錦乃原櫻草祭
錦乃原櫻草園説明看板から
サクラソウが、この周辺6ヘクタールにわたり咲き乱れていた時代がありました。
昭和8年(1933)、当時この地は馬宮村と呼ばれていました。村ではこのサクラソウを、
天然記念物として指定を受けるため文部省に申請したところ、理学博士三好学氏が文部省の
依頼で調査に訪れ、日本一のサクラソウ自生地であると折り紙をつけてくれました。
馬宮村では新名所として広く世に紹介しようと、名付け親を著名なジャーナリスト徳富蘇峰氏に
依頼し、「錦乃原」の名称が生まれました。
氏がこの地を訪れた折りはサクラソウの淡紅色・ノウルシの黄色・カヤの緑、
あるいはタンポポやレングソウなどの野草が咲き競い、さながら錦を
織りなしたような景色であったといいます。
昭和9年(1934)国の天然記念特に指定されると、県内タトから多くの人々が訪れ、
春の一日を楽しみました。しかし、食糧増産の社会要請が強まり、惜しまれつつも開墾され、
昭和22年(1947)頃には錦乃原の姿を消しました。
その後、僅かに残ったサクラソウを、有志の方々が自宅などで今日まで大切に育ててきました。
この錦乃原桜草の原種を保存・育成し、憩いの場としていくために、ここに錦乃原桜草園を
設置しました。(現在の錦乃原櫻草保存会は1994年に再結成され活動を続けています)
錦乃原櫻草園(さいたま市西区大字二ツ宮地内・治水橋下)
錦乃原櫻草祭開催日時2020.04.04~06(月)
錦乃原櫻草園
ピンクのサクラソウが咲いていました
サクラソウが一斉に咲いています
錦乃原櫻草祭会場
錦乃原櫻草祭会場は荒川左岸治水橋下にあります
サクラソウが満開です
サクラソウが一斉に咲いています
ウォーキングしながら自宅に戻ります
治水橋です
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までごきげんよう
錦乃原櫻草園説明看板から
サクラソウが、この周辺6ヘクタールにわたり咲き乱れていた時代がありました。
昭和8年(1933)、当時この地は馬宮村と呼ばれていました。村ではこのサクラソウを、
天然記念物として指定を受けるため文部省に申請したところ、理学博士三好学氏が文部省の
依頼で調査に訪れ、日本一のサクラソウ自生地であると折り紙をつけてくれました。
馬宮村では新名所として広く世に紹介しようと、名付け親を著名なジャーナリスト徳富蘇峰氏に
依頼し、「錦乃原」の名称が生まれました。
氏がこの地を訪れた折りはサクラソウの淡紅色・ノウルシの黄色・カヤの緑、
あるいはタンポポやレングソウなどの野草が咲き競い、さながら錦を
織りなしたような景色であったといいます。
昭和9年(1934)国の天然記念特に指定されると、県内タトから多くの人々が訪れ、
春の一日を楽しみました。しかし、食糧増産の社会要請が強まり、惜しまれつつも開墾され、
昭和22年(1947)頃には錦乃原の姿を消しました。
その後、僅かに残ったサクラソウを、有志の方々が自宅などで今日まで大切に育ててきました。
この錦乃原桜草の原種を保存・育成し、憩いの場としていくために、ここに錦乃原桜草園を
設置しました。(現在の錦乃原櫻草保存会は1994年に再結成され活動を続けています)
錦乃原櫻草園(さいたま市西区大字二ツ宮地内・治水橋下)
錦乃原櫻草祭開催日時2020.04.04~06(月)
錦乃原櫻草園
ピンクのサクラソウが咲いていました
サクラソウが一斉に咲いています
錦乃原櫻草祭会場
錦乃原櫻草祭会場は荒川左岸治水橋下にあります
サクラソウが満開です
サクラソウが一斉に咲いています
ウォーキングしながら自宅に戻ります
治水橋です
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