時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

被爆70年、今後の課題

2015-08-06 23:55:14 | 浅学なる道(コラム)
赤十字社の報告書によると、2014年の一年間だけで、
広島・長崎の赤十字病院でそれぞれ4657人、6030人の原爆症患者が治療を受けたらしい。


まるでアメリカの罪を忘れていないかのように人体から消えず患者を苛む放射能。

原爆に限らず、ベトナムの枯葉剤、イラクの劣化ウラン弾と、
人体に長期間の障害を負わせる残虐兵器が今も使われ続けている。


韓国の基地内で無断で細菌兵器の実験が行われたことが先日、ニュースになった。
その後の調査によると、少なくとも2年前から黙認されていたそうだ。


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在韓米軍が生物兵器への対応の一環として、生きている炭疽菌だけでなく、
地球上で最も強力な毒素とされるボツリヌスも韓国に事前通知なく持ち込んで
実験したとする疑惑が持ち上がっている。

先月27日、「韓国で初めて炭疽菌の実験を行った」
という在韓米軍の釈明に対する不信も一層増幅されている。


ハンギョレが3日、米国の防衛産業の業界団体ホームページと
米国の軍事メディアなどを通じて確認したところによると、在韓米軍は、
2013年6月から、北朝鮮による生物兵器攻撃に対する防御を目的とし、
ソウル・龍山(ヨンサン)や京畿道・烏山(オサン)など
国内3カ所の米軍基地内の研究室で生物戦への対応実験を行う
「ジュピター(JUPITR、連合在韓米軍のポータルと統合脅威認識)プログラム」
を進めてきたことが明らかになった。

先月27日に問題になった烏山空軍基地内の炭疽菌のサンプルの実験も、
このジュピタープログラムの一環であった。


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/20890.html
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こうしてみると、戦後70年とは、アメリカの
大量虐殺兵器の使用が70年間黙認され続けてきた歴史だとも言える。




スプートニクの世論調査によると、
原爆投下についてアメリカが謝罪すべきだと考えている日本人が
全体の6割を占めるようなのだが、この6割の声に日米両政府は応えていない。

(なお、同調査では「わからない」が3割、「謝る必要は無い」が1割を占めている)


それどころか、歴史的に見れば、アメリカ・日本両政府は
被爆者の陳情を無視、運動を妨害し続けてきたのである。原爆投下直後から。



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現時点での日本被団協の課題は何だとお考えか。
この問いに、木戸氏は次のように答えている。

「広島・長崎から70年なんですが、被団協ができたのは1956年です。
1945年から11年後に出来たということになりますね。


その11年間、何をしてたんだ、ということがひとつ、あるわけですが、
それは、GHQが原爆に関する報道を禁止していたんです。



国際赤十字のジュノー博士をはじめとして、
救援のための食糧・医薬品を送って欲しいというお願いが
マッカーサーになされたんですが、拒否されました。


原爆に関する報道が一切禁止され、被爆者の救援も一切行われないようにしました。


たとえば、放射能の被害についても、一切知らされなかった。

だから私たちは爆心地に畑をつくって、
オイモつくったりカボチャつくったりして、それを一杯食べていたんです。


私の言葉で言えば、被爆者は10年間を見捨てられた、遺棄された。
それが被爆者の最初の10年でした。



しかし1954年にビキニ事件が起き、日本で原水爆禁止の波が大きく盛り上がります。
そういう中で「被爆者の話を聞こう」ということになり、
被爆者も原水爆禁止のために、話し始める。
それまで全く見捨てられていた被爆者が、話し始める。

すると、聞く方も涙、語る方も涙。なんと惨たらしい、
原爆というものは何と非人間的なものであるかということで、大変な反響を呼ぶわけです。


そういう中で1956年の8月10日に、
長崎で日本原水爆被害者団体協議会、日本被団が結成されます。
そこで「世界への挨拶」という設立宣言を採択し、世界の人々に訴えました。

「世界に訴えるべきは訴え、国に求めるべきは求める。
そして私たち自らを救うとともに、私たちの体験を通して、人類の危機を救おう」
という呼びかけをしたんです。

本当に、もし再び核戦争が起こったら、人類は滅亡してしまいます。
「再び被爆者をつくるな」というのが、私たちの願いなのです。


今年で被団協結成59年ですが、この間、運動をずっと続けてきました。
広島・長崎に次ぐ第3の核戦争は、どうにか阻止されてきました。

しかし、核兵器はいっぱい残っていますし、国家補償についても、
日本政府はずっと拒否し続けてきた。そういう状況です。」

続きを読む http://jp.sputniknews.com/japan/20150806/706531.html#ixzz3i359teel

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私は原爆投下のみならず、1945年~1956年の期間に日米政府が行った
被爆者への仕打ちに対しても何らかの責任を取るべきだと考える。



被害者を苦しめたのは、原爆症だけでなく、
政府の「忘れろ」という圧力もあったのだ。




こういう状況のなか、現在、アメリカやイギリス、フランスが
テロ対策、民主化など色々と都合をつけて、中東や中央アジアで
民間人を殺害し続けている。彼らに経済制裁など一切ない。ペナルティはゼロだ。



世界平和を思えば、
アメリカのほうがよっぽど脅威である。

(そのお仲間のイギリスやフランスもしかり)



結局、戦後70年(被爆70年)の歴史とは、70年間
アメリカが負うべき責任から逃げ続けてきた歴史だった。



それはアメリカの戦争犯罪を黙認してきた歴史だとも言える。


これまで私たち日本人は、あまりにも寛容だった。
何が悪いかを問いかけ、誰が悪いかを問うのは控えてきた。


これから必要になってくるのは、
アメリカ(英米仏侵略トリオ)の暴走を止める運動だと思う。


単に「戦争反対」、「核反対」と叫ぶだけの運動から脱皮して
より具体的にアメリカの戦争犯罪の責任を追及する運動へと変わらなければならない。


少なくとも私はそう感じる。

国語力が乏しいネトウヨ

2015-08-02 19:30:26 | 浅学なる道(コラム)
どうということもない発言を「反日」認定して暴れる大部分一部の右翼。

まさに針小棒大としか言いようが無いのだが、
あえて批判的に連中の主張を読んでいくと、なかなか面白いものがある。


【速報】 国賊朝日新聞の朝刊、天皇陛下侮辱記事の
オンパレードでヤバイ!!!!! これ完全にアウトだろ・・・・・

あえてURLは晒すまい。
問題の記事では、朝日の社説を「天皇陛下侮辱記事」と表現している。
ご丁寧に問題の箇所を引用しているのだが、これのどこらへんが侮辱なのか理解しがたい。


