(1990年代)へと戻そうとする動きが見られます。


新自由主義の時代、すなわちアメリカに追従し、IMFの支援を受け入れ、
石油の民営化、規制緩和、緊縮政策を実施した90年代とはどういう時代だったのか?


統計をもとに論じると、1996年度において、
国民の67.3%が貧困世帯にあり、39.4%が1日1ドル以下の生活を送り、
残り30%の中間~富裕層が全所得の61.3%を独占し、労働者の4分の1しか社会保障を受けていない、
要するに、今のギリシアやイタリアなどの南ヨーロッパと同じ状況に陥っていたのです。
(世界保健機関の統計に基づく)


ここまで貧困が蔓延した原因として石油資源を外資企業に牛耳られていたこと、
IMFが融資の条件として緊縮政策の実施を要請したため、公共サービス事業の民営化、
各種補助金の廃止、公共料金の大幅な値上げなどの数々の搾取的政策が実行されたことが挙げられます。


恩恵を受けているはずの中間・富裕層ですら、1975年あら1997年にかけて、
全人口の56.9%から31.3%に下降していたのです。これは驚異的な数字です。





この状況を打破したのが選挙によって大統領に当選したウーゴ・チェベスでした。

彼の手により、石油企業は国営化され、
その収入を利用して社会保障の拡充が実行されました。


結果、以前よりも貧困世帯は減少し、社会福祉も受けられるようになったのですが、
社会主義というのは一言でいえば分配主義、当然、富裕層にとっては面白くない。

加えて、近年、物価のインフレや物資の不足により、不満を抱く中間層も少なくありません。


このような状況の中、かつての新自由主義の時代へと戻そうとする動きが見受けられます。
それも、選挙という民主的手段ではなく、暴動を扇動するという卑劣な手段によって。


私はつい、先日、偶然、反動派メディアの日本語ページのブログを拝見したのですが、
そのあまりもの出鱈目ぶりに当初、驚きを隠せませんでした。


プロパガンダとはこう作られるのだなと。


ある意味、定期的に当サイトをご閲覧している皆さんに
プロパガンダとは、どう作るのかを知らせる良いサンプルになりますので、ここに紹介したいと思います。



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貧困減少という都市伝説を切る

Kanako Noda / 2014年9月29日

現在の不安定なベネズエラの状況を見てもなお、チャベス派政権を支持する人の多くが口にするのが
「それでも、チャベス政権の政治のおかげでベネズエラでは貧困がかなり減少した」ということです。


ですが、本当にベネズエラで貧困は減ったのでしょうか?


今回紹介するアナベラとバルバラの記事は、数ヶ月前のものですが、
ベネズエラ政治を知る上で重要な点を指摘しています。


ベネズエラでは今、貧困に苦しむ人々が増えています。



ニコラス・マドゥロが2018年までに貧窮のレベルをゼロを目指すと提案したとき、
彼の言葉はベネズエラに詳しくない人の耳には寛大に響いたことだろう。


だが、実際は、マドゥロはウゴ・チャベスのいくつもの
紋切り型となった約束の一つを繰り返していたにすぎない。

例を挙げれば、「2007年から2013年の国家のための社会経済発展計画の一般方針」
の目的II-2.1に「貧窮をゼロまで減少させ、貧困減少に全力をあげる」とある。


というわけで、ニコラスさん、あなたの貧困減少対策はどうなってるの?


私たちは貧困に関するデータをチェックしてみることにした。さて、その結果は?


最近、国立統計局(INE)により公表された公式の統計情報は、
2013年の第二半期の貧困との戦いにおける(彼らの言うところの)
“達成”が大いに阻まれていることを明らかにしている。



2012年の第ニ半期から2013年の第二半期の間で、
ベネズエラの貧困家庭の数は416,326件も増加している。

同じ時期、非極貧家庭の数は227,240件、そして極貧家庭の数は189,086件増えている。

人の数として見てみると、この数字はさらに憂慮すべきものとなる。

2012年の第二半期から2013年の第二半期の間で、貧困にある人の数は1,795,884人増加していまる。


つまり、200万人に近い人々が、一年間でさらに貧しくなっているということだ。
しかも、これらの数字は公式の統計によるものなのだ*。

非極貧状況にある人の数は1,058,520人の増加、
そして、極貧状況にある人の数は737,364人の増加である。

実際のところ、2007年以降、貧困率は実質的にほとんど下がっていない。


*訳注)通常、政府のイメージが悪くならないようにこの手の数字はごまかされているため、
実際はこれよりも多くの人が貧しくなっていると推測される。



より詳しい事実を知りたい人は、Prodavinci.comの記事(スペイン語)をチェックしてみて下さい。

ベネズエラの経済が困難な状況にあるのは誰もが知っている。
予想通り、このことは貧困に関する統計にも表れている。


もうこれ以上チャベス支持者達は、チャベス主義は「貧困を劇的に減少させた」とは言えまい。
貧困の減少も、チャベス主義者の人々が言う多くのことと同じで、デタラメなのだ。

チャベス主義は一時的に貧困を減少させた。だが現在、貧困は増加している。

http://venezuelainjapanese.com/2014/09/29/mythbusting/
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この文章だけを読めば、如何にも本当のことが書かれていそうです。実際にはどうなのか?

