気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

外ではなくて内側にある問題

2015-03-11 11:30:06 | 日記

ちょっと解った事がある。

この地で、私が最初にやらなきゃいけない事。
それは「生まれて来ることを望んだ自分の家族」に対して向き合うこと。
そしてずっと避けていたものと向き合って和合すること。

私の怒りの最初の記憶ってなんだろうと振り返ったら、父がいた。
幼い時から父は私をとても可愛がってくれていた。
それは自分でも感じていたのに、短大時代に父の事を聞かれて
私は「嫌いです」と答えていた。
何よりも父の癇癪が大嫌いだった。

父は気に入らない事があると、すぐに怒って近くにあるものを投げつける。
手がつけられない状態なので、家族は怒りが収まるまでじっと耐えるしかなかった。

母を庇うために祖父と父が大喧嘩したとき、私は二人の怒号に怖くて泣いた。
中学生だったと思う。
兄はそんな私を見て「泣くなー!!」と叫んだ。
兄の心も悲鳴をあげていたのかなと、今なら思える。
でも当時の私は精一杯の「泣く」という感情も否定されて行き場を失っていた。
その時の感情を無意識で封印してしまったのかもしれない。

父は運転中でもよく怒っていた。
いつも通る道が工事中になっていたら、それだけでカッカして怒る。
私も母も、その言葉を聞くのがたまらなく嫌だった。
でもどこにも逃げられないから黙って我慢して聞くしかなかった。

父は長男だから、いつも父中心で物事が進む育てられ方をしていた。
だから自分中心でしか見れないのも仕方がないことで、
それは父が母を介護していく中で学ぶ事があったのかなと思う。
今の父は、だいぶ丸くなっているから。

問題は私の心だ。
その時出さなきゃいけなかった感情を、
ずっと自分で抑え込んでしまったことにあったと感じた。
母も同じだと思う。
だから母は亡くなる前に「今まで抑えていた感情を出した」のかもしれない。

でも、私も父と同じ事をしていたなと過去の自分の姿を通して気付いた。
子供の頃に感じた怒りの数々が外に出せずに自分の中で燻っていて
それが事あるごとに、他のものにあたって発散していた。

私だって父に負けないくらい短気なんだ。
レジに並んでいて、他のレジがどんどん進み
自分のレジだけ進まずに滞っているとイライラしてくる。
父の運転中の「道路工事」と同じだった。

昨日も思わずイラっとしたことがあった。
パソコンでプログラム更新のお知らせがあって処理していたら
「再起動が必要」と出てきた。
再起動してやってたら、また「再起動が必要」と出てくる。
その繰り返しにイラっとしたけど、「あっ、また自分で怒ってる」と気付いて
よく考えたら自分の操作が違っていたとか、解釈が足りてなかったとか
そういう事が原因で出てきた事が解った。
怒りを通して、問題は外じゃなくて自分の内側にあるという事に気づくために
父の怒りがあり、兄の怒りがあり、自分の怒りがあったのかなと思った。

そこを見ずに過去の私は家のゴタゴタから逃げたくて東京へと出て行った。
だから「まだ見てないよ」という事で、戻ってきたのかもしれない。

 

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