自分は東京の産院で生まれた時に取り違えられたに違いない、
本当の親に会いたい。
といって今は無き産院の資料を探す裁判を起こしている人をTVで見たのは、少し前のことだ。
もう40代のその男性は「親戚が集まると誰にも似ていないといわれた」などなど、変だと思うことが沢山あり、血液型判定(だったと思う)で実の親子ではないことを知ったそうだ。
親と折り合いが悪いわけでもないのに、血の繋がった実の親に会いたいというのは、血縁が第一という神話に囚われているんだろうな、と思ってみていた。
忘れていたんだけど、血の繋がりについて考える出来事があったので。
最近母親と電話で話していて
母「そういえば××さん亡くなったって」(私の今の名字と同じ)
私「ふーん」ワンテンポあって「それって私の父親のヒト?」
母「そうだよ」
私「へー、そうなんだ」
というやりとりがあった。それで終わり。
××さんと母は私の生後まもなく別れたので、ほとんど接点がない。
戸籍というシステムにのっとって私の姓は××になるのだが、父親だと思ったことがない。
そして母はその後3回結婚している。
2回目の結婚の時に出来た妹とは、私が6歳妹が4歳の時に別れた。
三十年ぶりぐらいに、縁があって(それまでは没交渉)妹と再会したとき
「あ、○○?」「お姉ちゃん?」
「全然面影ないねー」「私はお姉ちゃんのこと覚えていないのよ」
てな感じで、再会番組にある涙のご対面には程遠かった。
血が繋がっているからといって、躍起になって探したりはお互いしていなかった。
その後も特に連絡を取り合ってはいなかったりする。
その辺のうちの家庭事情(説明するとすっごく面倒なので略)をよく知ってるはずの友人が、
「でもお父さんのお墓参りには行くでしょう」と言ったのでびっくりした。
父親だと思っていない人の墓参りに何故?
「だってあなたも××家の人なんでしょ」
いや、確かに名字はそうだけど私は独立戸籍だし、××家の人とは一切交流ないし。
と説明しても、訝しげな表情をしたままの彼女を見たとき、
【日本には血縁という神話が根強く残っているんだなぁ】と思ったのだ。
あー、めんどくさい。
本当の親に会いたい。
といって今は無き産院の資料を探す裁判を起こしている人をTVで見たのは、少し前のことだ。
もう40代のその男性は「親戚が集まると誰にも似ていないといわれた」などなど、変だと思うことが沢山あり、血液型判定(だったと思う)で実の親子ではないことを知ったそうだ。
親と折り合いが悪いわけでもないのに、血の繋がった実の親に会いたいというのは、血縁が第一という神話に囚われているんだろうな、と思ってみていた。
忘れていたんだけど、血の繋がりについて考える出来事があったので。
最近母親と電話で話していて
母「そういえば××さん亡くなったって」(私の今の名字と同じ)
私「ふーん」ワンテンポあって「それって私の父親のヒト?」
母「そうだよ」
私「へー、そうなんだ」
というやりとりがあった。それで終わり。
××さんと母は私の生後まもなく別れたので、ほとんど接点がない。
戸籍というシステムにのっとって私の姓は××になるのだが、父親だと思ったことがない。
そして母はその後3回結婚している。
2回目の結婚の時に出来た妹とは、私が6歳妹が4歳の時に別れた。
三十年ぶりぐらいに、縁があって(それまでは没交渉)妹と再会したとき
「あ、○○?」「お姉ちゃん?」
「全然面影ないねー」「私はお姉ちゃんのこと覚えていないのよ」
てな感じで、再会番組にある涙のご対面には程遠かった。
血が繋がっているからといって、躍起になって探したりはお互いしていなかった。
その後も特に連絡を取り合ってはいなかったりする。
その辺のうちの家庭事情(説明するとすっごく面倒なので略)をよく知ってるはずの友人が、
「でもお父さんのお墓参りには行くでしょう」と言ったのでびっくりした。
父親だと思っていない人の墓参りに何故?
「だってあなたも××家の人なんでしょ」
いや、確かに名字はそうだけど私は独立戸籍だし、××家の人とは一切交流ないし。
と説明しても、訝しげな表情をしたままの彼女を見たとき、
【日本には血縁という神話が根強く残っているんだなぁ】と思ったのだ。
あー、めんどくさい。