ギャラリー 一間

骨董ルクラシックの画像庫

現在の店の様子

2024年12月18日 07時08分38秒 | 営業時間
以前は島原のイトノワに借りてましたが、
その後現在の店舗にドレス小梅ともに引っ越してます。
フリマサイトへの出品、
コレクターさんからの要望、
に応えるための仕入れ発送業務などが忙しく、
通常営業はしていませんが、
ご要望があった方々にはご来店いただいております。

骨董は1階と2階(屋根裏部屋)に展示、というか置いてあります。
画像のとおり、雑然と置いてありますが、
だいたいどこに何があるかはもちろん把握しています。
すべて出品中のものですので、
カード決済にてご購入いただくことも可能です。

出品中の商品はこちら→binsky

年末年始は京都にいますので、開けようかなと思っています。






田の神さん 木彫

2024年12月18日 06時57分41秒 | 骨董
木彫の田の神さんです。

(石の)田の神さんが多く残る鹿児島から出たものです。
 
正確な年代はわかりかねますが、
江戸時代はあるように見えます。
ふだん扱わない分野ですので、
たいした知識もないのですが、
ただただ圧倒され、入手に至りました。
 
部分的に胡粉のような白い箇所が残っており、
元は彩色があったのではないでしょうか。
屋外ではなく、祠などで祀られていたか、
個人宅にあったかだと思います。
画像の通りワレ欠け等あります。
 
高さ 約49.5cm前後

サイズはおおよそです。
実物と画像とでは多少色合いが異なる場合があります。
古いものですので時代なりのスレ疵汚れ等あります。






















李朝熊川茶碗

2024年09月17日 15時12分41秒 | 骨董
熊川茶碗


朝鮮王朝時代16〜17世紀頃。
熊川は慶尚南道の地名だそうですが、
名前の由来はわかっていないようです。
ただ、谷晃氏の「高麗茶碗」にもあるように
おそらく会寧付近の窯で焼成されたものであることは間違いなさそうです。
本品は熊川の約束通り、
端反りの口、大きな高台、
そして見込みに鏡が認められます。
この伝世味の肌は秀吉の朝鮮出兵の際に日本に招来されたものと当方は捉えていますが、
箱はありません。
口縁に丁寧な直し(やや劣化があります)、
見込みに釉の剥落、ひっつき跡などあります。
古格ある姿は凡百の海千山千とは一線を画するものであることは一目瞭然かと思います。
銘は「猿翁えんおう」
でいかがでしょうか。


口径 約12.9cm前後
高さ 約7.7cm前後


実物と画像とでは多少色合いが異なる場合があります。
古いものですので画像と説明文にない疵等ある場合があります。
サイズは前後と記載の通り誤差を含みます。
口縁には小疵等あります。
ブラックライトによる蛍光反応はありません。























志戸呂焼半筒茶碗

2024年04月28日 10時09分45秒 | 骨董
志戸呂焼半筒茶碗。

志戸呂焼の裏に刻印されたのがこの「祖母懐」だそうです。
1716年以降は志戸呂と刻印されるようになったらしいので、
当然それ以前の作かと思われます。
志戸呂の歴史は室町時代まで遡るそうですので、
本品もその可能性があります。

しかし祖母懐印が押されたものはほかにもあり
尾張藩戸山焼別邸の作品、
尾張藩御庭焼御深井焼、
19世紀の作品、などです。

特徴の通り、堅牢な造りです。
この陶質が湿気を嫌がる茶壷に良いとして、
現存するものはそれらの茶壷が多いようです。

深い色合い、手におさまる感じは楽にも劣らないかと。
現存するものがほとんどないのではないでしょうか。

画像のように、見込み・高台付近に直しがあります。
ほか畳付きに欠けあり。
径 約12.5センチ前後
高さ 約7センチ前後

実物と画像とでは多少色合いが異なる場合があります。
サイズは前後と記載の通り誤差を含みます。
古いものですので画像と説明文にない傷等ある場合があります。






















呂宋織部茶碗

2024年04月27日 07時52分36秒 | 骨董
呂宋織部茶碗。

18世紀後半から19世紀前半ころ。
半筒形の非常に好ましい姿です。
画像の通り口縁にはいくつかの直しがありますが、
それだけ大切にされてきたことの証でしょう。
薄く鉄釉をかけた上に灰釉がかけられています。
一般にルスといえばはっきりと濃緑の発色ですので、
こう言ったものは珍しいかと思います。
画像の箱が付属します。貼り札は単に当方の管理札です。

口径 約11.6cm前後
高さ 約7.7cm前後

サイズはおおよそです。
実物と画像とでは多少色合いが異なる場合があります。
古いものですので時代なりのスレ疵汚れ等あります。