「国家が一つの行進であるとします。皆が自由な方向に歩き始めたら、それはもう行進ではないでしょう」
「そのお答えは、論理的であるように見えて、実は違うと思います。行進する――ということの意味合いが定かではないからです。国家と言う行進なら、その向かう先は、孔子の言う仁や、あるいは、殺すなかれといった、基本的な徳であるように思えます。それを超えた主義主張を、否応無しに強制された時、行進は、歪まざるを得ないのでしょうか。外に向かっては行為が、内に向かっては心が、です。――わたしのいう自由とは、基本的な徳に向かう行進の中で、右を向き左を向く自由です。鳥の声に身を傾け、空の雲を見る自由です。――そこから、機械の尊さではない、人の尊さが生まれるのではないでしょうか」
「人を縛る主義主張を否定する。その時、大義はどうなるのです。あなたのおっしゃるような国に、民草が挙げて守るべき大義は存在し得るのですか」
「一国に絶対の大義があれば、隣の国にも別の大義が生まれるでしょう。そうなれば、人は殺し合うことになります」
・
・
・
「そのような……行進の中にあって右も左も見つめ得る国を守ること、……大義と言う魔法の言葉なしに国を保つことが困難なら、そういう奇跡の国をまもることこそが、ひとつの大義になると思います」
『幻の橋』の一節
2006年に雑誌に掲載され
2007年に刊行された単行本を
2016年に私が読んだ。
昭和初期、5.15事件から2.26事件までの時代を描き、
上流階級の令嬢「わたし」が、女性運転手「別宮」と謎解きをするミステリーである。
昭和初期の街並みや風俗が「わたし」の生活から読み取れる
歴史モノとしての面白さと、
日常的な謎が時代に繋がっている面白さ。
その「わたし」が
知人宅で合った若い軍人と交わした会話が最初に書き写したものだ。
2016年現在の会話のように思えてしまったのだ。
繰り返すが、昭和初期を舞台としたミステリーで
乱暴に言ってしまえば、娯楽小説である。
であるのに、
であるから、
優れた小説を読むことは視界が広がるのだろう。
市内の図書館で、
完結編を探さなくては。
それにしても、北村薫。
おじさんなのは知っていても女性の心が解りすぎ。
「ひとがた流し」なんて胸を突かれたもの。
「そのお答えは、論理的であるように見えて、実は違うと思います。行進する――ということの意味合いが定かではないからです。国家と言う行進なら、その向かう先は、孔子の言う仁や、あるいは、殺すなかれといった、基本的な徳であるように思えます。それを超えた主義主張を、否応無しに強制された時、行進は、歪まざるを得ないのでしょうか。外に向かっては行為が、内に向かっては心が、です。――わたしのいう自由とは、基本的な徳に向かう行進の中で、右を向き左を向く自由です。鳥の声に身を傾け、空の雲を見る自由です。――そこから、機械の尊さではない、人の尊さが生まれるのではないでしょうか」
「人を縛る主義主張を否定する。その時、大義はどうなるのです。あなたのおっしゃるような国に、民草が挙げて守るべき大義は存在し得るのですか」
「一国に絶対の大義があれば、隣の国にも別の大義が生まれるでしょう。そうなれば、人は殺し合うことになります」
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「そのような……行進の中にあって右も左も見つめ得る国を守ること、……大義と言う魔法の言葉なしに国を保つことが困難なら、そういう奇跡の国をまもることこそが、ひとつの大義になると思います」
『幻の橋』の一節
2006年に雑誌に掲載され
2007年に刊行された単行本を
2016年に私が読んだ。
昭和初期、5.15事件から2.26事件までの時代を描き、
上流階級の令嬢「わたし」が、女性運転手「別宮」と謎解きをするミステリーである。
昭和初期の街並みや風俗が「わたし」の生活から読み取れる
歴史モノとしての面白さと、
日常的な謎が時代に繋がっている面白さ。
その「わたし」が
知人宅で合った若い軍人と交わした会話が最初に書き写したものだ。
2016年現在の会話のように思えてしまったのだ。
繰り返すが、昭和初期を舞台としたミステリーで
乱暴に言ってしまえば、娯楽小説である。
であるのに、
であるから、
優れた小説を読むことは視界が広がるのだろう。
市内の図書館で、
完結編を探さなくては。
それにしても、北村薫。
おじさんなのは知っていても女性の心が解りすぎ。
「ひとがた流し」なんて胸を突かれたもの。