時間はためらわず流れている。
もう少しゆっくり流れて欲しいと願うも無理な話。
祭壇を前に過行く時間の早さを感じている。
いまだ 実感はなくポカーンとして話続けている私。
すべての生活の中心に主人がいた。
世の無常を感じ人生のはかなさと、
またその美しさを考え祭壇の前に。
平安末期から鎌倉時代初期の動乱や地震や飢饉などの
災害を背景に、世の無常と人の生のはかなさを書いた
「方丈記」を思い出している。
高校時代だったか、定かではないがすごく感銘を受けた。
仏教の考えである「無常感」をもとした随筆は今も脳裏をめぐる。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて
久しくとゞまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・で始まる
平家の一門の栄華と没落を書いた盛者心衰の理を強調した
「平家物語」も読んでみよう。
そうだ!無常観や人間の愚かさを書いた「徒然草」も。
「奥の細道」も忘れてはいけないな。
泣いている暇はないほどに、本を読もうと強く感じている。
これからも世の無常をこの肌で感じ、落ち込む日もあるだろうが、
泣くまいと決めた私です。
今までと同じように、穏やかに毎日を丁寧に
今後どのように生きていくべきか模索していくだろう。
悲しくとも、生きていかなければならないことが
辛い毎日ですが、いつも傍にいるようで、ピンと
来ない時間が多く、祭壇の前で長い時間
話しています。
何も答えれくれないもどかしさ。
みさと64様
ご子息とのお別れは私以上に辛く悲しい
事実でしたね。かける言葉もありませんが、ずっと
心のうち居ますよね。
お互いに忘れずにいることね。
最愛の旦那様を送られた今、おばさまのご心中はいかほどか・・・
いつもいつもご一緒だったから、心にぽっかりと穴が空いたような、
そんな感じでしょうか。
息子さんたちご一家と過ごされたり、ご本を読まれたり、
そんな時間が、長い期間をかけて少しずつ穴を埋めてくれるような気もします。
我が息子を送って、明後日がちょうど15回目の祥月命日になります。
15年経ってもまだ、この世にいないという実感が湧きません・・・
…と言うのも、その日離れた地で10年振りで出会った息子は棺の中で、
抱きしめることもできず、未だに現実として捉えられないわたしなのです。
おばさまの場合は、お二人で過ごされた日々の全ての出来事が、
心の中に思い出としていっぱい詰まっているのですから、
その一つひとつの宝物を、時間をかけてじっくりと噛み締めてくださいね。
食事をするときもお茶を飲む時も、一人ではないのです!
これからの日々を、どうか思い出と共に穏やかにお過ごしくださいね♪
主人がいない・・・考えられない時間が流れています
な~んにも変わらいのに、主人はいない、
たまらなく寂しく辛い時間ですが、
主人はそんな私を決して喜びません。
皆様の温かな応援に励まされ、私は幸せ。
これからも応援してね。
良くわかります
全ての中心にいたご主人様が逝かれても
ご主人様が居ないだけで、他は何も変わらず!
今はお忙しいとは思いますが、体調崩されません
様に!
いっぱい、ご主人様を思い出していただきたいです
皆様の温かな応援で私は支えられ感謝の毎日。
四十九日までは、初七日から始まり供養が続き
忙しく時間が流れています。でもそれが涙を
止めてくれています。
思うことは世の無常さです。
さすがおばさんさん、立派でございます。
とに角、ブログを更新できる元気が出ていたこと、ちょっと安心しました。
まだまだ、涙することはあることでしょう。
いっぱい泣いて旦那様に甘えるのも許されることでしょう。
これからも、いろいろ教えてください。
ろしくお願いいたしますね。
子供叱るな歩んできた道
年より笑うな歩む道
何れは歩む道ですが、出来れば遠い方が良いな、
早かれ遅かれ来る別れですが、家族が一丸となり
最後は家で看取ったことが何よりでした。
主人も望んでいたことですから。
世の無常を肌で感じ、滅入るときもありますが
それでも生かされている今に感謝して、前を
向きますね。応援してね。
納棺の時は乱れてしまい、葬儀屋さんも大変
困ったと思ったそうです、
その後は、しっかり喪主を務めました、
四十九日までは、祭壇を家に飾ってあり供養をしているので、泣いている暇はありません、私が
しっかりしないと…言い聞かせています。
メソメソしている私を観たら、主人きっと悲しむと
思います。
世の無常をこの肌で感じ、滅入るときもありますが
皆さんの温かなコメに救われています。
何年たっても心は癒されないでしょうね。
でも元気出さないと向こうできっと心配して
いますでしょう。
どうぞ 遊びにいらしてください。
ゆっくり お話したいわ。
自宅は遠藤先生はご存じですから、お聞きして。
楽しみに待っています。
何時かは誰もが向かうことの別れですが、
