気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

歴史ある宿場町「馬籠宿」後編

2024-01-16 10:25:49 | 旅行
こんにちは!
本日の記事は昨年、2度目の訪問地中山道43番目の宿場馬籠宿後編を
掲載してみたいと思います
2023年1度目の馬籠宿(まごめじゅく)はAM6:00頃に訪れて、天気は曇り
街道沿いの民芸品店、お土産処etc開店しておらず、2023年12月、2度目の
再訪となりました 同行した弟は茸、山菜収穫用に手編みの篭が欲しかったようです
2度目の馬籠宿(まごめじゅく)は青空が広がる好天で、観光客が多数訪れる
時間帯でした

石畳の敷かれた坂に沿う歴史ある宿場町「馬籠宿」
岐阜県中津川市馬籠(まごめ)地域は、
日本のほぼ中心部、中央南アルプス南端に位置し、
傾斜地形の中に水田や山林が広がる里山風景が楽しめるエリアです
地域の中心部を江戸初期に開通した街道「中山道」が通っており、
京都から続くこの旧街道は当地の宿場「馬籠宿」の先では
「木曽路」と呼ばれる江戸時代の情景を保つ
険しい80㎞ほどの区間に入り、
その先もさらに延びて東京に続いています

旅人御宿 但馬屋さん
歴史ある宿場町風情を残す御宿

石畳の敷かれた坂沿いにある民芸品店

馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道43番目の宿場
(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町風景





馬籠は(1215年)当時には「美濃州遠山庄馬籠村」といい、
源義仲(木曽義仲)の異母妹・菊姫が源頼朝から領地として賜り、
兄の義仲を弔うため法明寺という尼寺で暮らしていたと
伝わりその跡地が存在する
長享元年(1487年)頃になると木曽馬籠や
恵那郡馬籠といったりするようになるが、
妻籠までが信州木曽谷で、馬籠は美濃に属していた

石畳の敷かれた坂沿いに流れる清水

石畳の敷かれた坂沿いにある馬籠茶屋





大きな蜂の巣目印の大黒屋さん
店内をのぞいて見ると民芸品等の土産屋

馬籠宿を後に飯田市へ向かう

飯田市内の三匹のこぶたさんで食した豚カツ定食
信州が誇る幻の味 「幻豚(げんとん)を頂きました
飯田市満津田食堂のソースカツどんが目当てでしたが
定休日で残念です


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馬籠宿(まごめじゅく)馬籠峠を越えて前編

2024-01-11 09:38:52 | 旅行
こんにちは!
本日の記事は昨年、2度目の訪問地中山道43番目の宿場馬籠宿を
掲載してみたいと思います
2023年1度目の馬籠宿(まごめじゅく)はAM6:00頃に訪れて、天気は曇り
街道沿いの民芸品店、お土産処etc開店しておらず、2023年12月、2度目の
再訪となりました 同行した弟は茸、山菜収穫用に手編みの篭が欲しかったようです
2度目の馬籠宿(まごめじゅく)は青空が広がる好天で、観光客が多数訪れる
時間帯でした

馬籠峠(まごめとうげ)
長野県木曽郡南木曽町と岐阜県中津川市の境にある旧中山道の峠
標高790メートル

馬籠峠から馬籠宿(まごめじゅく)へは2.2㎞の道程

妻籠宿より馬籠峠(まごめとうげ)を越えて
中山道43番目の宿場馬籠宿へ
妻籠宿と馬籠宿の両宿の間にあり、中山道の宿場町の中でも史蹟として
保存状態の良い両宿を含めて観光地として訪れる人も多い 峠

馬籠峠(まごめとうげ)にある峠の茶屋

馬籠峠(まごめとうげ)景観

中山道43番目の宿場 馬籠宿に到着

青空が広がる中山道六十九次木曽11宿 馬籠宿景観
馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道43番目の宿場
(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である
かつては長野県木曽郡山口村に属したが、
2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により
岐阜県中津川市に編入された
1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、
古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、
その後復元され現在の姿となった
石畳の敷かれた坂に沿う宿場かつ近代を代表する作家の一人である
島崎藤村の故郷として知られ、
馬籠峠を越えた長野県側の妻籠宿(木曽郡南木曽町)とともに人気があり、
多くの観光客が訪れる
石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも
当時の屋号を表札のほかにかけるなど、
史蹟の保全と現在の生活とを共存させている
ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある

藤村記念館(島崎藤村生家跡)



石畳の敷かれた坂に沿う馬籠宿(まごめじゅく)街並み



弟目当ての民芸品店で山菜収穫用 竹手編みの篭ゲット



『中山道宿村大概帳』によれば、馬籠宿の宿内家数は69軒、
うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒で宿内人口は717人であった
と言われる街道沿いの街並み