その前の部分も含めて紹介する。

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昭和天皇が読み上げたのは「終戦の詔書」だ。
前日の閣議などで、表現をめぐり激しい議論があったとされている。

「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」の部分がよく引用されるが、
 全文を通して見聞きした人は少なかったのではないか。

 詔書には、敗戦、降伏といった表現はない。
 軍人、官僚、国民はそれぞれ最善を尽くしたと評価する一方、それでも戦局は
 好転せず、原爆投下が追い打ちとなってポツダム宣言の受諾に至ったと経緯を説明する。


戦争は国内外のおびただしい人命を奪い、あらゆる不条理を強いたが、
なぜこんなことに、という疑問には答えていない。


国策の誤りをめぐる責任の所在のあいまいさや歴史認識の曲折は、
現在に至るまでこの国が向き合わざるを得ない課題だ。

公開は、天皇が今年の年頭所感で

「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、
 今後の日本のあり方を考えていくこと」の大切さに言及したことを改めて思い起こさせる。
 一人ひとりが向き合っていくことだ。

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この青文字の部分で、天皇「陛下」と書かなかったのが良くなかったらしい。


社説自体は、アジア太平洋戦争の歴史に向き合うことを主張しており、
その意見を正当化するために、平成天皇の言葉を引用している。

「天皇陛下も15年戦争を学ぶことを奨励していますよ」ということで、
しかも、反省をよくしなかった昭和天皇と対置するようになっている。


普通に読めば、平成天皇を好意的に評価する文章だとわかるはずなのだが、
「陛下と呼ばない」⇒「侮辱だ!ぐぁあああああっ!!!」ということらしい。


そもそも、「侮辱記事のオンパレード」とあるが、紹介されているのは
この社説のみ。「オンパレード」の意味がわかっていないのではないのだろうか?


誇り高き日本人の国語力が危ぶまれる。



これに限らず、誇りがどうだの日本人がどうだのと言っている輩には、
言葉の意味を間違えて使っている(というより、よくわかっていない)人間が多い。



「差別ではない。区別だ(ドヤァ)」というのはその典型的な例で、
 この言葉の原語であろうSeparate, But Equalは
 アメリカの人種差別を正当化するために利用された言葉だ。


つまり、俺たちは黒人差別者と同じ立場ですよとアピールしているようなものなのだが、
その辺をどうもよくわかっていないらしく、好んでよく使っている。



「ファビョる」も、おかしな言葉である。
 火病とは、ストレスをため込むことで体調を著しく崩す病気なのだが、
 なぜか癇癪持ちと同義で使われている。

 ヒステリーと類似した症例だと理解してもなお、コリアンを嘲笑するために用いる者もいる。

 どちらの場合にせよ、精神疾患の一種だと認識した上で使用しているわけで、
 これは「俺は精神病患者を馬鹿にするぞ!」と言っているようなものなのだが……



「歴史修正主義」と言う言葉も、本来は歴史学の用語で、
日本の場合では、まさに右翼の行っている事実隠蔽工作を意味するのだが、
なぜかこれも、逆さまの意味で使っている。

歴史修正主義者たちが「日韓併合は違法だった!」とソウルで叫ぶ


上で批判されている記事にも
「日本の安倍晋三首相の歴史歪曲(わいきょく)を批判する共同声明を発表した。」
と書かれているのに、自分たちではなく向こうが歪曲していることになっている。


歴史修正主義者の集いですね。
 言語学者やら詩人やら、和田春樹名誉教授ごときが「日韓併合は違法」とかいわれても、
 まともな歴史学者からは「合法としか言いようがない」って話が定説ですがねー。



そんな定説、はじめて聞いた。


一応、海野福寿氏が不当・合法論を展開したことがあったが、
彼は合法の名の下に植民地支配を行ったと論じ、当時の欧米日の侵略を強く非難している。


むしろ、研究動向としては、併合・不法論のほうが主流であり、
その辺りは『1905年韓国保護条約と植民地支配責任』でも読めばよくわかるはずだ。


「日本」や「日本人」を強調する連中に限って国語力が乏しい。

……ということは、当の右翼も自覚しているようで、
よく日本語の本や古典、礼儀作法などの本を書いて
「日本人の素晴らしさを思い出そう」キャンペーンを行っている。



連中の中には、斉藤茂吉や三島由紀夫などの
国粋主義者たちの作品を読んだことも無い人間がそれなりにいるんじゃないだろうか?

そう思えてならない今日この頃である。



・追記

週刊誌記者(たぶん)である梶田陽介氏の記事。

産経新聞が「安保反対デモはヘイトスピーチ」との記事を掲載!
新聞記者なのにヘイトスピーチの意味も知らないのか?



最近、右翼の中に反日発言=ヘイト・スピーチと換言して、
「日本のだけ問題にして反日国家のそれは無視か!うへぁっ!」とほざく阿呆が多いが、
とうとう産経まで、お仲間に入ったのかと思うと、色々と感慨深い。


もっとも、当の梶田氏も先日、取り上げたように
「中国共産党」という言葉を安易に独裁の代名詞として使用しているのだから、
 あまり他人のことを言えたものではないとも考えられるのだが。

沖縄とギリシャ

2015-07-06 23:36:56 | 浅学なる道(コラム)
宗主国に理不尽な要求をされる。反対する首長や現地民が否定的に報道される。
似てるなぁと思うのは私だけだろうか?


