美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

ラーメン横綱 松阪店(松阪市小津町)

2016-07-31 21:15:31 | グルメ


松阪市小津町、南勢バイパスと国道42号との分岐付近に
今年5月16日にオープンしました、
ラーメン横綱・松阪店です。

「ラーメン横綱」は京都発祥のラーメンチェーンで
京都大阪を中心に全国に約30店舗を展開、
三重県には松阪店の他に、鈴鹿店と川越店があります。

ラーメン横綱 松阪店
松阪市小津町字折戸604-5
TEL 0598-56-9527
営業時間
11:00~翌5:00(L.O)
定休日
無休(1月1日のみ休み)



選んだラーメンに組み合わせる「横綱のサービスセット」、
ラーメン(並)650円に
Cセット(ライスと餃子)280円を注文しました。

餃子は黒豚餃子とピリ辛餃子のどちらかを選べます。
注文を取りに来たお姉さんが
「黒豚と赤からのどちらになさいますか」と言い間違えたので
「それ(赤から)は別の店やろ!」と
突っ込みたくなったのですが、大人げないのでスルーしました。



ラーメン(並)です。
横綱のラーメンに乗っているネギは、相変わらず美味しいです。
この日はこってりしたラーメンが食べたかったので、
ちょうどよい具合に濃厚なスープでした。

ピリ辛餃子は、多少ピリピリする程度で
辛いのが苦手な人も大丈夫だと思います。



ラーメン店の過去記事はこちら
  ↓
ラーメン・中華料理(三重)過去記事リスト

ラーメン横綱 鈴鹿店(鈴鹿市白子)
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京都編17/武者小路と新町小学校

2016-07-31 14:15:53 | 日記


京都編16/相国寺~長野工藤氏ゆかりのお寺 の続きです。

相国寺を見た後、堀川通から南へ向かって歩く予定でしたが、
時刻はまだ午後2時を過ぎた頃だったので、
武者小路と西洞院通に寄り道してみることにし、
室町通まで戻って南に入りました。



冒頭の画像が武者小路です。
烏丸通と小川通との間の、450m余りの路地です。



この武者小路の新町通から室町通までの区間、
地蔵堂を中心に、道路の両側に40軒ほどの民家があります。
これが武者小路の町内会の区域です。

明治の文豪・武者小路実篤は、京都の公家・武者小路家の出身ですが、
三条家から分家して武者小路家が創設されたのは、江戸時代のこと、
そして、この路地に屋敷があった、ということではないようです。



武者小路から新町通を南に300m、
学校らしき建物の玄関の前に出ました。

大学かなと思って近づいたら、
新町小学校という小学校の校舎でした。

「京都編20」では、とある市立高校を紹介する予定ですが
その高校の校舎も立派でしたよ、
京都って大学が多いので、小中高校の校舎も
だんだん立派になっていくのかな。



新町小学校の向かいは「京都ブライトンホテル」という
高級感あふれるホテルがあります。

路地ひとつ違うと、こんなにも雰囲気が変わるのもすごいことです。

京都編18/西洞院通(上京区菊屋町) に続く。
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京都編16/相国寺~長野工藤氏ゆかりのお寺

2016-07-31 13:15:05 | 日記


京都編15/同志社大学キャンパスにある大日如来碑の続きです。

同志社のキャンパスを抜けて、相国寺の南門の前に来ました。
相国寺は、室町時代に将軍足利義満が建立した禅寺で、
「京都五山」にも数えられていました。



室町時代の末期、
相国寺の塔頭のひとつである普廣院で、長野一族に関する事件が起きています。
(後述)

