快晴。
素晴らしく晴れている。
今日の予定は6時からの通夜⇒通夜ぶるまい⇒旦那と私の葬儀場での一泊コースである。
葬儀会社と全て打ち合わせ済みなのだが、旦那は担当に現地で10時に会うと言って家を早く出たがり、
私は、動物の餌やホッカイロなどを確認する。
担当にあっても取り立てて何もなく、仮に何かが抜けていても電話一本で済ませられることなのだが、旦那の興奮は収まらない。
そのパワーを生きてるうちになんで義母孝行に使わない、
私が義母に頼まれたものを贈り物したら息子の癖に、「婆さんに使うな」と怒ったりで喧嘩がたえなかった、
死んでから金を葬儀に使っても…虚しい。
晴天の中、車は義母の所に走る、途中、富士山がくっきり見える。




義実家は小さな湾に囲まれた非常に美しい観光地だ。




さて、納棺師によって納棺されたお義母さんは口も閉じられ、笑っているようなお顔になっていた。
プロのメイクはさすがだと思う仕上がりであり、頬にはうっすらと頬紅もさして、入院時と違い健康そうに見えた。
どうやったのかは知らないが、顔の艶もあり、入浴したてのように綺麗に見えた。
しかし、焼香を済ますと、私のやる事も、居場所もない。
私には義実家はアウェイだと思っている、非常に居心地が悪い。
唯一のおしゃべり相手だった、義母も無言で棺の中だ。
私は、美しい風景をみようと一度外に出た。
そして、一回りし、
親戚一同の昼ご飯も、スーパーの弁当で購入し、その後は夫婦で散歩した。
旦那も、いささか早く到着しすぎたと思っていた。
ハバのりを干しているのどかな風景。美味しいヒジキが有名だ。



水も澄み切っている。

鷺ちゃん。





こんな美しい風景でも、義母の心は休まる事のない一生だった。
夫婦仲が良くなく、いつも旦那に愛されたいと願っていたし、
その欲求不満が、弟夫婦、長男、孫に向かっており、つい過干渉になってしまって、嫌われる結果になっていた…。
各地を回るSLの試運転も見えた、運転手さんが手を振ってくれた。

津波対策に街をあげて取り組んでいる。


この子はまだ若い、そして左足を怪我している。生き残るのは大変だろう。



イソヒヨドリの雄、非常に美声だ。



日も暮れて、さぁ、いよいよお義母さんは自宅から葬儀会場に出棺だ、
住み慣れた家の前で葬儀社の車はクラクションを鳴らして出ていく。
喪服に着替えた私達は、夕暮れの町を車の後を追いかけてついていく。





住んでいる人には当たり前で退屈な街でも、私は何度来てもこの町は美しいと思う。
私が住民なら、毎日散歩する。
私の事を大歓迎してくれたお義母さんは亡くなった以上、(また義父も自分優先でおかしい以上)
今度呼ばれる時は、義父の急変や介護の押し付け合いと葬儀に決まっている…。
先に会場に据えられたお義母さんは地元名産のストックの祭壇や、
様々な心づくしな飾り、写真のスナップなどに囲まれて、静かに横たわっている。
皆がお義母さんの顔をべたべたと触って、別れを惜しんでいる、来た人数は高齢者であっても150人以上。
(旦那の会社側の人間はストップをかけた。)