観光が主な収入源になっている点も似ている。
米軍基地が駐留し、侵略の拠点にされた点も似ている。



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アメリカの軍事基地は、ギリシャの人々に政治的な圧力をかけて
彼らの民族的独立に損害を与えるために使われてきたし、今なおそうなっている。



(中略)

これらの基地群はしばしば隣接する諸人民に対して用いられる。


ギリシャの大地に置かれた基地群は、
1983年にはアメリカの第六艦隊がベイルートを爆撃するのに使われ、

1986年にはリビアに対する米国の攻撃を、
そして1990年にはイラクに対する攻撃を容易にするために使われた。



ギリシャに置かれた米軍基地はまたスエズ運河をめぐる
六日間戦争のときイギリスによって用いられ、また最近ではボスニアに対し、
また続いてユーゴスラビアに対するNATOの爆撃に使われた。


これらの基地群が土台となって、
コソボの占領を狙ったNATO軍がギリシャ経由で出撃することが可能になった。


この場合、民間港湾や空港その他のような非軍事的な民間施設も彼らは使用した。

また基地群はNATO軍の演習がバルカン半島や東地中海地域全域での
将来の干渉のために為されるのにも便益を与えている。

最近こうした種類の二つの演習がギリシャの大地で実施された。

http://www.heiwataikai.info/past_rally/00_nago/simpo/bunsyo_05.html
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これは2000年に書かれた文章だが、
状況は変わっていないのではないだろうか?



現に、ギリシャには未だにクレタ島とソウダ・ベイに米軍基地がある。
http://www.cnic.navy.mil/regions/cnreurafswa/installations/nsa_souda_bay.html



沖縄は基地の受け入れが、ギリシャは緊縮策の受け入れが問題になっているが、
本質的な部分、すなわち、欧米の植民地主義の被害を未だに受けている点では、
両者は兄弟とでも言うべき間柄ではないだろうか?



そう考えると、ここ最近のギリシャ債務危機に関して、
別に反日国家でもなんでもない同国に対して日本のメディアが
冷酷な主張(金は借りたら返すのが当たり前)をするのも納得がいくのだが……


参考記事 池上彰氏のギリシャ債務危機の説明について

左翼と右翼の和解を望む者へ

2015-06-19 22:27:58 | 浅学なる道(コラム)
パク・ユハは言うまでもなく、国内では北大の玄武岩など、
最近、右と左の枠を超えて、日本と韓国の和解を目指そうとする動きがある。


彼らの言葉で一番気になるのが、日本と韓国の対立を嫌韓と反日の対立とみなすことだ。
日本の嫌韓は確かに史実改ざん、人種差別を含んだヘイト・クライムだが、

別に韓国は日本人そのものを見下すように教育はしていないし、
歴史問題にしても、慰安婦制度を主とする日本の植民地支配を認めろというものだ。
日本のような平然とウソをついたり責任を逃れようとする態度とは質そのものが違う。


実際、韓国の留学生を相手にしても、彼らが怒っているのは日本政府や
右翼の態度であり、日本人そのものに対してキレているわけではない。当然の話だ。



私だって、アメリカ政府の植民地主義には憮然としているが、
それはアメリカ人そのものへの蔑視にはならない。

むしろ、アメリカの知識人は日本と違い、画期的な意見、
傾聴に値する意見を多々発言している。最近は洋書や翻訳書ばかり読むようになった。


政府を批判することと、民族を差別することとは別問題である。


韓国の反日とは、あくまでも日本政府や政府よりの人間に対する批判だが、
日本の嫌韓は、朝鮮民族そのものへ対する人種差別であり、同類のものではない。


ところが、一部の知識人は、なぜか同レベルの行為とした上で、
どっちもどっち論を展開する。それは誰にとって役立つか?言うまでもない。



加えて、和解論者は、日本政府の現在の言動に対する非難はあまりしない。
いわゆる反日論者は、まさに日本政府の今の対応に異議を唱えているにも関わらずだ。


和解論者は、まるで日本政府が誠実に対応しようとしているかのように語る。
だが、これは本当だろうか?次の記事を読んでみよう。


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日本 元韓国人強制労働者に199円支給、韓国「ばかにしている」


韓国の市民団体「勤労挺身隊ハルモニ(おばあさん)
とともにする市民の集まり」はこのほど、第2次世界大戦中に
三菱重工業の軍需工場で働いた元朝鮮女子勤労挺身隊の韓国人女性3人が
日本政府に厚生年金脱退手当金の支払いを求めたことに対し、
日本政府が関係機関を通じ1人当たり199円を支払ったことを明らかにした。




中国新聞網が韓国メディアの24日の報道を引用して報じた。



日本側は強制連行した労働者に対し、
帰国時に厚生年金の脱退手当金を支給することになっているが、
多くの韓国人労働者は受け取っていない。




1944年当時、日本で強制労働させられたキム・ジェリムさん(84)、
ヤン・ヨンスさん(85)、シム・ソンエさん(84)、故オ・ギルエさんの弟(78)
の4人は昨年11月、日本政府を相手に厚生年金脱退手当金の支払いを求めた。



日本政府は、キムさん、ヤンさん、シムさんの3人は
一定期間厚生年金への加入が認められるとして1人当たり199円を支払ったものの、
オさんの遺族に対しては、オさんが加入期間の6カ月を満たしていないとして支払わなかった。


199円は、日本政府が当時の給与基準を基に算出した額だ。



これに対して、同団体は、2009年に元労働者に支払われた金額は99円だったのに対し、
今回は199円だったことは日本側に補償に関する明確な基準がないことの表れだと非難。



3人は2年近く強制労働させられ、今もなお苦痛が消えていないとして、
日本政府と三菱重工に被害者への謝罪を求めている。




1998年、戦時に強制徴用された韓国の元労働者8人は日本政府に、
厚生年金脱退手当金の支給を求めた。2009年9月に申請資格が認められた7人に、
1人当たり99円が支払われ、韓国国民の憤りを買った。
(編集KN)

「人民網日本語版」2015年2月25日
http://j.people.com.cn//n/2015/0225/c94475-8853653.html
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強制連行の被害者に支払われた金額が
99円、あるいは199円。

なんとも非道い話ではないか。



同じことをアメリカ政府にやられたら、
私たち日本人は笑って済ませられるだろうか?


