亀山市関町、東海道関宿に伝わる昔話で、
関宿で生まれ育った少女が、
父の仇討ちのために剣術を修行し、
見事に仇討ちを果たした、という物語です。
関宿に設けられた、観光客向けの足湯には
主人公の名前にちなみ「小萬の湯」と命名されています。
久留米藩の剣道指南役牧藤左衛門は、遺恨により同輩の小林軍太夫に殺された。
藤左衛門の身重の妻は夫の仇を討つため旅に出たが、
鈴鹿峠を越え、関宿に着いた頃には旅の疲れが重なって、
地蔵院前の旅籠山田屋の前まで来たときには行き倒れ同様の有様であった。
山田屋の主人も女将も親切な人たちであったので、女を手厚く看病し、
女はそこで女の子を産んだ。これが小萬(または小万)である。
女はまもなく、子の将来を宿の主人山田屋吉右衛門に託して亡くなった。
山田屋の夫婦は小萬を実の子のように育てたが、
小萬が成長して15歳になったときに、亡き両親のことを聞かせた。
小萬は、亡き母の志を継いで亡父の仇討ちをする決心をする。
山田屋の主人は、亀山藩家老加毛寛斎に頼んで小萬が武術の修行ができるようにした。
「鈴鹿馬子唄」の歌詞に
「関の小万が 亀山通い 月に雪駄が エー二十五足」とあるのは、
小萬が剣の稽古のために亀山城下に通った姿を唄ったものだという。
天明3年(1783年)8月、
小萬は、亀山に剣の修行に来ていた小林軍太夫と巡り会うことができ、
亀山城大手門前の辻で軍太夫を待ち伏せ、
見事仇討ちを遂げることができたのだった。
小萬は久留米に帰ることはせず、
その後も山田屋にとどまって養父母に仕え、
36歳で死んだという。墓は福蔵寺にある。
旧関町役場の西にある
亀山市関宿足湯交流施設「小萬の湯」です。
関宿の地蔵院から北へ約200mで、
宿場巡りの途中に歩いていける距離です。
小萬の湯
利用時間 午前10時〜午後5時まで
休業日 月曜日(月曜日が祝日又は振替休日にあたるときは、その翌日)
使用料 無料
女性用の更衣室があります。
タオルも施設内で販売しています(1枚100円)ので、
予定外に来てしまっても、気軽に利用できます。
小萬が生まれ育ったという山田屋は、現在は会津屋になっています。
街道そば 会津屋
亀山市関町新所1771-1 地蔵院前
TEL 0595-96-0995
営業時間
ランチ:10:30~(L.O.17:00)
定休日 月曜日
亀山市関宿足湯交流施設「小萬の湯」
東海道関宿・関の地蔵院
東海道関宿を歩いてみた(亀山市関町)