重松清の原作が好きだった。
冒頭から
『ああ、市川準の映画ってこうだったっけ』な雰囲気。
「トニー滝谷」の時は登場人物が少なかったので、
必然のようだった静謐さは、
今まで観てきた市川作品の特徴だった。
教師だった父を家庭で見取ることにした光一は、
自分も小学校の教師をしている。
末期癌の父親に家族ができることは、
もうなかった。
ある日クラスの少年が授業中に
インターネット死体写真を見ていた。
興味本位で集まる子供たちを叱り、
少年に
「見てはいけない」と諭すと
「どうして死体を見ちゃいけないの?」
と言われ、明確に答えられない光一。
そうして、
死に興味を示す子供たちに
課外授業として父親の姿を見せることにするが、
それがいいことなのかどうか、
実際は解らないままだ。
横たわるだけの父の元に
唯一通い続ける少年は、何を思っているのか?
厳しい教師だった父には、
見舞いに来る教え子もいない。
しかし、彼には確固たる信念があった。
そういう時代でもあったのだ。
父親の命の火が
少しずつ薄れていくのを見つめながら、
”死”ということ、
教師としての父親の人生、の
解らなさに向き合う光一。
とにかく、じわじわと泣けてしまった。
父親役は誰だろうと思っていたら、
遺影で加藤武だと解った。
ほとんどのシーンが横たわったまま、
セリフも少ないのに、
最後まで威厳を失わない父親を見事に演じている。
テリー伊藤が思いのほか好演。
薬師丸ひろ子も、
芯の強そうな妻として、自然だったし、
夫を看取る母親も、
言葉少なく祖父を思いやる孫も、
ドラマティックとは対極の演技。
学校の子供たちのリアルさは
「ノーライフ・キング」に通じるものがある。
静かに時が流れていくのだが、
何気ない場面で涙が溢れる。
そして、
ラストにまた涙。
あおげは尊し
最後に歌ったのはいつだっただろう?
冒頭から
『ああ、市川準の映画ってこうだったっけ』な雰囲気。
「トニー滝谷」の時は登場人物が少なかったので、
必然のようだった静謐さは、
今まで観てきた市川作品の特徴だった。
教師だった父を家庭で見取ることにした光一は、
自分も小学校の教師をしている。
末期癌の父親に家族ができることは、
もうなかった。
ある日クラスの少年が授業中に
インターネット死体写真を見ていた。
興味本位で集まる子供たちを叱り、
少年に
「見てはいけない」と諭すと
「どうして死体を見ちゃいけないの?」
と言われ、明確に答えられない光一。
そうして、
死に興味を示す子供たちに
課外授業として父親の姿を見せることにするが、
それがいいことなのかどうか、
実際は解らないままだ。
横たわるだけの父の元に
唯一通い続ける少年は、何を思っているのか?
厳しい教師だった父には、
見舞いに来る教え子もいない。
しかし、彼には確固たる信念があった。
そういう時代でもあったのだ。
父親の命の火が
少しずつ薄れていくのを見つめながら、
”死”ということ、
教師としての父親の人生、の
解らなさに向き合う光一。
とにかく、じわじわと泣けてしまった。
父親役は誰だろうと思っていたら、
遺影で加藤武だと解った。
ほとんどのシーンが横たわったまま、
セリフも少ないのに、
最後まで威厳を失わない父親を見事に演じている。
テリー伊藤が思いのほか好演。
薬師丸ひろ子も、
芯の強そうな妻として、自然だったし、
夫を看取る母親も、
言葉少なく祖父を思いやる孫も、
ドラマティックとは対極の演技。
学校の子供たちのリアルさは
「ノーライフ・キング」に通じるものがある。
静かに時が流れていくのだが、
何気ない場面で涙が溢れる。
そして、
ラストにまた涙。
あおげは尊し
最後に歌ったのはいつだっただろう?