気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

胸の因縁

2016-07-24 11:22:32 | 日記

昨日、乳がん検診無料の封筒が市から届いてた。
節目の年齢になると送られるもので5年ごとに回ってくる。
前回は義姉が「受けたけどマンモは痛いよ」という言葉を思い出してやめた。(;^_^A

今年は血液検査を毎年定期的に受けるべきだったと思い知ったので
こちらも受けてみようと思う。

印象的だったのが送られてくる時期です。
ちょうど別問題で今抱えている胸の想念の固いシコリを
自分で解かさなくてはいけないなーと感じていた時だったので。
乳がんは目に見える(触診)シコリで、想念は目に見えない感情のシコリ。
関係が無い訳ではないんだなと感じました。
いやむしろ、どっちも同じで裏表で存在しているものだとすると
想念のシコリを自分で解く事で、現実に現れてくるものも変わってくるのかなと感じたのです。
少なくとも想念は自分がこしらえたものだから、自分で何とかできるもので
そうすると体の問題も、早い時期にそれに気付けたら立派な予防になるのではないかと思いました。

昔、友人に仏教関係の信仰宗教に誘われて、先祖の供養が出来るからというのでお布施をお願いしてました。
私には胸の因縁で苦しんでなくなった父方の先祖(女性)がいて、
その方が私の先祖供養をとても喜んでいるよと言われたけど
私はその人と会話出来ないので、そう言われてもピンとこず、
よく解らないけど喜んでくれているのなら、自分に出来ることがあればとお願いしてました。

この「見えない世界の相手と話せないからよく解らない問題」が、やっと自分で納得出来るようになったのです。


最近出会った言葉で、印象的だったのが
「自分の空腹を相手が『代わりに食べてあげるよ』と食べてもらっても、自分の空腹は満たされない」ということ。
自分のお腹は自分で食べて満たさないと満腹にはなれない。
誰かに変わってやってもらっても満たされないのと同じで、先祖供養も同じだと理解しました。

見えない世界であろうとなかろうと、自分の問題は自分で解決しないと満たすことは出来ないのです。
先祖が喜んでくれるならという気持ちは届いても、
その先祖の胸の因縁自体を私が代わりに解くことなんて出来ない。
でも私が自分で自分の胸の中の因縁を解いている姿を見て、それで何かを感じることは出来ると思う。
だから胸の因縁を持った先祖がいるというのは、本当なんだろうなと思いました。

あの時は解らなかった問題が、今解けた。
そんな感じです。

高校時代、習っている数学が社会で買い物以外に応用できるとは思えなかったけど
私の紆余曲折の証明問題を解く姿勢が、今凄く役に立っていると感じてます。
自分の問題を、自分で解く(理解する)。
今まで私に足りなかったものだったから、高校時代の思い出があったのかなと思う。
苦労するけど自分でやれるって事、忘れるんじゃないよ!という事だったのかなと。。。

 


 

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