美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

「今昔物語」を読んでみました

2025-02-02 21:15:49 | 日記

以前にご紹介しました、
津市美里町の「義犬塚の伝説」ですが、
美里の伝承と似たようなお話が日本各地にあるので、
きっと原型がどこかにあったのだろう、と思っていました。
ついに見つけました。

「義犬塚」の原型は「今昔物語」の巻29第32話であったようです。
ただし「今昔物語」では、犬は生きたまま大蛇に喰らいつき、
感謝した主人に連れられて、家に帰ったことになっています。


とは言え、自分だけが面白がっていても仕方ないので
もう少し「今昔物語」をご紹介したいと思います。

「今昔物語」は、平安時代末期に成立した説話集です。作者は不明。
全編が「今となっては昔のことであるが」で始まるため「今昔物語」と呼ばれる。
日本のほか、中国やインドが舞台の話も収録されている。
仏教色の強い説話のほか、
「希有なこと(不思議なこと)」も多数収録されている。

日本昔ばなしの「竹取物語」や
芥川龍之介の「羅生門」の話の原型も「今昔物語」に収録されています。

説話集であるので、
教訓的なものを含んでいる場合が多いのです。
まず、こちらをご一読ください。
(私が簡単にまとめてあります)

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巻9第32話
インドの村に住んでいた商人が、品物を取り寄せるため、
息子に金を持たせて隣国に行かせた。
大きな河に着いた息子は、漁師の船から5匹のカメが首を出しているのを見て
「そのカメをどうするのですか」と尋ねると
漁師は「カメは私たちの漁の邪魔をする悪い奴なので、今から殺すのだ」と言った。
「生き物には皆、命があります。殺さないでください」
「いやダメだ」という漁師に懇願し、息子は父から預かった五千両の金を渡し、
5匹のカメを漁師から引き取った。
息子はカメを河に離して、家に戻ることにしたが、
途中の村で、あの漁師の船が転覆し、漁師は川底に沈んでしまったと聞いた。
家に着いた。カメの話をすれば父は怒るだろう。
ところが父は「どうしてあの金を家に送ってきたのだ」と言います。
「送ってきた?誰が?」
「五人の黒衣の男がやってきて、一人が千両を持ち、
 合わせて五千両を出して、お前に返してくれと置いていったのだ」
五匹のカメが河に潜って、沈んだ五千両を回収し、
人間に化けてここまで運んできたのだと、というお話。
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これは分かりやすいお話ですね。
「生き物をむやみに殺してはいけない」
「善い行いをした者は、必ず報われる」
という教訓が含まれています。
「息子が叱られる前に、家にお金を届けよう」と
人間に変身して歩いてきた、というカメの律義さも伝わってきます。

では次のお話。

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巻31第3話
湛慶という僧がいた。仏教のほか、多方面の知識があり、評判の僧であった。
藤原良房(平安時代初期の公卿、摂政も務めた)の病気を祈祷して治したことから
良房にも可愛がられていた。
ところが湛慶は、若い頃に大きな罪を犯していた。
若い湛慶は、女性への欲望が沸いてくるのに悩み、
不動明王に「私は毎日悶々としています。助けてください」と願ったところ、
「お前はやがて一人の女と交わる運命にある。
 その女はまだ少女だが、十年後お前の前に現れるから注意せよ」
と告げられた。
湛慶は「その女を今のうちに殺してしまえば、
私は僧として禁止されている淫行の罪を犯すことはないだろう」と考え、
お告げに従って、その少女の家を探し当て、
少女の首を切って逃げてきたのだった。
それから十年後、良房の屋敷に逗留していた湛慶の前に美しい女が現れ、
湛慶は何度もその女を抱いてしまう。
何度目かの性交のあとで、湛慶は女の首に大きな火傷があることに気付き、
その傷は何だと聞いたところ
「私は子どものころに家の庭で襲われ、首を切られて倒れていたのを
 通りがかった人が傷口を焼いて塞いでくれて、助かったのです」
というので、驚いて女に出身地を尋ねると、
まさしく、自分が首を切った少女だった。
自分が追い詰められていると悟った湛慶は良房に相談する。
「仏に仕える者は女人を抱いてはいけない、となっているのに、
 お前はその戒律を破ってしまったのだな」
「はい、お恥ずかしい限りです」
「なら、僧なんてやめてしまえ」
「何ですって?」
「お前は頭も良くて知識も豊富だから、
 還俗して役人になれ、就職先は私が世話してやる」
と良房に言われた湛慶は、朝廷の役所に勤めることになり、
元々優秀な頭脳だったのを発揮して、高い地位まで昇進したそうだ。
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何でしょうかね、このお話は。
殺したと思っていた女が蘇ってきたのは、
因果応報だと理解できますが、
この僧は罪を問われることもなく、
幸せに生きていくのです。
このような、一体何を言いたいのか
良く分からないお話も収録されています。