相国寺の南門から寺内に入ると、蓮の池があり、
この池の西に普廣院があります。

ただし普廣院は、大正時代に現在地に移転しましたが、
この事件の当時は相国寺の北西にあったそうです。



室町時代の末期、
普廣院の庭で蹴鞠(けまり)を楽しんでいた武士たちがいた。
伊勢守なる武士が、動いて汗をかいたので、
ちょうど寺の外廊下にいた少年に
「浴衣を持って来い」と命ずると
その少年は奥から浴衣を持ってきて差し出した。
その所作からして寺の雑用係の童子かと思った伊勢守は、
続いて「我の足を拭け」と命じた。
ところが、少年は「奇怪な奴」と怒って脇差を抜き、
伊勢守を切り殺すと、自分も切腹して果てたという。
この少年は、伊勢国の国人領主・長野氏の総領息子・長野三郎と記されている。
長野家14代当主・長野稙藤の子で、
15代当主・藤定の兄であったとされている。
(「勢州軍記」巻2 乱世形勢).



相国寺は、応仁の乱も含めて何度も焼失しており、
事件当時の普廣院と、現在のものとを比べようもありませんが、
上の画像のように、こじんまりとした、
蹴鞠で遊ぶにはちょうど良いくらいの広さであったのでしょうね。



上記の普廣院の事件とは別にもう1件、
長野氏が相国寺において関わった事件があります。

それは応仁の乱の序盤(1467年)、
相国寺に籠る東軍(細川方)を西軍(山名方)が攻め、
相国寺が焼失してしまったという事件が舞台です。
東軍に、長野弥二郎、分部、雲林院ら、長野一族が加わっていました。
 ↓
長野政高、応仁の乱に出兵する



長野一族が守備していたのが相国寺の東門だということで
東門へ行ってみたのですが、
石の柱が2本立っているだけで、立派な南門と比べると寂しい風景でした。

いったいここを何人で守備していたのか、
応仁記には記述がありませんが、
この大きさなら500人程度だったのかと想像します。

京都編17/武者小路と新町小学校 に続く
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本格海鮮酒場 はるや本店(津市羽所町)

2016-07-30 21:15:39 | グルメ


津市羽所町の居酒屋「はるや」の本店です。
新町通りのセブンイレブンの向かいに2号店があります。

平日のお昼にランチで利用しました。

本格海鮮酒場 はるや本店
津市羽所町610 津駅から332m
TEL・予約
050-5571-2989 (予約専用番号)
059-228-5999 (問い合わせ専用)
営業時間
11:30~13:30、17:00~24:00
定休日 月曜



お昼のランチは850円、
メイン料理+刺身+おかず3品とご飯が入った弁当に、
茶碗蒸し、味噌汁、コーヒーが付きます。

この日のメインは鶏唐揚げでした。



店内はそう広くありませんが、
カウンター席とテーブル席があり、奥に座敷席もあります。
仕事帰りに、2~4人で飲みに来るには、手ごろなお店です。



いかにも飲み屋さんという雰囲気からすると、
女性1人では入りにくいようなお店ですが、
女性のお一人様もよく利用しているようです。

私が行った日も、
1人でしたが、30歳くらいの女性が利用していました。

定食・ランチ(三重)過去記事リスト



奥の座敷席は、4人用がふたつです。



「はるや本店」の道路を挟んで南隣に
7月上旬にオープンしました、はるやの別館です。

昭和食堂 津駅前店(アスト津1F)

日本海庄や アスト津店(津市羽所町)

風の蔵人(津市栄町ソシアビルB1F)

小料理 花咲(津市羽所町)
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今晩は津の花火大会、明日は美里夏まつり、8耐も土用の丑も今週末

2016-07-30 18:15:46 | 津のこと

(昨年の津花火大会)

今日(7月30日)の夜は、津花火大会です。


(昨年の美里夏まつり)

明日(7月31日)は、美里夏まつりです。

鈴鹿8耐は、7月30日が4耐決勝、7月31日が8耐決勝です。



さらに今年は「土用の丑の日」も
今日(7月30日)です。

画像の、津駅前の「伊勢門本店」さんも、
今日限定でお昼は「うなぎ丼」のみ提供していました。

いやはや、1年で一番忙しい週末になりそうです。
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