もっちゃんのボケ防止日記

新型コロナウイルスに感染しないよう三密を避けて鳥撮りに嵌っています。

広島での生活日記(7月31日)

2016年08月12日 09時14分10秒 | 日記
 今日は曇り空で実に涼しい。このまま秋になってくれたら体は楽だが農産物にとっては暑さも必要だろう。夏は35℃まで上がり、冬は零下にもなる。一年のうちに、これほど気温の変化がある国も珍しいのではないかと思う。

 昨日は、午後から久しぶりに福祉村に行ってみた。祝日のせいか、芝生広場には家族連れがたくさんいた。いつもの林の中に入り、一服しながら野鳥が来るのを待っていた。しかし、待てど暮らせど鳥の姿はなし。

 諦めて、池に行ってみる。あれほどいたユリカモメが1羽もいない。カワウが1羽とカルガモが数羽いた。池の端にマガモの番がいた。羽が抜け替わるようで、何ともみすぼらしい姿になっている。

 池の周りを歩いていると、偶然にも知人と出会った。以前、職場を同じにしていた人だ。私同様、リタイアして自由気ままな生活をしているという。それにしても、こんな場所で出会うとはお互いにびっくりしてしまった。

 公園を出て、田んぼを見て回る。どの田んぼの稲も穂が出て実りの秋を迎えている。雀もたくさんいる。稲穂の間からサギが首を出している。畦道にも数羽のサギがいる。コサギにダイサギだ。

 突然、足元から鳥が飛び立った。何かと思ったらヒバリだ。5月にも出会ったが、まだいるとは驚きだ。そうっと後を追い、カメラに収めた。



 シギでもいないかと探してみたが、いるのはサギばかりだ。諦めて、家に帰る。

 (7月31日)

 今日も朝から良い天気だ。自転車で町まで下りる。家の裏側から坂を下ると、途中の畑の中にカワラヒワがいた。我が家の近くでもよく見かけた鳥だ。今日は、大富山に登ることにした。この大富山は、昔、城があったところだ。インターネットで調べてみると、以下のように載っていた。

 【大富山城跡】

 大富山城の形態は山城で、天文2年(1533年)宮高盛によって築かれたと云われる。はじめ東城町久代を本拠としたことから久代宮氏とも呼ばれ、高盛は九代という。
 宮氏は亀寿山城の宮氏の庶流と考えられているが、久代記では応永6年(1399年)に初代利吉が大和国宇陀郡から備後国奴可郡久代へ遠流されて土着したとする。
 もともと五品嶽城を居城としていたが大富山城を築城し居城を移した。城主は宮氏である。これにより西条と呼ばれていた地名は西城と改められ五品嶽城のある地は東城と呼ばれるようになったと云う。
 天正18年(1590年)11代宮広尚のとき毛利輝元の怒りをかい、伯耆国日野(一説には出雲国塩谷)に移封させられた。

 大富山城は西城川に沿って北へ伸びた山塊の北端、標高511.2mの大富山に築かれている。

 大富山城は大富山山頂を中心とする主郭部とそこから南へ伸びた尾根に築かれている南尾根遺構からなる大規模な山城で、南北の規模はおおよそ1,000m程もある。城主の居館は北東麓、宮氏の菩提寺は南山腹にある浄久寺、東の麓には宮氏の重臣安江氏の墓がある。

 主郭部は山頂に広く主郭があり一段下がって同心円状に曲輪が回っている。そこから東へ腰曲輪が続いており、上の曲輪を「あやめの段」、下の曲輪を「菊の段」と呼んでいる。菊の段の東端に石積された虎口状の遺構がある。

 南尾根遺構は主郭との間の林道から南の尾根にある。この林道はもともと大堀切であったという。林道からすぐ上に登った所から曲輪の遺構が続いており、さらに一段高い山に登ると曲輪へ至る。この曲輪は低い切岸ながら複雑な地形をしており、通路も何通りか確認できる。ここから南はほぼ自然地形で岩場などが続いているが、その先に曲輪があり「古天神」と呼ばれている。

 南尾根の最高所標高500mの所に曲輪があり「物見が丸」、この東下に「能楽寺が丸」がある。この曲輪群は南尾根遺構の主郭に辺り、三方に伸びる尾根を三重堀切で遮断している。

 大富山城で注目するべき遺構が西山腹にあり、30条弱の畝状竪堀群を設けている。大堀切から西へ降りて行く道があり、その先にも大きな2段の平場がある。この先は「的場」という地名が残されていることから、こちら側にも遺構が拡がっている可能性がある。



 1533年と言えば戦国時代だ。そんな時代から城が築かれていたとは驚きだ。中国山地の山間にある西城の歴史に触れる思いで登山道を入る。庄原市教育委員会の説明板と遊歩道案内図があった。

 登り口は草が生い茂り、朝露で濡れていた。直ぐに開けたところがあった。何かの跡だろう。杉林の中を登ると、その先は雑木林が広がっていた。野鳥を探しながら行くと、高い木に鳥がいた。

 何枚か撮影したが、何の鳥かはわからない。登山道脇に白いキノコが出ていた。周りの風景を眺めながら、のんびりと登る。途中、出会う人もなく静かだ。

 1時間ほどで頂上に着く。説明版では登り40分と書かれていたが、野鳥を探しながら登ったので時間がかかってしまった。山頂は平地になっていて、石碑が立っている。奥には祠もある。ここに城があったかと思うと感慨深い。木々の間から実家が見える。何かいるかと探したら、ウチワヤンマがいた。オニヤンマと違い、尾(腹部)の先に団扇のようなものがついている。実家の周りで何回も見かけたが、これまでカメラに収められなかったトンボだ。

 暫く休憩した後、山を下りる。鳥の姿がなく、少々がっかりした。

 自転車のところまで戻ると、小川の中にキセキレイがいた。近づくと逃げてしまうので、遠目から撮影する。

 少し疲れたので安原旅館で休憩することにした。安原旅館では金曜から日曜にかけて喫茶コーナーが開かれている。旅館のご主人とはフェースブックで知り合いになった。自転車を止めて、門を入ると直ぐにご主人が出てきた。一昨年の秋にお邪魔して以来だが、ご主人は私のことを覚えていたので嬉しくなってしまった。

 喫茶室は新しく造ったそうで、落ち着ける雰囲気の部屋だった。さっそくコーヒー談義に花を咲かせ、お薦めのコーヒーをいただくことにした。深い味わいコーヒーを飲みながら、ご主人と話をする。若いご主人だが、カメラが好きで、町の活性化に一役買っている人だ。

 懇親を深めることができたことに満足して店を後にする。また、坂道を上って実家に戻る。



 午後は何をしたか、記憶にない。