今週母方の親戚が親子3人で、お墓参りを兼ねて遊びに来てくれた。
普段ひとり暮らしで人と接する機会が少ないせいか、色々と自分の気付かなかった姿が見えてきた。
言葉の理解力が足りないなと常々思っていたが、今回もそうだった。
自分の思いが固定化されて相手の知りたい事と私の返事がチグハグだったり😅
理解力とか視野を広げるには、やはり人と接する事が大事だなと感じた。
会社は枠に閉じ込められる印象があったが、それとは別に人間関係で鍛えられて、視野も広がるなと改めて思った。
良い面、悪い面、両方あって、結局学びはどこにでもあると思う。
私も短期間だけどパートで働いた経験は、自分の見えてない部分がたくさん知れて良かった面が大きい。
一昨日母の思い出を話していたけど、振り返って見たら「私の根に残っていた部分」が出てきただけだった。
祖父母とのいざこざ。
母を通して見えてきた、父や兄と私とのわだかまり。
そんなものが出てきて、あー、私の中でまだしこりとして残っているんだなと感じた。
祖父母や父や兄もたくさん愛情溢れる思い出があったのに、それは話せていなかった。
辛い思い出しか残っていないなんて、私はなんて悲しい思い出を抱きしめていたのだろう。
もっと優しい面もたくさんあったのに、そちらを見ることを忘れていた。
それが母方の親戚を通して見えてきた。
これからは祖父母、父、兄、母の笑顔の思い出、笑い話をたくさん見つけて、それを抱きしめていこうと思った。
人と関わるというのは相手に合わせようとすると難しい面もあるけど、「自分の内面を見る」という部分では、とてもありがたい存在でもある。
祖父、父、兄と、私は男性性に対して、根っこに深いしこりを持っていたけど、それは片面しか見ていなかったからだった。
厳しさと愛情、その両方を見れて、初めてしこりも手放せるように感じた。
悲しみの思い出を笑顔の思い出に変える。
たくさんの愛のシナリオに変える。
それで過去の記憶も、塗り替えられる。
結局、思い出は「心の記憶」なんだね。
だから見方によって、全然違うタイムラインに乗れるというのが納得できた。
今回親戚と会って、今まで見えてなかった親戚の優しさとか愛情を知れた。
今回の訪問は、私に「優しい愛情」を運んでくれたように感じる。
来てくれてありがとうと、感謝です😊
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