12月中旬の馬籠宿 積雪もなく穏やかな街道沿いの景観


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妻籠宿Tsumago-jukuサムライの道

2023-12-28 11:46:55 | 旅行
こんにちは!
今回の記事は今年2度目の妻籠宿(つまごじゅく)
12月18日訪れた中山道六十九次42番目の宿場町 妻籠宿(つまごじゅく)
を再度、取り上げてみたいと思います
妻籠宿は、世界的に有名なガイドブックやイギリスのBBC放送で
紹介されたことから、外国人観光客の間で「サムライの道」と
呼ばれるようになったとのことです

外国人観光客より「Samurai Trail」(サムライの道)と呼ばれる
江戸時代の風情が残る妻籠宿街並み

お土産処 岩井屋さん

妻籠宿(つまごじゅく)は、中山道42番目の宿場
(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町
蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する
現代においては、隣接する馬籠宿((旧長野県木曽郡山口村) 、
現在は岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と
合わせて木曽路を代表する観光名所として、
外国人を含めて訪れる旅行者が多い

煙草と書かれたお土産処

妻籠宿 南木曾駅側にある水車小屋



イギリスのBBC放送で、ボンドガールを演じた女優が
中山道を紹介すると、妻籠と馬籠を結ぶ8kmの道が
外国人の間で「Samurai Trail」(サムライの道)として
有名になり、海外からの観光客が一気に増えていきました



妻籠宿 寺下の町並み

妻籠宿 寺下の町並み 下嵯峨屋付近の景観

江戸時代末期の町並みがそのまま残る妻籠宿景観

今年11月初旬に立ち寄った和菓子屋 澤田屋さん
中津川の銘菓 柿と栗をリピ買いしてしまいました

リピ買いした柿と栗
テレビ番組 ヒルナンデス等幾つかの番組で紹介された銘菓
市田柿の中に国産栗きんとんが入った素朴な味わいでした

木の店 あぶらやさん
寿司桶、曲げわっば、伝統的な民芸品のお店



関西電力読書発電所(国重文)
大正期を代表する水路式発電所
近代化産業遺産に指定されており、今なお現役の発電所

関西電力読書発電所

今なお現役の送電器具 活躍しているようです

大正時代のロマンを感じる現役の高圧送電器具



伝統的な町並みをゆっくりと散策

妻籠宿 寺下の松代屋さんで昼食タイム

きつねそば定を頂きました
温かくお腹に沁みる素朴な味わいでした

温かい蕎を頂き、引き続き伝統的な町並みをゆっくりと散策します

中山道妻籠宿(つまごじゅく)本陣跡





妻籠宿は中山道と飯田街道の追分に位置する交通の要衝であった
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、
妻籠宿の宿内家数は31軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、
旅籠31軒で宿内人口は418人であった
1960年代に深刻となった長野県の過疎問題の対策として、
開発事業としての保存事業が基本方針となった
1968年から1970年にかけて明治百年記念事業の一環として
寺下地区の26戸が解体修復された
その後、観光客が増え始めたことから観光関連施設の整備が行われるようになり、
保存事業を制度面から後押しするために、1973年に当時としては例の少ない、
町独自の町並み保存条例である『妻籠宿保存条例』が制定された
(1976年に『妻籠宿保存地区保存条例』へ改正)
経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、
いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、
1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた 
他の保存地区と異なり、周辺の農地など宿場を支えた環境全体を保存するため、
国有林を含めた広範囲が選定されている

次の訪問先、馬籠峠を越えて馬籠宿に向かいます


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奈良井宿(ならいじゅく)中山道六十九次34番目の宿場

2023-12-24 16:18:40 | 旅行
こんにちは!
12月18~19日に江戸時代の面影を色濃く残した奈良井宿、
妻籠宿、馬籠宿、長野県駒ヶ根駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷カール
を訪ねてみました 初回の記事は中山道六十九次34番目の宿場
奈良井宿(ならいじゅく)を取り上げてみたいと思います

奈良井宿
奈良井宿(ならいじゅく)は、中山道34番目の宿場(→中山道六十九次)
現在の長野県塩尻市奈良井に位置する

江戸時代の面影を色濃く残す奈良井宿(ならいじゅく)街並み

塩尻市(旧楢川村)の奈良井川上流に位置する、
標高900m台の河岸段丘下位面に発達した集落である
現在は重要伝統的建造物群保存地区として、
繁栄した当時の町並みが保存されている 山あいに寺社を擁し
、宿場、蕎麦などの食事処、土産物店など、観光できる
街並みに整備されている

未明の奈良井宿
観光客がいないAM6:30頃に到着して街並みを散策



奈良井宿鳥居峠に近い端にある高札場

奈良井宿端にある中町と上町の間に鍵の手付近より
奈良井駅方面にゆっくりと散策

鍵の手にある風情な水場

奈良井宿鍵の手

江戸時代に整備された五街道のひとつで、
東京・日本橋から京都・三条大橋を結ぶ中山道(なかせんどう)
この街道を通る長野県塩尻市に「奈良井宿(ならいじゅく)」があります
奈良井宿は、木曽谷を通る街道部分(木曽路)にある
11の宿場町(通称 木曾11宿)のひとつ
奈良井川に沿って約1キロメートルの距離で形成されています







