津市中央、三重会館の北西に、昔の津市役所の跡地があります。
50歳以上の津市民なら
「昔の市役所は、今のセンターパレスの所にあったんやろ?」
と思うところですが、
私たちが記憶している、国道の東側にあった市役所は、
昭和11年に「津市立高等女学校」の跡地に建てられたもので、
それ以前は、こんなところにあったのです。
現在も、市役所の門柱の一部が保育園の横に残っています。
説明板には、明治22年から昭和11年まで、
およそ半世紀もの間、ここに津市役所があったと書かれています。
上記の市役所の跡地から、同じ通りを北へ20メートルほど歩くと、
「土井聱牙先生旧宅址」の石碑があります。
土井聱牙(どいごうが)
幕末・維新期の津藩の儒学者で、藩校有造館の第5代督学(校長)、
谷川士清をはじめ、津藩には優秀な学者が数々いたのですが
土井聱牙はその中でも「天才」と謳われ、また「奇人」と評判の学者でした。
藩校で教えるとともに、
こちらの自宅にも多数の弟子を住まわせて、自ら教えていたそうです。
ここ(土井の自宅)を「五目ならべ」の発祥地であるとする説もあります。
土井聱牙先生と「五目ならべ」
ふたつの重要な史跡が見られる、中央保育園東の通り、
左手前の電柱付近に土井先生の石碑があり、
右奥の桜の木が保育園です。
屋上にプラネタリウムのある岡三証券ビル