美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

近鉄特急が通過する風景(河芸町上野)

2014-07-31 21:15:11 | 津のこと


津市河芸町上野、国道23号の上野北交差点です。
交差点の東にスーパーセンターオークワがあります。

オークワらしからぬ外観ですね。
赤と緑に塗られた、他のオークワ店舗とは雰囲気が異なります。



オークワ敷地の東に近鉄の踏切があります。
アーバンライナー(21000系)が通過していきました。

近鉄特急が通過する風景(河芸町東千里ほか)
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榊原第二区西出集会所

2014-07-30 21:15:57 | 津のこと


津市榊原町、独立行政法人国立病院機構榊原病院の近くにある、
榊原第二区西出集会所です。

最近建てられたようで、
入口にはスロープも付いていました。



集会所から少し西へ行ったところから撮影しました、
遠くに榊原温泉病院が見えています。



魚政ZIZOYA(津市榊原町)


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童友社のプラモデル(日本の名城シリーズ)

2014-07-29 21:15:19 | プラモデル・模型店


イオン明和店のJoshinで、見つけました、
童友社の「日本の名城シリーズ」のプラモデルです。

私が子どもの頃からある、このシリーズ(1978年発売)、
この類のプラモデルには
あまり興味は無かったはずだけど「名古屋城」と「小倉城」を作った記憶があります。

名城シリーズの難点は「石垣の表現」でした。
丁寧に石を一個ずつ、色を変えて塗ればそれらしくなるのだけど
当時はそんな根気が無かったので、なんか汚い石垣になってしまいました。

童友社のプラモデルは、私から見てもっと上の、成人の世代向けのプラモデルだったように思います。

余談ですが
「太陽の牙ダグラム」のプラモデルは童友社が製作していました。



こちらも私が子どもの頃からあるプラモデルで
「箱庭シリーズ」です。

当時は河合商会というメーカーの商品でしたが、
現在はマイクロエース(旧アリイ)が生産しています。

当時は
「いったい、どんな男の子がこれを買っていくのだろう」と思ったものですが、
現在の私は、結構こういうのが好きになっているかも。

モデラー魂vol.4 アリイ/マクロスとドイツ戦車のジオラマセット
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遊戯王ゼアルOCG DUELIST PACK -神代兄妹編-

2014-07-28 21:15:02 | 遊戯王カード


遊戯王ゼアルOCG DUELIST PACK -神代兄妹編- です。
シリーズ15番目のDUELIST PACK になります。25年10月19日発売です。

5月4日、松阪市内の2パック購入、
「FA-クリスタル・ゼロ・ランサー」狙いで買ってみましたが、
出てきたのは
「No.73 激瀧神アビス・スプラッシュ」(ウルトラレアカード)
でした。

「アビス・スプラッシュ」ばかり5枚出て、「ゼロランサー」はなかなか出てくれません。

コレ魂vol.1626 遊戯王DP15 神代兄妹編
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昔の津市役所の門柱と土井聱牙先生宅跡

2014-07-27 21:15:33 | 津のこと


津市中央、三重会館の北西に、昔の津市役所の跡地があります。

50歳以上の津市民なら
「昔の市役所は、今のセンターパレスの所にあったんやろ?」
と思うところですが、
私たちが記憶している、国道の東側にあった市役所は、
昭和11年に「津市立高等女学校」の跡地に建てられたもので、
それ以前は、こんなところにあったのです。
現在も、市役所の門柱の一部が保育園の横に残っています。



説明板には、明治22年から昭和11年まで、
およそ半世紀もの間、ここに津市役所があったと書かれています。



上記の市役所の跡地から、同じ通りを北へ20メートルほど歩くと、
「土井聱牙先生旧宅址」の石碑があります。



土井聱牙(どいごうが)
幕末・維新期の津藩の儒学者で、藩校有造館の第5代督学(校長)、
谷川士清をはじめ、津藩には優秀な学者が数々いたのですが
土井聱牙はその中でも「天才」と謳われ、また「奇人」と評判の学者でした。

藩校で教えるとともに、
こちらの自宅にも多数の弟子を住まわせて、自ら教えていたそうです。
ここ(土井の自宅)を「五目ならべ」の発祥地であるとする説もあります。

土井聱牙先生と「五目ならべ」



ふたつの重要な史跡が見られる、中央保育園東の通り、
左手前の電柱付近に土井先生の石碑があり、
右奥の桜の木が保育園です。

屋上にプラネタリウムのある岡三証券ビル
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