歴史を感じる奈良井宿醸造元 杉の森



繁栄した当時の町並みが保存されている
山あいに寺社を擁し、宿場、蕎麦などの食事処、
土産物店など、観光できる街並みに整備されている

江戸時代の面影を色濃く残した町並みが印象的で、
国から重要伝統的建造物群保存地区として選定されています
美しい総檜造りの「太鼓橋(木曽の大橋)」など見どころも
満載のエリアです 今も昔も人々の営みが続き、
情緒ある町並みと現代の文化が融合したスポット



歴史を感じる奈良井宿街並み
江戸時代から曲げ物、櫛、木曽漆器などの木工業が盛んで
、旅の土産物として人気があった 天保14年(1843年)の
『中山道宿村大概帳』によれば、
奈良井宿の宿内家数は409軒、うち本陣1軒、
脇本陣1軒、旅籠5軒で宿内人口は2,155人であった

江戸時代にタイムスリップしたような街並みが続く





奈良井宿観光案内図

JR東海奈良井駅

奈良井踏切 JR東海奈良井駅へ向かう列車

国道19号線奈良井宿バス停

奈良井川にかかる総檜造りの「太鼓橋(木曽の大橋)」


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中山道妻籠宿街並み散策へ続く
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江戸時代末期の風情を残す日本の原風景大平宿

2023-12-04 10:53:04 | 旅行
こんにちは!
今回の掲載記事は11月6日~8日にかけて訪れた中山道、木曾路、
飛騨路の旅の風景を数話に分けてお届けしたいと思います
今回の記事は長野県飯田市に1970年(昭和45年)迄 存在した宿場町
江戸時代末期の風情を残す廃村の南信州大平宿を掲載してみたいと思います

廃村の南信州大平宿
大平宿(おおだいらじゅく)は、長野県飯田市に存在した宿場町
中山道と三州街道(伊那街道)を結ぶ大平街道のほぼ中間地点、
標高1150mの大平高原と呼ばれる山中のわずかな平地に
建物が点在している

廃村の大平宿は
現在「いろりの里 大平宿」として保存され、
不定期で各種イベントが行われている
また一般開放されているので、協力費を添えて申し込めば、
古民家一軒を借り切って宿泊(すべて自給による)することも
可能となっている 2017年4月以降、大平宿の宿泊の問い合わせは、
飯田市からの指定管理者となった南信州観光公社が行っている

江戸時代末期の古民家が立ち並ぶかつての宿場風景

ここは2004年(平成16年)春 - 山田洋次監督作品
「隠し剣 鬼の爪」最後の決闘シーンが撮影されたロケ地

江戸時代末期に旅人が行き交った風情が残る旧街道



江戸時代末期に旅人が行き交った風情が残る旧街道跡

江戸時代末期の古民家

大八車が置かれている江戸時代末期の古民家



江戸時代末期にタイムスリップしたような風景が残る大平宿



かつて最盛期を迎えていたころ、戸数70を超える賑わいを
見せたと言われる日本の原風景





大平宿 紙屋
この古民家は唯一設備が整っている宿屋
寝具から調理器具、お風呂(自動)まで揃っている
南信州観光公社以外の管理宿屋

大平宿シンボル的な石仏群

江戸時代末期の原風景が残る大平宿

大平宿案内図

大平宿集団移住記念碑
昭和30年代に清内路村(現阿智村)の清内路峠を越える
国道256号が開通すると大平街道の交通や物流は減少の一途を辿った
また、高度経済成長によるエネルギー需要の変化により
村の中心産業であった林業(炭焼き)が成り立たなくなり、
昭和35年の戸数は全盛期の半数以下の38戸にまで減少した
1970年(昭和45年)、住民の総意として集団移住を決定し
、同年11月末、大平宿は約250年の歴史に幕を下ろしたが、
現在でも有志によってその維持が続けられている
また、2017年(平成29年)に大平宿をのこす会は解散したが、
引き続き宿泊体験は南信州観光公社を窓口として行われている

大平街道の石碑
大平宿から飯田市方面の飯田峠に立つ石碑
飯田市中心部の三州街道(現・国道151号線中央通り三・四丁目)を起点に、
長野県道8号飯田南木曽線、飯田峠と大平峠(木曽峠)を経て、
木曽郡南木曽町南部の吾妻保神地区で国道256号線となり、
南木曽町吾妻地区で中山道(旧中山道)と合流する街道である
なお、街道のうち長野県道8号飯田南木曽線は冬季閉鎖となっている


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