出来ればもっと先にのばしたかった。
男の子は頼もしく、頼りになりますね、
幾つで別れても、何年たっても悲しみは癒えないでしょうが、メソメソしているときっと主人は嬉しくないと思います。
しっかり者の私であって欲しいと願っているはず。
もうしばらくは涙が続くでしょうが・・・・
一番先にねこママ様にメールしてしまった私。
ご迷惑も顧みず、
誰かにすがりつきたかったのでしょうね。
同志であり同士でもあったように思っていました。
我が宗派も四十九日まで祭壇を飾り、供養は続き
泣いている時間はないほど。
でも 今の私は手を合わせ念仏を唱えることしか
出来ません。
思い切ってブログ更新して良かったです。
あたたかなコメに励まされ、寂しさの中にも
心が温まる気持ちです。
生有るもの必ずや滅す<<<
理解できているのに、人間って感情が付いて回るので
厄介ですね。どこかに捨てたい気分ですが、余計に
感情は高ぶり困った私です。
おしゃる通り 気負わず、心のままに涙して<<<
自然体で生きることを決めています。
また へこたれそうな時は応援してくださいね。
おばさまの今の御心境、私もいろいろ考えることもあります
本当に色々参考にさせて頂いて、近い将来は私も
同じようになるかもしれないと思いつつ、後ろを振り返らないように前向きに生きていかれれば、と思います
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
色々考えられることもおありでしょう。
泣いている暇はない位やはりお忙しい〰
そう思います。強くまた時には優しく時には涙ぐんで~いろいろな思いがいっぱい詰まっていらっしゃる人生です。私も一緒に涙をして読ませていただいています
色々教えてい建っ抱くことばかりです
有難うございます
正しく、ベターハーフを失ってしまう喪失感ですよね。
欠けた半円で生きて行く不安定さ・・・
それでも、人は生きて行くんですよね。
それに慣れて、それから強くなり。
くちこも、サメ氏が逝ったら、きっと茫然自失となると思います。
きっと、喪失感が大きすぎて泣く反応さえもできない予感です。
長く連れ添われたのですから、時間をかけて、ゆっくり立ち上がられてくださいね。
読書も良いですね。
くちこは、辛かった時、瀬戸内寂聴の法話CDを擦り切れるほど聞きました。
夫が旅立って今年の4月が来ると3年になりますが
今でも思い出してはメソメソしていて お恥ずかしいです。
泣くだけ泣いたらケロっとしてみたり…。
時間が解決してくれる ! そんな風に思ったり
いえいえ ! いいの。悲しいんだから泣けばいいんだ !
って開き直ったり…。
夫にもう一度 逢いたい。そんな風に思っただけで涙が溢れます。
心配して息子からかかってくる電話口で何度も何度も泣きました。
おば様も息子さんを頼って おば様のことを心配して下さる
周りのか方々を頼りにして頑張ってください。
悲しみ・寂しさとゆっくり向かい合う時間もないと、皆さまおっしゃいます。
宗派が違うと様子も変わりますが、初七日・一七日・二七日…と四十九日までは、毎週の供養があります。
よく皆様そこまでは忙しくて悲しんでいる間もない・・などと
49日ほど経って、故人を偲ばれる心になれると言う事なんでしょうか?
おばさまの強い心が、読書に向かわせていらっしゃるんですね。
はい、沢山本を読んで今までのように、穏やかな日々が迎えられますことを、心から願っています。
ブログの中のお写真だけで、お会いすることもできなかったご主人様でしたが、私にとっては心強い同志でした。
おば様の喪失感とは比べものになりませんが、
私も、寂しさでいっぱいです。
おば様が元気に日常を取り戻されることが、何よりの励ましとなります。
強烈な寒波が来ております。
御身体に気を付けて、ゆるやかにお過ごしくださいね。
お心、深く深く受け止めながら、おばさんの思いに感銘を受けています。
生有るもの必ずや滅す。
呼吸をしてなくても、そこに存在するもの、硬い器ですら壊れれば、そこから無くなる❗️
復元出来なければ諦めるしかない。
そこに至るまでの思いはいかばかりや、
姑が夫、私には義父を亡くした時、それなりの年齢になっていても、突然の別れに納得も行かず、言葉に出来ない深い悲しみ、辛さは、そばにいても、和らげることも出来ずでした。
時間薬も効かず、、でも、時の優しさは、少しずつ効果も、、その時に義母の心を動かした一つに、瀬戸内寂聴さんの、般若心経の解釈本が有りました。
目も悪くなっていたので、活字の大きい絵本ほどの大きさのそれは、意味の解釈と、心の持ち方も記され、その身に無い私の気持ちをも解きほぐされた覚えがございます。
それでも、活字から、目を上げると、はっと、そこにいるべき人のいない寂しさは、計り知れない事でも有ります。
少しずつ、気負わず、心のままに涙しても、優しい思い出にわずかでも笑みを浮かべられる日が春の訪れと共にありますように❤️