時事解説「ディストピア」

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フランスの二大政党制

2015-12-20 00:08:02 | 欧米
前回の記事の続き。

今回のフランス地方選挙の国民戦線の「敗退」は、つまるところ、
二大政党制の担い手である共和党と社会党が団結して第三勢力を排除したにすぎない。

こう結論付けたわけだが、ここでフランスの二大政党制について語らなければ、
今、フランスで何が起きているのかがよく理解できないと思う。

できれば、国内の池上彰様(※1)や佐藤優様(※2)にご解説頂ければよかったのだが、
この連中に解説力など期待しても無駄なので、自分で書く。


フランスは1980年代から、長らく共和党と社会党が交代して政権を担ってきた。
この時期の大統領を列挙すると、ミッテラン(社)→シラク・サルコジ(共)→オランド(社)
となっていて、大体、14年を周期に(1981→1995→2012~)交代している。

これは首相の任期が7年、再任されれば14年ある(2002年から任期は5年に変更)ためだが、
これだけ周期が長いと、当然、この間に与党が変化することがある。

フランスではロシアのように、大統領の他にも首相が存在するのだが、
これは慣習として当時の与党から選ばれることになっている。

つまり、大統領は社会党の人間なのに、首相は共和党の人間になることも可能であり、
現にフランス現代史では過去、3度、共和党と社会党が同時に政権についた時期があった

これを保革共存(コアビタシオン)と言う。

これは結構、大事なことで、保革政党が同時に政権につくことで、今の政治が悪いと思っても、
それが共和党の責任なのか、民主党の責任なのかがハッキリしなくなってしまった
のである。

そうなると当然、既存の大政党とは違うことを、
それも過激な発言を行う新興の政党が人気を得るようになる。

それが国民戦線だったのである。


このような歴史的背景を思えば、
フランス国民の多くが国民戦線に投票を入れたのは、
単にテロにショックを受けて、衝動的に極右政党に投票したわけではないことがわかる。

また、忘れてもらっては困るのが、
民主化を口実にシリア国内の武装組織に戦闘技術の訓練・武器の提供等の援助を施し、
テロ打倒の美名の下、シリアやイラクに軍を送り空爆をしているのが社会党だということだ。

私は日本の右傾化は左翼の右傾化と主張するが、
実のところ、左翼の右傾化はフランスもまた同様の状況である。

「私はシャルリー」というカードを掲げる茶番が数ヶ月前にあったが、
 この「私はシャルリー」というメッセージには「私はフランス人」、
 東洋人(ムスリム)の被害者である西洋人という意味合いも少なからず含まれていた。

要するに、言論の自由を訴えるという左翼的な運動ですら極めて愛国的な運動でもあったわけで、 
このようなナショナリズムの色が濃い運動に共鳴していた民衆が数ヵ月後に、
共和党や国民戦線に入れたことは、自然であり必然だったのではないだろうか?


※1池上彰 様

 安保法強制採決以前の時期に、安倍政権の見解をそのままお茶の間に垂れ流し、
 いかにも安倍の意見が一理あるかのように見せかけた御仁。

 今年の7月の時点で彼は、安倍政権が集団的自衛権行使で唯一実例としてあげた
 ホルムズ海峡の機雷掃海に関して、イラストまで作って解説する一方で、
 現実的ではないという意見「も」ありますと一言、申し訳程度に触れていたのだが、
 今頃になってホルムズ海峡に機雷が撒かれるなどありえない、非現実的だと語っている。

 ちなみに、自分が以前、真逆の論調をとっていたことについては特に言及がない)

※2 佐藤優 様

 あの池田大作を尊敬する創価学会の支持者。何冊か創価学会のベタ誉め本を書いている。
 これだけでも相当胡散臭いヤツだと普通の人間なら気がつくのだが、
 売れっ子なので岩波も週刊金曜日も彼に沖縄問題等の時事評論を書かせている。
 
 ちなみに彼は集団的自衛権には肯定的で、辺野古基地の建設には否定的という
 一見矛盾した態度を取っているが、前者の掲載紙が保守系の雑誌、後者の雑誌が
 革新系の雑誌であることを知れば、特に不自然なことをしているわけでもない。

 彼はどちらかというと評論家ではなくプロデューサーというべきキャラで、
 文学についてはド素人なのに、ロシア文学者の亀山郁夫とタッグを組み、
 亀山訳の『罪と罰』、『悪霊』などをベストセラーにさせている。

 ちなみに亀山のドストエフスキー論、ならびにその訳本は
 ドストエフスキーの研究者らに完全に否定されているが、
 否定するほうが異常なのだという見解を持っている。)



