ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

現実の自分で、

2019-09-02 21:38:41 | 日常

快晴。

日中はまだ夏のようです、暑かった。33-28℃

日陰はこのくらいですが、

日中、日が当たるとこの暑さですw

ポストには、新しく読者登録させていただき、学ばせていただいている方の訳した本が届いていた。しかし、今日は読書する時間が取れなかった、いずれゆっくり拝見します。

(後から述べるが、学ぶことに関してはネットでこのような素晴らしい人との出会いがある、でもたまに自分を相手の米欄でアピールし、語りたい場が欲しいだけの、なりすましもいるという事で。) 

昨日買ったハンガーと、古いハンガー。

新しいワンピースも2枚届いたのでしわを伸ばす、少し洋服を見直す、暑いので洋服をいじる気分ではないが。

みんな同じですが、いつも着用の右が結構丈が短いので、下にズボン着用していた。今度は丈が膝が隠れる。サイズは大きいですが、私は甲状腺機能低下症なので、治療が上手くいかないと、ひと月に4キロは食べなくても太ります、だから大きめに洋服はしている。太っていようと、痩せていようと、体の線も拾われたくないお年頃ですし、友布に見えるベルトあり、それで調整。

小さいと捨てなくてはならなくなる、大は小を兼ねるのですw

これだけでなんとかやっていますwこれだけでも、着ない洋服は多い、半分は着ていない。結局、冒険できないので、いつも着るような同じ服が増えた方が良いのです、それを痛まない様に、ローテーションの方が気が楽。私は洋服の制服化が好き。

それに人生残り僅か、人に迷惑をかけるわけでなし、皆で自分が着たいものを着ればいいのだ!みな、好きなやり方で楽しんで♡と思う。(手入れが出来ないほどの数で、もしくは洗い替えが無い、そういう極端に不潔なのは、よろしくない。)

好きなものを着て喜んでいる人は、こちらが見ていても、ああこの方は楽しそうだなと思うもの。おニュー(👈死後)の洋服を下ろして喜んでいる感じとか、お気に入りの洋服でウキウキしている幸せ気分は伝わるものだ。

ま、「猫は着た切りで良いな」と思う、特に黒猫はシックだ。クロはだいぶ老けてしまったが…。

太り過ぎです、きーじ君は。

 

 

「あー、人と遊んでやるのも、だるいわ、猫じゃらし持ってきなー」の図

 

夕方は「ムンクの叫び」のバックのような空になる。

 

 

 

 

 その後、

空には猛禽類や猫のような、いや、虎の爪のような三日月がかかっていた。

実はここのところ、ネットでのなりすましを観察できる機会があった、ネットならなりたい自分になりすませる、年齢も、性別も嘘がつける、非婚にも、未婚にも、金持ちにも、貧乏にも、ネカマにもネナベにもなれる、現実には弾けない楽器すら弾けてしまうのだった。このブログにも以前は来ていた、HNはいくつもの○花でおとなしめ。それ以外は違うHNで一人何役で、友人のブログの思想を気に入らないと荒らしまくっていた。

数人の友人は気がついていたし、ハッキリ言って「使い分け、ようやるよ」と、笑い物としてブロガー同士では密かな話題になっていた。「嫌だ、不快だ。」と、ハッキリ撃退した人もいる。勿論私は、勇気を出してNOと言えた方の味方である。今の時代はネットのなりすましで、一人何役で遊べるだろうが、、、

誰もが理想の自分があり、「自分の人生はこれで良かったのか?」と思うのではないか?

「本当の自分はこうじゃない」「なりたかったのはこういう自分じゃない、」「ああ、あの時、こうなる前に、こうすれば良かったのだ、」との、慟哭の書が、中島敦の「山月記」だと私は思う。(ひょっとしたはずみで今日この本の話題が出たので。話題にこの本を出した人の方は、こういう意図じゃないと思う。ご自分は李徴のような天才だ!と言いたいのだがwwww) 

※「山月記」ウィキ(原作はウィキ内から青空文庫に飛べます。やはり名作です。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%88%E8%A8%98 

私は この小説は、主人公が強すぎた自意識とか、自我、プライドに振り回され、自分の心の猛獣に押しつぶされた姿を「虎になった」と表現しているのだと思う。

誰でも生きる上での現実のはざまでのジレンマやギャップがあって、真面目な人ほど上手く折り合わないし、心に余裕がない。またこの主人公は、自分は他人より優れているのだという自負もある。馬鹿にはなり切れないのだ。

実際、物語では主人公は気がふれて、徐々に虎に変化していく、虎の時は人の意識は無い、そこでようやく苦悩の人生から解放される。そして、人の意識の時に、友人に大事にしている詩を読み書きとってもらい、苦しませた妻子を次に(順番が人として逆なのも意図があると思う、だから獣なのだ、とね)頼む。

最後のシーン、光を失う月は時間の経過と、同時に人間の心が失われていく経緯の表現か…。でも人間時の苦悩からようやく解放されたのだ。

私はこの俗っぽくない人、秀才で、一途で、頑なで、不器用で、、、彼の欠点は多いが、虎になった李徴の苦しみが、この世の生きづらさが、わかるような気がする。

 

【最後のシーン抜粋】

偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃

今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高

我為異物蓬茅下 君已乗気勢豪

此夕溪山対明月 不成長嘯但成噑

又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方(こちら)を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以(もっ)て、再び此処(ここ)を過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。

略 

虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮(ほうこう)したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

 

何とも美しいラストシーンである。

取り敢えずは理想の自分ではない人生でも、褒められなくても、認められなくても、一生懸命に自分を生きる事か。こういう風にしか生きられなかったのだから…。

なりすましな妄想を生きていても仕方があるまい。(勿論、どの時点でも、良い生き方に、やりなおそうとする人は美しい。「こういう性格上の欠点で自分はチャレンジしなかった」と、虎になってから、あれこれ悔やむ李徴よりは、人である限り、チャンスはある。)

コメント (8)
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