快晴。久しぶりに30℃を切った。29-25℃
昨夜から今日に切り替わる頃に、激しい雷鳴がとどろき出す。
雷が天窓を煌々と照らし、パッと庭も映しだす、雨粒も降ってくる、それを見ながら、
未だに停電が続いているお家は、開けた窓の戸締りが大変であろうし、屋根が台風で飛ばされたお家は雨漏りが大変であろうと呆然と考えていた。
また、遠い日の記憶もよみがえる、
停電の夜はろうそくを見ながら昔習った「ファラデーのロウソクの科学」を、この雷で「ベンジャミン・フランクリンの嵐の中の凧あげ」をいきなり思い出す。
しかし、凧揚げのエピソードだけではなかった、ベンジャミン・フランクリンの余りに多才さに驚いたので、ウィキも貼っておく。超人です。
※ベンジャミン・フランクリン
ウィキより、凧揚げの実験を抜粋
フランクリンは科学や発明に興味を示し、独学で様々な業績を残した。
- ライデン瓶の実験を知り、電気に興味を持つ。1752年、雷を伴う嵐の中で凧をあげ、凧糸の末端にワイヤーで接続したライデン瓶により雷雲の帯電を証明するという実験を行った[2]。また、雷の電気はプラスとマイナスの両方の極性があることも確認したといわれている。この命がけの研究結果によってフランクリンはロンドン王立協会の会員となった[9]。この逸話は有名になったが、同じような実験をしようとして死者が出たため、現在はあまり紹介されない。
私の地域も被害はある、従弟の家も瓦が落ちたり停電と断水だが、南房総、太平洋側の被害が酷い事を知る。
特に愛してやまない菱川師宣の生誕地の鋸南や、枇杷で有名な富浦は、私はしょっちゅうブログに写真をアップしていたが、今は見る影もない。現場はツイッターで拡散したくても電波障害もあるのだという。
これは私のご近所の屋根。
私の知る限りでは、君津市、多古町は水が出ていたのに、今日から断水、そして皆がポリタンクを探しているが、私も3・11の時は買って配ったりもしたが、今回は頼まれても売り切れだ。そして皆が疲れ切っている…。食料もないという。
庭と塀だけで、家がなんともないのは奇跡である、あと停電が2日ですんだことも。
私ものろのろと片付けている。休み休みだが…。
コンポストがようやく出てきたので、冷蔵庫の物を処分。
池も埋まっているが、まだまだ、たどり着けない。
さて、こんなことは2度と繰り返したくない。私は再び木を植えようか迷っているが、
でも、この疲れが取れたら、やはり手がかからないものを植えるのではないかと思うに至る。
私はアマゾンや、カルフォルニアの山火事に心を痛める方だ。アマゾンの森林の消失は地球の温暖化に拍車をかけると思っている。いくらでも地球の温暖化警鐘の記事を書くことは簡単だ。
でも、自分でも出来る事を実践しているのだろうか?
私は自転車愛好家で徒歩派であるし、出るごみは殆どを回収資源に仕分け、庭にはコンポスト、エコバック使用など、結構意識高い系だと思っている。靴下は継ぎまでするw
そして、このメーカーのお家でもないが、(決してこのメーカーの回し者ではないが)「5本の樹」計画には賛同して来た。家を持つ前、若い時はフェリシモの森の基金に寄付をしてきた。
今回、倒木に悩みながらも、やはり提案する、
一つの家が一本でもいいので樹を植えてくれたら、それはアマゾンには及ばなくても大した量になるだろう、もしも、5本だったら、と思うのだ。
※生態系の再生「5本の樹」計画
是非クリックしてください。
https://www.sekisuihouse.com/exterior/bio/index.html
多部未華子 : 積水ハウス・「5本の樹」計画 (200801)
【ハチドリのひとしずく】
森が燃えていました
森の生き物たちはわれさきにと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは
行ったり来たり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちはそれを見て「そんなことをしていったい何になるんだ」と笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
ハチドリの一滴は、ルターの有名な言葉にも通じる、私はクリスチャンではないが。
「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、 私は今日りんごの木を植える」
「「今でなくても」が、「やらなかった」になるのは実に早い。」
まだまだ日中は暑い、でも風は、確実に秋の風になってきている。
空もだ。
そうやって季節は、瞬く間に一周してしまうのだ。
辛い事も、楽しい事も、すぐに、今が、今でなく、過去になってしまう。
多才でもない、人のお役にも立たない、だけど、生きている以上、少しは地球に良心的に生きたい。