ご興味がありましたら、現代語訳がネットで公開されていますので
読んでみてください。
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津駅前・ホテルルートイン津に泊まりました(その5)

2024-11-10 21:15:02 | 日記


飲み会だったので、津駅のルートイン津に泊まりました。

津駅までは少々距離があるのですが、
フロントの真下に車を停められるというのが便利で、
5回目の利用です。

ホテルルートイン津
津市栄町2-450(津駅まで徒歩6分)
TEL: 059-246-7777

津駅前・ホテルルートイン津に泊まりました(その4)



シングル(喫煙)朝食付きで7,500円でした。

前回利用したのが8年前でした。
その後のコロナ禍で、忘年会や歓送迎会が無くなったので
ホテルに泊まる機会もほとんどありませんでした。



朝食のバイキングです。

この日も宿泊客が多くて、
朝食会場はほぼ満席になっていました。
今回は特に、女性客が多いと感じました。

三交イン津駅前に泊まりました

津駅前・ホテルグリーンパーク津に泊まりました

津駅前・ホテルエコノ津に泊まりました

津駅前・アポアホテル津に泊まりました
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蓮舫さん、襟立ってますよ

2024-07-12 23:15:07 | 日記


蓮舫さんのトレードマークといえば、
白いジャケットとピンと立てた襟ですね。

白いジャケットはこの度処分しました、ってことですが
今回は衣装の話ではなくて、
蓮舫さんのイメージについて書きます。

都知事選挙では、確かに「惨敗」ではあったものの
その責任のすべてが蓮舫さんにあるという論調には反対です。
が、こんなイメージ(印象)は、不利に働いたなと思う点があります。

ひとつは、
民主党時代(2009年)の「事業仕分けの女王」のイメージ。
無駄だとかか過剰だとかと判断した事業は、バッサリと切り捨てる、
そんな人が都知事になったら、
町内会の夏祭りの補助金もゼロになってしまうのかも、
と思った人も多かったのでは。
これを払拭するどころか
「神宮外苑地区の再開発事業は見直します」
と言ってました。
この事業はそもそも東京都の事業でもないので、
選挙の争点にもならないところなのに、
これを口に出した時点で「事業仕分けの女王」は健在なのだと
思わせてしまったこと。

ふたつめは、
「都知事になりたい」のか、
単に「小池さんを倒して、自民党を慌てさせたい」のか、
それがいまひとつ分からなかったこと。
これは、立憲民主党のミスでもあるけれど、
蓮舫さんからは「小池さんを倒すために私が出てきたんだ」
というオーラのほうが、強く感じられたように思います。
ご本人はどうお考えだったのは分かりませんが、
私には「刺客」としてタイマン勝負をしに現われた、
としか映りませんでした。
その威勢を振りかざせば、反自民票が結集して勝てる、
と考えたのは党のミスだとしても、
蓮舫さん自身も「刺客」の役になりきってしまったので、
冷静に都知事を選ぼうとした人の多くは
その威勢に乗らなかったのだと思います。

蓮舫さんの今後については、
ご本人もコメントしていないので、想像で書くことはしませんが、
「大物に挑んで返り討ちにあった刺客」
のイメージは付いてまわると思います。
しばらくは、政治の世界から離れたほうが良いのでは、と思います。


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危険物取扱者試験(乙種第4類)

