ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

告別式

2017-01-19 21:02:39 | 日常
曇りがちで寒い。
明日など雪の予報が出ている!!

布団から起きるのが今日は本当に辛い、疲れが出てきて、颯爽と支度が出来ない。
ここ数日素晴らしい快晴だったので、青空のなか天国に逝って欲しかった。
昨日の友引の良い天気のタイミングで送れずに残念である。
また寒いと義父をはじめ、お義母さんのお友達も、親戚も高齢者であり、体調が心配だ。

疲れが溜まってきた重い体に鞭を打って、動物のお世話をしてから出発する。
とにかく気が重い、車窓から見える風景はどんよりと鉛色であり、カメラで撮る気も起きない。






直接斎場に行きたいが、一々義実家に到着、そこから出発。

長い読経が終わり、義兄嫁がベストショットと選んだ、生前の元気なお義母さんのアルバムがスクリーンに次々と流れ出す。
(選曲が義兄の時と同じ、今時の若い女性のボーカルで会場にも主役にも合わない、自分にはピンとこない、今一なんだが、)
映し出させる写真や、ありがとうの字幕が会場をこれでもか、これでもかと涙で盛り上げる。

そして、御棺にすすり泣きながら参列者が一人ずつ会場の花を入れ、
家族が個人の思い出の物を入れて、御棺の蓋を閉める儀式の時にクライマックスを迎える。
御棺には、旦那の帽子、私の亡き母が編んだチョッキ、愛用のひざ掛け、生前の好物などが次々に入れられた。
義兄嫁は新興宗教の御衣というものを入れたいと旦那に懇願しており、
旦那は嫌そうだったがとりあえず許可、私は「入れるのか、入れる位別にいいじゃん」と思っていたら、
「ありがとう」と、畳んでいたそれをいきなり広げ、義母に投げかけ、表からくるっとかぶせて、御棺に上半身をダイブし、
「お義母さん、お義母さん、お義母さーーーんっ」とお義母さんの顔をもって泣き崩れた…。
その姿に、全米が泣いた。
勿論、今回の旦那の通夜、告別式の挨拶も上手く、これは全米が泣くと思っていたが、
一番の見せ場というか、全てを持っていかれた。
実子の旦那は泣くに泣けず、唖然としていた。(「あの人そんなに思っていたんだ」が旦那の後日談)

私はその直後、お義母さんの愛してやまない踊りのチームの皆さんで、お揃いでこしらえたという着物を取り出して、
さっと御衣とかいうものの上にかぶせて覆った。
その時、おりしもBGMはピアノの生演奏、お義母さんの好きな日本舞踊の武田節と黒田節に切り替わっていて、
今度は着物を見て、音楽を聞いて、全米✖、踊りのチーム○が泣きだしてしまった。

こうなったらと、ええい義父も泣かせてしまえと、義父を義母の顔に近づけて「最後に何か一言」と皆で促すと、
義父は義母の顔を無言で撫でて、ポロリと涙をこぼした。
旦那は親父の泣いたのは初めて見たそうだ。
こんなに皆でワイワイ顔をいじったら頬紅も消える、お義母さんがおブスになると心配してしまった、その時、
お義母さんは左目をうっすらと開けた。
皆で触り過ぎだからだと思うのだが、そこで大したもんだと、また御棺を囲む一同。

さて、一方の迎える火葬場の方は今日は混んでおり、順番の時間がだいぶずれて遅れており、
かなりここで時間稼ぎをしてからの出棺だったが、何とか無事に卒業式の「旅たちのうた」の生演奏でお義母さんは最後のドライブに出る。
山道をクネクネとつづら折りに辿り、ついに火葬場に霊柩車とマイクロバスは到着する。

冷え込む中、僧侶の読経がもう一度、皆で焼香し、炉に入れられる寸前、つまり炉に半分入っている御棺に皆で縋り付く。
私は義父を座らせ自分のユニクロのダウンを着せて温めていたが、
「お義母さん、嫌だろうけど最後の試練だ、頑張れ」とひそかに声をかける。

がしゃんと炉の扉が締まり、皆がぞろぞろと雑談しながら待合室に向かう中、私にはやる事がある。
そう、空を見上げてお義母さんのこの世の最期の姿を応援すること。
ボッと炉に火が入る、その瞬間、一斉に白い煙が煙突から上がる、



私は「お義母さん、さようなら」とひたすら空の煙に手を振った。
その私の姿を見つけて、義母の愛してやまない実弟の叔父も一緒に空を見上げて見送った。

お義母さん、ありがとう、さようなら。
コメント (4)
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