さすがに婆さんは写せない。
いくら説明されてもわからない向こうの親戚や知り合いの群れに、嫁の私は緊張しまくり、
喪主という葬儀番長、鍋奉行の旦那はこことぞばかりに動き回り頼りにならない、
何をしていたかというと、よれよれの義父と一緒にお辞儀をするだけのぽかんと座っていたお飾り、役立たずであろう。
無事に通夜ぶるまいも済んで、夫婦二人っきりとお義母さんの棺になってから謎の現象が起こり出す、、、
私は葬儀場での泊りは、25年間も人生をともにした義兄嫁とその子供が適任だと思うが、
義兄嫁は私達夫婦に泊まって下さいとのこと。
(しかし、あとから自分も泊まりたかったとぐずぐずあり。)
まず、通夜の終わりの頃に、旦那と、帰り際の甥1が義母が瞬きをしていると嫌な事を言っていた、
だったら甦生しなくては苦しいだろうよ、また生きていて焼くわけにもいくまい。ふん。
私は迷信とか、都市伝説のまやかしとか信じない方だ。
そして、二人で泊まって会館の人が一人宿直に入る、戸締りと挨拶に来た時に、
明日は友引で火葬はしない、義兄の時も何日か置き過ぎてお顔がアンデスのミイラ化してしまいがあったので、
「皆さんはお顔を19日の火葬の時もべたべた触るわけで、どうにか面替わりを防ぎたい」と質問してみた。
持たせるには、御棺の顔の部分のふたも閉じて、安置している部屋に暖房を入れない、
よって、襖一枚隔てた自分の寝るところのみ暖房となった。
さて、お義母さんをおブスにさせないためにもお棺を密封し、襖を隔ててぐずぐず起きていたが、
渦巻き線香という素晴らしい発明品もあるわけで、寝ることに決めた。
元々どこでも眠れる、さらに動き回っていた旦那は大いびきをかいてすぐに眠りについた、
義父似だと思い込んでいたが、その寝顔は御棺の中の義母によく似ている。
さて、私は寝つきが悪い、このままでは寝不足で倒れるが、幸い明日は友引で行事も何もない、
布団の中で起きて居ようと決めた。
旦那のいびきが響き渡る12時から2時の間の事である。
始めはクーラ―の空調がさすが業務用、五月蠅いなと思っていたが、
ホール天井を何か動物が歩いているような、
トタン屋根の上を鳥や猫が歩いているような音がひっきりなし、
やがてそれは地上の畳の上に降りてきて、隣の部屋にいる感じになった。
そして、御棺を置いている近くから、または御棺から継続的にガタガタガタガタと五月蠅い連打が始まった。
旦那は疲れて大いびき、こんなので一々起こしていたら明日の帰りに事故りそうである。
腹をくくって、この際本を一冊読んでやると布団の中で本を読んで過ごした。
途中、トイレで起きた旦那、旦那のいびきが鳴りやむと音は止んだ。
少し、最後の4連打くらいは旦那も寝ぼけて聞いたが、クーラーのせいという。
余りに無念で、私だけに喋りたい事があったのかもしれないが、すまねぇ、無理。
悪い嫁でゴメンm(__)m
素晴らしく晴れている。
今日の予定は6時からの通夜⇒通夜ぶるまい⇒旦那と私の葬儀場での一泊コースである。
葬儀会社と全て打ち合わせ済みなのだが、旦那は担当に現地で10時に会うと言って家を早く出たがり、
私は、動物の餌やホッカイロなどを確認する。
担当にあっても取り立てて何もなく、仮に何かが抜けていても電話一本で済ませられることなのだが、旦那の興奮は収まらない。
そのパワーを生きてるうちになんで義母孝行に使わない、
私が義母に頼まれたものを贈り物したら息子の癖に、「婆さんに使うな」と怒ったりで喧嘩がたえなかった、
死んでから金を葬儀に使っても…虚しい。
晴天の中、車は義母の所に走る、途中、富士山がくっきり見える。




義実家は小さな湾に囲まれた非常に美しい観光地だ。




さて、納棺師によって納棺されたお義母さんは口も閉じられ、笑っているようなお顔になっていた。
プロのメイクはさすがだと思う仕上がりであり、頬にはうっすらと頬紅もさして、入院時と違い健康そうに見えた。
どうやったのかは知らないが、顔の艶もあり、入浴したてのように綺麗に見えた。
しかし、焼香を済ますと、私のやる事も、居場所もない。
私には義実家はアウェイだと思っている、非常に居心地が悪い。
唯一のおしゃべり相手だった、義母も無言で棺の中だ。
私は、美しい風景をみようと一度外に出た。
そして、一回りし、
親戚一同の昼ご飯も、スーパーの弁当で購入し、その後は夫婦で散歩した。
旦那も、いささか早く到着しすぎたと思っていた。
ハバのりを干しているのどかな風景。美味しいヒジキが有名だ。



水も澄み切っている。

鷺ちゃん。





こんな美しい風景でも、義母の心は休まる事のない一生だった。
夫婦仲が良くなく、いつも旦那に愛されたいと願っていたし、
その欲求不満が、弟夫婦、長男、孫に向かっており、つい過干渉になってしまって、嫌われる結果になっていた…。
各地を回るSLの試運転も見えた、運転手さんが手を振ってくれた。