それについて触れる前に言っておきたいのが、
プロパガンダというのは、半分の事実を知らせる傾向があるということです。


つまり、全体の事実から一部分を切り取り、誇張する部分がある。
これを踏まえた上で、次の図を見てください。





ちょっと見づらいですが、
これは1990年代から2011年代までの貧困世帯のパーセント数を統計に表したものです。


青線が貧困世帯、赤線が極貧世帯ですが、
これを見ると、チャベスが登場する直前の時期から減少していることがわかるでしょう。


チャベスが本格的に改革に着手したのは2003年からです。

この年より、GDPの成長や雇用創出、国民年金その他の生活福祉資金の増額が
石油価格の高価や石油企業の国営化を背景に得た収入を元に展開されました。


俗にいう「ミッション(作戦)」とチャベスが呼んでいたものです。


結果として、2003年から2011年までは55%から27.5%、
改革当初の2分の1まで減少しました。このように長期的に見なければ実態は見えてこないのです。


また、極貧世帯の人口比率が3分の1まで減ったことも見逃してはならないでしょう。





1997年から2003年までの貧困世帯の比率を表にすると上のようになります。

赤丸で囲んだところは劇的に比率が低下している部分です。


2012年の第2半期の部分をよく見てください。
2012年の第1半期からグンと下がっているのが見えませんか?



さぁ、種明かしです。

上の図は、反動派メディアが引用した統計を利用して作成したものですが、
これを見れば、2012年の第2半期は最も値が小さい時期です。

そこから2013年度の第2半期に点をつなげれば、自然増加することになります。


つまり、反動派メディアは
最も増加数が多くなる期間を選んで
貧困世帯は増えていると豪語しているのです。


これがプロパガンダと言わずに
なんと言えばいいのでしょうか?





ダメ押しで構造的貧困のパーセント数についても紹介しましょう。


ベネズエラの統計では、収入と最低限度の生活費との割合をもって
貧困ラインを設定しているのですが、構造的貧困の場合、収入や物価に関係なく、
サービスを受けられる環境にあるかどうか、すなわち、初等教育への通学、
人口過密の対処、住居環境の改善、基本的な公共福祉の需給、経済的自立の度合を
もとに貧困ラインを設定します。


要するに、貧しくても国から十分なサービスを受けているかどうかということが
この構造的貧困率から推し量ることが可能です。


これを見れば、チャベスの「ミッション」が実行されてから下降線を辿っていることがわかるでしょう。
特に極貧世帯の低下は目を見張るもので、2分の1にまで減りました。



確かに、ベネズエラの経済状況は依然、険しいものです。
しかし、意図的に統計データを編集し、異なる結果を見せるのは詐欺です。


ベネズエラの真の姿を見せるとかなんとか言って、
「もうこれ以上チャベス支持者達は、チャベス主義は「貧困を劇的に減少させた」とは言えまい。
 貧困の減少も、チャベス主義者の人々が言う多くのことと同じで、デタラメなのだ。
 チャベス主義は一時的に貧困を減少させた。だが現在、貧困は増加している。」

と大見えを切るのは如何なものでしょうか?


翻訳者の野田圭子さんは反動派メディアの設立者の妻を自称していますが、
これでは、反政府活動家の発言への信用が著しく低下するのではないでしょうか?


なお、私はスペイン語が読めるので原文もチェックしましたが、
この言い分は、英国のガーディアン紙や米国のニューヨークタイムスで
主張された内容と同一のものですね。新事実を明かすかのように書かれていますが、
実際は欧米の主要メディアの記事の焼き直しです



日本の右翼とやってることが一緒ですね。
神話を暴くとか真相だとか言いながら、コピペを拡散させる。如何にもです。



最後になりましたが、私はマドゥロのやり方が最善だとは考えてはいません。
彼より優れた人間が現れるならば、それに越したことはないと思います。

やはり、途上国として社会問題は山積みなのですから。

しかしながら、それら問題は、きちんと選挙を通じて解決されるべきです。

今、反動派がやっていることは、暴動とテロ、
かつての新左翼がやっていることと全く同じなのですから。



革命というのは選挙をもって行うべきというのが私の信条です。
暴力も時にやむなしという態度は断固拒否すべきだと思います。