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気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

形じゃなくて心

2013-02-01 14:52:39 | 日記

先日、テレビ番組を見て久し振りに泣いた。
テレビを見て涙が出たのは何年ぶりだろう…。

番組は「若い日本の和楽器演奏者たちが、
クロアチアで西洋音楽団と共演」するまでの様子を紹介していた。
1/27に再放送していたが、途中から見始めた。

西洋での演奏は3回目で、
2010年にフランスのモンサンミッシェル、
2011年のイタリアは、ローマ・ルッカ・フィレンツエ・サンマリノのイタリア4都市へ
そして今回の2012年は、クロアチアだった。

「西洋の場所で和楽器を使って日本と西洋の音楽」を演奏していたが
今回は「西洋の楽器(楽団)との共演」に初挑戦していた。

「陰の和楽器と陽の西洋楽器」
音やリズムがまったく違うのに、果たして合うのだろうか?
そんな気持ちで見ていたが、演奏後には素晴らしい笑顔が溢れてた。
観客だけではなく、演奏者たちも皆、幸せな表情をしていた。

演奏前に和楽器のリーダーがクロアチアの楽団員に話をしていた。
「自分たちのテーマ曲でもある『青いバラ』は、
「まだ見た事もない奇跡を実現したい」という想いで
不可能を可能にするという意味をこめて作られたと。
西洋と和楽器の融合、その奇跡を是非みたいと
そのような事を話されていた(と思う)。

奇跡は叶えてもらうのではなく、自分たちの手で作り出すもの。
そんな気持ちが伝わってきた。
人の心が「何かを感じて共振して」作り出すものなんだなと思えた。

ゲストの和楽器を前面に出し、オーケストラの楽団は後ろで
音を抑えながらもしっかりとホロ―するかのような
そんな優しさを感じた。

和楽器側も独走するのではなく、後ろの音と協調するように
そんな「お互いの気持ち」が音に表れてた。
とても幸せな心地良さを感じた。

そして演奏後のラストインタビューで語ってた。
今まで「西洋楽器と和楽器」はどこかが違うと感じていたが
そうじゃなかった。
「『楽器』じゃなくて、『演奏者』なんだなと気付いた」と。
私はこの時、「うん、うん、そうだよね…」と
胸にこみ上げるものがあって泣きました。

彼らは「既に誰かが引いたレール」の上を歩いているのではなくて、
誰も行ったことのない道を自分たちの足で歩いて作りだしてる。
しかも日本では「古い」と隅に追いやられていた和楽器で。
自分たちの出す音を楽しみながら。。。

本当に彼らは「不可能を可能にしている」先駆者なんだなと思った。
凄いなぁ、彼らの歩みは私にヒントを与えてくれている。

自分で作り出すもの、
何でもいいんだよ、自分の手で作りだしているのものなら。
それに「心」を込める。
その思考錯誤の中で見つかるモノ。
「そうか!」と気づくもの。
それが「宝」なんだと思う。

「形」ではなくて「心」。
私もそう感じ始めていたから
「『楽器』じゃなくて、『演奏者』」という言葉を聞いて
私の心も反応して、泣けてきたのだと思った。

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