2024-03-17 09:15:31 | 日記


「危険物」とは、消防法で定められている「火災発生の危険性が大きい」などの性質を持った物質で、
その性質により、第1類から第6類に分類されています。
「危険物」を取り扱うには「危険物取扱者」という資格が必要です。
その資格を取得するには、危険物取扱者試験を受験し、
合格すると「危険物取扱者」の免状が交付されます。



「危険物取扱者」の免状には、甲種、乙種、丙種、があり、
私たちの身の回りにある、ガソリン、灯油、軽油などを扱う
「危険物取扱者(乙種第4類)」は、
ガソリンスタンドのほか、燃料を貯蔵している大きな工場などで必要とされる資格で、
他の資格(乙種第1類~第3類、第5類、第6類)の受験者が年間数千人なのに比し、
乙種第4類は年間十数万人が受験する、需要の高い資格です。

需要が高い一方で、
高校生が就職のために取得しようとするとか、
会社員が職場の命令で受験するケースも多く、
乙種第4類の合格率は毎年30%程度と、
他の資格に比べてかなり低いものとなっています。



という「危険物取扱者(乙種第4類)」ですが、
私の職場でも、有資格者が人事異動で出て行ったりして、
ついに誰かが資格を取らないとヤバい状況になりました。

そこで私が受験することになったのですが、
日常の業務さえ捌ききれない状態の中、
一度目の受験は、3科目中1科目で合格点に達せず不合格、
先日の二度目の受験で、やっと合格できました。
通知に記載されているように、
ギリギリの点数での合格でしたので、
自慢げには書けませんけれど、
学習時間が短くても合格できた、というのは
これから受験する人に紹介しておきたいと思います。
(以下は、あくまで私個人の見解です)

学習時間は、
一度目、二度目のそれぞれ試験前日の夜のみ、
一度目でそれなりの知識は得ていたので、
二度目は試験対策(練習問題)に時間を割きました。

試験3科目のうち「物理・化学」は、
理科系の大学を卒業していると科目免除になることがあるようです。
私は文科系でしたが、共通一次試験(当時)で化学を選択しており、
その学生時代の知識でも通用したことから、
「物理・化学」はほとんど何も準備しませんでした。

冒頭の画像が、私が使っていたテキスト(自腹で購入)ですが、
これから購入しようとする人には、
・設備の解説などに、わかりやすいイラストが描かれているもの
・表などで要点が整理されているもの
を選んでいただくよう、お勧めします。
一応、予想問題集も買いましたが、
練習問題はネット上でも多数アップされているので、
買う必要は無いと思います。

さて、試験前夜に行った、私の試験対策です。
・「重箱の隅」こそ要チェック
 隅から隅までやっていては時間もかかります。
 ただ、危険物の試験は「重箱の隅」のものが出ることが多いので、
 メジャーなものは無視してでも、「重箱の隅」をチェックしました。
 例えば「消火器」の問題で、一般的な屋内消火栓や泡消火器よりも、
 「棒状消火器」や「砂」など、身の回りに無いものがよく出ます。
・似たような物質は、ひとくくりにする。
 物質ごとに性質を覚えるのは大変なので、
 似たような物質はひとくくりにしました。
 例えば、重油とクレオソート油は、性質がほぼ同じなので、
 重油の性質を覚えたうえで、
 問題にクレオソート油が出てきたら「重油」と読み替えることにしました。
・引っ掛け問題を予想する
 上の2項とも共通するのですが、
 危険物の試験には、かなりの確率で「引っ掛け問題」があります。
 「砂は小型消火器である」とか
 「危険物統括管理者は、有資格者を選任しなければならない」とか。
 文字だけで判断すると、間違ってしまいます。
 このように「引っ掛け」が潜んでそうな用語を覚えておくと
 単純なミスを防ぐことができます。
(あくまで私個人の見解です)
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入院していました(今度は足の病気)

2024-02-12 18:15:57 | 日記


先日、足の病気で入院していました。
津市久居明神町の三重中央医療センターです。
5日ほどで退院してきましたが、現在も治療中です。


(1日めの夕食)

