さておとといの話ですが、長谷川等伯展の記念講演会に行ってきました。
そう、また上野の博物館に行ったのでした。
今回は土曜日ということもあり、車で連れていってもらった(感謝)ので
ラクでした。
時間に余裕をもって行ったのですが、
開場前からすでに行列。ビックリしました。
キャンセル待ちもけっこうな列になってました。
記念講演会は事前申し込み制で多ければ抽選だったようで
無事に当選できてよかったです。
美術に関してまったくのド素人なので
少しでも何か知識が得られたらなぁ・・・という気持ちで参加したのですが
とても充実したいい講演会でした。
お二方の講演の予定で
13:30~16:00というかなり長丁場だと思っていたのですが
あっという間に終わったように感じました。
まずは特別展室長の松嶋雅人氏の講演からで
「やまと絵師・長谷川等伯―信春時代の仏画から智積院障壁画へ」という
題目でした。
上洛する前、能登にいたころの仏画から智積院障壁画にいたるまでの
等伯の絵の特徴についてお話されました。
まずは信春時代の仏画についての特質ですが、
・色彩の豊かさ
・細密描写
・画面構成
についてそれぞれお話が聞けました。
色彩の豊かさについてですが
「三十番神図」を例に挙げられ、
(日本各地の神さまが描かれているのですが)
緑青・群青などいろいろな鮮やかな色が使われていました。
金泥も使われていて華やかになっていました。
そしてこの「三十番神図」にはのちに描かれることになる
猿や楓などのモチーフも描かれてました。
等伯は日蓮宗に帰依しており、
描かれているのもそれに関するものが多いです。
ただ能登に住んでいたので参考となる資料が少なかったせいか
密教系の仏さまとスタイルが似たようなものがありました。
そして次に細密描写についてですが、
本当に細かく描かれていて
特に装飾の細かさは目を見張るものがあります。
例えば「日蓮聖人像」という作品では
松の木に太陽が金泥線で描かれてあったり、
日蓮上人の上にある天蓋の中にも細かな紋様が描かれてあったりします。
他の仏画にも持ち物や衣服に細かい装飾がほどこされてあります。
そしてこれらの細密描写は染色業と関連があるのでは・・・とされているそうです。
辻が花染めというのを例に挙げられてました。
次に画面構成についてですが、「十二天像」を例に挙げられました。
その絵には神さまのみ登場し、
背景描写がありませんでした。
仏画では装飾は仏さまのみにほどこされているのですが
それにより仏さまを神格化している、とのこと。
つまり背景描写があると現実的になるので
背景描写をとってしまい、よりいっそう仏さまを神格化したということなのですね。
(仏さまなので仏格化???)
・・・ということで以上が信春時代の仏画の特質でした。
それをふまえながら今度は智積院障壁画を見ていきました。
当時の流行は永徳に代表されるように
大画様式(←漢字が正しいかどうかちょっとわかりません)が主だったようです。
画面に大きな樹木を中心に据えている描き方だそうです。
ということで智積院の障壁画である、楓図もその描き方にのっとって
中心に樹木が大きく描かれています。
けれども等伯と永徳には決定的な違いがあるそうです。
それがなにかというと「遠近感」なのだそうです。
等伯の絵は樹木が中心に据えられてありますが、
まわりには雲がたくさん浮いていています。
そしてその雲にはきちんとした輪郭がありません。
遠近感がないというのが等伯の真骨頂だそうです。
それに対して永徳の檜図屏風は檜が真ん中に据えられていて、
そのまわりにはごつごつした岩や崖も描かれています。
遠近感があるのです。
ではそれはいったい何を意味するのか。
つまり等伯の絵には奥行きがない。
描きたいものだけをどんと中心に描く。
それこそが「神格化」なのです。
ここで信春時代の仏画とつながるのです。
そもそも智積院とは秀吉の愛息、鶴松の菩提を弔うためのお寺。
ということは非常に神聖でなければなりません。
等伯の楓図に描かれている楓や萩などの植物は
スタンプで押したように同じような紋様が続いてます。
仏画の衣服の紋様と同じように柄として描かれているのです。
それは何を意味するのか、
枯れることのない永遠の花木、
つまり極楽浄土の花木を表しているのです。
信春時代の仏画の特質と楓図の特質が一致しているのですね。
信春時代の仏画は「やまと絵」がベースになったものです。
やまと絵とは日本古来のもので、画面を色彩豊かに
細かな着色が特徴だそうです。
(源氏物語絵巻が代表格。)
そしてこのやまと絵は基本的に経文・和歌を絵画化したものであって
リアリズムを重要視していないのです。
リアリズムのない絵=神格化の強い絵=鶴松の菩提を弔うお寺にふさわしい絵、
そういうことを今回の講演で学びました。
本当にこの絵でいろいろなことが学べるんだ・・・と感動しました。
講師の先生、若干早口だったのでメモをとるのがタイヘンで
レジュメのあちらこちらにかきなぐったので
順番が前後してるかもしれませんがこういう感じの内容だったと思います。(たぶん)
とりあえず今日はここまで。
明日は新発見の金碧花鳥図屏風のお話について
(余力があれば)