津波対策に街をあげて取り組んでいる。


この子はまだ若い、そして左足を怪我している。生き残るのは大変だろう。



イソヒヨドリの雄、非常に美声だ。



日も暮れて、さぁ、いよいよお義母さんは自宅から葬儀会場に出棺だ、
住み慣れた家の前で葬儀社の車はクラクションを鳴らして出ていく。
喪服に着替えた私達は、夕暮れの町を車の後を追いかけてついていく。





住んでいる人には当たり前で退屈な街でも、私は何度来てもこの町は美しいと思う。
私が住民なら、毎日散歩する。
私の事を大歓迎してくれたお義母さんは亡くなった以上、(また義父も自分優先でおかしい以上)
今度呼ばれる時は、義父の急変や介護の押し付け合いと葬儀に決まっている…。
先に会場に据えられたお義母さんは地元名産のストックの祭壇や、
様々な心づくしな飾り、写真のスナップなどに囲まれて、静かに横たわっている。
皆がお義母さんの顔をべたべたと触って、別れを惜しんでいる、来た人数は高齢者であっても150人以上。
(旦那の会社側の人間はストップをかけた。)


さすがに婆さんは写せない。
いくら説明されてもわからない向こうの親戚や知り合いの群れに、嫁の私は緊張しまくり、
喪主という葬儀番長、鍋奉行の旦那はこことぞばかりに動き回り頼りにならない、
何をしていたかというと、よれよれの義父と一緒にお辞儀をするだけのぽかんと座っていたお飾り、役立たずであろう。
無事に通夜ぶるまいも済んで、夫婦二人っきりとお義母さんの棺になってから謎の現象が起こり出す、、、
私は葬儀場での泊りは、25年間も人生をともにした義兄嫁とその子供が適任だと思うが、
義兄嫁は私達夫婦に泊まって下さいとのこと。
(しかし、あとから自分も泊まりたかったとぐずぐずあり。)
まず、通夜の終わりの頃に、旦那と、帰り際の甥1が義母が瞬きをしていると嫌な事を言っていた、
だったら甦生しなくては苦しいだろうよ、また生きていて焼くわけにもいくまい。ふん。
私は迷信とか、都市伝説のまやかしとか信じない方だ。
そして、二人で泊まって会館の人が一人宿直に入る、戸締りと挨拶に来た時に、
明日は友引で火葬はしない、義兄の時も何日か置き過ぎてお顔がアンデスのミイラ化してしまいがあったので、
「皆さんはお顔を19日の火葬の時もべたべた触るわけで、どうにか面替わりを防ぎたい」と質問してみた。
持たせるには、御棺の顔の部分のふたも閉じて、安置している部屋に暖房を入れない、
よって、襖一枚隔てた自分の寝るところのみ暖房となった。
さて、お義母さんをおブスにさせないためにもお棺を密封し、襖を隔ててぐずぐず起きていたが、
渦巻き線香という素晴らしい発明品もあるわけで、寝ることに決めた。
元々どこでも眠れる、さらに動き回っていた旦那は大いびきをかいてすぐに眠りについた、
義父似だと思い込んでいたが、その寝顔は御棺の中の義母によく似ている。
さて、私は寝つきが悪い、このままでは寝不足で倒れるが、幸い明日は友引で行事も何もない、
布団の中で起きて居ようと決めた。
旦那のいびきが響き渡る12時から2時の間の事である。
始めはクーラ―の空調がさすが業務用、五月蠅いなと思っていたが、
ホール天井を何か動物が歩いているような、
トタン屋根の上を鳥や猫が歩いているような音がひっきりなし、
やがてそれは地上の畳の上に降りてきて、隣の部屋にいる感じになった。
そして、御棺を置いている近くから、または御棺から継続的にガタガタガタガタと五月蠅い連打が始まった。
旦那は疲れて大いびき、こんなので一々起こしていたら明日の帰りに事故りそうである。
腹をくくって、この際本を一冊読んでやると布団の中で本を読んで過ごした。
途中、トイレで起きた旦那、旦那のいびきが鳴りやむと音は止んだ。
少し、最後の4連打くらいは旦那も寝ぼけて聞いたが、クーラーのせいという。
余りに無念で、私だけに喋りたい事があったのかもしれないが、すまねぇ、無理。
悪い嫁でゴメンm(__)m