反日に走らせる最大の原因は、過去に何をやったかではなく、
今、日本政府が何をしているかによるものだ。



歴史問題にしても、過去に行ったことではなく、
過去に行ったことを忘れようとする今の行為を批判しているのである。


この辺の理解がいまいち、和解論者にはないようで、
玄武岩に至っては韓国は被害者としての優越感に浸っているようだ(すごい言葉!)。



問題は、この手の和解論者の言葉が
岩波書店や朝日新聞社などによって拡散されていることだろう。


日本の右傾化は左翼の右傾化。ゆめゆめ忘れてはならないことである。

天皇の平和利用

2015-06-19 20:30:26 | 浅学なる道(コラム)
原子力の平和利用というフレーズがある。
50年代を契機に始まった原子力のプラスイメージの宣伝を批判する言葉で、
日米の指導層が日本を核のエネルギー利用の実験台にするためにプロパガンダを展開した。
(もちろん、手下である日本政府が直接の指揮をとった)

ノーモア原爆、イエス原発というわけだ。


http://roodevil.blog.shinobi.jp/%E6%9B%B8%E8%A9%95/%E8%A6
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山本太郎の直訴しかり、左派にも右派にも最近見られるのが、
平成天皇をダシにして、非戦・反戦を主張する動きだ。


「天皇陛下も反戦だ!だからオレが正しい!」というわけである。


しかし、天皇と言うのは、そこまで発言権に自由があるのだろうか?


私の知る限り、天皇夫妻の行動には、かなり制限がある。

基本的に彼らは各地を行幸したり、式典に出席したりして、
ねぎらいの言葉をかけているが、そういうフォーマルな場で
物騒な言葉を言わないのは、当たり前と言えば当たり前のことだろう。


ここで私が気にしているのは、天皇が反戦主義者だろうと好戦主義者だろうと
私たちの耳に届いてくるのは、平和を望む言葉だということだ。


加えて、皇族は戦争を主導したという肝心要の事実があるわけで、
かつての皇族とは違うと主張するためにも、反戦の立場を取るのは当然。


そういう意味では、意地の悪い言い方だが、
天皇の反戦論は、CMや歌の歌詞でよくある平和が一番、愛が世界を救うといった
婉曲的に言えば抽象的、ストレートに言えば実体のない平和論の枠を出ていない。



確かに皇族は得てして平和論者だが、それは、そこから一歩踏み込んで
具体的な問題、つまり皇族の戦争責任を問われることを回避するためにある。


一貫して平和論者として立つことで、皇族の戦争責任は免責されているのである。

これは私の独自の意見ではなく、多くの戦後史研究家が認めることだろう。
(いーや、違うぞ!という人も中にはいるかもしれないが)


日本がいつまで経っても戦争責任を直視しようとしないのも、
この問題について本格的に責任を取ろうとすると、皇族の責任が浮上するからだ。


そういうわけで、天皇の平和論というのは、
それは本人の意思だろうとなかろうと公的立場から発したものであり、
それも、つぶさに見ると皇族の責任を訴追させないために言わされているものだと言える。
(もちろん、言わせているのは取り巻きの宮内庁であろう)


平成になってしばらく経ち、急に天皇制批判が消えたのも、
昭和天皇が死去したこと、平成天皇には直接の責任がないこと、
これまでの反対運動者が高齢で亡くなっていること等々が原因として挙げられるが、
現在の平成天皇の平和行幸もまた、大きなポイントになっていることだろう。


天皇=平和のシンボルにすることで、天皇制そのものの問題点、つまり、
皇族の権威を利用して右翼が権力を振舞う現実への批判がしづらくなっている。


君が代や日の丸への批判は一応、できることはできるが、
私も学校で君が代に反対する音楽教師を見てもポカンとして見ていたし、
歌わされる生徒自身が天皇=平和のシンボルという認識を抱いているならば、
天皇を称える歌を歌ってくださいと言われても「うん、いいよ」と頷くだろう。


君が代斉唱の問題点は理屈としては指摘できても、
感覚的な面では歌わされる民衆が斉唱を受容している以上、
歌うのは問題だと言われてもピンと来ないのが実情だろう。それが不味いと思う。


理屈ではなく、感覚で受容させる戦術。
これこそプロパガンダの真髄だが、天皇の平和行幸は、
宮内庁を主とした日本政府が70年続けている最も巧妙な政治プロパガンダであり、
これを批判するならいざ知らず、賞賛するのは本質が見えていないと感じてならない。

ネトウヨは論外という風潮に対して(右翼のネトウヨ批判について)

2015-06-18 00:48:59 | 浅学なる道(コラム)
最近、安田浩一らが書いている反ヘイト本について、

①ヘイト・スピーチに反対するだけなら極右ですらしている
②主流右翼および出版社の責任について言及していない
③主流左翼も含むメディアの北朝鮮バッシングが差別を助長したことを度外視している

と、一見良さそうに見えて、その実、問題点があると指摘した。


一言で言えば、これは爆弾売りが自爆テロを非難するようなもの
空爆を是認する人間が自爆テロを非難するようなもので、
爆弾を売っているお前の行動はどうなんだよ
自爆はダメでも空から落とすのは良いのかよという話に繋がってくる。


特に極右の櫻井よし子のヘイト・スピーチ批判は、
ところどころ他国へ対する蔑視に満ちた表現をしており、在特会と差が無い。
有田芳生や辛淑玉の北朝鮮バッシングも同様のものである。


つまり、現在、ヘイト・スピーチの反対者を名乗り自分を宣伝している連中は、
その実、自分が彼らと大差ない人間であること、より詳しく言えば、
自分たちが彼らを焚きつけた張本人であることを巧妙に隠蔽している。

「向こうはヘイト・スピーチだが、オレは違う」と責任逃れをしているに過ぎない。




これと同じ現象がネット右翼(ネトウヨ)への批判に関しても言える。


例えば、近年、小林よしのり山野車輪がネトウヨ批判をしているのだが、
冷静に考えて、慰安婦は偽者だー、日本は正しかったんだーという意見を
ネトウヨが誕生する以前から主張し続けてきたのは、この2人ではなかったか?


