昨日、久しぶりに読み返したこの夢。
今になって理解出来たことがある。
見えている部分だけしか見ようとしないから
全体像を描けないという夢。
今、仕事で同じようなことを学んでいて
目の前に見えている部分だけで判断して動いていた自分がいて
でも、それでは1人だけ作業が遅くモタモタして、結局
どう動いていいのか解らずに、そこから離れていた私の姿が見えた。
聞いた情報と、今見えている情報を結びつけて
先の完成像を描きながら、今足りないものを瞬時に計算して用意する。
その為にどう動いたらいいかを自分で考えて行動する。
それを言われなくても自分で考えて動けて、やっと1人立ちなんだ。
去年のこの時期は働いていなかったから、理解できていなかった。
人と関わるという事は、そこにいろんな変化が生まれる事でもあって
だからいろんな事に気付けてくるんだなと思った。
地球に生まれることは「学びコース」を選んで生まれてきているのかもしれない。
だから学校とか授業の夢が多いのかな。
これは仕事だけではなくて、いろんな出会いにも当てはまった。
私がある場面で同じような動きをしていたことに気付いた。
「どう動いていいか解らなくてそこから離れていた自分の姿」
あれもそうだ!これもそうだ!とハッとした。
そうか、自分で判断して動けるはずなんだね。
その為に、今足りないものを頭に描いて
それを現実に完成させる為にどう動いて行くか?
それが「全体像を想像して描く」事でもあるなと思った。