「嘘のしっぽ」
「あっ、これって嘘だな」
はったりや見栄、前に言っていたこととつじつまが合わない話、小さなごまかし。いくら巧妙に隠していても、嘘のしっぽがちょろりと見えてしまうことは、案外よくあるのです。そんなとき僕は、あっさりだまされます。
僕は人格者ではありませんが、嘘をつく人には嘘をつかなくてはいけない理由があるのだろうと想像することはできます。やむを得ずにごまかし、取り繕いたい状況だってあるでしょう。
その人とつき合うとは、その人を100パーセント受け入れること。だったらその人の嘘も、嘘をつかなくてはいけない理由も、まるごと引き受けようと思うのです。
嘘を暴くことと、相手を活かすことと、どちらが大切かを考えてみましょう。
嘘の背景を想像するやさしさが身につけば、そこから思いやりも生まれます。
「暮らしのなかの工夫と発見ノート
今日もていねいに。」
松浦弥太郎 より
嘘は思いやりということも多々ある。
小さな嘘ではなく、もっと大きなところを見るようにする。大事な部分はそこではないと思う。
とはいえ、潔さも必要。しっぽを鬼の首のように扱う人もいるから。それも本心に違うものを持っているからだろう。
それは何かに物事がかたよっていることを知らせるサインでもあるだろう。
嘘は、罪悪感といういらんものがある印。
「ぽ」の丸が大きくなってしまった💦
しっぽという響きはかわいいから、子どもっぽい「ぽ」でよしとしておくか。
ちょっと久しぶりとなった。
毎年欠かしたことはなかったが、何が何でも毎日という縛りをやめてみた。
何が何でも自分のやりたいことをやり通すという我に変わるといけないから。
続けていくために、それも必要かなと思って。
今日で358枚。積み重ねていけば、いつか1000枚の日も来る。