私は『戦争論』も『嫌韓流』も読んだことがあるが、
そこで描かれる内容は、はっきり言って今のネトウヨが主張しているものと同じである。



まぁ、それは当然のことだ。ネトウヨの情報は元を辿れば、
小林や山野、櫻井などの極右が書いた本に行き着くのである。



実際、私の同級生や先輩の中にも、小林や山野の本を読み、
よく『勉強』し、誇りある日本人(笑)に目覚めた人間が結構いるが、


彼らの特徴は、非常に攻撃的、権力志向等々の
ネトウヨの特徴としてとりあえず頭に浮かぶ要素を余すところなく取り揃えていた。
恐らく、彼らも2ちゃんねるなどで差別的な発言を嬉々として行っていたと思う。



何が言いたいかというと、右翼のネトウヨ批判というのは、
強盗がテロリストを非難するようなものだということだ。



オレは、こいつらとは違う!=オレは犯罪者じゃない!
と必死にアピールしているが、どんぐりの背比べである。




櫻井たちがネトウヨやヘイト団体を非難するのも、
自分たちは「保守」だから正義、連中は「ネトウヨ」だから悪というものだ。



実際、彼らの意見を読むと、例えば、小林は「ネトウヨのデモは左翼のデモと同質」、
山野は保守が「劣化」していると言う風に「保守」自体は正常だという立場を取っている。


決して彼らが改心したわけではない。




ネットでも、オレはネトウヨじゃない!と
アピールをしながら思いっきり右翼的発言をしている人間をよく見かける。


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わたしの頭の片隅で突然理解されてしまったのは、
「慰安婦」の問題が、どういうわけでアメリカで
‘ウケル’のかということへの一つの回答だった。


戦前、戦中の日本で、朝鮮人に対する差別がひどかったことはとっくに知られている。
関東大震災のときは、朝鮮人の暴動があるというデマがもとで、
多くの朝鮮人が殺されている。ところが、そういう事実は、大して‘ウケない’。



慰安婦問題については、謝罪のしかたが官僚的だったにせよ、謝罪もしているのだし、
しかも、70年も前のことで、多くの日本人はそれについて何も知らなかったのが現状だし、
その後、世界の各地でくり返された残虐行為、また、今も進行中の人権侵害を差し置いて、
どうしても,それに抗議しなければならないという彼らのパッションの源は、
つまり、この問題が、18世紀ロマン主義の王道にぴったりとはまっているからなのだった。


慰安婦のイメージは、彼らの中では、マグダラのマリアであり、聖アガタであり、
「レミゼラブル」で「夢やぶれて」を歌うアン・ハサウェイなのだ。


そこで、日本人に割り振られている役どころを考えると気絶しそうだ。


「慰安婦」を上書きするこの圧倒的なイメージを前では、
慰安婦の史実など、もし眼前に突きつけられても幻のようなものである。



つまり、この問題を非難することは、非難する彼ら自身にとっての‘慰安’なのだ。
安心して人を非難できる、これほどの快楽がまたとあろうか。


いま、わたしたち日本人は、ユダヤ人という標的を奪われて以来、
キリスト教徒がようやくありついた、安心して差別できるおいしい餌なのである。


慰安婦の存在自体は誰も争っていない(ネトウヨは論外)。

問題にしているのは、それをめぐるプロパガンダなのだが、
プロパガンダに抗議することは,協力することと同義なので、
もはや、この問題に対処する術もない。


七十年前のそのころ、日本人が朝鮮人に対して行った差別行為の数々は、
許されるものではない。しかし、当事者でもないわたしたちの世代が、
それをプロパガンダに利用することは、それと同じ質の差別行為なのである。

http://d.hatena.ne.jp/knockeye/20130818
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上の文章では、慰安婦制度に関する日本政府の法的責任を求める運動を
差別行為と称して直視しようとしない一方で、「ネトウヨは論外」と述べている。


だが、彼の意見(70年前の事件を掘り返すな!今の日本人に関係無い!)は
ネトウヨがしょっちゅう述べているものである。


大体、アメリカの運動団体は日本人一人ひとりに贖罪を求めているわけではない。
単に、日本政府を対象にしかるべき賠償を求めているだけだ。


この筆者の理屈だと、原爆投下について、
未だに後遺症に苦しむ被爆者が生きていたとしても、
70年も前に起きた昔の事件として処理しなくてはならないし、
このジェノサイドについてアメリカ政府を批判するだけで、
アメリカ人に対する差別行為をしていることになってしまう。


原爆ドームは反米プロパガンダ施設ということになってしまうだろう。

そんな馬鹿な話があるかという話だが、
これを大真面目に語るのが、自称「僕、ネトウヨではありません」マンだ。


これはオレはテロリストじゃないと言いながら、
駅を爆破しているようなもので、傍から見れば非常にアホくさい




どうも彼らの言い分を聞くと、「自分はネットで差別発言を書き込んでいないから」
等々の細かな違いを挙げてネトウヨではないことにしたいらしい。


しかし、これは学校を爆破した人間が
市庁舎を爆破しなかったことを理由に
自分はテロリストじゃないと言い張っているようなものだ。




要するに、右翼のネトウヨ批判というのは、
ネトウヨを批判する⇒自分はネトウヨではない⇒自分は正しい
⇒だから自分の意見を否定することこそ差別行為なのだ!

