明代裂銀欄袋物
古渡りの明代裂です。
銀欄、地絡みの繻子地半越。
紺地のほうは比較的まだ銀がそのまま見てとれますが、
蘇芳地のほうはほぼ変色しており、
銀の下の漆、あるいはさらにその下の和紙が露出しています。
約45×21×11(マチ)センチ前後
実用には堪えないかと思いますが、
この時代のものは刀袋でたまにみかけるくらいですので、
希少です。
明代裂銀欄袋物
古渡りの明代裂です。
銀欄、地絡みの繻子地半越。
紺地のほうは比較的まだ銀がそのまま見てとれますが、
蘇芳地のほうはほぼ変色しており、
銀の下の漆、あるいはさらにその下の和紙が露出しています。
約45×21×11(マチ)センチ前後
実用には堪えないかと思いますが、
この時代のものは刀袋でたまにみかけるくらいですので、
希少です。
白天目。
桃山〜江戸初期、16世紀後半から17世紀初頭。
段付のこのタイプが発掘されたのは美濃の大平と元屋敷窯だそうです。
画像にある通り、口縁には直しやホツがありますが、
完品ででることはほぼなく、逆に完品の白天目があればまず疑って良いかと思います。
コレクター氏が所持しておられたものを先輩業者さんを通して譲っていただいたもので、
誂え箱と仕覆が付属しています。
当方でも何度も使用しておりますが、手取りよく、志野独特のこのやわらかい釉肌が本当に手になじみます。
ニュウがありますので、数年後にはとめたほうが良いかもしれません。
径 約11.6センチ前後
高さ 約7.8センチ前後
ご売約
李朝のぐいのみ
昨日マイベスト李朝が旅立ったので、
現在はこのぐいのみが一番のお気に入りとなっています。
朝鮮王朝時代後期の雑器ですが、
巷にあふれる
「韓国の骨董屋さんは李朝後期というけれども、
実際のところはよくわからない」的な後期盃ではなく、
まじめな後期のぐいのみです。
発掘の手ではなく、
伝世してきたもので、一般家庭から骨董店に渡ったものだと捉えています。
画像にある通り、腰の部分とその上では色がやや違っています。
これは火のあたりかたによるものかと思いますが、
魅力あるぬらぬらした肌にさらに変化を与えています。
自分は盃を毎日バッグに入れて持ち歩いています。
アル中なのではなく、
仕事中にここにレモンティーをいれてのんでいるのです。
(コーヒーは匂いがついてしまうので)
ほぼ磁器なのに、釉肌が育つ、
まじめな李朝の特徴が顕著に現れたぐいのみです。
口径 約7.4センチ前後
高さ 約4.3センチ前後
高台にひっつき、全体に貫入,見込みにフリモノあります。
白釉盃。
はっきりと断定できないのですが、
幕末ころの京焼かと思います。
瀬戸系、中国などの意見もいただきましたが、
全体の印象から京焼きとさせていただきます。
すぐに育つ肌ではありませんが、
かすかにその兆候がみられ、
みこみの青みがかった釉だまりと相まって、
今後の成長が楽しみな盃です。
口径 約6センチ前後
高さ 約3.9センチ前後
古信楽蹲壺。
15世紀、室町時代。
枯淡の味わい深い古信楽壺、
高さ 約17.5センチ
胴径 約16センチ
青華の会出展メンバーの大先輩から譲っていただいたもの。
いわゆる信楽のカリッとした焼きあがりではありませんが、
このような状態で奇跡的に土中に残っていたようです。
打ち捨てられたものではなく、使いこまれたいたものかと思います。
口縁の欠けた部分もなめらか、
花をいけるのが習わしのようになっていますが、
このままでも十二分に味わえる壺です。
ご売約