月曜日(1/29)の夜、
急に右足が腫れだし、相当な痛みでした。
昼間はいつも通りの仕事(事務仕事)をしており、
何かに足をぶつけた記憶もありません。

この日は痛み止めを飲んで、翌日に医者に行くことにしました。

翌日、まず、かかりつけの整形外科を受診、
レントゲンを診てもらったところ
「骨には異状ないから、これは皮膚科に行って診てもらいなさい」
と言われ、
すぐ近くの皮膚科医院に行きました。

皮膚科では
「これは皮膚の下にバイ菌が入って腫れてくる病気です。
 とりあえず、化膿止めの飲み薬を出しますから、
 これでひと晩様子を見てください」
と言われて帰宅。



水曜日(1/31)の朝、腫れは治まるどころか、範囲が広がっていました。

これはヤバいかもと、昨日の皮膚科を再度受診、
前日は右足の踝(くるぶし)の上くらいに、ゴルフボールほどの大きさだった腫れが、
足首全体に広がっていました。
当然、痛くてまともに歩けませんでした。

「この病気は、点滴で抗生剤を打つ治療になるので、
 大きな病院を紹介しますから、今すぐに行ってください」
と言われました。
昨日ののんびりした会話は何だったの、
今日になって切羽詰まってきてますやん、と感じましたが、
指示通り、三重中央医療センターへ向かいました。

センターでは
「血液検査をします。その結果で、入院するかどうか決めましょう」
と言われました。
入院?
点滴を打ってもらってください、と言われただけだったので
まさか入院?それも今すぐに?
と頭が全く追いつかない状態でした。


(2日目の食事)

病名は「右下肢蜂窩織炎」です。
「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」という聞きなれない病気です。
上にも書いた通り、皮膚の傷口から入ったバイ菌が、
皮膚の下で化膿する病気です。

こういう病気だった、と言うと
「いったいどんな不潔な場所を歩いてきたの?」と皆さんに言われるのですが、
その日は職場から出ておらず、山の中とかを歩いたわけでもありません。
あえて言うなら、私の免疫力が低下していたのが原因のようです。


(3日めの食事)

血液検査の結果、白血球が増加している、
つまり、体中に広がりつつあるのが認められたため、
その場で即入院となりました。

もちろん、そういう心構えはまったく無かったので、
朝、家を出た服装のまま、入院することに。

治療としては、点滴で抗生剤を打ち、
体中のバイ菌を退治する、というもので、
ベッドに寝かされたまま、点滴を見上げるしかありません、



病棟の食堂です。

実は、私は30代前半にも、ここに入院していたことがあり、
その当時は、歩ける患者はここで食事をしていたのですが、
現在は、この食堂は使われておらず、
食事は自分のベッドで食べていました。

食堂の窓からは、久居インターガーデンの
飲食店(町田商店やサイゼリア)が見えていました。


(4日目の食事)

入院3日め(2/2)、
腫れもかなり治まり、真っ赤になっていた
足の甲、足の指も普通の色に戻りました。

治療の効果があったのは理解しましたが、
3日も入院しているのに、一度も回診に来てくれていなかったので
心配になり、どういう状況なんですかと聞きたくなりました。

尋ねたところ、
「この病気は概ね2週間、点滴を続けないといけない病気なので、
 現在は、点滴を続けるように指示している」
とのことでした。

が、上に書いたとおり、
まったく心の準備も無いままに入院してしまったので
仕事も途中のままです。
こんなところで、点滴を見守っているわけにもいかないと、
強引に退院を申し出て、退院してきました。


(5日めの食事)

日曜日(2/4)に退院し、
月曜日から仕事に出ています。

治療は、化膿止めの飲み薬と塗り薬で行っています。

腫れはかなり治まったものの、
寝ているときの姿勢によっては、痛みが出る状態です。
「2週間くらいはかかる」と言われた理由がわかりました。

本当に「災難」のような入院でしたが、
上記の通り、最初からちゃんと治療を受けていれば
早期に手当てできていたと思います。
これくらいのことで救急車を呼ぶのもどうか、と思ったのですが、
結果からすれば、最初の夜に、
大きな病院で救急で診てもらっていたら良かった、ように思いました。
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