という非常に屈折した自己の差別行為正当化を行っているのである。


この種の言い逃れをしながら、遠くから爆弾をポイポイ投げる行為は、
ある意味、いわゆるネトウヨ集団よりも性質が悪い。


小林や櫻井、そしてネットのこの手の手合いには
ネット右翼は悪だが、ネットじゃない右翼は正しいという見解を共通して持っている。



だが、それは詭弁だ。
ネットであろうとなかろうと右翼は右翼なのである。

酒鬼薔薇聖斗の手記について2

2015-06-16 22:01:42 | 浅学なる道(コラム)
案の定、メディアは、この本をボロクソに叩いているようで・・・

この手記が良い本ではないことは確かだが、
何と言うか、泥棒が痴漢を叱っているような感じ(汗



他にも気になるのは、実名を明かせと要求する声があったこと。


凶悪事件の犯人が実名を明かすことは、社会的抹殺に近い行為だ。

まず、今の職場で働くことは無理だろう。
かといて、再就職が可能かと言えば、これも大変厳しい。

不動産屋から住宅を借りる際にも何らかの差別を受ける可能性は高い。
小さな共同体なら、村八分にあうことだって考えられる。


つまり、実名を明かせというメディアの声は、
「お前をホームレスにして見せるぞ」という決意表明に他ならない。



では、そこまで偉そうに語っているメディアはどうなのか?
実名の告白を要求する小倉智昭は、次のようなことをしている。



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14日放送の「とくダネ!」(フジテレビ系)で、
小倉智昭氏が支援を請う外国人選手を厳しく批判する一幕があった。


番組の「小倉が斬るニュース」のコーナーでは、
青森県内9つの市町村に届いた“謎の手紙”を紹介した。




この手紙の差出人は、ウクライナ・ルガンスク州郊外の小学生兄弟。
プロの卓球選手である父親のために、日本製の質の高い卓球用品や、
ラケットに貼るラバーを送って欲しいという内容が、英語で綴られていた。




ラバーについては具体的な品名も指定されており、計15点の総額は約8万円になるそう。
ウクライナの平均月収は約2万7000円のため、3倍近くの金額となる。

ルガンスク州はウクライナ内でも情勢が不安定な地域のため、
こうした支援を要請したことが考えられるという。



番組では、青森県内の複数ヶ所に手紙が届いたことについて、
青森山田高校が福原愛選手や水谷隼選手を輩出した
強豪校であることと関係していると推察している。



また、ルガンスク州では今月10日に卓球大会が開催されており、
その優勝者が送り先に指定されている人と同一人物である可能性があるという。




一連の報道を受け、小倉氏は「信じていいの?」を顔をしかめた。

「ラバー送ると、今度は『お金送ってください』とか
そういう話になるんじゃないの? 大丈夫なのかね?」と
進行を務めるアナウンサーに問い詰めるなど、かなり疑っているようだ。



さらに、小倉氏は「プロの卓球選手でね、
ラバーも買えないような選手は卓球やめたほうがいいよ」とピシャリ。
最後まで「なんか胡散臭くない?」と言いながら、険しい表情を崩さなかった。

http://news.livedoor.com/article/detail/10005351/
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人間性で論じるなら小倉も酒鬼薔薇もどっこいどっこいだ。
前者と後者の違いは、逮捕されたか・されなかったかでしかない。



貧乏人はスポーツ選手になってはいけないだと言わんがばかり、
ウクライナ現地の状況を考えることもなく、金の話として片付けている。

私は酒鬼薔薇より小倉のほうが社会的には悪質だと思う。

なぜなら、酒鬼薔薇は一度きりの犯罪で、逮捕され、悪人と認定されているが、
小倉は、この手の暴言を何度も繰り返し、逮捕どころか批判すらされていない。


まぁ、彼らにとっては、面白おかしく文句をつけるのが
仕事なのだろうが、この手のデマゴーグスにとやかく言われるのもまた
しっくりこないものがある。

アメリカの諜報活動を黙認するドイツ政府

2015-06-15 00:08:23 | 浅学なる道(コラム)
日本は歴史を反省しない、それに比べてドイツは歴史を反省しているから立派だ。
こういう意見はよく左翼の側からも発せられる言葉だろう。


しかし、これが本当にそうなのかと言うと、すこぶる怪しい。



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米国の諜報機関はドイツで融通無碍に活動している。


あたかもドイツは、かつて反ヒットラー連合を形成した
西側諸国に、未だに占領されているかのようだ



ドイッチュ・ヴィルトシャフツ・ナハリヒテンのインタビューに対し、
欧州を代表するテロ対策・諜報・産業スパイ専門家で、
オーストリア連邦対テロ作戦・国家防衛庁創設者にして元長官、
ゲルト・ポッリ氏(Gert R.Polli)が述べた。



氏は次のように述べた。

米NSAがドイツに対し大規模諜報を行っていたことを示す
「スノーデン・レポート」に対し、ドイツ政界は憤激した。憤激は真率なものであった。

しかしそれも、今のところは、ただの空吹かしに終わっている。


メルケル首相のイニシアチブで、
米国と「対諜報」合意が結ばれようとしたが、いつの間にか頓挫してしまった。
首相の電話通信の盗聴をめぐる捜査も、証拠不十分として、停止されてしまった。


結局ドイツでは、通信の秘密というものは、事実上廃止されてしまったのであり、
政府は、さらなる情報漏洩を防ぐための措置を何ら講じることなく、2年間を徒過した。

その証拠に、先日、議会のコンピューターに攻撃が仕掛けられた。



ドイツにおいては、米国の国家安全保障局(NSA)と、
英国の政府通信本部(GCHQ)が、諜報に従事している。



ドイツ連邦情報局(BND)のゲルハルト・シンドラー長官によれば、
それは、ドイツの諜報機関の活動が米国および英国の諜報機関に依存しているからである。



ところでドイツの防諜は今も、主に「東」志向である。
誰の工作から国を守るかと言えば、昔ならソビエト、今ならロシアである。



そのロシアの諜報員たちは、ドイツにおいて、
米国の諜報員と比べ、常に、より慎重で、よりプロフェッショナルだった。
それなのにドイツの特務機関は、習慣的に、米国にこそ、排他的な協力を求めてきたのである。



同盟諸国の諜報機関の活動のあり方から見れば、
ドイツは今も「占領された国」なのである。


オーストリア連邦対テロ作戦・国家防衛庁の元長官、
ゲルト・ポッリ氏は以上のように述べた。

続きを読む http://jp.sputniknews.com/politics/20150614/453992.html#ixzz3d325HygG

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日本の学者や知識人は戦争責任という狭い枠でしか見ようとしないが、
より広い視野をもち、植民地主義の歴史としてドイツを観察すれば、