フランス地方議会選挙を振り返って

2015-12-14 23:51:36 | 欧米
第一回目では極右政党である国民戦線の圧勝だったフランス地方議会選挙。
決選投票である第二回では、ほとんどの県で共和党・社会党が第一党となった。

これをもって国民戦線の敗北と称する動きもあるが、あまり頂けない。
国民戦線は今回の選挙をもって議席を大幅に増やした。その数、実に3倍である

加えて、ほぼ全てのフランス地方議会で国民戦線は野党第一党になっている
同党の代表、マリーヌ・ルペンは今回の結果は敗北ではなく強化だと述べたが、
それは確かにその通りであり、文字通りの大躍進と見て差し支えないだろう。

今回の選挙では、約20年間、社会党が第1党だったパリで共和党が勝利した。

これは、パリ市民がテロ事件を契機に急激に右傾化したことを意味するよりは、
社会党が共和党と大差ないレベルなので、より無難なほうを選択したと見るべきだ。

もともと、社会党は3党ある左派政党の中でも最も右よりの政党で、
81年の全盛期において、すでに政策を右旋回し、同党に失望する左翼も少なくなかった。

歴史的に見れば、それまで最大勢力であったフランス共産党を駆逐するようにして
社会党が台頭し、結果的にはフランス共産党を押さえつける役割を担うことで成長してきた

私は日本の右傾化は左翼の右傾化であり、そもそも戦後日本の主流左翼は反共左翼で、
冷戦下、国内の共産党勢力をけん制するために保守派に利用されてきた存在だったと主張するが、
これと同様に、フランスでも反共的な左翼・中道・保守を吸収して社会党が成長してきたと言えよう。

そういう意味では、極めて保守派と通じるものがあり、本来なら共和党と対決すべき立場なのに、
国民戦線を封じるために共和党と馴れ合うような愚行を平然とやってのけてしまう。

共和党は「中道右派」と言われているが、
その党首であるサルコジ自体はフランス版石原慎太郎と言うべき人物だ。

パリ郊外の移民を「社会のクズ」と呼んだ男である。

大統領時代には新自由主義と排外主義を標榜しており、
その徹底した移民排斥で都市部の保守派の支持を集めてきた。
今から9年前の2006年に出版された『沸騰するフランス』(花伝社)によると、
2005年の移民暴動の際にとった彼の弾圧的政策を、国内の極右の97%が支持した。

この点からも、サルコジが国民戦線とは違うとアピールしながらも、
実際には保守層を支持基盤とし権力を維持・拡大していることがわかるのではないだろうか?

こういう人物が率いる「中道右派」と協力して極右勢力を撃退したということは、結局のところ、
二大政党制となったフランスにおいて、既得権益を侵されないように両党が協力し合って野党を排除したことに他ならない。

とするならば、今回の選挙、別に嬉しいことなど何一つなく、
国民戦線の躍進を「敗北」とレッテル貼りすることは、
フランスにおいて未だに人権が尊重されているかのように勘違いさせることにつながるだろう。

前にも書いたが、第一回目の時点では、
フランス版維新の党>自民党>民主党という結果だった。


今回のフランスの選挙は、100%右>80%右>50%右からどれか選べといったもので、
肝心の本来の意味における左派政党は、文字通りの敗北を喫したと言っても過言ではない。
メディアは国民戦線の「敗北」よりも左派政党の「敗北」を気にすべきだろう。


なお、去年、なぜか大ブームになったトマ・ピケティ氏だが、
以前、彼が社会党の経済政策のブレーンを勤めていたことをご存知だろうか?

社会党が日本で言うところの民主党だということさえ知っていれば、
同氏の主張は社会全体が右よりになっているから左に見えるだけで、
実際には左向きでも何でもないことは簡単に看破できたものだと思える。

現にフランス国内においては当時から彼の著作は批判されていたし、
例えば、ル・モンド(月刊版)ではフレデリック・ロルドン経済学教授が
「メディアの満場一致の礼賛それ自体が
 この著作がまったく無害なものであることを裏返しのかたちで示している」と述べている。
(http://www.diplo.jp/articles15/1504piketty.htmlを参照)

そうであるはずなのだが、なぜか日本では文句を言うべき左翼まで(というより主に左翼が)
「ピケティすげー!」とはしゃいでいたわけで…日本の知識水準もここまで下がったかと
改めて驚き呆れた次第であるが、当時は経済学者でも何でもない筆者が理論的に
ピケティを批判するだけの武器を持っていなかったので、何もコメントしていなかったと思う。

ところが、これまた理由は不明だが最近、法政大学の屋嘉宗彦教授や
立教大学の北川和彦名誉教授がピケティ批判を論じ始めており、
ブームが過ぎ去った今、冷静にピケティを読み直す意味が出てきたのではないかと感じる。
(なお、両氏の評論は『経済』12月号・1月号で読むことが可能だ)