ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

クラリネット✖メトロノームを壊しちゃった_| ̄|○

2019-09-29 20:16:48 | 日常

おおむね曇りの一日。(小雨のち、一旦は晴れるが。)26-24℃

 

地味な日常、盛り上がりに欠けるが、今日もボケ防止に書ける事実を書くのみww

古い映画借りて見た、それだけ…。従弟が「私に屋根で弾いてみろ!」とからかうので、一度じっくり見てみようと思い借りたのです。

文字打つのが面倒臭いので貼るぞ、貼りまくるwっ自分が忘れたくないのもあるが、何故このミュージカルが長く人気なのか考えてみよう!

 

屋根の上のバイオリン弾き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

屋根の上のバイオリン弾き』(やねのうえのバイオリンひき、英語原題:Fiddler on the Roof)は、1964年アメリカミュージカルショーレム・アレイヘムの短篇小説『牛乳屋テヴィエ英語版』を原作としている。テヴィエ(Tevye)とその家族をはじめとして、帝政ロシア領となったシュテットルに暮らすユダヤ教徒の生活を描いたものである。この作品には19世紀末のシュテットルの様子が良く描かれているという

あらすじ

テヴィエはウクライナ地方の小さな村『アナテフカ』(Anatevka)で牛乳屋を営むユダヤ人一家である。亭主関白を気取ってはいるがその実、妻には頭が上がらない。5人の娘に囲まれ、ユダヤ教戒律を厳格に守ってつましくも幸せな毎日を送っていた。

テヴィエは娘たちの幸せを願いそれぞれに裕福な結婚相手を見つけようと骨を折っている。ある日、長女のツァイテルにテヴィエと険悪な肉屋のラザールとの結婚話が舞い込むが、彼女にはすでに仕立屋のモーテルという恋人がいたのだった(仕立屋は7人で一人前ということわざがあり、男性として頼りないイメージがある)。テヴィエは猛反対するが、2人は紆余曲折を経て結婚する。また、次女ホーデルは革命を夢見る学生闘士パーチックと恋仲になり、逮捕されたパーチックを追ってシベリアへ発ち、さらに三女は、ロシア青年とロシア正教会で結婚して駆け落ちしてしまう。

劇中で次第にエスカレートしていく「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人排斥は、終盤で村全体の追放に至り、テヴィエたちは着の身着のまま住み慣れた村から追放されるまでになる。

原作ではイスラエルの地へ帰還するが、ミュージカルではニューヨークに向かうところで話が終わる。

 

冒頭シーン 

※この引用した記事は『屋根の上のヴァイオリン弾き』のミュージカルの時系列通りの記事です。この映画はミュージカルをそのまま映画にしたのですから、この記事の流れの通りに進行します。実際にミュージカルを見たい人は一度ご参考になさると良いかと👇

http://eigogeki.net/cms/blog/2018/11/27/%E3%80%8E%E5%B1%8B%E6%A0%B9%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%BC%BE%E3%81%8D%E3%80%8F%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%98/

ジョン・ウイリアムス先生の文字がぁあああ! 映画音楽はあのスター・ウォーズのジョン・ウイリアムス担当!

でね、これフィドル風バイオリンなんですけど、途中、かの有名なサン・サーンスのバッカナールにのっとって聴こえません?2分30秒あたり。俺の耳のせいか?

19世紀初頭、帝政ロシア領のウクライナのシュテットル(ユダヤ人コミュニティ)、アナテフカの村に暮らす貧しいユダヤ人、牛乳屋テヴィエは言います。「アナテフカに暮らす私たちは皆、屋根の上のヴァイオリン弾きのようなものだ。落ちて首を折らないようにバランスを保ちながら、シンプルで心地の良い旋律を奏でている。バランスを保つためのかなめ、それは『しきたり(Tradition)』だ。」

John Williams 映画「屋根の上のバイオリン弾き」 Fiddler on the Roof , Main Tittle

1971年アメリカ制作。ノーマン・ジュイソン監督・制作。主演のトポル(イスラエル人)は本作でアカデミー主演男優賞にノミネートされました。元々はブロードウェイ・ミュージカルでロングランの興行を記録(1964-1974)した人気作の「映画化」であります。音楽もミュージカルでジェリー・ボックが担当(作曲)したものを映画用にジョン・ウィリアムズが編曲・指揮を務めました。「メイン・タイトル」は映画の序盤タイトル・バックで流れます。

※「屋根の上のバイオリン弾き」あらすじとネタバレ感想

https://mihocinema.com/fiddler-on-the-roof-4071

 

さて、映画は2つに分かれている事に気がつきます。

前半は、ロシアの暗い影響あれど、持参金の無い娘たちにいい婿をのドタバタに尽きます、紆余曲折の後に、牛乳屋のテヴィエの長女ツァイテルと仕立て屋のモーテルがメデタク結婚式を挙げる華燭の典に、帝政ロシアの兵士たちが乗り込んできて、会場とユダヤ人コミュニティを滅茶苦茶に荒します。(結婚式では有名な「サンライズ・サンセット」を歌う。)ここから悲劇の始まりのハズなのですが、

いきなり、ここで話が終わったか?と、この画面が👇表示されてからが、表示が長いのなんの。何せ三時間の映画ゆえ、トイレ休憩か?ブルックナーの交響曲2番の「ゲネラル・パウゼ」的な。(なお、ブルックナーの場合、観客はトイレから戻らないという笑い話もある。)

