尼崎JR脱線事故から昨日で丸2年がたちました。
2年前のあの日は、芦屋で展覧会の初日がオープンし、ご来場くださる皆さまを次々お迎えしているところでした。その中のお一人から事故のニュースを伺い、それからというもの、気が気ではない時間を過ごすことになりました。
実はその朝、最高齢(当時83歳)の生徒さんであるOさんは、三田からあの線の電車で出てこられる予定だったのです。すぐお家にお電話したところ、呼び鈴が鳴るだけで反応なし。不安な半日が過ぎ、やっとご無事が確かめられたのはその日の午後でした。駅へ出られたところ、事故の直後で電車が来なくなっており、詳しい訳のわかられないまま、仕方なく帰宅されたのでした。
あれから2年、かけがいの無い大切な命を奪われたご遺族の方や、今なお苦しさと戦いながら、残酷なあの日を引きずっておられる負傷者の皆さまには、どんなに口惜しく、お辛い日々かと思います。
紙一重のところで再びの命を受けられた皆さんが、廻りの方々の深い愛情に支えられながら、必死の努力で当時のご自分に近づこうとされているお姿には胸が詰まります。 事故の原因究明と今後の安全対策なんてことは、なされて当然のことですが、敢えてそれも願った後、私たちに出来ることは何かと考えますが、やはりあの日のこと、犠牲になられた皆さまの無念を決して忘れず、残された命を懸命に生きておられる方々に心からのエールを送ることくらいしかできませんね・・・
あらためて、犠牲になられた皆さまのご冥福を心からお祈りしますとともに、ご遺族の皆さまが、本の少しでも心安らかになられますことをお祈りいたします。