こんにちは!
新たなカテゴリーとして登山に通った峠道を加えてみたい思います
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外はほとんど素通りして記録に残っていないのが
現状です 年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点
なお、峠の片側にのみ大きな高低差があってもう一方の側が平坦に近いものを片峠
という 日本での片峠の代表的な事例としては碓氷峠がある
峠は、中国地方で垰あるいは乢とも書き、「たお」「とう」「たわ」「たわげ」などと
呼ぶ地方があり、地名などにも見られる(岡山県久米南町安ケ乢など)
登山用語では乗越(のっこし)、または単に越(こえ、こし)などとも言い、
山嶺・尾根道に着目した場合は鞍部(あんぶ)、窓、コル(col)とも言う
かつて峠はクニ境であり、その先は異郷の地であった
そのため、峠は、これから先の無事を祈り、帰り着いた時の無事を感謝する
場所でもあったことから、祠を設けている所が多い
この祠は、異郷の地から悪いものが入り込まないための結界の役割も果たして
いたと考えられる 本来の意味から転じて、
何らかの物の勢いが最も盛んな時期のことを峠というそうです
第一弾に掲載する峠は安房峠(あぼうとうげ)にしてみたいと思います
安房峠(あぼうとうげ)を岐阜高山側から焼岳登山に向かう途中
通過しました
安房峠(あぼうとうげ)は、岐阜県高山市(旧吉城郡上宝村) と
長野県松本市(旧南安曇郡安曇村)の間にある峠
国道158号がこの県境の峠を通っている 標高は1,790 m
安房峠(あぼうとうげ)は日蓮が修行のためこの峠を越えたとき、
自らの出身地である安房国より命名したと伝えられる
雄大な穂高岳などの北アルプスを眺望できる地点でもある
安房峠(あぼうとうげ)には峠茶屋跡がありました(2008年頃)
現在は更地になっているようです
長野県と岐阜県の県境にまたがる安房峠>安曇野と飛騨高山を結ぶ交通の要衝であり、
今でこそ安房トンネルの完成によってものの5分で抜けられるようになったが、
かつては狭隘かつ急峻な山岳路しかなく峠越えには大変な労苦を伴い、
行楽シーズンには10時間近くかかることもあったという
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
新たなカテゴリーとして登山に通った峠道を加えてみたい思います
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外はほとんど素通りして記録に残っていないのが
現状です 年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点
なお、峠の片側にのみ大きな高低差があってもう一方の側が平坦に近いものを片峠
という 日本での片峠の代表的な事例としては碓氷峠がある
峠は、中国地方で垰あるいは乢とも書き、「たお」「とう」「たわ」「たわげ」などと
呼ぶ地方があり、地名などにも見られる(岡山県久米南町安ケ乢など)
登山用語では乗越(のっこし)、または単に越(こえ、こし)などとも言い、
山嶺・尾根道に着目した場合は鞍部(あんぶ)、窓、コル(col)とも言う
かつて峠はクニ境であり、その先は異郷の地であった
そのため、峠は、これから先の無事を祈り、帰り着いた時の無事を感謝する
場所でもあったことから、祠を設けている所が多い
この祠は、異郷の地から悪いものが入り込まないための結界の役割も果たして
いたと考えられる 本来の意味から転じて、
何らかの物の勢いが最も盛んな時期のことを峠というそうです
第一弾に掲載する峠は安房峠(あぼうとうげ)にしてみたいと思います
安房峠(あぼうとうげ)を岐阜高山側から焼岳登山に向かう途中
通過しました
安房峠(あぼうとうげ)は、岐阜県高山市(旧吉城郡上宝村) と
長野県松本市(旧南安曇郡安曇村)の間にある峠
国道158号がこの県境の峠を通っている 標高は1,790 m
安房峠(あぼうとうげ)は日蓮が修行のためこの峠を越えたとき、
自らの出身地である安房国より命名したと伝えられる
雄大な穂高岳などの北アルプスを眺望できる地点でもある
安房峠(あぼうとうげ)には峠茶屋跡がありました(2008年頃)
現在は更地になっているようです
長野県と岐阜県の県境にまたがる安房峠>安曇野と飛騨高山を結ぶ交通の要衝であり、
今でこそ安房トンネルの完成によってものの5分で抜けられるようになったが、
かつては狭隘かつ急峻な山岳路しかなく峠越えには大変な労苦を伴い、
行楽シーズンには10時間近くかかることもあったという
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