で、何だ、この話は?ここでお終いなの?と諦めたころに、いきなりこの画面w

後半からが良いのです。

いきなり、結婚式のその後を話し出すテヴィエ、どうやら壊された家を修復して、まだ住民はコミニュティから追い出されていません。

そして、結婚した長女の暮らしぶりを話しますが、あとの子は、お見合いさせるつもりでも、結局、5人いる娘の三人までが自由恋愛をしてしまいます。次は次女が。

 

伝統通りに生きたいのに、娘たちが言う事を聞かなくなった、その「愛」とはなんだ?、

お見合い結婚らしい奥さんに「自分の事愛しているか?」聞くテヴィエオヤジに対し、「25年もたって今更と」言う、おっかあwwww

あいしとるんだな

そのようね

(*´艸`*)良かったですね♡

 

次女の愛した男は政治犯として、シベリア送りになってしまう。

 

その後、それを追って、シベリアに独り行く決意をする次女。のちにお父さんと駅で涙の別れのシーンがあります。しかも続いて、三女も親の意に背く結婚(駆け落ち)をしてしまうのです。

貧しくとも美しく育った娘たち、姉妹仲良く暮らしていたのですが、大人になり男性が連れていくシーンを、ここで綺麗に描いています。

新しい家族を作るために、古い家族は解体されていく、あれだけ娘にいい縁談を欲しがっていたのに、手元に小さな子が二人になると両親は寂しさが募ります、特に母親は。

唯一、明るい話と言えば、長女の婿が念願の「ミシン」を購入できたこと、それには村中が大喜び、(ローラ・インガルス・ワイルダーの家に中古のミシンが来た時のような喜びよう、)それはそれは皆さんが大騒ぎします、ラビがミシンに祝福を与えたり。村は家族のように親密でもあります。

母親は、まだ小さな残り二人の娘には、小さないいなずけを探し、自分の意のままの結婚をして欲しいと願うばかりになります。

その話を進めている時に、ユダヤ人コミニュティ―の解体、「ポグロム」で三日以内に、村を立ち退けとロシア兵に言われ、人々は荷物をまとめ難民の群れのようになります。

牛に別れを告げ、

蹄鉄が外れたり、足の具合の悪い馬、つぶしもせず、荷物も引かせず、自分が荷物を運ぶほどのやさしさがあるテヴィエ、馬にも別れを告げるシーンは辛いものがあります。

奥さんは荷造りをし、最後に我が家を箒で掃くと言い張り、実行します。見ていて辛いです。

また駆け落ちした三女も別れを言いに駆けつけます。(三女夫婦も別行動で放浪する)家族とこのコミニュティはバラバラになって散っていく。世界中に。

全体を通して信心深い、放浪中もラビのもとお祈りを捧げます。

因みに題名のフィドラー、バイオリン弾きは、不安定でも生きるという象徴であるので、浮浪者のように時折しか姿を見せない。物語の分岐点で現れる。荷車の後ろについていく。

 

★私のツボ。

・バイオリン弾きは、不安定な場所でもしっかり弾く象徴。真面目に生きていて、軍に追われる人々の群れのラストシーンは何故かスタインベック「怒りのブドウ」を彷彿。

・「ポグロム」はナチの行った「ポライモス」ににている差別、ただ、殺さないだけで。ロマは流浪の民であるが、この場合、定着しているユダヤ人を、追われる流浪の民にさせているが。

※ポライモス

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%82%B9

・お見合い結婚があるのが親近感、持参金が無いと相手を選べないのもね。でもお金持ちでなくても「決して娘さんを飢えさせない」そちらが優先した親心は万国共通か。

・やがてこの思考が、次女、三女の結婚に結び付くのだが、テヴィエは「女にも学問が必要」と思っているのが良い。また、足を悪くした馬にも優しく、結局のところ、娘の言いなりでもある優しいパパなのである。

・ミュージカル映画だけに、見事なコサックダンスや歌が堪能できる。

・劇中の歌、会話、聖書の引用がとても多い、宗教は足かせでもあり、心の支えでもありうると理解出来た。

 

とにかく、溢れんばかりに人情味あふれたミュージカルだから、長ーくうけているんではないのかが結論。三時間は長い…。実物の舞台も、是非観てみたいデス。

 

 

おっと、練習しなくてはいけない。

ちなみに映画では、、、あのIsaac Sternが演奏しているんだぜぇえええ。

 

G線が汚い私は、漫画の『G線上のあなたと私』どころではないっwと、G線練習しているが、

先生も仰るが、実はかの有名なバッハの「G線上のアリア」は殆どG線使わないという驚愕の事実wwwwG線使うとしたら、1stでなく2ndバイオリンなんです、これマメな!!(あ-、俺セカンド希望だからやるしか、程度www)

 

アンダンテの速度で弾こうとして、メトロノームを出すと、内部でバネが外れたゴリゴリというものすごい音がして壊れた。

これは父がピアノを弾くときの物だったのが紆余曲折で親戚に渡り、放置され、勇気を出して取り戻し、バイオリン到着と共に大活躍してきたものだった、そうか、壊すほど練習した、したのか?自分?w

またしても、私と過去をつなぐ思い出の物が消えてしまったのは確かだ。いや、貧乏ゆえ直して見せる。

悲しいので平原綾香になってみた…。嘘。余興です。

メトロノームが壊れて練習中止、

ヴァージニア・ウルフ、(正確には、「ウルフの美しい遺書」)について考えていたら、

ほぼ更新無しだった片側登録の方が、ヴァージニア・ウルフについてもはや論文!の記事を書いておられた。

こういう嬉しいシンクロニシティ?っていうのか?があるのでネットはやめられない。

 

只今、メトロノーム分解中の夜。(;^_^A

コメント
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