占領統治が終了した後も、被占領国としてふるまっていること、
ソ連の防波堤として大国に利用されていることに気がつくだろう。



本来、ポストコロニアリズムという言葉は、
植民地主義の継続性を示すために使われるはずだったと思うが、
実際には、「植民地主義が終わった」時代として認識されがちだ。



ナチスドイツがあれだけ自由に振舞えたのも、
ソ連の当て馬として米英仏侵略トリオが利用したためである。



それを如実にあらわすのがスペイン内戦で、
ファシズム軍がフランコを支援したにも関わらず、
イギリスとフランスは黙認という形で静かにナチスを支持した。


近年のアルカイダやISISに通じるが、
結局のところ、第二次世界大戦というのは猛犬を飼い馴らせなかった歴史なのだ。


ゆえに、もっとも強く激しく糾弾されるべき国々が
どこなのかはハッキリしているのだが、この点を度外視して
上手くナチスだけを非難できるように、巧妙な歴史観が構築された。


この歴史観に応じて、
ナチスドイツとソ連とを同一の全体主義国家として区分する動きが生じた。
これらは、宗主国側の植民地支配の歴史と責任を無化させるのに絶大な効果を発揮した。


実際、1930年代~40年代の歴史を見れば、
イギリスやフランス、アメリカが同時期に行っていた植民地支配と
抵抗勢力への容赦ない弾圧については、ほとんど(或いは全く)言及されていない。


この種の西ヨーロッパ中心主義史観から脱却することこそ
今後の現代史に求められていることだと私は思うのだが・・・・・・


酒鬼薔薇聖斗の著書について

2015-06-11 21:58:31 | 浅学なる道(コラム)
17年前、知り合いの下級生の首を切り、校門に置いたという猟奇殺人の犯人である
当時14歳の少年(今は中年。まぁ若者を自称する古市憲寿や古谷経衡ら
30代の右翼論者にとっては彼はおじさんじゃないかもしれない)が本を出版した。


ニュースサイト「リテラ」で大体の内容は把握できる。
http://lite-ra.com/2015/06/post-1177.html


私は死刑論者に反する際に、酒鬼薔薇(以降、Sと表記)を挙げることがある。

Sのような猟奇殺人者でさえ、更正が可能だったのだ、いわんや……というわけだ。

実際、日本の殺人事件の多くは尊属殺だ。

友達なら絶交すればいい、上司なら辞職すればいい。
だが、身内(特に親)の場合、縁を切ることが非常に難しい。

ストレスがたまりにたまり、最後の一線を越えた時、殺人は起こる。

世間一般では、殺人=死刑、「遺族の気持ちを考えろ!」という意見が多い。
しかし、実態を見るに、遺族=犯人の身内が多いため、その論法はどうかなとも思うし、
逆に「反省すれば許される」かのような擁護派の意見にもちょっと首を傾げたくもなる。


私としては、殺人者というのは、逮捕された瞬間から絶対的弱者になると考えている。
自業自得という言葉で何もかもが許される風潮がそこにはあると感じる。


実際、今でこそ冤罪だと判明した足利事件の容疑者、菅家利和氏に対しても、
当時は、様々な新聞社やテレビ局、雑誌社がいい加減な報道を流し、
なかには菅家氏の性癖にまで踏み込んで異常犯罪者と断定した。


これら報道への謝罪は今でも行われていない。


このような犯罪者には何を言っても、やってもいいのだという風潮は
別のジャンルでもセクシュアル・ハラスメント、パワー・ハラスメント、
ヘイト・スピーチ等々、ありとあらゆる差別行為に通じるものである。


ゆえに、私は犯罪者なら殺してもいいのだという意見、
それも被害者の遺族を利用して正当化させる意見には反対している。


そういうわけで、Sに対しても、そこまで厳しい視線を送ってはいなかったのだが、
今回の出版に関しては、正直、幻滅というかSと出版社の商売根性にあきれてしまった。


リテラは絶賛しているが、私としては、この本は、およそ最悪の部類だと思う。

同じタイプの文でも、秋葉原通り魔事件の犯人、加藤智大とは大分違う。

加藤の場合は自分の罪の重大さを認め、責めながらも、なお深い考察を加えていた。
対して、Sの場合は、妙に茶化しているというか、大げさな表現が目立つ。


一言で言えば、自分の犯罪を面白おかしく書いているように感じるのだ。

Sは自分がいかに異常であるかを強調するために、祖母の位牌の前で
性に目覚めたとか被害者の少年に同性愛的な眼差しを向けていたとか、
石原慎太郎の小説に出てきそうな背徳感あふれる人物として自己を演出している。



これは、人間は追い詰められた時、当り散らす、散財するなど、
いろいろな逃げ道があるのだが、その選択肢が非常に限定されてしまった時、
殺人事件は起きると分析した加藤のそれとは対極的なものだ。


読者ウケしやすいというか、マスコミ向けというか。被害者遺族が怒るのも無理はない。
実際、この本は犯罪の抑止には役立ちそうもないし、遺族への償いにもならないだろう。


殺人犯は異常だから人を殺すのだという世間の偏見を助長させるだけのものだ。
この本を皮切りに、また死刑存廃論が、それも悪い方向に論議されるのではないだろうか?