聞いたことを書こうと思ってます。
そう、また上野の博物館に行ったのでした。
今回は土曜日ということもあり、車で連れていってもらった(感謝)ので
ラクでした。
時間に余裕をもって行ったのですが、
開場前からすでに行列。ビックリしました。
キャンセル待ちもけっこうな列になってました。
記念講演会は事前申し込み制で多ければ抽選だったようで
無事に当選できてよかったです。
美術に関してまったくのド素人なので
少しでも何か知識が得られたらなぁ・・・という気持ちで参加したのですが
とても充実したいい講演会でした。
お二方の講演の予定で
13:30~16:00というかなり長丁場だと思っていたのですが
あっという間に終わったように感じました。
まずは特別展室長の松嶋雅人氏の講演からで
「やまと絵師・長谷川等伯―信春時代の仏画から智積院障壁画へ」という
題目でした。
上洛する前、能登にいたころの仏画から智積院障壁画にいたるまでの
等伯の絵の特徴についてお話されました。
まずは信春時代の仏画についての特質ですが、
・色彩の豊かさ
・細密描写
・画面構成
についてそれぞれお話が聞けました。
色彩の豊かさについてですが
「三十番神図」を例に挙げられ、
(日本各地の神さまが描かれているのですが)
緑青・群青などいろいろな鮮やかな色が使われていました。
金泥も使われていて華やかになっていました。
そしてこの「三十番神図」にはのちに描かれることになる
猿や楓などのモチーフも描かれてました。
等伯は日蓮宗に帰依しており、
描かれているのもそれに関するものが多いです。
ただ能登に住んでいたので参考となる資料が少なかったせいか
密教系の仏さまとスタイルが似たようなものがありました。
そして次に細密描写についてですが、
本当に細かく描かれていて
特に装飾の細かさは目を見張るものがあります。
例えば「日蓮聖人像」という作品では
松の木に太陽が金泥線で描かれてあったり、
日蓮上人の上にある天蓋の中にも細かな紋様が描かれてあったりします。
他の仏画にも持ち物や衣服に細かい装飾がほどこされてあります。
そしてこれらの細密描写は染色業と関連があるのでは・・・とされているそうです。
辻が花染めというのを例に挙げられてました。
次に画面構成についてですが、「十二天像」を例に挙げられました。
その絵には神さまのみ登場し、
背景描写がありませんでした。
仏画では装飾は仏さまのみにほどこされているのですが
それにより仏さまを神格化している、とのこと。
つまり背景描写があると現実的になるので
背景描写をとってしまい、よりいっそう仏さまを神格化したということなのですね。
(仏さまなので仏格化???)
・・・ということで以上が信春時代の仏画の特質でした。
それをふまえながら今度は智積院障壁画を見ていきました。
当時の流行は永徳に代表されるように
大画様式(←漢字が正しいかどうかちょっとわかりません)が主だったようです。
画面に大きな樹木を中心に据えている描き方だそうです。
ということで智積院の障壁画である、楓図もその描き方にのっとって
中心に樹木が大きく描かれています。
けれども等伯と永徳には決定的な違いがあるそうです。
それがなにかというと「遠近感」なのだそうです。
等伯の絵は樹木が中心に据えられてありますが、
まわりには雲がたくさん浮いていています。
そしてその雲にはきちんとした輪郭がありません。
遠近感がないというのが等伯の真骨頂だそうです。
それに対して永徳の檜図屏風は檜が真ん中に据えられていて、
そのまわりにはごつごつした岩や崖も描かれています。
遠近感があるのです。
ではそれはいったい何を意味するのか。
つまり等伯の絵には奥行きがない。
描きたいものだけをどんと中心に描く。
それこそが「神格化」なのです。
ここで信春時代の仏画とつながるのです。
そもそも智積院とは秀吉の愛息、鶴松の菩提を弔うためのお寺。
ということは非常に神聖でなければなりません。
等伯の楓図に描かれている楓や萩などの植物は
スタンプで押したように同じような紋様が続いてます。
仏画の衣服の紋様と同じように柄として描かれているのです。
それは何を意味するのか、
枯れることのない永遠の花木、
つまり極楽浄土の花木を表しているのです。
信春時代の仏画の特質と楓図の特質が一致しているのですね。
信春時代の仏画は「やまと絵」がベースになったものです。
やまと絵とは日本古来のもので、画面を色彩豊かに
細かな着色が特徴だそうです。
(源氏物語絵巻が代表格。)
そしてこのやまと絵は基本的に経文・和歌を絵画化したものであって
リアリズムを重要視していないのです。
リアリズムのない絵=神格化の強い絵=鶴松の菩提を弔うお寺にふさわしい絵、
そういうことを今回の講演で学びました。
本当にこの絵でいろいろなことが学べるんだ・・・と感動しました。
講師の先生、若干早口だったのでメモをとるのがタイヘンで
レジュメのあちらこちらにかきなぐったので
順番が前後してるかもしれませんがこういう感じの内容だったと思います。(たぶん)
とりあえず今日はここまで。
明日は新発見の金碧花鳥図屏風のお話について
(余力があれば)
聞いたことを書こうと思ってます。