(傷ついたところを修復する)
ニュース番組の少ない日曜日、寛ぐ昼時のとんでもないニュース。
何事が起こったかと思った。
ここのところ自殺がらみの異臭毒ガス事件や毒物混入事件など、
世の中にやたらと陰湿で物騒な事件が多発していたから、一瞬、
また大規模な被害か?って、サリン事件まで思い出してしまった。
昨日の秋葉原連続殺傷事件。
真っ直ぐに一生懸命自分の人生を生きていた、犯人とは何の関係もない7人が、
巻き込まれて亡くなってしまった。
今朝は競うように各局が、逃げ惑う人々や生々しい惨劇の現場を映し出していた。
無差別通り魔事件?
無差別に誰かれ構わず、通り魔的に、自分と全く無関係な人たちを死傷させる?
ムシャクシャしていた⇒人を殺す
世の中が嫌になった⇒人を殺す
生活に疲れた⇒人を殺す
誰でもよかった⇒人を殺す
なんでそうなる?ふざけるな。人の命に手を掛けるんじゃない。
(この時点で私は結構過激な事を考えているけれど、敢えて記さない。)
誰かの役に立つ…、誰かのために何かをする…、世の中に貢献する… 、
簡単に聞こえるけれど誰かのためってとても難しい。
本当に心の底からその意識を持って更に行動するコトってとても難しいと思う。
ならばせめて誰にも迷惑を掛けないという気持ちだけでも持って、
自分の人生だけでも真っ直ぐ見つめて受け入れよう。
挫折も失望も直視して全てちゃんと抱えて、せめて自分の人生にだけでも
責任持たなきゃ。
ムシャクシャすることも、世の中が嫌になることも、生活に疲れることも、
誰でもいいから何でもいいからと意識が暴走しそうになることも、
その度合いは違えど、少なからず皆一度はあると思う。
だからって命を傷付けて良いわけがない、人を殺して良いわけがない。
自分の目には人が映らない、映さない、映したくないことが私にはよくある。
でも脈々と命の繋がりがあって自分が存在しているという事実は消せない。
私は生きる事の最低限の意味はその事実に責任を持つことだと思う。
『誰かのために』、なんて立派な大義名分を自分に課すことじゃなくて
(それができるに越したことはないのだろうけれど)、
『たくさんの命が繋がって自分が存在する』という事実に責任を持つ事、
自分の人生をとにかくちゃんと見つめて一歩ずつ前へ繋げることだと思う。
(最近ようやく少しずつ受け入れられるようになってきた気がする。)
簡単そうで難しい。
でも、人間の生をもらった以上、最低限、成し遂げなければいけないことなんじゃないのかな。
そう、立派な事はいらない。
真っ直ぐちゃんと見つめて進む事、それが最低限、成し遂げなければいけないことなんじゃ…。
どの命だってたくさんの命が繋がった上に存在している。
他人の命を絶つなんて以ての外だ、こんな事はあっちゃいけない。
(勿論、自分の命も。)
最近こんな事件が多すぎる。現実問題、通り魔的傷害殺人事件を無くす方法は?
普通に歩いてて命を落とす世の中は、どう考えたって異常だよ。
事件に巻き込まれた方々の体の傷や、深く悲しい心痛が一日も早く癒えますよう、
お祈りいたします。そして亡くなった7人の方のご冥福をお祈りいたします。