冷静に考えれば、最も重要なのは再犯や模倣犯の防止であり、
そのためには、効果的な更正システムの構築が希求される。

死刑か否かよりも前に、現状の更正システムで十分なのか、
不十分ならばどこを改善すべきか。そういう議論をすべきだと私は思う。


その意味で、Sが事件後、これといった犯罪を犯していないのは
賞賛すべきことだが、彼が真人間に戻ったかと言うと、正直、かなり怪しい。


死刑支持者も犯人の反省を重視しており、存廃論に決着をつけるためにも
この点(更正が上手くいっているのかどうか)に関する本格的な解説書が要される。


あわせて、前述のメディアと犯罪報道の問題点も絡めた、
より大きな問題として扱った一般向けの入門書の出版が望まれる。


そういうのは、岩波などの大きな出版社が仕切るべきだと思うのだが、
まぁ……菅家氏に対しても、基本的にスルーしているわけで、あまり期待できない。


誰か企画してくれないのだろうか?無理か。

スターリン主義再考

2015-05-31 23:33:47 | 浅学なる道(コラム)
スターリン主義というと、たいてい読者は、
独裁・暴政・弾圧・飢餓等々のイメージを思い起こすだろう。

私自身は、良くも悪くもソ連が無くなった後の時代に幼少期を過ごしているので、
ソ連に対するマイナスイメージというのは、あまりないまま生きることが出来た。


加えて、ロシア人の女性(当時20代だったと思う)にロシア語を少しだけ習った
こともあり、ロシアに対しての印象は、かなり良いものだと思う。


ある程度、難しい本を読むようになってから、
右も左もソ連批判、ソ連地獄論に執心していることに違和感を覚えたのも、
この時の影響、つまりロシアがそこまで非道い国だとは到底思わなかったことがある。

実際、連中が総括(笑)に夢中になっていたちょうどその時に旧東側、第3諸国への欧米の
軍事・経済干渉が実行されていたわけで、漠然と感じた違和感も強ちウソではなかったのである。
(この軍事・経済干渉は、現在、リビア・アフガン、イエメン、ウクライナ等多岐に渡っている)


さて、今回、取り上げるスターリン主義だが、
私は、この「スターリン主義」という言葉は随分とおかしな言葉だと考えている。


理由は単純明快で、当のスターリンは、いわゆる独裁に反対していたからだ。

スターリンの講演録である『レーニン主義の諸問題によせて』という本を読むと、
彼がソ連の一党独裁や一人のリーダーによる独裁に断固反対していることがわかる。


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党の独裁という慣用句が、われわれの実践活動のなかで多くの危険と政治的な
マイナスとをひきおこしうるものであるということについては、私はもはやのべない。

保留条件なしでこの慣用句をもちいいることは、つぎのことをほのめかすようなものである。

(a)非党員大衆にむかっては、反対をするな、自分の意見を言うな。
  なぜなら、党はなんでもできるのだから、また、わが国には党の独裁があるのだから。

(b)党の幹部にむかっては、もっと思い切って行動せよ、もっとしっかり締め付けよ。
  非党員大衆の声に耳をかたむけないでもよいのだ。わが国には党の独裁があるのだから。

(c)党の上層部にむかっては、多少は自己満足のおごりにふけってもかまわない、
  すこしぐらいはうぬぼれてもかまわない。なぜなら、わが国には、党の独裁が、
   「つまり」首領の独裁があるのだから。

大衆の政治的積極性が高揚しているこのとき、
つまり、党が注意深く大衆の声に耳をかたむけようとする心がまえが
われわれにとって特別にたいせつなことであり、

大衆の要求にたいして敏感であることがわが党の基本的な戒律であり、

政治上の特別な慎重さと特別な柔軟性とが党に要求されており、

そして、うぬぼれという危険が、
大衆をただしく指導するという仕事のなかで、
党の直面しているもっとも重大な危険の一つになっている
というような現在こそ、

これらの危険について注意することは時宜に適している。


(1926年1月25日
スターリン著、田中順二訳『レーニン主義の諸問題に寄せて』)

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以上の発言を読む限り、スターリン主義=個人崇拝、独裁と定義するのはおかしい。
スターリン自身は、その逆のこと(首領崇拝、党の権力濫用の戒め)を主張したのだから。

なるほど、マルクス主義はマルクスが唱えていたこと、あるいは
それを継承・発展させた思想なのだから、これは特に問題はあるまい。

だが、スターリンの意見とはおよそ繋がりのない、正反対の思想を
スターリン主義と呼び、あたかもスターリンが推進したかのように定義するのは変だ。


本来なら、スターリン主義=一党独裁の警戒、批判、自粛と定義すべきなのである。


そして、これは何もスターリンの弁護ではなく、むしろその逆で、
なぜ個人崇拝や党権力の濫用を非難したにも関わらず、結果的に
そのような体制へと移行してしまったのかという重大な問題点が浮き彫りになってくる。



ヒトラーはユダヤ人への差別を露にしており、
大衆がその差別思想に共鳴したことでナチズムは機能した。

翻って、ソ連では一党独裁への批判が他ならぬスターリンがしたにも関わらず、
結果的にはスターリン自身のカリスマは絶大なものへとなっていった。


この違いは大きい。ユダヤ人を殺せと言ってその通りに実行したナチズムと
いわゆる独裁に警鐘を鳴らしたにもかかわらず、その道を歩んだスターリニズム。

後者のほうがより深刻な問題ではないか。

つまり、スターリン主義の再考は
ソ連時代の問題点、欠点を、より深く考察するために避けて通れないと私は思うのである。



また、このスターリン主義と言う言葉を好んで使った新左翼自身が
内ゲバ等の暴力沙汰を起こしたり、議会主義を否定したり、
ブームが過ぎ去った後、我先にと右翼・中道に転向したりしたわけで、
スターリン主義と言う言葉自体が提唱者のイデオロギーの正当化に利用された側面がある。


事実、ハンガリー騒乱においてソ連軍を派遣し民衆を弾圧した1950年代半ば、
その最高責任者であるフルシチョフがスターリン主義を語ったことこそが、
党内のスターリン派へのけん制として、批判を行ったのではないかという疑惑を生ませる。


この辺の追求は本来、ソ連研究者がしなければらならないことなのだが、
どうもしているのかしていないのかよくわからない(恐らくしているとは思う)


日本のロシア研究者は都合よく、自分たちの意見にあった学者の本しか
翻訳しないため、本国の研究動向が把握しづらい。そして、日本人研究者は
冒頭に述べたようにソ連地獄論に奔走し、そのように単純なイメージで
片付けられる問題ではないことに気づかない。これは非常に問題があるのではないだろうか。